第十話 名探偵観月?
観月尚美はリビングのソファーに寝転がってTVのチャンネルを次々切り替えていた。地上波、BS、CS、どの番組にもまるで興味が沸かない。というより今の観月を惹きつけるのはどんな名作映画や爆笑バラエティにも不可能なミッションだ。
心ここにあらず。
観月にとって目の前の液晶画面が映し出すどんな映像も素人が描いた出来の悪いパラパラ漫画に過ぎなかった。
「あんた最近悩み事があるでしょ」
背後から突然聞こえた声に反応して観月はガバッと身を起こした。
「お姉ちゃん」
パンツ一丁にバスタオルを首からかけただけの、あんまりといえばあんまりな風呂あがりスタイル。父親が単身赴任中で女しかいない観月家だからこそ可能な姿で姉が立っていた。
「なになに、例のカレの事で悩んでんの?」
観月の顔がカッと熱くなる。
「べ、別に九澄のことなんか気にしてないわよ!」
「そうそう、その九澄君。そろそろキスぐらいは済ませたわけ?」
「キ、キキキキキ……」
観月の顔はいよいよ焼けた鉄のように真っ赤に染まる。姉はその様子を見て大げさに溜息をついた。
「その様子じゃ進展なしみたいね。まったく、男一人落とすのにいつまでかかってんのよ情けない。とてもあたしの妹とは思えないわ」
「お、お姉ちゃんみたいにはなりたくないわよ!」
姉は顔立ちこそ妹によく似ているが性格は随分違う。少なくとも尚美は、自分が大学生になったとしてもヘソにピアスをつけたり髪の毛をメッシュ染めしたり財布にコンドームを常備するようになるとは思っていない。とはいえ姉のことが嫌いなわけでもない。姉は昔からいつも尚美には優しかった。同時に少々お節介でもあった。
「いい、男なんてもんはちょっと色目を使ってやればホイホイってついてくんのよ。所詮は猿よ猿。あんた可愛いんだから女の武器を使えばいいって言ってんの」
「だ、だから、九澄のことじゃないって言ってるでしょ! もう! 関係ないからあっち行っててよ!」
やれやれとでも言いたげに姉は肩をすくめた。男嫌いだった妹がようやく色気づいたと思ったらこの調子だ。いっそ九澄とやらに連絡をとって妹を強引に押し倒せとでも言ってやろうかなどとロクでもないことを考えていると、その妹がうつむきながらボソボソとしゃべりはじめた。
「あ、あのさあ……お姉ちゃんは、もし好きな人が嘘ついてるかもって思ったらどうする?」
「なになに? 浮気してるって話?」
姉が目を輝かせる。
「い、いや、浮気とかそういうのじゃなくて……」
「よねえ。付き合ってもいないのに浮気はできないもんねえ」
「だからその……一度疑わしく思ったら何もかも疑わしく思えてきて……何を信じたらいいのかわからなくて……でも本人には聞きたくなくて……その……ええっと……」
「尚美……あんた……」
姉が真剣な顔で尚美ににじり寄る。次の瞬間姉は勢い良く妹を抱きしめた。
「可愛い~~~!!」
「???」
何が姉のツボにはまったのか尚美にはまるでわからなかった。
「あんたもとうとうそういうことに悩むようなったのね! お姉ちゃん嬉しい!」
「へ、変なことで喜ばないでよ!」
「だってー、あんたの年にはあたしは15人ぐらいはケーケン済みだったのに、あんたってばそういうの全然ウブなんだもん。お姉ちゃんとしては心配になっちゃうわよ」
「じじじじじ、15人……? 高一で……?」
想像を絶する数字に尚美の思考が固まる。
「いーい尚美、サイコーの解決方法を教えてあげる」
「サイコーの解決法……?」
姉は満点の笑顔とともに力強く言い切った。
「エッチすればいいのよ! エッチすれば男の本性なんてまるわかりなんだから!」
「できるかーーーーー!!!!」
尚美は絶叫した。
「あ、でも避妊だけはちゃんとしときなさいよ。いやーこないだ生理が遅れた時は怖くて怖くて……」
「もういいからあっち行って! お姉ちゃんのバカ!」
姉を振りほどきクッションを思い切り投げつける。姉はそれを受け止めて「初体験の感想は聞かせてねー」と笑いながら軽やかに去って行った。残された尚美はドサリとソファーに倒れこむ。酷く疲れた。
「はあーっ、お姉ちゃんは全然役に立たないし、どうすればいいんだろう」
自分一人ではいくら考えても答えが出そうにない。かといって魔法を知らない人間に相談しても時間の無駄だ。かといって聖凪の誰かに相談するとしても、「九澄大賀は魔法が使えないのでは?」なんて誰に言っても信じてもらえそうにない。いや待て、そもそも九澄は魔法が使えないという疑問は正しいのか?
観月は九澄が魔法を使ったことがあることを知っている。例えば彼と初めて出会った日、ホーレンゲ草を取りに行った洞窟でのこと。九澄は地図もない複雑な洞窟の中で最奥部までの道順を難なく見つけ出し、トラップもことごとく見破ってみせた。魔法もなしにそんな事は――
(違う……不可能じゃない!)
ルーシー。九澄はあの洞窟でマンドレイクの少女ルーシーと出会っていた。ルーシーはあの洞窟の住人だ。彼女の助力があれば洞窟の構造など全て筒抜けだったのではないか? だとすれば九澄がルーシーのことを徹底的に隠していたことも説明がつく。文化祭の時に愛花と自分に見つかっていなければ、九澄は今も彼女の存在をひた隠しにしていただろう。
クラスマッチはどうだ? 自分と小石川に囲まれた時、九澄は魔法を一切使うことなく機転と駆け引きでその場を制してみせた。その時自分は九澄との器の違いを思い知ったが、もし九澄が魔法を使えないのだとしたらあの行動こそ九澄が取れる唯一の手段だったことになる。気味が悪いほど辻褄が合ってしまうのだ。だが一つ問題がある。大門との一騎打ちになった時、九澄は大門の攻撃を何らかの防御魔法で防いだのだという。大門本人がそう言っていたのだからこれは間違いないはずだ。この一点を持って疑惑は否定されたと言えるのではないか――
(いいえ、騙されたらダメよ!)
その時大門が使ったのは遠距離からの弓による射撃だ。九澄が具体的に何をしたのか大門にもわかっていない。その上九澄は自分が攻撃する際にはやはり魔法を使わず素手で風船を割って勝利したのだそうだ。実に怪しい。疑惑解消と言うには早すぎるではないか。
(とはいえ……)
観月は溜息をついた。いくら理屈をこねまわしたところでこの仮説には大きな欠陥があるのだ。
(あたしはこの目で九澄の魔法を見ちゃってるのよね……)
割と最近、九澄が学校の廊下で大暴れしたことがある。小石川を一蹴し大門もまとめて説教臭いことを言ったあげく――
(あ、あたしを抱きかかえて……お、おおお、お姫様抱っこ……)
観月はその時の感触をいつでも鮮明に思い出すことができた。そのたびに全身がぽうっと熱くなり切ない気分になる。いつしか観月の手は自分の股間へと伸びていき――
(って、そんなことしないわよ!!)
観月は首を振って我に返った。
話はそこで終わらない。あの男は様子を見に来た柊先生に向かってあろうことかタメ口を聞き、お前呼ばわりで命令、そして当然即怒りのボルテージを上げた先生に対し、あの男は何やらスゴイ魔法を使って自分の力を誇示してみせた。その結果なんと先生は途端に大人しくなり、九澄をどこか、確か校長室だったか、言われるがままの場所に連れて行ったのである。柊先生ですら本気の九澄には逆らえない。その噂は一瞬で広まり、九澄に挑もうとする者はますますいなくなった。この事件がある以上九澄は魔法を使えないなどという説は単なる戯言にすぎない。だが観月はどうしても納得しきれなかった。
(そう……あの時の九澄はどこか……というか何もかもが変だった……あいつがあたしを意味なく抱き上げたりする? 挑発のために魔法を使ったりする? 自分のことを「ボク」って呼んだりする? あの時はああいう強気な九澄もいいかもって思ったけど……やっぱり絶対に変!)
今思えばあの時の九澄は別人だったのではないか。柊先生が逆らえなかったのもその正体に気付いたからではないか。つまり、柊先生より偉い誰かだと。
(でもそれも変……そんな人がどうして九澄に化ける必要があるんだろう。それ以前に、あれはやっぱり九澄……あたしがあいつの顔を見間違えるわけがない……あれが九澄なのは間違いない……だけどやっぱりおかしい……九澄なのに九澄じゃない……それってどういうこと……?)
頭が痛くなってきた。もとよりあれこれと考えるのは得意ではない。熱いコーヒーでも飲もう。そう考えて観月が立ち上がったその時、それは聞こえた。
『この二重人格野郎!!』
観月ははっと振り返る。テレビの中で厚化粧の女優がそう叫んで男をなじっていた。テレビドラマのワンシーンだ。
(二重……人格……?)
ドラマの中でその言葉は主役の男の裏表ある性格のことを指していた。だが観月の脳裏にその言葉の別の意味が浮かび上がる。ジキルとハイド。本当の意味での二重人格。全く異なる2つの自我が一人の人間の中に存在すること。
(もしかしてこれって……!)
####
翌日の放課後。
「あたしに相談?」
観月に話しかけられた氷川今日子は眉一つ動かさず答えた。観月は薬品部の仕事上頻繁に執行部に出入りしているので顔見知りではあったが、ほとんど話をしたことはない。そういう人から相談を持ちかけられれば面食らうのは当然だ。氷川は感情を顔に出さないタイプだったが、多少なりとも驚いていることはポカンと開いた口から見て取れる。
「う、うん……時間あるかな……?」
観月は遠慮がちに尋ねる。
「悪いけど執行部の仕事と、それが終わったら塾があるから……だけどどうしてあたしなの?」
氷川は当然の疑問を発した。相談事ならもっと仲の良い友人を選ぶのが普通だろう。まさか友達がいないというわけでもあるまい。
「えっと……つまり相談の内容ってのが問題で……ある人のことを良く知ってて、口が堅くて頭も良い人っていうのが氷川さんしか思いつかなくて……」
氷川は九澄と同じ執行部員でクラスも同じC組。当然何かと接点は多いだろう。もちろんもう一人該当する人物がいるが、こと九澄のことに関してその人物に相談するのは絶対に避けたかった。なんというか、とにかく嫌だった。
「もしかして九澄くんの話?」
「えっ!?」
観月の心臓が跳ね上がる。その様子を見て氷川はふんふんと一人納得した。
「ど……どうして九澄のことだって……」
「いや、とある情報筋からあなたが九澄くんのことを好きだって聞いてね。それでもしかしたらと思ったんだけど」
「と、とある情報筋って……」
「ああ気にしないで、そんなに噂が広まってるってわけじゃないから。そういうのに目ざといゴシップ男がうちのクラスにいるってだけの話。たまたま九澄の話になった時に聞いたんだけど、あんまりそういうのを言いふらすなとは言っておいたわ」
どこか遠くで伊勢カオルがくしゃみをした。
「で、恋愛相談だったらあたしは不適格だと思うけど」
「ち、違うの。そういうのじゃないのよ。なんて言ったらいいのか……とにかくもっと違う話。こう……複雑で信じがたい話、頭おかしいんじゃないのって言われるような話なんだけど……」
氷川はしばらく考えこんでからふむ、と前置きした。
「そういうことならあたしより適格な相手が一人」
「え?」
「男子でも良ければ」
氷川が上げた人物の名を観月は知らなかった。男子というのも観月にとってはハードルが高かったが、氷川が適格と言うのだからともあれ一度会ってみることにした。今はとにかく話を聞いてくれる人間が欲しかった。
####
「そろそろ来ると思ってたよ」
生徒会本会議室。生徒会長である望月悠理が机に肘をついたまま微笑んだ。目の前に立っているのは見るからに不機嫌な感情をにじませた男。
「てめーに話がある」
「そんな怖い顔しないでよ、男前が台無しじゃない」
望月がおどける。男の額に血管が浮かぶ。
「ふざけたマネもいい加減にしやがれっつってんだ」
静かな、しかしただならぬ怒りのこもった低い声。並の者ならそれだけで縮み上がってしまうかもしれない。しかし望月はますます嬉しそうに目を細めた。
「まあまあ落ち着こうよ。話ならお茶でも飲みながらゆっくりとさ。そう思わない? 伊勢くん」
伊勢聡史。一年C組伊勢カオルの兄にして、二年生屈指の実力者と言われる一匹狼。彼は一人『敵陣』の中にいた。会長席に座る望月と、机越しに彼女と向かい合う伊勢、そしてその伊勢を後ろから見張る会長補佐の二人。ちょうど伊勢一人を二等辺三角形の陣で囲む形になっている。もちろん伊勢はそれを承知で対決姿勢をあらわにしていた。
「茶はいらねー。てめーの出した茶なんざ、何が入ってるかわかったもんじゃねーからな」
「あーらら、信用されてないなあ、あたし」
「んな事ァどうでもいい。例の聖凪杯とかいうふざけたイベントのことだ。なぜてめーが二年生の代表になっている!?」
伊勢は大会告知のチラシを机の上に叩きつけた。その隅に小さく、二年生代表望月悠理と書いてある。
「二年生最強っつったら俺か永井だろうが!! てめーの出る幕じゃねーよ! ていうかてめー主催者側じゃねーか!!」
伊勢が一気にまくし立てた。まさに怒り心頭といった面持ちだ。
「そりゃあまあワールドカップの開催国枠みたいなもんで。それに永井くんは同意してくれたよ? 伊勢くんだってこんなイベントにどうしても出たいってわけじゃないんでしょ?」
「大会自体はどうでもいいがてめーの好き勝手にされるのは我慢できねーんだよ」
「なんと立派なご意見」
望月が肩をすくめる。一切緊張感を感じさせないその態度にいよいよ伊勢のフラストレーションがグツグツと煮え立つ。伊勢は相手のペースに乗せられないために大きく深呼吸し、それから天井を指さした。
「ゴチャゴチャ口論しても埒が明かねーな。屋上に来い、白黒つけよーじゃねーか」
「あたしが? 伊勢くんと? なーに、愛の告白?」
望月はわざとらしく両手で顔を覆ってキャ~照れる~などとはしゃいでみせた。
「なわけねーだろ!!! バトルでケリつけようっつってんだ!!!」
伊勢は机を思い切り叩く。かなりの轟音が響いたが望月はまるで動じずニヤニヤと伊勢を見上げた。
「確かに"力"では伊勢くんのほうが上でしょうね。でも、勝てないよ。"力"じゃあ勝てないよ。三年生や九澄くんにはもちろん、あたしにも、後ろの二人にもね」
「ああ?」
伊勢は首をひねって背後に立つ二人を睨みつける。瓜二つの美形顔を持つ双子の男女。二年生では名の知れた巴ツインズだ。どちらが兄だか姉だか伊勢は知らないが。
「俺や永井よりお前やこの二人の方が強えって言いたいのか?」
伊勢にとっては到底認めがたい発言だった。巴ツインズが有名なのはあくまでその特徴的な外見のため。魔法の実力が高いなどという話は聞いたことがない。望月悠理にしても、生徒会長という肩書き以上の何かがあるとは思われていない。あくまで彼女の得意分野は頭脳労働のはずだった。一方で伊勢や永井は平均レベルの二年生相手なら4、5人まとめて倒せるだけの力を持っている。この3人を同時に相手にしても決して不利ではないと伊勢は確信していた。
「強いってのとはちょっと違うかな……"強い"のは伊勢くん。でも"戦って勝つ"のはあたし達。猛獣がずっと非力な人間に狩られるようにね」
望月はさも当然の事実を述べているまでといった風にサラリと言ってのける。伊勢の頭の中で何かが切れた。
「……ここまでムカついたのは永井の帽子にコケにされた時以来だぜ……。おい、とにかく屋上に上がれ。まとめてスクラップにしてやる」
「三対一じゃちょっとこっちに有利すぎるなあ。こうしようよ、伊勢くんはその二人と戦う。巴ツインズは二人で一人。二対一で君が勝ったらあたしはおとなしく出場権を譲るよ」
「ハ……こんな時まで人任せたァてめーらしいこった。おい、てめーらはそれでいいのか?」
伊勢は双子の方を向いて尋ねる。
「一向に構わないよ」と巴♂。
「ええ、凄く楽しみ」と巴♀。
表情や手の動きまで不気味にシンクロしている。伊勢はそれを見て顔を引きつらせた。こんな気持ち悪い連中にこれ以上付き合っていられない。秒殺だ。中学時代から喧嘩慣れしている伊勢は即座にファイトプランを固めた。打倒九澄のために磨き上げた新魔法、それで即終わらせる。
望月は伊勢の背中を見送りながら携帯の受信メールをチェックした。先ほど受け取ったばかりの短文メールを読んだ望月はクスリと笑い、片方の耳にイヤホンをはめた。
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