第一話 レッドラインの攻防
九澄大賀は頭を抱えていた。視線の先にあるのは先程の授業で返却された数学の小テスト。
見事全ての問題に×が付けられた真っ赤な答案だ。
「こ……これはマズい、マズ過ぎる……」
「どうしたの九澄くん?」
「うわっ!?」
背後から突然声をかけられ九澄は全身をこわばらせた。
声の主は自分の好きな女の子だというのにだ。
「あっ、小テストの点が悪かったんだね。仕方ないよ、今回難しかったんだもん。
あたしも3つも間違えちゃったし」
その少女、セミロングの艶やかな黒髪がトレードマークの柊愛花は苦笑を浮かべる。
「み、3つか。ははは、それなら別にいいんじゃないかなあ……」
「九澄くんはどうだったの? 答案見せてよ」
「あっ、待て……」
一瞬の反応の遅れで答案は愛花の手に渡った。途端少女の整った顔がひきつる。
「九澄くん、これは……これはダメだよ……」
「い、いや~最近執行部の仕事が忙しくってな~。
大丈夫だって、中間テストじゃしっかりやるからよ!」
どこぞの政府発表のように全く根拠のない九澄の安全宣言を聞いて愛花は眉をひそめる。
「九澄くん、わかってる? 魔法執行部員が定期テストで一つでも赤点を取ると退部になるってこと……」
「あ、ああもちろん当然……って退部ぅぅぅぅぅぅ!!!!???」
教室中に響き渡る声で九澄は悲鳴を上げた。あまりの驚きに目玉が飛び出しかけている。
「やっぱり知らなかったんだね……」
がっくりと肩を落とす愛花に対し九澄は口をパクパクさせて冷や汗を流しまくっていた。
「それだけ執行部は責任の重い仕事だってことだよ。学生の本分をおろそかにしちゃダメなの。
九澄くん、危ないのは数学だけなの? 他の教科は?」
目を泳がせながら最近授業についていけない科目を思い出す九澄。
「い、いや~強いて言うなら古文と英語と世界史と化学がヤバめかな……」
「それってほとんど全部じゃない!?」
「ははは、なんとかなるって、なんとか……
柊ーーーー!!! 助けてくれーーーー!!!」
九澄は恥も外聞もなく愛花に抱きつき懇願した。
愛花の可愛らしい顔が真っ赤に染まる。
「ちょ、九澄くん離れて! わかったから! 協力するから!」
慌てながらも九澄にされるがままのその様子を、愛花の友人である久美やミッチョンがニヤニヤしながら眺めていたことは言うまでもない。
あ、ついでに「モテネーズ」こと伊勢やら提本やらが恨めしげに睨んでいたことも当然である。
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「……で、なんでお前がここにいるんだよ?」
放課後の図書室で丸いテーブルを囲んでいるのは九澄、愛花ともう一人、一年F組の観月尚美だった。
赤みがかった茶髪のショートカットとメリハリのあるスタイル、ややキツめながらも綺麗な顔立ちが印象的なこの美少女は、
一学期のとある出来事以来九澄や愛花と何かと関わりを持っている。
「なによ、あたしがいたら迷惑っだって言うわけ?」
「い、いや、迷惑ってんじゃねーけどよ」
(トホホ……柊と二人っきりで勉強できると思ったんだがな……ま、しゃーねーか)
「尚ッチにはあたしから頼んで来てもらったの♪ あたし一人だと大変そうだったから」
ねーっと微笑みかける愛花に観月も笑みを返す。
この二人いつの間にこんなに仲良くなったのやらと九澄は疑問に思う。
こうして他の男子に見られると殺意を抱かれそうな両手に花状態での勉強会が始まった。
「あのね~何度言ったらわかるのよ! ここはこうやって解くの!」
勉強会が始まって一時間ほど。観月はかなりイラついているようだった。
何しろこの九澄という男、基礎が全くできていない。
よほどテキトーに授業を聞いていなければこうはならないだろう。
「まあまあ尚ッチ。慌てずゆっくりやっていこうよ。ね?」
「す、すまねえ柊」
(くーっ、やっぱ柊は優しいぜ)
勉強よりも愛花に萌えることに夢中になっている九澄。もはや救いがたい。
そしてそんな自分を観月が睨みつけていることにももちろん気付いていなかった。
そんなこんなで初日の勉強会が終わったが成果は惨憺たる有様だった。
「はっきり言ってあんた、もう間違いなく退部ね、退部。
とても全科目赤点ラインクリアなんて出来やしないわ」
呆れ顔で吐き捨てる観月。おちょくっているのではなく本音100%というのがまた耳に痛い。
愛花はまあまあと観月をなだめる。
「そ、そこまでいうことないだろ!」
と反論する九澄だったが、正直自分でも観月の言ってることのほうが正しいということは自覚していた。
これならブラックプレート獲得のための試練のほうがいくらか楽だったような気さえする。
「ま、執行部クビになったら仕方ないからうちの薬品部で引き取ってあげてもいいわよ。
今一年生あたししかいないから雑用としちゃ役に立つだろうし」
「ぐぐぐ……見てろ、絶対にクリアーしてやるからな」
決意を語る九澄だったが、澄まし顔の観月の頬がほんのり赤くなっていたことにこの鈍感な男が気付くはずもない。
にも関わらず
「でもよ観月、俺すっげー感謝してんだぜ。
執行部員でも同じクラスでもねーお前がここまで協力してくれんの、マジありがてーんだ。
ワリイけど明日からも頼めねーかな?」
なんていうセリフがポッと出てくるわけだが。
「ななな、何よ!
あたしはただ愛花一人じゃ大変そうだから仕方なく……べ、別にあんたのためなんかじゃないんだからね!!」
もはやほんのりなどというレベルではなく、焼けた石炭のように顔を紅潮させる観月。
「いやまあそれは知ってるけど……」
「だから仕方なく明日からも付き合ってあげるわよ!
……あ! 付き合うってそういう意味じゃないんだから勘違いしないでよね!」
「何言ってんのかよく分かんねーんだけど……」
「べ、別にわかんなくていいわよ!
じゃあサヨナラ!!」
ウサイン・ボルトもかくやというようなスピードで観月は図書室を飛び出して行ってしまった。
後に残された九澄と愛花はポカンと開けっ放しの扉を眺める。
「尚ッチ、九澄くんの前だとなんか慌ただしいなあ……
男の子に接するのに慣れてないのかな?」
この子も相当鈍い。
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月日が立つのは速い。特にやらなければいけないことが山積みしている時は。
運命の中間テストまで残り5日。校則により一般の部活動は休止され、
執行部でも持ち回りで一日につき一人のメンバーのみが活動を担うこの時期、
九澄は他の部員に頭を下げてその担当を飛ばしてもらい毎日図書館に通っていた。
貴重な戦力を失う訳にはいかない他の執行部員たちも苦笑いで九澄に激を飛ばしていた。
しかし。
「だめだーーーーー終わらねーーーーー!!!!!
あと5日じゃとても無理だーーーーーー!!!!!」
九澄は絶叫した。
というか泣き叫んだ。
なんとか数学だけはモノになった。
英語も間に合いそうな気がする。
だが他の科目まではとても無理だ。
明らかに時間が足りない。
一学期の定期テストはヤマ勘と一夜漬けだけで乗り切った強運力技男も、ここまでツケが溜まっては如何ともしがたい。
「……かくなる上は職員室に侵入して問題を盗みだすとか……」
「……あんた、それやったら退部どころか退学よ……」
質の悪い酔っぱらいを見るような目で九澄の戯言を切り捨てる観月。
一週間以上に渡ってこの無計画男に「仕方なく」付き合ってきた観月から見てもやはり状況は絶望的である。
逆に観月自身は噛み砕いて人に物を教えるという経験が貴重な糧となり、明らかに学力がアップしていたのだが。
「ま、もうしょうがないんじゃない? 諦めて薬品部〈ウチ〉に来ればいいじゃない」
頬を染める観月だったが、九澄は頭を抱えてぶつぶつと嘆くばかり。
「こ、この男は……」
いっそひっぱたいてやろうかと観月が拳を固めると、図書室の扉がガラリと開き元気な声が飛び出してきた。
「九澄くん!! 見つかったよ!!」
声の主である愛花は突っ伏している九澄に駆け寄り、涙目男の肩を掴んで激しく揺らした。
九澄の頭がブンブンと勢い良く往復する。
「ひ、柊……何が見つかったって?」
「愛花、今日は用事があったんじゃないの?」
「えへへ……実は九澄くんに役立つ魔法があるんじゃないかって探してたんだ」
照れくさそうな美少女の笑顔に九澄は一撃でノックアウトされた。
(柊がこんなにも俺のことを想ってくれていたなんて!
こ、これはまさか結婚……?)
タキシードを着た自分とウェディングドレスに身を包んだ愛花。
教会の鐘が鳴り響き柊父がハンカチを噛むシーンが一瞬で九澄の脳を駆け抜けた。
発想がキモい。
おまけに涙腺が決壊しなんとも奇抜な顔になってしまっている。
「ひ……柊ぃぃぃぃぃぃ!!」
「あ、ちょ、九澄くん、抱きつかないで」
心なしか愛花の抵抗が弱い。
本人に変わって九澄を引き剥がしたのは鬼の形相の観月だった。
「なに変態かましてんのよこのセクハラ男!!!」
アゴ先に痛烈な右フックをかましようやく九澄の動きが止まる。
「す、すまん……つい興奮して……」
「あんたは発情期のケダモノかっ!!」
「ま、まあまあ尚ッチ。九澄くんも悪気があったわけじゃないんだし……」
被害者である愛花にそう言われると観月としてもそれ以上強くは出れない。
「まあいいわ。それで愛花、役立つ魔法って何?
まさか勉強しなくてもテストで満点が取れる魔法とか?」
「そんなのじゃないってば、もう。
そういうズルイ魔法じゃなくて、結構リスクというか、負担が大きい方法なんだけど……」
「俺はどんな障害があっても必ずやり遂げてみせるぜ、柊」
無駄にカッコ良く表情を決める九澄。
すかさず観月のツッコミが飛ぶ。
「なら普段からちゃんと勉強してなさいよ」
ごもっともすぎる。
「これ、眠らずの輪っていう魔法アイテムなんだけど、その名の通りこれをつけてる間は眠らなくてもいいの。
と言うより眠れなくなるって言ったほうが正しいのかな?
テストまで5日間、これをつけてればだいぶ勉強時間が増やせるよね」
「おおお! そりゃすげえ!」
「で、負担っていうのは?」
興奮する九澄と冷静な観月。
「うん、やっぱり体にとって睡眠ってとっても大事なんだって。
だからつけてる時は良くても、外したら反動でものすごーーーく辛いらしいよ。
だからっていつまでもつけてると脳がおかしくなっちゃって最後は死んじゃうんだとか」
「け、結構ヘビーなリスクね、それ……」
「お、おう……」
二人して後ずさる九澄と観月。
「でも九澄くんなら体力も根性もあるから5日間……テスト最終日まで含めると8日間か、
それぐらいなら多分大丈夫だろうって、これを貸してくれた魔法アイテム部の友達が言ってたよ」
「多分、ね……あんまり気が進まない方法だなあ……」
「九澄くん! 他に方法あるの!?」
珍しくちょっと怖い表情の愛花に九澄はたじろぐ。
無論他の道などあるはずもなかった。
「よ、よし、やろう! やってくれ!!」
それじゃあと愛花が両手で輪を持ち、背伸びして九澄の頭にそれをはめる。
九澄の頭部はちょうど西遊記の孫悟空のような見た目となった。
「うーん、特に何も変わってないような気が……」
「それは今は眠くないからでしょ?
ほら、時間を惜しんで勉強始めなきゃ!」
かくして九澄の8日間不眠不休勉強大作戦が始まった。
詳細は省くが極めて熾烈な日々であったということは書き記しておこう。
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時間を少し巻き戻して、愛花が眠らずの輪を借りた直後の魔法アイテム部。
「ねえ知恵、さっき柊さんに貸したあの眠らなくてもいい輪っかっての?
なんであんな良い物貸しちゃったのよ。
あたしが使いたいぐらいだったのに」
「ああ、あれ偽物」
「へ?」
「そりゃそんな物があったらあたしだってテスト前には使いたいって。
でもそんなアイテム聞いたこともないし、あったとしても危険だから生徒には教えてくれないんじゃないかなあ?」
「そ、そうなの……」
「あれはホントは自己暗示力を強化する効果があるの。
要するに思い込みの力が強くなるのね。
ホラ九澄くんって今時珍しい熱血系だから、ああいうのよく効くんじゃないっかなーって」
「つまり九澄くんって思い込みの力だけで徹夜で勉強し続けるんだ……」
「ま、彼頑丈そうだしなんとかなるんじゃないっかなーっと」
「怖っ。あんた怖っ」
「えへへーそれほどでも」
「褒めとらんわ」
こうして地獄のような日々が過ぎテストの結果が発表された。
ミイラのように衰弱した九澄は全科目赤点ラインクリアの報を受け、「プラトーンの叫び」をあげ失神し、3日間ぶっ通しで眠り続けたという。
以来九澄が極力まじめに授業を受けるようになったことは言うまでもない。
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