2012年6月5日火曜日

エムゼロEX 1

第一話 レッドラインの攻防


九澄大賀は頭を抱えていた。視線の先にあるのは先程の授業で返却された数学の小テスト。
見事全ての問題に×が付けられた真っ赤な答案だ。

「こ……これはマズい、マズ過ぎる……」

「どうしたの九澄くん?」

「うわっ!?」

背後から突然声をかけられ九澄は全身をこわばらせた。
声の主は自分の好きな女の子だというのにだ。

「あっ、小テストの点が悪かったんだね。仕方ないよ、今回難しかったんだもん。
あたしも3つも間違えちゃったし」

その少女、セミロングの艶やかな黒髪がトレードマークの柊愛花は苦笑を浮かべる。

「み、3つか。ははは、それなら別にいいんじゃないかなあ……」

「九澄くんはどうだったの? 答案見せてよ」

「あっ、待て……」

一瞬の反応の遅れで答案は愛花の手に渡った。途端少女の整った顔がひきつる。

「九澄くん、これは……これはダメだよ……」

「い、いや~最近執行部の仕事が忙しくってな~。
大丈夫だって、中間テストじゃしっかりやるからよ!」

どこぞの政府発表のように全く根拠のない九澄の安全宣言を聞いて愛花は眉をひそめる。

「九澄くん、わかってる? 魔法執行部員が定期テストで一つでも赤点を取ると退部になるってこと……」

「あ、ああもちろん当然……って退部ぅぅぅぅぅぅ!!!!???」

教室中に響き渡る声で九澄は悲鳴を上げた。あまりの驚きに目玉が飛び出しかけている。

「やっぱり知らなかったんだね……」

がっくりと肩を落とす愛花に対し九澄は口をパクパクさせて冷や汗を流しまくっていた。

「それだけ執行部は責任の重い仕事だってことだよ。学生の本分をおろそかにしちゃダメなの。
九澄くん、危ないのは数学だけなの? 他の教科は?」

目を泳がせながら最近授業についていけない科目を思い出す九澄。

「い、いや~強いて言うなら古文と英語と世界史と化学がヤバめかな……」

「それってほとんど全部じゃない!?」

「ははは、なんとかなるって、なんとか……
柊ーーーー!!! 助けてくれーーーー!!!」

九澄は恥も外聞もなく愛花に抱きつき懇願した。
愛花の可愛らしい顔が真っ赤に染まる。

「ちょ、九澄くん離れて! わかったから! 協力するから!」

慌てながらも九澄にされるがままのその様子を、愛花の友人である久美やミッチョンがニヤニヤしながら眺めていたことは言うまでもない。
あ、ついでに「モテネーズ」こと伊勢やら提本やらが恨めしげに睨んでいたことも当然である。


####


「……で、なんでお前がここにいるんだよ?」

放課後の図書室で丸いテーブルを囲んでいるのは九澄、愛花ともう一人、一年F組の観月尚美だった。
赤みがかった茶髪のショートカットとメリハリのあるスタイル、ややキツめながらも綺麗な顔立ちが印象的なこの美少女は、
一学期のとある出来事以来九澄や愛花と何かと関わりを持っている。

「なによ、あたしがいたら迷惑っだって言うわけ?」

「い、いや、迷惑ってんじゃねーけどよ」

(トホホ……柊と二人っきりで勉強できると思ったんだがな……ま、しゃーねーか)

「尚ッチにはあたしから頼んで来てもらったの♪ あたし一人だと大変そうだったから」

ねーっと微笑みかける愛花に観月も笑みを返す。
この二人いつの間にこんなに仲良くなったのやらと九澄は疑問に思う。
こうして他の男子に見られると殺意を抱かれそうな両手に花状態での勉強会が始まった。

「あのね~何度言ったらわかるのよ! ここはこうやって解くの!」

勉強会が始まって一時間ほど。観月はかなりイラついているようだった。
何しろこの九澄という男、基礎が全くできていない。
よほどテキトーに授業を聞いていなければこうはならないだろう。

「まあまあ尚ッチ。慌てずゆっくりやっていこうよ。ね?」

「す、すまねえ柊」
(くーっ、やっぱ柊は優しいぜ)

勉強よりも愛花に萌えることに夢中になっている九澄。もはや救いがたい。
そしてそんな自分を観月が睨みつけていることにももちろん気付いていなかった。


そんなこんなで初日の勉強会が終わったが成果は惨憺たる有様だった。

「はっきり言ってあんた、もう間違いなく退部ね、退部。
とても全科目赤点ラインクリアなんて出来やしないわ」

呆れ顔で吐き捨てる観月。おちょくっているのではなく本音100%というのがまた耳に痛い。
愛花はまあまあと観月をなだめる。

「そ、そこまでいうことないだろ!」

と反論する九澄だったが、正直自分でも観月の言ってることのほうが正しいということは自覚していた。
これならブラックプレート獲得のための試練のほうがいくらか楽だったような気さえする。

「ま、執行部クビになったら仕方ないからうちの薬品部で引き取ってあげてもいいわよ。
今一年生あたししかいないから雑用としちゃ役に立つだろうし」

「ぐぐぐ……見てろ、絶対にクリアーしてやるからな」

決意を語る九澄だったが、澄まし顔の観月の頬がほんのり赤くなっていたことにこの鈍感な男が気付くはずもない。
にも関わらず

「でもよ観月、俺すっげー感謝してんだぜ。
執行部員でも同じクラスでもねーお前がここまで協力してくれんの、マジありがてーんだ。
ワリイけど明日からも頼めねーかな?」

なんていうセリフがポッと出てくるわけだが。

「ななな、何よ!
あたしはただ愛花一人じゃ大変そうだから仕方なく……べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね!!」

もはやほんのりなどというレベルではなく、焼けた石炭のように顔を紅潮させる観月。

「いやまあそれは知ってるけど……」

「だから仕方なく明日からも付き合ってあげるわよ!
……あ! 付き合うってそういう意味じゃないんだから勘違いしないでよね!」

「何言ってんのかよく分かんねーんだけど……」

「べ、別にわかんなくていいわよ!
じゃあサヨナラ!!」

ウサイン・ボルトもかくやというようなスピードで観月は図書室を飛び出して行ってしまった。
後に残された九澄と愛花はポカンと開けっ放しの扉を眺める。

「尚ッチ、九澄くんの前だとなんか慌ただしいなあ……
男の子に接するのに慣れてないのかな?」

この子も相当鈍い。


####


月日が立つのは速い。特にやらなければいけないことが山積みしている時は。
運命の中間テストまで残り5日。校則により一般の部活動は休止され、
執行部でも持ち回りで一日につき一人のメンバーのみが活動を担うこの時期、
九澄は他の部員に頭を下げてその担当を飛ばしてもらい毎日図書館に通っていた。
貴重な戦力を失う訳にはいかない他の執行部員たちも苦笑いで九澄に激を飛ばしていた。
しかし。

「だめだーーーーー終わらねーーーーー!!!!!
あと5日じゃとても無理だーーーーーー!!!!!」

九澄は絶叫した。
というか泣き叫んだ。
なんとか数学だけはモノになった。
英語も間に合いそうな気がする。
だが他の科目まではとても無理だ。
明らかに時間が足りない。
一学期の定期テストはヤマ勘と一夜漬けだけで乗り切った強運力技男も、ここまでツケが溜まっては如何ともしがたい。

「……かくなる上は職員室に侵入して問題を盗みだすとか……」

「……あんた、それやったら退部どころか退学よ……」

質の悪い酔っぱらいを見るような目で九澄の戯言を切り捨てる観月。
一週間以上に渡ってこの無計画男に「仕方なく」付き合ってきた観月から見てもやはり状況は絶望的である。
逆に観月自身は噛み砕いて人に物を教えるという経験が貴重な糧となり、明らかに学力がアップしていたのだが。

「ま、もうしょうがないんじゃない? 諦めて薬品部〈ウチ〉に来ればいいじゃない」

頬を染める観月だったが、九澄は頭を抱えてぶつぶつと嘆くばかり。

「こ、この男は……」

いっそひっぱたいてやろうかと観月が拳を固めると、図書室の扉がガラリと開き元気な声が飛び出してきた。

「九澄くん!! 見つかったよ!!」

声の主である愛花は突っ伏している九澄に駆け寄り、涙目男の肩を掴んで激しく揺らした。
九澄の頭がブンブンと勢い良く往復する。

「ひ、柊……何が見つかったって?」

「愛花、今日は用事があったんじゃないの?」

「えへへ……実は九澄くんに役立つ魔法があるんじゃないかって探してたんだ」

照れくさそうな美少女の笑顔に九澄は一撃でノックアウトされた。

(柊がこんなにも俺のことを想ってくれていたなんて!
こ、これはまさか結婚……?)

タキシードを着た自分とウェディングドレスに身を包んだ愛花。
教会の鐘が鳴り響き柊父がハンカチを噛むシーンが一瞬で九澄の脳を駆け抜けた。
発想がキモい。
おまけに涙腺が決壊しなんとも奇抜な顔になってしまっている。

「ひ……柊ぃぃぃぃぃぃ!!」

「あ、ちょ、九澄くん、抱きつかないで」

心なしか愛花の抵抗が弱い。
本人に変わって九澄を引き剥がしたのは鬼の形相の観月だった。

「なに変態かましてんのよこのセクハラ男!!!」

アゴ先に痛烈な右フックをかましようやく九澄の動きが止まる。

「す、すまん……つい興奮して……」

「あんたは発情期のケダモノかっ!!」

「ま、まあまあ尚ッチ。九澄くんも悪気があったわけじゃないんだし……」

被害者である愛花にそう言われると観月としてもそれ以上強くは出れない。

「まあいいわ。それで愛花、役立つ魔法って何?
まさか勉強しなくてもテストで満点が取れる魔法とか?」

「そんなのじゃないってば、もう。
そういうズルイ魔法じゃなくて、結構リスクというか、負担が大きい方法なんだけど……」

「俺はどんな障害があっても必ずやり遂げてみせるぜ、柊」

無駄にカッコ良く表情を決める九澄。
すかさず観月のツッコミが飛ぶ。

「なら普段からちゃんと勉強してなさいよ」

ごもっともすぎる。

「これ、眠らずの輪っていう魔法アイテムなんだけど、その名の通りこれをつけてる間は眠らなくてもいいの。
と言うより眠れなくなるって言ったほうが正しいのかな?
テストまで5日間、これをつけてればだいぶ勉強時間が増やせるよね」

「おおお! そりゃすげえ!」

「で、負担っていうのは?」

興奮する九澄と冷静な観月。

「うん、やっぱり体にとって睡眠ってとっても大事なんだって。
だからつけてる時は良くても、外したら反動でものすごーーーく辛いらしいよ。
だからっていつまでもつけてると脳がおかしくなっちゃって最後は死んじゃうんだとか」

「け、結構ヘビーなリスクね、それ……」

「お、おう……」

二人して後ずさる九澄と観月。

「でも九澄くんなら体力も根性もあるから5日間……テスト最終日まで含めると8日間か、
それぐらいなら多分大丈夫だろうって、これを貸してくれた魔法アイテム部の友達が言ってたよ」

「多分、ね……あんまり気が進まない方法だなあ……」

「九澄くん! 他に方法あるの!?」

珍しくちょっと怖い表情の愛花に九澄はたじろぐ。
無論他の道などあるはずもなかった。

「よ、よし、やろう! やってくれ!!」

それじゃあと愛花が両手で輪を持ち、背伸びして九澄の頭にそれをはめる。
九澄の頭部はちょうど西遊記の孫悟空のような見た目となった。

「うーん、特に何も変わってないような気が……」

「それは今は眠くないからでしょ?
ほら、時間を惜しんで勉強始めなきゃ!」

かくして九澄の8日間不眠不休勉強大作戦が始まった。
詳細は省くが極めて熾烈な日々であったということは書き記しておこう。


####


時間を少し巻き戻して、愛花が眠らずの輪を借りた直後の魔法アイテム部。

「ねえ知恵、さっき柊さんに貸したあの眠らなくてもいい輪っかっての?
なんであんな良い物貸しちゃったのよ。
あたしが使いたいぐらいだったのに」

「ああ、あれ偽物」

「へ?」

「そりゃそんな物があったらあたしだってテスト前には使いたいって。
でもそんなアイテム聞いたこともないし、あったとしても危険だから生徒には教えてくれないんじゃないかなあ?」

「そ、そうなの……」

「あれはホントは自己暗示力を強化する効果があるの。
要するに思い込みの力が強くなるのね。
ホラ九澄くんって今時珍しい熱血系だから、ああいうのよく効くんじゃないっかなーって」

「つまり九澄くんって思い込みの力だけで徹夜で勉強し続けるんだ……」

「ま、彼頑丈そうだしなんとかなるんじゃないっかなーっと」

「怖っ。あんた怖っ」

「えへへーそれほどでも」

「褒めとらんわ」


こうして地獄のような日々が過ぎテストの結果が発表された。
ミイラのように衰弱した九澄は全科目赤点ラインクリアの報を受け、「プラトーンの叫び」をあげ失神し、3日間ぶっ通しで眠り続けたという。
以来九澄が極力まじめに授業を受けるようになったことは言うまでもない。

エムゼロEX プロローグ

プロローグ   分岐点〈ターニング・ポイント〉



私立聖凪高校。
一見普通の私立学校にすぎないその施設の正体は、超常的な力である魔法を扱う人材を育てるための魔法学校である。

そんな聖凪高校の新たな物語が始まる場所は生徒会魔法執行部A校舎分室。
二学期最初のビッグイベントである文化祭が幕を閉じてしばらく経ったある日のこと。
そこには魔法執行部支部長・永井龍堂と一年生唯一の執行部員「だった」九澄大賀、そしてその他6人の1年生たちが集まっていた。

「この6名が新たに本年度一年生の魔法執行部員に決まった。
みんなよろしく頼む」

永井が下級生たちに向けて挨拶すると、九澄のクラスメートである柊愛花を筆頭に元気な返事が帰ってきた。

「こちらこそよろしくお願いします!」

満足気に頷く永井。

「これで九澄と合わせて全7名、例年に比べて多めだが決していい加減な選考を行ったわけではないつもりだ。
みな執行部員としての自覚を持って精進してほしい。
特に九澄、お前は一年生執行部のリーダー的存在として責任が増すことになるがしっかりやってくれよ」

「お、おう、任せてくれよ、ハハハ……」

引きつったような笑みを浮かべる九澄。
一見自信なさ気な彼がリーダーとして指名されたのはもちろん支部長の気まぐれやえこひいきではない。
九澄大賀とは怪物一年生の名。
彼は一年生にして魔法プレートの最高峰"ゴールドプレート"の持ち主であり、
二年生を差し置いてA校舎最強の生徒とみなされている人物なのだ。
だが人々は九澄の正体をまだ知らない。
それを知るのはごく一部の数人だけである。

(ちくしょー、わかっていたこととはいえ、これでますます苦労が増えるぜ……
ま、柊が正式な部員になれたのは嬉しいけどよ)

九澄が想い人である愛花に目をやると、愛花は九澄に向けてニッコリと微笑んだ。
それだけで九澄の頬は緩んでしまう。
そして先ほどまでの憂鬱はどこへやら、こいつのことだけは絶対に守ってやるぜとあらためて決意するのだった。

「でもみんなすごい人達でプレッシャーだな」

「そんなことはないさ。力を合わせて頑張ろうよ」

弱音を吐く愛花を励まし握手を求めたのは九澄ではなく、小柄な優男大門高彦。
魔法に関して、更に学業成績においても一年生屈指の実力者であり、九澄を強くライバル視する男だ。
彼が九澄を敵とみなすのはもちろん九澄が持つ(と思われている)魔法の実力ゆえ。
そして実はもう一つ大きな理由があるのだが、それは後に語られることだろう。

(んぐぐ……大門が選ばれるのは順当とはいえ……何か複雑だ)

固く握手する愛花と大門を見て九澄はもどかしい気持ちになる。
「優等生つながり」「将棋好きつながり」といった接点を持つ二人がこれ以上仲良くなることを九澄は恐れていた。
だったら先に告白すればいいと思われるかもしれないが、
とある重大な秘密を持つ九澄はどうしてもそこに踏み込めないでいた。
その秘密こそ九澄がゴールドプレートを持ち今日この場にいる理由なのである。


*****


「ふふふ、これからも頑張って下さいね」

九澄を優しく励ましたのは聖凪高校校長の花先音芽〈はなさきおとめ〉。
九澄は執行部室を出た後校長室を訪れていた。
どこの学校でもそうだが一般生徒が校長室に立ち入ることなど多くはない。
だが九澄にとってここは学校内におけるある種の憩いの場になっていた。
なぜなら"ここでは真実を隠す必要がない"からだ。

真実。
すなわち九澄大賀はゴールドプレートなど持ってはいないということ。
それは偽物〈イミテーション〉であり、九澄のプレートの真の姿は魔法を使うことのできないM0〈エムゼロ〉プレートだということ。
魔法学校である聖凪高校始まって以来の「一切魔法を使えない生徒」それが九澄大賀なのだ。
彼が偽りのゴールドプレートホルダーとして学校内の人々を騙してこれたのは、
ひとえに校長である花先、担任にして魔法主任の(ついでに愛花の父親でもある)柊賢二郎、
そして大賀に命を救われて以来彼を強く慕っている小さな魔法生物ルーシーの協力のたまものである。
加えて言えば花先と柊にとって九澄の正体がバレることは自分たちの立場をも一気に危うくする、いわば一蓮托生の関係なのだ。
だがそうなった理由を話すと長くなるのでここではやめておこう。

「ダイジョーブだよ! 大賀にはあたしがついてるもん!」

元気よく拳に力を込めたのはルーシー。
九澄には手のひらサイズの美少女に見える彼女の正体は猛毒の魔法植物マンドレイクだ。
少し前まではそこらへんを裸でふわふわ飛び回っていたのだが、愛花と一年F組の女子生徒・観月尚美に見つかって以来お人形用の服を色々と着回している。
自分が見せたい相手以外から姿を消すことのできる彼女の存在は九澄にとって大きな助けとなってきた。

「相変わらずお気楽だよなーお前は」

苦笑いを浮かべる九澄。
とはいえ九澄とルーシーはお互いにとっての恩人であり戦友のようなもの。
これからもルーシーがそばにいると考えると少しは気が楽になるというのが本音だった。

「ま、これからもよろしくなルーシー」

「うん!」

そんな二人(一人と一体?)の様子を微笑ましく見つめる校長。
彼女は密かにある決意を固めていた。

「じゃ、校長センセ! 今日はサイナラ!」

部屋を出ていった九澄を見送った校長は回想にふける。
全ては偶然だった。
彼が入学したことも、M0プレートを持つようになったことも。
そして今彼は自身の教師歴の中でも最も面白い生徒の一人になりつつある。
彼に普通の魔法プレートを与えることは簡単だ。
だがそれは九澄大賀という特異な素材を平凡な料理に変えてしまう結果になりはしないか。
それは惜しい。もったいない。
そう結論に至った校長は手元の電話機に手を伸ばす。

「……ええ、九澄くんを尾輪理高校に留学させるというあの話、やはり断らせてください。
彼には新たな道を切り開いて欲しいのです。
M0の専門家という前例のない道を」

こうして九澄の人生は、本人の知らぬ間にひとつの大きな分岐点を超えたのだった。
かつて描かれた結末とは異なるもう一つのエムゼロの物語。
九澄大賀の行く先に何が待っているのか、まだ誰も知らない。

似たもの同士(オリジナル・読み切り)


昼休み。
がやがやとした喧騒。
「なあ宇治よぉ、このクラスで一番可愛いのは、誰だと思う?」
にやけた顔で友人の江川が問う。
はて――
僕は躊躇した。
考えたことがない。
わがB組、女子生徒は18人、その中で最も可愛いのは誰か――。
天井を眺める。

客観的に、あくまでも一歩離れて見るならば、それは矢代舞であろう。
くりくりとした大きな瞳に小さな口。
童顔とも言える顔立ちでありながら女の色気を内に秘め、
誰に対しても愛想よく振舞う。
悪く言えば八方美人。
しかし男は往々にして騙される。

あるいは、可愛いとは少し違うかもしれないが、藤崎智美の人気も高い。
すらりと整った顔立ちと体型。
お嬢様然とした落ち着いた佇まい。
しかし時として他者を小馬鹿にしたような態度を垣間見せることがあり、
それが僕には気に入らなかった。

ふと思う。
僕にとってのベスト。
それはきっと彼女であろう、と。
白石有希子。
今現在はいないが、僕の左隣、窓側に席がある。
静かな人だった。
授業中も、休み時間も、放課後も、
いつも誰とつるむでもなく一人で時を過ごしていた。
何気なく窓の外を見ようとした時、
いつも彼女の横顔が目に入った。
瞳が、まつげが、鼻が、唇が、あごが、髪が、
僕の網膜に貼りついて、
ああ、綺麗だな、と、
歯の裏でつぶやいた。
それだけのことだ。

「白石さん、かな」
「ええっ? お前趣味変わってんなー!」
なにがそんなに面白いのか、江川は目を細めてへらへらと笑う。
そうか、変わっているのか。
「っていうかお前もしかしてあれ?
白石のこと好きなん?」
随分な発想の飛躍だった。
そんなことは聞かれていないし、言っていない。
恋、愛、交際、セックス。
僕にはとても遠い世界の話のように思えた。
言葉としては知っていても、
まるで高等数学のように現実感がない。
もちろん高等数学が非現実的だという意味ではなく、
僕の知力ではまだ、そのリアリティを認識できないという意味だ。

だけど。
だけどやっぱり、
僕が白石さんを見る目は、
他の女の子を見る目とは違うのではないだろうか?
僕はあらゆる女の子の中で、
白石さんだけを違う存在として見ているんじゃないだろうか?

ふと白石さんとの会話を思い出してみた。
通算でせいぜい10往復かそこらだが、全て覚えていた。
「ありがとう」
そう言って微笑んだのが、僕の知る白石さんの唯一の笑顔だ。
一コマ一コマが妙に鮮明だった。
脳の裏の真ん中あたりにはっきりと焼きついていた。
「君は優しいね」
そんな言葉もあった。
まいったな、これは可愛い。

「好きかもしれない」
江川は口をすぼめて ひゅう と息を鳴らした。
「こりゃビッグニュースだ」
江川が僕の肩を叩く。
「ま、がんばれよ、応援してるぜ」
その前に――と江川は付け足した。
これ異常ないというほど口の端を歪めて。
「宇治、うしろ、うしろ」

振り向く。
景色が回る。
止まる。
いた。
立っている。
こちらを見ている。
立っている。
見下ろされている。
白石有希子。さん。
「えっと、どこから聞いてた?」
「白石さんかな、のあたりから」
淡々とした受け答えだった。
――ああそうか、ほとんど聞かれていたんだ。
それは仕方ないな。

立ち上がる。
これはどうしたことだろう。
好きかもしれない、そう認識したとたん、
彼女はまったく別の生き物に見えた。
それは今まで想像したこともないほど、
きらきらと輝いていた。

お洒落に気を使っているとは言い難い。
無表情も相変わらずだった。
冷静に、射抜くように僕を見ていた。
射抜かれた。

彼女の右手を両手で握った。
ああ、見られてる。
僕は思う。
教室中の人達、ざっと20人ぐらいが僕らを見ている。
きっと口をぽかんと開けて、驚きと好奇の目で。
不思議だった。
それがわかっているのに、
僕の目には白石有希子しか映らない。

まっすぐと前を見たまま、
「あなたが好きです」
そう言った。
「そう」
彼女が言った。
「私もよ」
少しだけ、ほんの少しだけ彼女が目を細めた。
僕の全身が一瞬震えた。
足から、手から、頭から震えが来て、
最後に心臓がきゅっと締まった。
「私もあなたが好き」

そんな始まり。


Changing Happy

機関誌を作る、などというハルヒのくだらない思いつきに振り回された青
春にさよならを告げ、俺の日常はまた落ちつきを取り戻していた。平和って
素晴らしいなあなどと頬を緩めつつも、知らず知らずのうちに俺の足は部
室に向かっている。気が付いた時には俺は見慣れた扉をノックしドアノブ
を回していた。
「こんにちはキョン君。すぐにお茶入れますね」
そう言って俺を迎えたのはどこぞの国民的アイドル集団よりも10000倍は
愛らしい童顔の上級生だった。いつもキレイに洗濯されたメイド服が実にま
ぶしい。あなたの入れるお茶なら例え雑草が混じっていても俺は喜んで飲
み干しますよ。
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいです」
タングステンでもとろけてしまいそうな魅惑の笑顔を浮かべる朝比奈さん。
思わず俺もにっこり。そこ、気色悪いとか言うな。
「今日はあったかいんで、冷茶にしてみました」
トレイを持ってこちらに駆け寄ってくる朝比奈さんは可憐としか表現の仕様
がない。生まれてきてよかった。ありがとう神様。もっとも、神様がハルヒだと
いうのなら今言った感謝は取り消すが。
「きゃっ」
その時だ。俺の目の前まで近づいていた朝比奈さんがバランスを崩し、
そのまま俺に倒れこんできたのだ。俺の顔面には勢いよくお茶がぶちまけ
られ、更に推定40キロの重量が俺の体にのしかかった。まったく予想して
いなかった俺はそのまま後方に倒れてしまう。
「いてて……」
「ご、ごめんなさいキョン君! 今すぐふき取りますね!」

朝比奈さんは俺の腰の上で馬乗りになったまま慌てふためく。そのためマ
シュマロよりも柔らかい極上のお尻が俺の下半身を刺激することになった。
まずいです朝比奈さん、反応してしまいます。
「あの……朝比奈さん……」
「はい?」
俺は上半身を起こして朝比奈さんと向き合った。きらきらと輝く夜空の星の
ような瞳が数センチの距離にまで迫る。
「その……俺も男ですから……」
「え……?」
「こんな状況じゃ、マジで我慢できません」
俺は真剣だ。真剣にこのままでは理性がヤバイ。部室だというのに、いつ
他のメンバーがやってくるかもわからないのに、押し倒してしまうかもしれ
ん。それもこれも朝比奈さんが可愛すぎるから悪い。美しいことが罪になる
ならば全人類が陪審員になったとしても満場一致で極刑を求刑されるに違
いない。
「えと……キョン君、その……」
子犬のように瞳をうるませて顔をそむける朝比奈さん。それ、火にガソリン
を注ぐだけですから。もう無理です。俺、行きます。
「長門さんが見てます……」
「へ?」
今まで全然注意していなかった教室の隅に恐る恐る目線を移す。そこにい
たのは――液体ヘリウムより冷たい目でこちらをじっと観察する宇宙人
だった。

その日の俺がとんでもなく気まずかったのは言うまでもないだろう。たっ
ぷり長門の視線の拷問を受け続け、心身ともに衰弱しきりハルヒや古泉に
まで訝しがられる始末だ。いやもちろん長門は俺の彼女とかではないから
非難されるいわれはないのだが――そういう問題ではない。どうも俺は長
門を不用意に怒らせることが多いような気がする。宇宙人と未来人との間
にいまだに雪解けが訪れていないというのも原因のひとつではあると思う
が。
とぼとぼと家路につく途中、それにしても、と思う。最近長門の感情をず
いぶん読めるようになってきた俺に言わせると、今日の長門の不機嫌っぷ
りはちょっとありえないほどだった。いやそりゃ部室でTPOもわきまえずイ
チャイチャされたら誰だって腹が立つとは思うが、なんというかそんなレベ
ルじゃないっつーか……。
――嫉妬、だったりして。
俺は即座に自分の頭を殴った。なんておめでたい思考回路だ。長門が
嫉妬? 恋をしているとでも言うのかこの俺に。冗談も休み休み言いやが
れ、あいにくこの世界はそんなに都合良くはできていないんだ。
「世界、か――」
長門、そして世界とキーワードが揃えば思い出すのはあれだ。去年の年
末。忘れもしない、長門の意志によって改変され、俺の選択によって消滅
したあの世界。なんだかもう遥か遠い昔のように感じられる。もし俺があの
世界を消すことを選択していなかったら、俺は文芸部員として長門と二人
で活動していたのだろうか? それが長門の望んだ未来だったのだろう
か? ……いや、それもどう考えたって思い上がりだろう。どうも最近の俺
は自分をモテモテのイケメンとでも勘違いしているらしい。せめて古泉程度
の顔があるならともかく、この俺がそんなに女性から好かれるわけがない。
せいぜい妹やハルヒからたかられるぐらいだ。

そんなことを考えているうちに愛しの我が家が見えてきた。なんか今日は
いつもよりも腹が減っているな。飯ができていなかったら適当に冷蔵庫をあ
さってやろう。
玄関のドアを開ける。
見慣れた光景。
いつもの我が家。
そうここは俺の家だおれのいえだオレノイエダ俺h。dsjふぁkんだふぃfはs
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jkshf入部届フォえjfdsふぃお;れsいtjgtりれうちttattttaただいま。
「おかえりなさい」
ぱたぱたと駆け寄って俺を迎えた天使のような笑顔。疲れもストレスも何
もかもこの笑顔の前では無力だ。
宇宙でいちばん愛しい人――有希。
「今日も綺麗だな」
有希は林檎みたいに頬を染めてうつむいた。もう……などと消え入りそうな
声でつぶやく。ちくしょう、なんでこんなに可愛いんだ。
「ご飯、できてるから」
それだけ言ってリビングに戻ろうとする有希の腕をつかむ。少し乱暴にす
れば折れてしまいそうな細い腕。そんな有希の体を俺は力いっぱい抱きし
めた。
「愛してるよ、有希」
「私も愛してるわ、あなた」
有希のぬくもりが全身に広がる。
有希の声が心を洗う。
今この宇宙で俺より幸せな奴なんてどこにもいやしないさ。


おしまい

桜木マヤは俺の嫁(オリジナル・読み切り)

土砂降りの雨の中を俺は傘も差さず走っていた。
こんなに急に降るなんて思っていなかったからとにかく早く帰るしかない。
あと少しで家に着くというところで、道の隅の黒い固まりに俺は気付いた。
最初はでかいゴミかと思った。
違う。
丸まっている猫?
違う。
それはうずくまった女の子だった。
「きみどうしたの? かぜひくよ」
女の子は何も言わず俺をじっと見ている。
「まいご?」
返事はない。
「まいごならうちにおいでよ」
今思えば俺はずいぶん遠慮のない子供だった。
その行動が俺の人生を変えることになるなんて、もちろん想像もしていなかったさ。


目を覚ますと、視界全部が白い顔だった。
顔の主は灰色の瞳を微動だにさせず俺を見つめている。
いつものことでなければ飛び上がっているところだ。
「マヤ、頼むから寝ている俺を観察するのはやめてくれ。呪われそうだ」
「そう」
マヤは意に介さずとばかりに背を向け部屋の外に出て行った。
ご飯できてるから、とだけ小さくつぶやいて。
俺は何か言おうとしたが、朝日に照らされるマヤの銀髪はあまりに綺麗で、
俺はまだ夢の中にいるような気がしちまったんだ。
それにしても懐かしい夢だったな。
もう10年以上もたつのか・・・・・・。

俺がリビングに降りると、そこには香ばしい焼き魚の香りが漂っていた。
マヤお得意の純和風献立だ。
料理に関してはすでにうちのオカン以上の腕前と言っていい。
学校の制服にエプロンというマヤの出で立ちも正直言って眼福だし。
俺はマヤと向かい合う場所に座っていただきますを言った。
両親が長期出張に出てからはや一週間、二人だけの暮らしにも慣れてきている。
うん、やはりうまい。
ふと顔を上げるとマヤはその無機質な目でじいっとこちらを見ていた。
「いつもありがとう、うまいよこれ」
「そう」
マヤは頬をわずかに染めて目をそらした。
意外に褒められるのに弱いんだよなこいつ。
米の一粒も残さずに平らげごちそうさまを言って席を立つ。
マヤが食器を片付けている間に俺は部屋に帰って着替えと支度。
全くもっていつも通りの平和な朝だ。

俺とマヤは必ず二人並んで歩いて登校する。
学校が近くなるといろんな奴がマヤの前に現れては挨拶していく。
中にはアイドルに対面したファンのように興奮する女の子さえいる。
大抵俺は視界に入っていないとはいえ、そんなことを今更気にすることもない。
マヤは少々目立ちすぎる。
隣にいる平凡な男に気付かなくなるぐらいには。
170センチを超す長身、真っ白い肌や腰まで届く銀色の髪。
ソフトボールみたいな小さな頭と大きな灰色の瞳。
可愛いとか綺麗を超えた、ある種この世のものとは思えない幻想的な美しさの持ち主、
それが桜木マヤという少女だった。
誰もマヤを日本人とは思わないが、かといって何人なのかと聞かれても
誰にもわからない。俺にも、本人にさえも。

あの日、あの雨の日に俺がマヤを連れて帰ったとき俺の両親は当然うろたえた。
マヤは自分の名前以外は何も知らず、親がどこにいるのかさえもわからなかった。
翌日オカンは警察に連絡したが何日待っても何一つ成果は得られない。
やがて児童福祉施設の職員さんが彼女を引き取ろうと現れた。
だけどマヤはそれを拒む。
ほんのわずかな期間だったが、仮の住まいとしてうちで暮らす内に
彼女はこの家が気に入ってしまったようなのだ。
何より俺にはずいぶん懐いていた。
職員さんが近づこうとすると彼女は俺の陰に隠れてひどくおびえる。
そんな様子を見たうちの両親はマヤを自分たちが育てることを決めた。
「元々女の子がほしかったしね。
第一マヤちゃんあんたよりよっぽど可愛いじゃない」
それがオカンの言い分だ。
とにかくそれ以来マヤはうちの家族の一員になった。
年齢はもちろんわからなかったが俺と同じでいいだろってことになった。

あれからもうずいぶんと経つ。
それにしてもまさかこんな美人になるなんてなあ。
なんとなくマヤの横顔をちらりと見ると、
その前からこちらを見ていたらしい彼女と目があった。
マヤはほんのわずかに口元をゆるめてわかりにくい笑顔を浮かべる。
「コウ」
「ん?」
「なんでもない」
「そうか」
「そう」
「マヤ」
「なに?」
「別に」
「そう」
マヤと歩いているときはいつもこんな感じでまともな会話はほとんどない。
それでいいと俺は思う。
いつまでもこのままの関係でいられるはずはないけれど。
校門をくぐると、クラスが違うのでここでいったんお別れとなる。
「じゃあな」
「うん」
別れ際彼女は必ず少し寂しそうな顔をする。
俺はいつものようにあえてそれを気にしないふりをしてさっさと立ち去った。
俺は寂しくなんかない。

「ようナイト君」
「その呼び方はやめろっつーに」
機嫌良く話しかけてきたのはクラスメイトの岡島だ。
俺のことを「姫のナイト」と呼ぶお調子者。
姫が誰かなんて言うまでもないだろう。
「耳寄り情報だぜ。姫がまたコクられた。今度は生徒会長だ!」
「ふ~ん」
ケータイをいじりながら適当に相づちを打つ。
ちなみに電話帳をスクロールさせているだけで意味のある操作はしていない。
「ふーんじゃねぇよタコ。
ナイト様としてどういう了見なんだ。
生徒会長のところに殴り込みに行かねぇのか」
「なんで殴り込むんだよ」
「姫をかけて決闘するに決まってんだろ」
偉そうにフフンと鼻を鳴らし胸を張る岡島。
「アホか」
ケータイを机において岡島を見上げる。
「俺はマヤの彼氏じゃない」
「じゃあ何か。兄か弟か。それとも単なる同居人、か?
誰が信じるんだよそれ」
信じるも何もない。あいつと俺とは家族だ。
誰より大切な家族だけど、決して恋人同士なんかじゃない。
あいつは俺に懐いているだけだ。
刷り込みって奴だ。
恋愛感情とは違う。

「コウ!」
廊下を歩いていると後ろから大きな声で呼び止められた。
この声を間違えるはずがない。
そいつは校則なんぞ気にせず廊下を走って俺に追いついた。
「コウ、どこに行っていたの?
教室にいないから探したよ」
マヤは息を切らせて肩を上下させている。
結構走り回ったんだろうな。
「別に、散歩していただけだよ」
「お昼ご飯は?」
「食堂で済ませた」
「どうして!?」
俺の弁当は毎日マヤが作っている。
マヤは家でそれを渡すことはせず、必ず学校で一緒に食べる。
「俺だってたまには食堂の飯が食いたくなることぐらいある」
嘘だ。
あんな400円の丼よりマヤの弁当の方が100倍旨い。
マヤはもう泣きそうな顔になっていた。
「あたしコウを怒らせた?」
「別に」
「飯島先輩に告白されたから?」
「違う」
俺がバカだから。
「あたしすぐに断ったよ。コウがいるのに、他の人となんて付き合えないよ」
「なんで!」
バカだからどうしていいのかわからないんだ。
「なんで断るんだよ! あんないい人他にいないだろ!
俺なんかと比べものにもならないぞ!」
学校の廊下のど真ん中で俺は怒鳴った。
立ちすくんだままマヤはとうとう涙をこぼした。
「どうしてそんなこと言うの・・・・・・?」
俺はもう止まらなかった。
「マヤ、いい加減君は俺から離れるべきなんだ。
俺なんかにべったりくっついていていい奴じゃないんだ。
俺よりもっとふさわしい人がたくさんいるんだ」
「どうして・・・・・・?
あたしはコウが一番好きなのに」
マヤは震えている。
こんなおびえたマヤを見たことがない。
これじゃまるで叱られる幼子じゃないか。
「だからそれは・・・・・・錯覚なんだよ。
君は俺に拾われて、俺のおかげでのたれ死なずにすんだから、
だから俺を好きだとカン違いしているんだ。
俺に嫌われるとあの家に住めなくなると思っているから、
だから俺を好きになるしかないんだ。
ずっと俺にべったりで他の男とまともに話したこともないから
俺が一番だと思い込んでるんだ・・・・・・」
「そんなじゃない・・・・・・そんなじゃないよ・・・・・・」
力なく首を振るマヤ。
「俺達は家族だ。家族はいつまでも一緒じゃない。
いつか他の誰かを好きになって離ればなれになるんだ。
だけどそれでも家族は家族、それはなにも変わらないんだ」
「違う!!」
マヤが叫んだ。
「あたしはコウが好きなの! あたしにはコウが必要なの!
きっかけとか! 事情がどうとか! 錯覚とか!
そんなのなにも関係ないよ!!」
胸にズシンと衝撃がかかった。
マヤが俺にぶつかってきたのだ。
「お願い、あたしを捨てないで。
コウに捨てられたらあたし生きていけない」
「そんなわけが・・・・・・だって」
「知ってるよ。コウがあたしを嫌いになっても、
パパやママまであたしを嫌いになったりしない。
あたしはずっとあの家の子として生きていける。
でも、ダメなの。
コウじゃなきゃダメなの。
コウがいるから生きていけるの。
あたしにはコウが必要なの・・・・・・」
マヤは人目もはばからず泣き通しだった。
鼻水もグショグショに垂らして俺の制服ににじませた。
気がつけば俺達の周りには黒山の人だかりができている。
不思議と気にならなかったが。
「俺は・・・・・・俺だってマヤが必要だよ」
「それじゃあ」
「俺は・・・・・・そんなにいい奴じゃない。
マヤに釣り合うような男じゃないし・・・・・・
毎日君をオカズにオナニーしてるような奴なんだぞ」
「どうして言ってくれなかったの!」
突然マヤは顔を起こして俺をにらみつけた。
「あたしだって毎日コウでオナニーしてるよ!
コウが出かけている日はコウの布団に潜り込んだりしてオナニーしてるよ!
コウが寝ているときにこっそりコウにキスしたりしてるよ!」
「い、いきなり何言ってんだ!」
爆弾発言にもほどがあるぞマヤ。
「あたしたち似たもの同士だよ・・・・・・。
ねえコウ。あたしのこと好きにならなくてもいい。
家族のままでいいから、ずっとそばにいさせて」
「マヤ・・・・・・」
今まで見たこともないマヤのわがまま。
ずっと俺に忠実だったマヤの、絶対に譲れない一線がやっとわかった。
やっぱり俺はバカだ。
マヤがこんなに強い想いを持っていたのにそれに気付こうともしなかったなんて。
彼女を手放して、それからどうしようと思ってたんだ?
考えるほどに自分のバカさ加減に腹が立つ。
ここでケリをつけなきゃ一生もののド阿呆だ。
「ダメだ」
「え・・・・・・」
「好きにならないなんて無理だ。マヤのいない人生なんて無しだ。
君は一生俺のものになれ」
そう、それが俺の本心。
結局俺だってマヤ抜きで生きていくなんて考えられないんだから。
「コウ・・・・・・!」
マヤの目からまた涙がこぼれた。
「マヤ」
「うん」
「結婚するぞ」
「うん!」
マヤは涙や鼻水でぐしゃぐしゃの顔をさらにくしゃくしゃにした。
そんなマヤの腰を乱暴に抱き寄せて俺は歩き出した。
目の前の人混みがモーゼの十戒のように割れていく。
俺はマヤを腕に抱いたままそこを突き進む。
「お、おいお前ら。どうする気だ?」
誰かが言った。
「家に帰る」
「午後の授業は? 帰ってどうすんだ?」
「夫婦の契りだ」
もう話すことはない。
俺は数十人の前でマヤにキスをした。
これが俺のファーストキス・・・・・・いや、違うのか? どっちでもいいか。
とにかく俺は見せつける必要があった。
無謀にもマヤに恋い焦がれるすべての奴らに対して。

桜木マヤは俺の嫁、ってな。