第十五話 霧中
九澄大賀には夢がある。いつの日か本物のゴールドプレートを手にし、想い人の願いを叶えてあげたいという夢が。その夢のためならどんな困難でも乗り越えてやるという決意を握り締めている。
九澄大賀には秘密がある。秘密ぐらい誰でも持っていて当たり前だが、九澄の場合その秘密の重要レベルが他の高校生の比ではない。バレれば確実に自分はこの学校における籍を失い、記憶も消されて路上に放り出されるだろう。幾人かの巻き添えとともに。
今、その秘密と夢がまとめて散ろうとしていた。
「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」
「な……なんだってーーー!!??」
一体誰が想像しただろう。「最強を決める」という名目で開かれたこの大会に、全く違う目的で参加している者がいたことを。唯一つ、九澄大賀の秘密を暴きたくて参加している者がいたというその事実を。
柊父が顔を歪め机を両手で叩く。その必死の形相に実況女子がたじろぐ。
(なんとかしろ……! なんでもいいからなんとかしろ、九澄!!)
解説担当としての中立性など気にしている場合ではない。九澄の秘密が白日の元に晒されれば、彼もまた失職するのだ。
九澄は全身に力を込めてツタを千切ろうとしながら叫ぶ。
「てめー……最初っからそれが目的だったのか!?」
今や望月のペンはそのオーラが導くままにノートの上を走り始めていた。手でペンを動かしているのではない。ペンのほうが手を引っ張っているのだ。
「うん、まあね。キミの情報はプロテクトが堅くてさ……どうしても知りたいことがわからなかったんだ。だったらこれが一番早くて確実でしょ?」
「そんなこと知ってどうしようってんだ!」
「さあね、後のことなんてそれから考えればいいじゃない。あたしの勘じゃキミの秘密はこの聖凪高校そのものの秘密と密接に関わっている……違う? もしその通りなら、あたしの夢が一歩実現に近づく」
「夢……だと……?」
望月は涼しげに微笑むだけでそれ以上答えようとはしなかった。そのやり取りのさなか、ノートのページが手に触れることなくひとりでにめくられる。一枚のページが埋まってしまったのだろう。もはや九澄には一刻の猶予もなかった。
(クソッタレ……なるべく温存しときたかったが、そうも言ってられねえ……!)
瞬間的に体を脱力し、精神を集中させる。そして大きく吸い込んだ息を吐くと同時に一気に力を込めた。
(エムゼロ、全開だ!!)
一
瞬、九澄の全身がかすかに発光した。その光はペルソナルペディアの対象者を覆うオーラに比べればはるかに微弱だったため、外部の目からは全く捉えることが
出来なかった。だがその直後九澄の体を覆っていた太いツタがみるみる細くなり、同時に望月のペンがピタリと静止する。ペルソナルペディアの自動筆記がス
トップしたのだ。望月の目が見開かれる。
「え……?」
九澄が自分を弱々しく縛るツタを引き千切り、望月に向かって突進してくるまではほとんど一瞬だった。スピードが違う、腕力が違う。既に魔法力を使いきった望月に抵抗する手段はなかった。
「おらあっ!!」
九澄は電光石火の早業でノートを奪い、即座に距離を取ってそれを力ずくで破いた。破いたものをまた破き、やがて原型がなくなるまで破いてから一部をポケットに突っ込んだ。九澄は冷や汗をダラダラと流し肩で息をしながら勝ち誇った。
「ハァ……ハァ……。これでお前のくだらねー計画もおじゃんだな……」
望月はぽかんと口を開けながら突っ立っていた。そして大きく溜息をついて顔に手を当てた。
「あらら……失敗かぁ」
「これに懲りたら他人の秘密を暴こうなんてくだらねー事考えるんじゃねーぜ。誰にだって人に言えないことぐらいあるんだからよ」
九澄はキメ顔を作り直し望月をビシっと指差す。動揺の跡など欠片も感じさせない堂々たる態度。こういうのは最後の締めが重要なのだ。ついでにルーシーも誰にも気付かれることなく同じポーズで勝ち誇っていた。九澄以上に誇らしげな顔である。
望月は肩をすくめると、観念したように両手を上げて大きく息をついた。
「ま、しょうがないか。じゃあ降参」
「へ?」
望月のサバサバした態度に九澄は呆気にとられてしまう。あれだけの手間暇をかけてこんなややこしいことした割に諦めが早すぎるように思えた。
「審判さーーん! 聞いてるーー? 今の魔法であたしの魔法力空っぽになっちゃんでーー! ギブアップしまーーーーす!!」
『え……? あ……えっと……決っ着ーーーーく!! 勝者、九澄大賀!!』
観
客全員がポカンとする中、九澄の勝利が公式に宣言された。もはや結果は揺るがない。何もかもが唐突だった。望月がペンとノートを出して何事か書き始め、九
澄がそのノートを奪って破き、そしたら望月が降参した。一体この勝負は何だったのか?
あるいは望月の喋った魔法の内容が観客に聞こえていたならもう少し反応が違ったかもしれない。だが実際には結界に阻まれ、魔法名すら観客には聞きとれな
かった。つまり一連の出来事の実態は全く伝わっていないのだ。
「……わ、わからん……。彼女は何を企んでいたんだ……?」
目の前の事態が理解できないのはもちろん"二年生最強"永井龍堂も同じだった。何やらとんでもない陰謀が張り巡らされているとまで考えたのは単なる自分の妄想だったのだろうか?
「……あいつは昔から全く意味不明だ……」
永井の隣、伊勢聡史が吐き捨てた。
その頃九澄を応援する女子達も首を傾げていた。
「うーん、なんかよくわからん結果だったな。ま、相手の切り札を一発で破った九澄がスゲーってことかね?」
久美がポリポリと頭を掻く。ミッチョンは顎に手をあててううむと唸っている。
「きっとそうだよ。あの人も二年生代表なんだからきっとすごい魔法だったんだと思うよ」
愛花だけは素直に九澄を称える。実に嬉しそうな笑顔だ。一方観月は無言のまま硬い表情でじっと九澄を見続けていた。
男子勢の反応は現金なものである。
「なんかよくわかんねーけどさっすが九澄! 余裕の勝利だぜ! そのまま優勝しちまえよ九澄ぃー!!」
「うおおおおC組バンザーーーイ!」
伊勢弟が元気よくエールを送り、そこに津川やら堤本やらも加わってC組男子はお祭り騒ぎだった。いつの間にやら「われらが一年C組九澄大賀」「九澄絶対優勝」などという垂れ幕まで広げられている。浮かれた行動には違いないが、C組の団結力と九澄の好感度をよく表していた。
九澄、望月はそれぞれ逆方向の出口に戻って行く。はしゃいで頭上を飛び回るルーシーとクラスメートのどんちゃん騒ぎに苦笑しながら九澄は思案した。
(ふう……なんとか無事妨害できたけどほんとにこれで一件落着だったのか……? 肝心なところがバレてなきゃいいんだけど……本人が失敗って言ってたし、あの様子じゃ大丈夫っぽいかな。一回戦で"切り札"使わずに済んだし、まあ悪くない結果かもな)
####
「どうやら失敗したようだな。大口を叩いていた割にはあっけないものだ」
「そう言わないでくださいよ。それなりに収穫はあったんですから」
控え室へと続く廊下、他の誰からも見えない場所で望月は、壁にもたれて立つある男と会話していた。男はメガネをかけた大柄な中年だ。
「収穫……? ほう、なんだそれは」
「それをここで喋ったら面白くないじゃないですか。それに調べなきゃいけないことも出来ましたから、結論を出せるのはしばらくしてからですね」
「……勝手なことを……」
「ま、今日はこの大会の結果を見届けましょうよ。九澄くんならもしかしたら……あなたの教え子を食っちゃうかもしれませんよ、教頭先生」
「ありえん話だ……誰も奴には勝てん。私の"最高傑作"にはな」
教頭先生と呼ばれた男。聖凪高校の重鎮・鏡昭司は無表情のまま眼光を光らせた。
####
『さあ気を取り直して行きましょう第二試合!! 東より執行部の"捕獲人〈スナッチャー〉"滑塚亘!!』
滑塚がゆっくりと歩みを進める。表情は読みづらいがそれはこの男にとっていつものこと。彼はこの一回戦を圧勝し、二回戦で九澄にリベンジすることを誓っていた。
「おおーっ、いつもより頭が光ってるぞ! 奴は本気だ!」「後光が差してるぜ滑塚ーー!」
「うっせえ!!」
級友からの遠慮のないヤジに思わず突っ込む滑塚。
(落ち着け俺……。一回戦は問題じゃねえ、問題なのは次の九澄だ。いまいちよくわからん試合だったが奴はあっさりと勝利した……。それでこそ俺が狙うに相応しい男だ)
滑
塚は大きく深呼吸し、眼の前に現れた対戦者を睨みつける。短身矮躯、悪く言うならチビモヤシ。どう見ても強そうには見えない地味な外見だ。かつては同じク
ラスだった滑塚はある程度この相手の力量を把握している。それなりに実力があるのは確かだが自分が負ける相手ではない――それが滑塚の見立てだった。
(秒殺で決めてやる!!)
身構える滑塚に対し、対戦相手は眉間にシワを寄せて睨み返す。闘志が溢れているというよりはむしろ苦虫を噛み潰したような苦い表情だった。
「気に入らねえよなぁ、一年のくせにゴールドプレートだなんてよ……。ズリィんだよなぁ……てめぇら執行部は……」
「はあ?」
「いつもそうだ……。いつもいつもてめぇら執行部ばっかり贔屓されやがってよ……ウゼェんだよてめぇら……マジウゼェんだ……」
男の表情がいよいよ醜く歪みだす。滑塚はそのただならぬ様子に眉をひそめるが、気圧されないためにも強い態度で応じる。
「……執行部に不満があるなら別の機会に言えよ。ここはお前の不満を書き連ねるネットの掲示板じゃねーぞ?」
「ヒヒヒ……ウゼェ……マジウゼェ……」
(こいつこんな変な奴だったか……?)
その悪態といいい表情の醜さといい滑塚の記憶にある元クラスメートとは似ても似つかない。まるで悪霊にでも取り憑かれているかのようだ。
(冗談じゃねえ、こんなのにまともに付き合ってられるか。ムカつくがとっとと終わらせてやる)
滑塚は拳を固く握り静かに息を吸った。
『滑塚亘vs兜天元、始めっ!!!』
合
図が響くのと滑塚が右腕を突き出したのとはほとんど同時だった。滑塚はその場を一歩も動かず空中を「掴む」。途端、5メートル以上離れた位置にいる兜が
「吊り上げ」られた。その顔面には人間の手の跡がくっきり見える。離れた対象物を自在に掴むことのできる滑塚の十八番"魔手〈マジックハンド〉"。ただそ
れだけのシンプルな効力ながら、掴まれた側にはどうすることもできない極めて強力な捕縛魔法である。
『おおっと滑塚選手、いきなりのマジックハンドです! しかも禁断の顔面掴み! これは痛い! 早くも勝負あったか―!?』
本来温厚で冷静な滑塚が相手を不必要に傷つけるような魔法を使うことはまずない。だが滑塚の細目からは彼らしくない程の殺気がみなぎっていた。対する兜は無抵抗のままダラリと吊り上がっている。
「おれが『ウゼェ』ならお前は『キメェ』だ……。せめて選ばせてやる。このまま何も出来ず吊られたままか一思いに地面にぶつけられるか、どっちがいい」
滑
塚がいつになく好戦的な姿勢を見せる。本来の彼の性格にはそぐわない乱暴さだが、それだけ目の前の相手の奇妙な態度が気味悪かったのだと言える。だがもし
滑塚が一切の遊びを見せず『秒殺』を決めていたなら――そしてそれは十分に可能なことであった――その後の展開は違っていたはずだった。
「ヒヒヒ……ククク……ハッハッハ!」
掴まれ吊り上げられたままの兜が笑う。腹の底から、おかしくてたまらないという風に。
「何がおかしい!」
「てめぇの単細胞ぶりが、さ」
その時だった。爆発のような轟音と突風が滑塚を襲ったのは。滑塚はとっさに顔面をカバーするが、体ごと吹き飛ばされ十数メートル後方に転がる。即座に起き上がった滑塚が見たものは、黒い炎のような不気味なオーラに包まれ空中で静止する兜の姿だった。
「な……なんだこいつは……!?」
滑塚の背中を冷たい汗が流れる。単に自分の得意魔法を振りほどかれたというだけではない。目の前で起きている現象は三年生執行部員である自分でさえ全く見たことがない異常なものなのだ。
「サイコーの気分だ……! 力が溢れてくる……! 俺はお前ら以上の力を手に入れたんだ……!!」
「なんだと……?」
黒い炎が徐々に収縮し、兜の本体を守るように固体に形成されていく。その姿はまるで腹の中に人間を住まわせるドクロの魔人。奇々怪々なる死の運び屋。観客が一斉にざわめき出す。
「お、おい……あいつあんな魔法使えたのか?」
「知らねーよ! 見たことねーし!」
「それよりなんて不気味な姿だ……絶対にあんなのとやり合いたくねーぜ」
そんな中、伊勢兄は隣の永井に疑問を投げかけた。
「おいありゃあ……お前のロッキーと同じ魔法じゃねえのか?」
「いや、似ているが違う……。あんな魔法は知らない……」
永井は青ざめた顔で首を横に振り、自分のバンダナを手で押さえる。
「震えている……」
「震えてる? 誰がだ?」
「ロッキーが震えているんだ!」
伊勢は永井が冗談を言っているのかと思った。
ここでは過去に管理人が執筆して外部サイトに投稿した小説、SSなどをまとめています。管理人は二次創作作品の原作に関する権利を有していません。オリジナル作品の著作権は管理人に帰属します。エムゼロEXはArcadia様にて連載中です。
2013年3月29日金曜日
2013年3月22日金曜日
エムゼロEX 14
ここは魔法空間内部に作られた聖凪杯特別会場。中心に位置する闘技場には大きな魔法陣が描かれている。それは外部からの干渉を防ぐと共に観客を守る結界を作るためのものだ。同時にその結界の中において通常より濃い魔法磁場を生むことで、後腐れのない全力の勝負を演出するための仕掛けでもあった。
「あっ、尚っち! ねえねえ尚っちも一緒に見ようよー!」
観客席をウロウロしていた愛花は、親友が一人で座っているのを発見し元気に声をかけた。もうすぐ始まるスペシャルイベントの開始に向け聖凪高校のほぼ全生徒が会場のあちこちに散っている。愛花は久美やミッチョンと共に九澄応援のための一番見やすい席を探していたところだった。
「あ……愛花」
こちらに気付いた観月だったが、その表情は冴えない。最近観月と顔を会わせていなかった愛花は首をかしげる。
「どーしたの尚っち、元気ないね」
「んーん、そんなことないよ、気にしないで。みんなで九澄の応援?」
「うん! ね、みんなで一緒に応援しよ?」
観月は微妙な笑顔を作り遠慮がちに頷いて同意を示した。愛花はその様子を見てやっぱり何かあると思ったが、すぐには突っ込まずニコニコしながら観月の隣に腰掛けた。 悩みがあるならじっくり聞いてあげればいいのだ。久美、ミッチョンも順番に腰を下ろす。開会式開始までもうあとほんのわずかだ。
聖凪高校の歴史は半世紀を超える。その長い歴史の中で過去に数度、ある好奇心が答えを得たことがある。「最強の魔法使いは誰なのか」――それは魔法に青春を捧げ魔法に情熱を費やした若者達にとって、ある意味では当然の疑問だ。その観点から見れば最強を決める大会が開かれること自体は何ら驚くべきことではない。ただし頭の硬い教師陣を説得し、ルールや安全対策を整え大会を実行に移すことは、社会経験の乏しい高校生にとって決して易しい事業ではなかった。故に過去何度も企画倒れに終わってきたというのが実情なのだ。
『じゃあなんで今回はこうすんなり実現したんでしょうか?』
マイク越しに利発そうな女子生徒が問いを投げかける。実況担当である彼女に答えるのは他ならぬ聖凪高校魔法主任、柊賢二郎。鋭い目がどっしりと構えていて何やら妙な迫力がある。
『それだけ皆が知りたがっているということだろう。稀代の天才と謳われる夏目琉や、怪物一年生と呼ばれる異色の新星九澄大賀……。あるいは他にも我こそは と思う者がいることだろう。22年前、俺や幾人かの生徒が"誰が一番強いのか"という話題の中心となってバトル大会による決着を必要としたように、今年も同じことが起こったのだ。それだけの人材が集まったということだろう』
その他に要因があるとすれば、教頭をはじめ普段はこうしたイベントにいい顔をしない教師達がなぜか賛成に回ったことだ。しかし柊父はどう説明したらいいのかわからなかったので言及しなかった。
『なるほど……。確かに今大会のレベルは過去のどの時代においても実現し得なかったかもしれないという声もありますしね』
『それが正しいかどうかは今日明らかになるだろう。まあそうは言っても俺より強い奴はいないだろうがな』
実況の女子は「アンタ教師だろ」というツッコミをグッと飲み込んで前を向き直した。
『……さあっ! 時間がやって参りました! みなさん盛大な拍手でお迎えください!!』
会場のボルテージが一気に上がる。中央に描かれた魔法陣、そこに7つの黒い穴が空いた。
『全選手入場!!!!!!』
穴の一つ一つから次々と人間が現れる。魔法大会ならではの演出である。
『一年生にして黄金のプレート!! 先輩共よ俺にひれ伏せ!! 怪物一年生、九澄大賀!!!』
一番手に入場した九澄の拳は固く握られ、その内側からは汗がじんわりとにじんでいる。九澄は周囲の観客たちを軽く見渡しつばを飲み込んだ。三年生からの反応は静かなものだったが一年生からの声援は絶大だ。
『肩書きは生徒会長、そして今日は聖凪のジャンヌ・ダルクだ!! 二年生代表望月悠理!!!』
実質的な主催者の1人でもある彼女に緊張の色は一切感じられない。涼しい顔で手を振ってオーディエンスにアピールしている。
『執行部のプライドは絶対譲らん!! 誇り高き捕獲人〈スナッチャー〉滑塚亘!!!』
腕を組んで仁王立ちする滑塚の風格はかなりのものだ。毎朝磨いているという噂もある自慢のデコがキラリと光る。
『ダークホースとは呼ばせない!! エリートどもの仮面を剥いでみせよう兜天元!!!』
女子ほどの小柄な体格に健康が心配になるほどの痩せ身の男。およそ闘争には似つかわしくない非体育会系の容姿ながら眼光はギラギラと輝いている。
『ウィザードの首は俺が獲る!! 誰にも邪魔はさせない!! 鉄腕の新宮一真!!!』
素手の格闘なら間違いなく絶対的本命になる男。ただ立っているだけで闘志と闘力の充実ぶりが客席にまで伝わる。
『マジックワングランプリ優勝者が二冠を狙う!! 完全王者は我の手に!! 幻影〈ファントム〉・浅沼耀司!!!』
にこやかに振る舞い自然体で立つ。全参加者中最もリラックスしているようにも見受けられる長身の青年の自信の礎はいかばかりか。
『さあいよいよ登場です!! 生ける伝説の力量がついにベールを脱ぐ!! 執行部部長・大魔術師〈ウィザード〉・夏目琉!!!』
三年生から上る一際大きな歓声に両手を上げて答える"稀代の天才"。その伝説の浸透ぶりは尋常では無いのだ。もちろん同じ校舎で一年間を共にした二年生にも彼の名声は轟いている。
『並び立ちました聖凪最高の7人! この7人が今日ここで最強の座をかけて争います! 皆様どうかその目でこの一大カーニバルを目撃してください!』
再び大きな歓声が巻き起こった。
「なあ、なんでトーナメントなのに7人なんだ? 普通8人にするだろ?」
観客席では伊勢兄が永井に疑問を投げかけていた。
「夏目部長はシード選手なんだ。あの人は一回戦を戦わない」
「なるほどな……。まあ確かにそれ相応のレベルではあるけどよ」
伊勢の脳裏に、かつて夏目によってあっさりとねじ伏せられた屈辱が蘇る。執行部に入ったばかりの頃に調子に乗って勝負を挑んだ時の話だ。それまでに上級生との魔法バトルに勝った経験があることもあって己の力量を過信していた伊勢は、あの時初めて完全なる敗北の味というものを知ったのだ。
「やっぱ本命はあの人か、永井」
「揺るがないな。望月が何を企んでいたとしても一対一ではどうにもならないだろうし、他の三年生だって部長と比べるのは可哀想だ。あえて言うなら……やはり九澄が鍵だろう」
「やれやれ、あの小僧も高く買われたもんだ。俺は奴とのケリが付いたとは思ってねーがな」
あの時、あの九澄とのバトルの時は気分が萎えたこともあって自分から勝負を放棄したが、以来伊勢は打倒九澄を常に頭の隅に置いてきた。絶対に勝てない相手だ とは思っていない。九澄はもはや上積みのないゴールドプレート。対して自分にはまだまだレベルアップの余地があるはずだ。
「フ……その負けん気の強さは尊敬するよ」
永井が嬉しそうに頬を緩めた。
「ねえねえ、あの二人えらく打ち解けてんじゃない?」
並んで立つ伊勢と永井の様子を見て、執行部副支部長の宇和井玲が部員の沼田ハルカに耳打ちした。春の一件以来伊勢と永井の対立そのものは終わっているが、 昔のように友人に戻ったわけではないことを知っている彼らからするとちょっと驚くべき光景だ。あの雰囲気じゃ学校帰りに二人でハンバーガーショップに寄っていてもおかしくないんじゃないかという風に見える。
「きっと色々あったんだよ」
ハルカは目を細めながら二年生最強コンビを眺める。宇和井の目にはその表情が心なしか恍惚としているかのように映った。
「美少年同士の対立と和解……いいわぁ……」
宇和井は親友の危ない目つきにちょっと引いた。
####
九澄の出番はいきなりやってくる。一回戦第一試合。ただしその前に会場では前座として軽音部のバンド演奏(魔法によるロックフェスばりの演出付き)が行われていた。
「本当に大丈夫なんだろうな、九澄」
試合直前の控え室で柔軟体操をする九澄に対し柊父が疑問の声を投げかける。柊父にしてみれば九澄の優勝など望むべくもない。それよりいかに惜しい戦いを演出してさっさと敗退するか、それが重要だった。ちなみに今この部屋には彼ら二人を除いて人間は誰もいない。(マンドレイクならいるが)
「たとえ無様に破れても、俺が解説者として舌を尽くしてお前の株がなるべく下がらんようにはする。だがそれも負け方次第だ。なんとか言い訳の通用する程度の散りっぷりを見せてもらいたいもんだな」
「大賀は負けないもん!」
「ったく、相変わらず信用ねーな、俺」
九澄が背筋をストレッチしながらぼやく。その表情から奇妙な余裕と自信が感じられて柊父は戸惑う。先日もそうだった。いったいこの男は何を考えているのだろう?
「ま、なるようになるってこった」
九澄は歯を見せて笑う。控え室のドアがノックされる。時間が来た。
「行こうぜ、ルーシー」
「うん!」
ルーシーが九澄の方に乗り、姿を消す。これで九澄以外の人間には誰も彼女を視認できなくなる。試合においてある意味きわめて有用な魔法アイテムとして機能することだろう。ただし彼女の助力がある程度で勝てるものなのか、はなはだ疑わしいというのが柊父の見立てではあったが。
####
『さあそれではいよいよ試合が始まります! 西より入場者九澄大賀!』
九澄が会場に姿を現す。観客席の一年生の集まる一帯からひときわ大きな歓声が上がる。
「九澄ーーー!! ぶっとばせーーー!!!」
「九澄君頑張ってねーーー!!」
九澄は彼らの方には振り向かず拳を固く握りながら歩みを進める。間近で観察しているルーシーには九澄の動きの違和感がはっきりと感じられた。
「ねえ大賀……ひょっとして緊張してる?」
「あー……ま、一応な。相手だって得体が知れねーしな……」
九澄はまっすぐ正面を見据える。相手の顔からは一切の緊張は感じとれない。まさに余裕のたたずまいだ。
「お手柔らかにね。九澄大賀君」
彼女が握手を求め、九澄はそれに応じた。
(女子の手ってつくづくちっせーし細いし柔らかいよなー)とどうでもいいことが九澄の頭に浮かぶ。しかし一切の油断は出来ない。ある意味ではこれほど動きの読めない相手は他にいないのだから。彼女が三年生でないことなど、そもそも魔法を使えない九澄にとってなんの慰めになろうか?
『一回戦第一試合、九澄大賀vs望月悠理、始めっ!!!』
九澄は合図と同時に腰を落とし臨戦態勢に入った。その鋭い凶悪な眼光(ガンタレとも言う)は並のヤンキー程度なら即座に臆してしまうだろう。もっとも、目の前の相手がこれでビビるとは微塵も思っていなかったが。
「ふーん、すぐに飛びかかってくると思ったけどそうでもないんだね。それじゃああたしから行こうかな」
望月がゆっくりと右手を九澄に向ける。女子高生らしくよくケアされた手の平がピンと広げられ、本人の目が怪しく光る。その時だった。九澄が無造作に腕を振ったのは。
ステン。
まさにそうとしか形容の出来ない「コケ」。望月は肩口から地面にぶつかり目を白黒させた。九澄はただ数メートル前方で腕を振っただけ。一見すると何の魔法も発動したようには見えない。だが望月は間違いなく何かに「足を取られた」。観客はまだ静かだ。九澄が何をやったのか気づいている者はいない。というか九澄にとってはそんなやつがいてくれては大問題なのだが。
望月が九澄の動きを監視しながらゆっくりと立ち上がる。汚れのついた肩を払い「ふむ」と口を真一文字に結ぶ。先ほどまでの笑顔はない。
ストン。
またしてもだった。望月は全く無抵抗のままその場で転んだ。今度は尻が地面とキスをする。観客席のそこかしこからクスクスと笑いが漏れるが、皆もう気付いていた。九澄は確実に「何か」をやっている。
「おめー、降参するなら今のうちだぜ」
九澄が望月を見下ろす。あえて言うなら、そう、ゴミを見るような目で。九澄大賀はサディストではない。しかしハッタリを効かせるためにはそのように振る舞わねばならない時があることを彼はよく知っている。相手の手の内が全くわからない時、ダメージを受けずとも何度も転ばされたりすれば必ずいくばくかの恐怖心が芽生える。そこに重苦しいプレッシャーをかければ少なくとも平静ではいられないはずだ。相手のメンタルを乱すこと、それは九澄にとって勝利の第一方程式である。
(さっすが大賀、演技力抜群ね!)
マンドレイクの美少女が望月のかたわらでほくそ笑む。懸命なる読者諸氏はもうお気付きだろう。彼女ルーシーこそが望月を転倒させた犯人である。着せ替え人形ぐらいのサイズしかないルーシーとはいえ、普通に突っ立っているだけの細身の女子高生を転ばせることなど雑作もない。何せ相手はこちらのことなど全く見えていないのだから。うまくいけばこのままコロコロ転がしまくっているだけで勝手に戦意喪失してギブアップしてくれるのではないか。そんな風にルーシーは楽観していた。
「ふー、やっぱり簡単にはいかないか」
望月は地面にペタンと座り込んだまま自重気味に笑う。九澄は微塵も警戒を解いていない。先日のことだ。支部長の永井から彼女には気を付けろと入念に忠告された。魔法力はそれほどでもないはずだが、どんな手を隠しているかは一切わからないと。それを聞いている以上この程度の優勢では少しも気を緩められるはずがない。
「ま、あたしとしても本番で遊んでられるとは思ってなかったけどさ。でも……失敗したよ、九澄君。あたしの仕掛けに気付いてなかったでしょ」
「仕掛け……?」
九澄が眉をひそめる。
「うん、足元」
途端九澄の足元で何かが膨れ上がる。それは九澄が反応するより早く足をとらえ一瞬にして両脚に巻き付き、更に胴体と腕までもを封じた。
「……! こいつは……!」
緑色のツタのような植物。それが九澄を何重にも縛り動きを完璧に封じてみせる。観客席からオオーッという声が上がる一方でルーシーが顔色を失う。
「なんてことはない、ただの魔力の影響で強化されたツタなんだけどね。その種をこっそり君の足元に飛ばしておいたんだ。ほら最初に右手を君に向けたでしょ? あの時左手でこう、指を弾いて飛ばしたの。ま、初歩的な手品だよね」
この手の魔法植物の種子は聖凪高校の敷地内ならさほど苦労なく手に入る。それを九澄の足元に飛ばしたのもごく単純なトリックだ。九澄は自分がやるべきことを逆にやられたという事実に驚くしかなかった。
「さて……あたしとしては無駄な魔法力は一ミリも使いたくないからさ。すぐに始めさせてもらうよ、あたしの切り札……」
「ぐ……!」
九澄は全身に力を込めるが、ツタは地面にしっかりと根を張りピクリとも動かない。ある実験によれば大型トラックを釣り上げることも出来ると言われている魔法植物だ。人間の力でどうこうできるはずもない。もちろんルーシーの助力程度ではどうしようもないことはわかりきっていた。
(どどど、どーしよう? 大賀がやられちゃう!)
パニクるルーシーの横で望月は懐からペンと分厚いノートを取り出した。一見すると魔法アイテムのたぐいには全く見えないそれらの道具は、実は本当に単なる筆記用具である。駅前のタジマ文具で購入、計420円。だがそれらは明らかに望月の魔力を帯びていた。
「この魔法はやたらめったら条件が厳しくてさ……。発動中に相手に動かれたらダメだとか、魔法の効果をちゃんと相手に説明しないといけないとか、面倒な制約が多いんだよね。その上魔法力の消費量もあたしの手には余るほど大きい……。だからあたしは考えたの。こういう大会を開いて、普通より強力な魔法磁場の中で試合を行うことにすれば魔法力の問題は一気に解決するんじゃないかなあ……って」
(な……何言ってんだこいつ……?)
それはまるでこの大会自体が「この瞬間」のために仕組まれたかのような発言だった。教師達と交渉し出場メンバーを集めあらゆる面倒事を引き受けたのは、生徒会長にして大会主催者である目の前の彼女。その目的がつまるところたった一つ、強い魔法磁場のもとで九澄と正対し何らかの魔法を仕掛けることだというのか。
『ええっと、どうやら両選手何事かしゃべっているようですが、いかんせん結界の内側、もう少し大きな声で話してくれないとよく聞こえませんね。それにしても望月選手、あのペンとノートで何をするつもりなんでしょうか?』
実況担当を含め観戦者は皆戸惑っていた。その困惑は解説席の柊父にとっても同様だ。あの魔法がなんなのか、喉まで出かかっているのに思い出せない。
「じゃあいくよ……。といってもちっとも痛くないから心配しないでね」
ペンとノートを包んでいたオーラが更に巨大化しきらめく。その魔法を知っている者は観客席の生徒達には皆無だった。決して生徒に教えるような代物ではないタチの悪い魔法。柊父はようやくその正体に思い当たり青ざめる。
(冗談ではない……! ボロボロに負けるぐらいならまだマシだ。こいつは正真正銘最悪の魔法じゃないか!!)
ペンを包んでいるのと同じ色のオーラが九澄を覆い、望月の唇が妖しく動く。
「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」
「な……なんだってーーー!!??」
九澄は両目が飛び出さんばかりに驚愕した。
「あっ、尚っち! ねえねえ尚っちも一緒に見ようよー!」
観客席をウロウロしていた愛花は、親友が一人で座っているのを発見し元気に声をかけた。もうすぐ始まるスペシャルイベントの開始に向け聖凪高校のほぼ全生徒が会場のあちこちに散っている。愛花は久美やミッチョンと共に九澄応援のための一番見やすい席を探していたところだった。
「あ……愛花」
こちらに気付いた観月だったが、その表情は冴えない。最近観月と顔を会わせていなかった愛花は首をかしげる。
「どーしたの尚っち、元気ないね」
「んーん、そんなことないよ、気にしないで。みんなで九澄の応援?」
「うん! ね、みんなで一緒に応援しよ?」
観月は微妙な笑顔を作り遠慮がちに頷いて同意を示した。愛花はその様子を見てやっぱり何かあると思ったが、すぐには突っ込まずニコニコしながら観月の隣に腰掛けた。 悩みがあるならじっくり聞いてあげればいいのだ。久美、ミッチョンも順番に腰を下ろす。開会式開始までもうあとほんのわずかだ。
聖凪高校の歴史は半世紀を超える。その長い歴史の中で過去に数度、ある好奇心が答えを得たことがある。「最強の魔法使いは誰なのか」――それは魔法に青春を捧げ魔法に情熱を費やした若者達にとって、ある意味では当然の疑問だ。その観点から見れば最強を決める大会が開かれること自体は何ら驚くべきことではない。ただし頭の硬い教師陣を説得し、ルールや安全対策を整え大会を実行に移すことは、社会経験の乏しい高校生にとって決して易しい事業ではなかった。故に過去何度も企画倒れに終わってきたというのが実情なのだ。
『じゃあなんで今回はこうすんなり実現したんでしょうか?』
マイク越しに利発そうな女子生徒が問いを投げかける。実況担当である彼女に答えるのは他ならぬ聖凪高校魔法主任、柊賢二郎。鋭い目がどっしりと構えていて何やら妙な迫力がある。
『それだけ皆が知りたがっているということだろう。稀代の天才と謳われる夏目琉や、怪物一年生と呼ばれる異色の新星九澄大賀……。あるいは他にも我こそは と思う者がいることだろう。22年前、俺や幾人かの生徒が"誰が一番強いのか"という話題の中心となってバトル大会による決着を必要としたように、今年も同じことが起こったのだ。それだけの人材が集まったということだろう』
その他に要因があるとすれば、教頭をはじめ普段はこうしたイベントにいい顔をしない教師達がなぜか賛成に回ったことだ。しかし柊父はどう説明したらいいのかわからなかったので言及しなかった。
『なるほど……。確かに今大会のレベルは過去のどの時代においても実現し得なかったかもしれないという声もありますしね』
『それが正しいかどうかは今日明らかになるだろう。まあそうは言っても俺より強い奴はいないだろうがな』
実況の女子は「アンタ教師だろ」というツッコミをグッと飲み込んで前を向き直した。
『……さあっ! 時間がやって参りました! みなさん盛大な拍手でお迎えください!!』
会場のボルテージが一気に上がる。中央に描かれた魔法陣、そこに7つの黒い穴が空いた。
『全選手入場!!!!!!』
穴の一つ一つから次々と人間が現れる。魔法大会ならではの演出である。
『一年生にして黄金のプレート!! 先輩共よ俺にひれ伏せ!! 怪物一年生、九澄大賀!!!』
一番手に入場した九澄の拳は固く握られ、その内側からは汗がじんわりとにじんでいる。九澄は周囲の観客たちを軽く見渡しつばを飲み込んだ。三年生からの反応は静かなものだったが一年生からの声援は絶大だ。
『肩書きは生徒会長、そして今日は聖凪のジャンヌ・ダルクだ!! 二年生代表望月悠理!!!』
実質的な主催者の1人でもある彼女に緊張の色は一切感じられない。涼しい顔で手を振ってオーディエンスにアピールしている。
『執行部のプライドは絶対譲らん!! 誇り高き捕獲人〈スナッチャー〉滑塚亘!!!』
腕を組んで仁王立ちする滑塚の風格はかなりのものだ。毎朝磨いているという噂もある自慢のデコがキラリと光る。
『ダークホースとは呼ばせない!! エリートどもの仮面を剥いでみせよう兜天元!!!』
女子ほどの小柄な体格に健康が心配になるほどの痩せ身の男。およそ闘争には似つかわしくない非体育会系の容姿ながら眼光はギラギラと輝いている。
『ウィザードの首は俺が獲る!! 誰にも邪魔はさせない!! 鉄腕の新宮一真!!!』
素手の格闘なら間違いなく絶対的本命になる男。ただ立っているだけで闘志と闘力の充実ぶりが客席にまで伝わる。
『マジックワングランプリ優勝者が二冠を狙う!! 完全王者は我の手に!! 幻影〈ファントム〉・浅沼耀司!!!』
にこやかに振る舞い自然体で立つ。全参加者中最もリラックスしているようにも見受けられる長身の青年の自信の礎はいかばかりか。
『さあいよいよ登場です!! 生ける伝説の力量がついにベールを脱ぐ!! 執行部部長・大魔術師〈ウィザード〉・夏目琉!!!』
三年生から上る一際大きな歓声に両手を上げて答える"稀代の天才"。その伝説の浸透ぶりは尋常では無いのだ。もちろん同じ校舎で一年間を共にした二年生にも彼の名声は轟いている。
『並び立ちました聖凪最高の7人! この7人が今日ここで最強の座をかけて争います! 皆様どうかその目でこの一大カーニバルを目撃してください!』
再び大きな歓声が巻き起こった。
「なあ、なんでトーナメントなのに7人なんだ? 普通8人にするだろ?」
観客席では伊勢兄が永井に疑問を投げかけていた。
「夏目部長はシード選手なんだ。あの人は一回戦を戦わない」
「なるほどな……。まあ確かにそれ相応のレベルではあるけどよ」
伊勢の脳裏に、かつて夏目によってあっさりとねじ伏せられた屈辱が蘇る。執行部に入ったばかりの頃に調子に乗って勝負を挑んだ時の話だ。それまでに上級生との魔法バトルに勝った経験があることもあって己の力量を過信していた伊勢は、あの時初めて完全なる敗北の味というものを知ったのだ。
「やっぱ本命はあの人か、永井」
「揺るがないな。望月が何を企んでいたとしても一対一ではどうにもならないだろうし、他の三年生だって部長と比べるのは可哀想だ。あえて言うなら……やはり九澄が鍵だろう」
「やれやれ、あの小僧も高く買われたもんだ。俺は奴とのケリが付いたとは思ってねーがな」
あの時、あの九澄とのバトルの時は気分が萎えたこともあって自分から勝負を放棄したが、以来伊勢は打倒九澄を常に頭の隅に置いてきた。絶対に勝てない相手だ とは思っていない。九澄はもはや上積みのないゴールドプレート。対して自分にはまだまだレベルアップの余地があるはずだ。
「フ……その負けん気の強さは尊敬するよ」
永井が嬉しそうに頬を緩めた。
「ねえねえ、あの二人えらく打ち解けてんじゃない?」
並んで立つ伊勢と永井の様子を見て、執行部副支部長の宇和井玲が部員の沼田ハルカに耳打ちした。春の一件以来伊勢と永井の対立そのものは終わっているが、 昔のように友人に戻ったわけではないことを知っている彼らからするとちょっと驚くべき光景だ。あの雰囲気じゃ学校帰りに二人でハンバーガーショップに寄っていてもおかしくないんじゃないかという風に見える。
「きっと色々あったんだよ」
ハルカは目を細めながら二年生最強コンビを眺める。宇和井の目にはその表情が心なしか恍惚としているかのように映った。
「美少年同士の対立と和解……いいわぁ……」
宇和井は親友の危ない目つきにちょっと引いた。
####
九澄の出番はいきなりやってくる。一回戦第一試合。ただしその前に会場では前座として軽音部のバンド演奏(魔法によるロックフェスばりの演出付き)が行われていた。
「本当に大丈夫なんだろうな、九澄」
試合直前の控え室で柔軟体操をする九澄に対し柊父が疑問の声を投げかける。柊父にしてみれば九澄の優勝など望むべくもない。それよりいかに惜しい戦いを演出してさっさと敗退するか、それが重要だった。ちなみに今この部屋には彼ら二人を除いて人間は誰もいない。(マンドレイクならいるが)
「たとえ無様に破れても、俺が解説者として舌を尽くしてお前の株がなるべく下がらんようにはする。だがそれも負け方次第だ。なんとか言い訳の通用する程度の散りっぷりを見せてもらいたいもんだな」
「大賀は負けないもん!」
「ったく、相変わらず信用ねーな、俺」
九澄が背筋をストレッチしながらぼやく。その表情から奇妙な余裕と自信が感じられて柊父は戸惑う。先日もそうだった。いったいこの男は何を考えているのだろう?
「ま、なるようになるってこった」
九澄は歯を見せて笑う。控え室のドアがノックされる。時間が来た。
「行こうぜ、ルーシー」
「うん!」
ルーシーが九澄の方に乗り、姿を消す。これで九澄以外の人間には誰も彼女を視認できなくなる。試合においてある意味きわめて有用な魔法アイテムとして機能することだろう。ただし彼女の助力がある程度で勝てるものなのか、はなはだ疑わしいというのが柊父の見立てではあったが。
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『さあそれではいよいよ試合が始まります! 西より入場者九澄大賀!』
九澄が会場に姿を現す。観客席の一年生の集まる一帯からひときわ大きな歓声が上がる。
「九澄ーーー!! ぶっとばせーーー!!!」
「九澄君頑張ってねーーー!!」
九澄は彼らの方には振り向かず拳を固く握りながら歩みを進める。間近で観察しているルーシーには九澄の動きの違和感がはっきりと感じられた。
「ねえ大賀……ひょっとして緊張してる?」
「あー……ま、一応な。相手だって得体が知れねーしな……」
九澄はまっすぐ正面を見据える。相手の顔からは一切の緊張は感じとれない。まさに余裕のたたずまいだ。
「お手柔らかにね。九澄大賀君」
彼女が握手を求め、九澄はそれに応じた。
(女子の手ってつくづくちっせーし細いし柔らかいよなー)とどうでもいいことが九澄の頭に浮かぶ。しかし一切の油断は出来ない。ある意味ではこれほど動きの読めない相手は他にいないのだから。彼女が三年生でないことなど、そもそも魔法を使えない九澄にとってなんの慰めになろうか?
『一回戦第一試合、九澄大賀vs望月悠理、始めっ!!!』
九澄は合図と同時に腰を落とし臨戦態勢に入った。その鋭い凶悪な眼光(ガンタレとも言う)は並のヤンキー程度なら即座に臆してしまうだろう。もっとも、目の前の相手がこれでビビるとは微塵も思っていなかったが。
「ふーん、すぐに飛びかかってくると思ったけどそうでもないんだね。それじゃああたしから行こうかな」
望月がゆっくりと右手を九澄に向ける。女子高生らしくよくケアされた手の平がピンと広げられ、本人の目が怪しく光る。その時だった。九澄が無造作に腕を振ったのは。
ステン。
まさにそうとしか形容の出来ない「コケ」。望月は肩口から地面にぶつかり目を白黒させた。九澄はただ数メートル前方で腕を振っただけ。一見すると何の魔法も発動したようには見えない。だが望月は間違いなく何かに「足を取られた」。観客はまだ静かだ。九澄が何をやったのか気づいている者はいない。というか九澄にとってはそんなやつがいてくれては大問題なのだが。
望月が九澄の動きを監視しながらゆっくりと立ち上がる。汚れのついた肩を払い「ふむ」と口を真一文字に結ぶ。先ほどまでの笑顔はない。
ストン。
またしてもだった。望月は全く無抵抗のままその場で転んだ。今度は尻が地面とキスをする。観客席のそこかしこからクスクスと笑いが漏れるが、皆もう気付いていた。九澄は確実に「何か」をやっている。
「おめー、降参するなら今のうちだぜ」
九澄が望月を見下ろす。あえて言うなら、そう、ゴミを見るような目で。九澄大賀はサディストではない。しかしハッタリを効かせるためにはそのように振る舞わねばならない時があることを彼はよく知っている。相手の手の内が全くわからない時、ダメージを受けずとも何度も転ばされたりすれば必ずいくばくかの恐怖心が芽生える。そこに重苦しいプレッシャーをかければ少なくとも平静ではいられないはずだ。相手のメンタルを乱すこと、それは九澄にとって勝利の第一方程式である。
(さっすが大賀、演技力抜群ね!)
マンドレイクの美少女が望月のかたわらでほくそ笑む。懸命なる読者諸氏はもうお気付きだろう。彼女ルーシーこそが望月を転倒させた犯人である。着せ替え人形ぐらいのサイズしかないルーシーとはいえ、普通に突っ立っているだけの細身の女子高生を転ばせることなど雑作もない。何せ相手はこちらのことなど全く見えていないのだから。うまくいけばこのままコロコロ転がしまくっているだけで勝手に戦意喪失してギブアップしてくれるのではないか。そんな風にルーシーは楽観していた。
「ふー、やっぱり簡単にはいかないか」
望月は地面にペタンと座り込んだまま自重気味に笑う。九澄は微塵も警戒を解いていない。先日のことだ。支部長の永井から彼女には気を付けろと入念に忠告された。魔法力はそれほどでもないはずだが、どんな手を隠しているかは一切わからないと。それを聞いている以上この程度の優勢では少しも気を緩められるはずがない。
「ま、あたしとしても本番で遊んでられるとは思ってなかったけどさ。でも……失敗したよ、九澄君。あたしの仕掛けに気付いてなかったでしょ」
「仕掛け……?」
九澄が眉をひそめる。
「うん、足元」
途端九澄の足元で何かが膨れ上がる。それは九澄が反応するより早く足をとらえ一瞬にして両脚に巻き付き、更に胴体と腕までもを封じた。
「……! こいつは……!」
緑色のツタのような植物。それが九澄を何重にも縛り動きを完璧に封じてみせる。観客席からオオーッという声が上がる一方でルーシーが顔色を失う。
「なんてことはない、ただの魔力の影響で強化されたツタなんだけどね。その種をこっそり君の足元に飛ばしておいたんだ。ほら最初に右手を君に向けたでしょ? あの時左手でこう、指を弾いて飛ばしたの。ま、初歩的な手品だよね」
この手の魔法植物の種子は聖凪高校の敷地内ならさほど苦労なく手に入る。それを九澄の足元に飛ばしたのもごく単純なトリックだ。九澄は自分がやるべきことを逆にやられたという事実に驚くしかなかった。
「さて……あたしとしては無駄な魔法力は一ミリも使いたくないからさ。すぐに始めさせてもらうよ、あたしの切り札……」
「ぐ……!」
九澄は全身に力を込めるが、ツタは地面にしっかりと根を張りピクリとも動かない。ある実験によれば大型トラックを釣り上げることも出来ると言われている魔法植物だ。人間の力でどうこうできるはずもない。もちろんルーシーの助力程度ではどうしようもないことはわかりきっていた。
(どどど、どーしよう? 大賀がやられちゃう!)
パニクるルーシーの横で望月は懐からペンと分厚いノートを取り出した。一見すると魔法アイテムのたぐいには全く見えないそれらの道具は、実は本当に単なる筆記用具である。駅前のタジマ文具で購入、計420円。だがそれらは明らかに望月の魔力を帯びていた。
「この魔法はやたらめったら条件が厳しくてさ……。発動中に相手に動かれたらダメだとか、魔法の効果をちゃんと相手に説明しないといけないとか、面倒な制約が多いんだよね。その上魔法力の消費量もあたしの手には余るほど大きい……。だからあたしは考えたの。こういう大会を開いて、普通より強力な魔法磁場の中で試合を行うことにすれば魔法力の問題は一気に解決するんじゃないかなあ……って」
(な……何言ってんだこいつ……?)
それはまるでこの大会自体が「この瞬間」のために仕組まれたかのような発言だった。教師達と交渉し出場メンバーを集めあらゆる面倒事を引き受けたのは、生徒会長にして大会主催者である目の前の彼女。その目的がつまるところたった一つ、強い魔法磁場のもとで九澄と正対し何らかの魔法を仕掛けることだというのか。
『ええっと、どうやら両選手何事かしゃべっているようですが、いかんせん結界の内側、もう少し大きな声で話してくれないとよく聞こえませんね。それにしても望月選手、あのペンとノートで何をするつもりなんでしょうか?』
実況担当を含め観戦者は皆戸惑っていた。その困惑は解説席の柊父にとっても同様だ。あの魔法がなんなのか、喉まで出かかっているのに思い出せない。
「じゃあいくよ……。といってもちっとも痛くないから心配しないでね」
ペンとノートを包んでいたオーラが更に巨大化しきらめく。その魔法を知っている者は観客席の生徒達には皆無だった。決して生徒に教えるような代物ではないタチの悪い魔法。柊父はようやくその正体に思い当たり青ざめる。
(冗談ではない……! ボロボロに負けるぐらいならまだマシだ。こいつは正真正銘最悪の魔法じゃないか!!)
ペンを包んでいるのと同じ色のオーラが九澄を覆い、望月の唇が妖しく動く。
「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」
「な……なんだってーーー!!??」
九澄は両目が飛び出さんばかりに驚愕した。
2013年1月3日木曜日
エムゼロEX 13
「あたしと組手がしたいって~?」
ミニマムボディにウェーブがかった明るい茶色のロングヘアー。立てばロリっコ座ればペット、歩く姿は小学生。自称セクシー美女の十九歳・九澄胡玖葉はアイスを頬張りながら弟の土下座を見下ろしていた。彼女にとっては無駄に成長しやがった弟(別に男子として特に大きいわけではない)を遥か見上げるようになって久しいだけにフレッシュな経験だ。というかなぜ自分が土下座などされなければいけないのかまるで見当がつかない。
「頼む姉ちゃん! こんなの姉ちゃんしか頼める奴が居ねえんだ!」
弟の顔つきは100%マジだった。からかっている風でも酔っているわけでもない。
「なによ、誰かにいじめられたってんなら姉ちゃんがやっつけてあげるわよ?」
「そんなんじゃねえよ。これは俺が俺自身の手でやらなきゃいけねえことなんだ。頼む! 手ェ貸してくれ!!」
胡玖葉は強い。40キロに満たない体重にして、磨き上げられた空手の腕前は日本屈指であろう。そこらのケンカ自慢よりはっきりと格上の大賀をして太刀打ちできた試しがないほどの力量だ。そして大賀が特定の武道や格闘技を学ばずして現在のレベルにまで至った理由でもある。――主に姉からの護身のために。
「……ま、いいけどさ。あんたが本気で来るつもりなら、下手な手加減は出来ないわよ?」
胡玖葉の背に殺気が宿る。九澄にとってトラウマの一語では語り尽くせない惨劇の数々。
「あー、いや、殺されたくはねーわけだけど……」
「男に二言はないわよね! 覚悟しなさいおらああっ!!!!」
秋深まる快晴の週末、九澄大賀、絶体絶命。
####
「あきれた奴だ。こんな短い間隔でまた来るとはな。……というかその顔は何なんだ?」
"少年"は――見た目少年の、その実100歳を超える大魔法使いは――目の前に堂々と立つ男を見下ろしていた。下半身のない魔法体となって久しい花咲音也はどんな大男でも上から見るのが常態だったが、そもそも彼は滅多に人と会うことがない。普段の彼は聖凪の奥深く閉じられた穴蔵で学園の行く末を見守る、守護者という名のひきこもりである。彼を睨みつけるのは、なぜか顔を腫れ上がらせ絆創膏をベタベタと貼った聖凪生徒。昨日か一昨日辺りに誰かと殴り合いの喧嘩でもしたかのような有様だ。
「時間がねー。おめーに協力してもらいてーことがある」
その男――九澄大賀は半分塞がった右目で聖凪の創立者を睨み上げた。
「馬鹿につける薬はないとはこのことだな……。レベル1の試験で死にかけだったお前が次のレベルに進めるとでも? おいルーシー、お前からも言ってやれ。お前なんざ女の尻でも追いかけ回していたほうがお似合いだとな」
「大賀はバカじゃないもん!」
大賀の肩に乗っている魔法生物ルーシーは目を吊り上げて反論する。
「大賀が大丈夫だって言ったんだもん。絶対に大丈夫だもん!」
音也はやれやれと溜息をつく。ルーシーは彼にとっても可愛い孫娘のような存在だが、少々聞き分けがないのが困りものだ。
「だがいずれにしても次の試験でお前の協力は禁止だ。前回クリアできたのは完全にお前の助けのおかげだからな。二度と特別扱いはせん」
「えー! あたしは大賀のパートナーなんだもん、一緒に行くのーーーー!」
「わりいルーシー。今回は俺に任せてくれねーか?」
ルーシーは頬を膨らませて不満を示すが、九澄は済まなそうに会釈して歩を進める。
「別に今回はブラックプレートのレベルアップのために来たわけじゃねー。そこのジジイは普通の魔法だって普通に……いやハンパねーレベルで使えるだろーからな。ちょいと手合わせしてもらいに来たんだ」
「ほー……いい度胸と言えばいい度胸だ。どちらかと言えば大馬鹿者と呼ぶべきだろうがな。……いいさ、ボクも暇だからな。付き合ってやるよ」
音也は薄く微笑んで右手を高く掲げる。
「ただしボク自身に戦ってもらえるなどと自惚れてもらっては困るな……。お前の相手はこいつだ」
音也の後方、何もない空間が渦を巻く。何かがその渦の中心からせり出し、一気にその姿を表した。猛牛の頭に巨人の肉体。神話の怪物、ミノタウロス。轟音を立て地面に降り立つ。ルーシーは反射的に大河の背に隠れた。
「はっきり言ってどうなっても知らんぞ……三年生の上位クラスでも手に余るほどの魔法力を込めて召喚したんだからな」
音也にとってこれは少々タチの悪いジョークのつもりだった。まともな神経を持つならば到底敵わないレベルなのはひと目で分かる。九澄がビビって腰を抜かすか許しを請うならすぐに引っ込めてやるつもりだった。だからまさか、何の躊躇も見せず正面から突っ込んでいくなど想像は出来なかった。
(馬鹿な……! 自殺する気か!?)
「おおおおおおおおおおっっっ!!!!」
大賀は雄叫びを上げ一直線に疾走った。恐れる物など何もないかのように。蛮勇少年と怪物、二体が交差したその瞬間、乾いた打撃音が響き渡った。
「ひでぶっ……っ!」
九澄はミノタウロスの裏拳を食らって――裏拳というよりハエを払うかのような無造作な動きだったのだが――トラックに跳ねられた小学生のように吹っ飛び、5、6回転してようやく静止した。膝をガクガク揺らしながら立ち上がった九澄は手の甲で鼻血を拭き取り「中々やるじゃねーか」とうそぶいた。
「あ……あいつやっぱり底なしのうつけ者だ……。て……天下一の大馬鹿野郎だ……」
音也が声を震わせる。今回ばかりはさしものルーシーも音也に反論しようがなかった。
「ヘヘへ……ぶっちゃけ逃げたくて逃げたくてしょーがねーんだけどよ……」
九澄が足を肩幅に広げだらりと腕を垂らす。その目は全く死んでいない。
「なーんか、見えてきたんだよな……」
「あとちょっと……」
「あとちょっとでよ……」
「掴めそーなんだよな……」
九澄が笑った。それはとうとう彼がイカれてしまったからなのか。それとも。
(ボクにはもう……わからん!)
だが音也は更にここから信じがたいものを目撃するのだった。
####
聖凪杯を間近に控えた平日、その時間は平常の国語の授業中だったのだが、生徒たちの視線は普通に座って授業を受ける九澄大賀に集中していた。理由は簡単、まるで数十人からリンチでも受けたかのようにズタボロの状態だったからである。
「ちょ……九澄のやつ、日に日にボロボロになっていってないか?」
誰も久美の言葉を否定できるわけがない。明らかにそうなのだから。しかし当の本人が何でもない気にするなの一点張りではそれ以上踏み込むことも出来ない。この状況に最も心を痛めているのが柊愛花その人だった。
「ねえ九澄くん……お願いだから本当のこと言ってよ」
休み時間になって愛花は人気のない廊下で九澄に問いただした。「魔法修行中の怪我」「こないだ階段から落ちた」そんな話で納得ができるものか。
「いやーははは、マジ大したことないんだって。こう見えてめっちゃ軽傷だからさ」
九澄は自分の手で腫れに濡れタオルを当てながら笑う。
「嘘! 嘘だよねそんなの! いくらあたしでもそんなのに騙されないよ!」
愛花が目をうるませる。想い人にこんな顔をされて無視できるほど九澄はクールな男ではない。まいったなあとボヤいて愛花の肩に手を置いた。
「なあ柊。俺は今までお前にたくさん嘘をついてきたんだ。多分これからも……つき続けると思う。だけどもし……もしこんな俺で良ければ……ちょっとだけ信じていてくれねーかな」
「え……? それってどういうこと……?」
九澄が何の話をしているのか愛花にはまるでわからなかった。ルーシーのことを隠していたことだろうか。いやもっと大事なことのような気がする。
「俺……いつか一段落したら、柊に話したいことがある。今は言えないんだけど、すごく大事な事なんだ。だからそれまで……ちょっとだけ待ってて欲しい」
九澄はそう言っていたずらっぽく笑った。
「今回はマジで大丈夫だからさ、きっと」
愛花は泣きそうになるのをこらえ、微笑んだ。
「ずるいなあ……。九澄くんにそう言われたら、あたしは信じるしかないじゃない」
愛花は九澄の顔の腫れにそっと手を伸ばす。
「そのかわり約束して。危ない無茶はしないって……。それと、たまにはあたしにも頼ってほしいな」
愛花の指先から暖かい光がこぼれる。小さなろうそくのようなその光に照らされると、九澄が引きずっていた痛みが少しだけ和らぐ。
「これって回復魔法か……?」
「最近覚えたの。まだほんの初歩の初歩、軽い痛み止めに傷薬が混ざったようなものだけど……」
いや、これは世界一の回復魔法だ。九澄は本気でそう思った。まるで全身から力が湧いてくるようだ。
「ありがとな、柊。マジで」
二人はお互いを見つめ合い、微笑みあった。
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「ったく、また娘をたぶらかしやがって……」
不機嫌をあらわにしながらタバコを吹かしているのは愛花の父親である柊賢二郎。言うまでもなく親バカである。
「たぶらかしてねーっつーの。大体おめーの方こそちったー協力しろよな。こちとら絶体絶命のピンチだってのによ」
九澄は壁に背をもたれながらぼやく。頭の上にはルーシーが乗っている。
「そう言う割には危機感のない顔だな。何か掴んだのか?」
「まーな」
迷いのない答え。柊父は少し意表を突かれわずかに目を丸くする。
「そうか……。ま、俺もただボヤッとしていたわけじゃない。例の大会をなんとか中止に出来ないものかと手を探ってみたんだが……」
柊父にとっても現状は好ましいとは言えない。九澄と彼はある意味で一蓮托生、九澄が本当は魔法を使えないことがバレてしまうと巡り巡ってほぼ自動的に自分のクビが飛ぶ。運を天に任せるより聖凪杯自体を取り止めさせてしまったほうが都合がいいことは確かなのだ。
「いけそうなのか?」
九澄が身を乗り出す。
「それがどうにもうまくない。校長は知ってのとおり放任状態だし、俺の危機にも呑気なもんだ。そして普段なら止める立場になるはずの教頭も、どういうわけか今回は妙に乗り気なんだ。おかげで教頭派の教員にも賛成派が広まる始末でな……」
「おいおいそれでもあんたが反対に回れば影響力あんだろ。おめー魔法主任かなんかじゃなかったのか?」
「俺は反対できん……。今から22年前、ここ聖凪で全く同じ発想のバトル大会が開かれた。ある男は最初乗り気ではなかったが、持ち前の才能とセンスのお陰で結果的に優勝に輝いた……。それが俺だ」
「お前かよ!!」
九澄は思わず突っ込む。堅物に見えて実はこの男結構ヤンチャだったということなのか。
「あくまで周囲に請われて仕方なく出場したんだ。優勝したのは天賦の才のせいだったのだから仕方なかろう」
全く悪びれないどころかむしろ得意げな柊父。
「こんな時まで自慢を挟むか……」
「いいか九澄、大会本番は強力な結界の中で行われる。俺からの手助けは一切できん。ヤバイと思ったら即棄権しろ」
「わかってるよそんなことは……。でもやる前から無理だ無謀だって決めつけて欲しくはねーな」
九澄がなぜそんなに自信有り気なのか柊父にはわからなかった。尋ねても答えてはくれないのだ。
「無駄かもしれんがその自信に一応期待はしておく。くれぐれも下手は打つなよ」
九澄は歯を見せて頷いた。
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九澄の母梢加は専業主婦である。手のかかる姉弟の子育てを一手に担ってきた彼女は、単身赴任中の夫の元から一週間ぶりに我が家に帰宅した。昔はやんちゃなわが子達を置いて家を空けるなど考えられなかったが、もう二人共いい年なんだから大丈夫よねえと気楽に考えていたのだ。なんといっても一番面倒な子だった大賀が進学校に進んでぐっと大人っぽくなったのだから、その安心は過信ではないはずだった。それが帰宅して最初に目にしたのが長女の顔の腫れだったのだから気が気ではない。明らかに誰かに殴られたかのような傷跡だった。
「こ……胡玖葉! どうしたのその顔! まさか昔みたいにオトナの人と喧嘩でも……?」
「もう、平気だよおかーさん! ちょっと一発いいのもらっただけだから! 空手やってればそ~いうこともあるよ」
「まったくもう、いい加減空手なんてやめなさいって言ってるのに……。それにしても胡玖葉、あなたどうしてそんなに機嫌がいいの?」
鼻歌交じりに食器を洗う胡玖葉は、母親を心配させないために演技しているというよりは本当に機嫌がいいようにしか見えなかった。
「んー? いや別に……あいつももう昔みたいな泣虫小僧じゃないんだなあって……」
ちょっと寂しいけどね、と胡玖葉は口の中で呟いた。母の頭にハテナが浮かぶ。
(あんたが何するつもりかはわかんないけど……あたしは応援してるからね、大賀。ま、まだまだあたしの方が強いけど)
####
「やれやれ……つくづく訳のわからん奴だ」
花咲音也は戦いの跡を眺めていた。あちこちの床に割れ目やヒビが残っている。九澄の血の跡すらある。
「ねーねー! やっぱり大賀って凄いでしょ?」
ゴキゲンなルーシーに話しかけられ音也は天を仰いだ。
「あんなのはとても戦略とは言えない。一歩間違えていれば大事になっていたかもしれないんだ、甘く見るな」
口をアヒルみたいに尖らせるルーシー。だが……と音也は視線を落とす。
「音芽が何かを感じるわけだ。確かに珍味だよ、奴は」
音也は目を閉じて微笑む。この穴蔵にこもって数十年、いい加減刺激のない生活にも飽きてきた頃だ。暇つぶしとしてはあんなに面白い男はそうはいない。
「聖凪杯ね……。つまらんことを考える奴もいたもんだ。あんな曲芸で勝とうとするのはもっと馬鹿だが……」
「奴なら何かやれるかもな」
外出する良い機会ができた。その事に関しては礼を言っても良い。音也はそう思った。
ミニマムボディにウェーブがかった明るい茶色のロングヘアー。立てばロリっコ座ればペット、歩く姿は小学生。自称セクシー美女の十九歳・九澄胡玖葉はアイスを頬張りながら弟の土下座を見下ろしていた。彼女にとっては無駄に成長しやがった弟(別に男子として特に大きいわけではない)を遥か見上げるようになって久しいだけにフレッシュな経験だ。というかなぜ自分が土下座などされなければいけないのかまるで見当がつかない。
「頼む姉ちゃん! こんなの姉ちゃんしか頼める奴が居ねえんだ!」
弟の顔つきは100%マジだった。からかっている風でも酔っているわけでもない。
「なによ、誰かにいじめられたってんなら姉ちゃんがやっつけてあげるわよ?」
「そんなんじゃねえよ。これは俺が俺自身の手でやらなきゃいけねえことなんだ。頼む! 手ェ貸してくれ!!」
胡玖葉は強い。40キロに満たない体重にして、磨き上げられた空手の腕前は日本屈指であろう。そこらのケンカ自慢よりはっきりと格上の大賀をして太刀打ちできた試しがないほどの力量だ。そして大賀が特定の武道や格闘技を学ばずして現在のレベルにまで至った理由でもある。――主に姉からの護身のために。
「……ま、いいけどさ。あんたが本気で来るつもりなら、下手な手加減は出来ないわよ?」
胡玖葉の背に殺気が宿る。九澄にとってトラウマの一語では語り尽くせない惨劇の数々。
「あー、いや、殺されたくはねーわけだけど……」
「男に二言はないわよね! 覚悟しなさいおらああっ!!!!」
秋深まる快晴の週末、九澄大賀、絶体絶命。
####
「あきれた奴だ。こんな短い間隔でまた来るとはな。……というかその顔は何なんだ?」
"少年"は――見た目少年の、その実100歳を超える大魔法使いは――目の前に堂々と立つ男を見下ろしていた。下半身のない魔法体となって久しい花咲音也はどんな大男でも上から見るのが常態だったが、そもそも彼は滅多に人と会うことがない。普段の彼は聖凪の奥深く閉じられた穴蔵で学園の行く末を見守る、守護者という名のひきこもりである。彼を睨みつけるのは、なぜか顔を腫れ上がらせ絆創膏をベタベタと貼った聖凪生徒。昨日か一昨日辺りに誰かと殴り合いの喧嘩でもしたかのような有様だ。
「時間がねー。おめーに協力してもらいてーことがある」
その男――九澄大賀は半分塞がった右目で聖凪の創立者を睨み上げた。
「馬鹿につける薬はないとはこのことだな……。レベル1の試験で死にかけだったお前が次のレベルに進めるとでも? おいルーシー、お前からも言ってやれ。お前なんざ女の尻でも追いかけ回していたほうがお似合いだとな」
「大賀はバカじゃないもん!」
大賀の肩に乗っている魔法生物ルーシーは目を吊り上げて反論する。
「大賀が大丈夫だって言ったんだもん。絶対に大丈夫だもん!」
音也はやれやれと溜息をつく。ルーシーは彼にとっても可愛い孫娘のような存在だが、少々聞き分けがないのが困りものだ。
「だがいずれにしても次の試験でお前の協力は禁止だ。前回クリアできたのは完全にお前の助けのおかげだからな。二度と特別扱いはせん」
「えー! あたしは大賀のパートナーなんだもん、一緒に行くのーーーー!」
「わりいルーシー。今回は俺に任せてくれねーか?」
ルーシーは頬を膨らませて不満を示すが、九澄は済まなそうに会釈して歩を進める。
「別に今回はブラックプレートのレベルアップのために来たわけじゃねー。そこのジジイは普通の魔法だって普通に……いやハンパねーレベルで使えるだろーからな。ちょいと手合わせしてもらいに来たんだ」
「ほー……いい度胸と言えばいい度胸だ。どちらかと言えば大馬鹿者と呼ぶべきだろうがな。……いいさ、ボクも暇だからな。付き合ってやるよ」
音也は薄く微笑んで右手を高く掲げる。
「ただしボク自身に戦ってもらえるなどと自惚れてもらっては困るな……。お前の相手はこいつだ」
音也の後方、何もない空間が渦を巻く。何かがその渦の中心からせり出し、一気にその姿を表した。猛牛の頭に巨人の肉体。神話の怪物、ミノタウロス。轟音を立て地面に降り立つ。ルーシーは反射的に大河の背に隠れた。
「はっきり言ってどうなっても知らんぞ……三年生の上位クラスでも手に余るほどの魔法力を込めて召喚したんだからな」
音也にとってこれは少々タチの悪いジョークのつもりだった。まともな神経を持つならば到底敵わないレベルなのはひと目で分かる。九澄がビビって腰を抜かすか許しを請うならすぐに引っ込めてやるつもりだった。だからまさか、何の躊躇も見せず正面から突っ込んでいくなど想像は出来なかった。
(馬鹿な……! 自殺する気か!?)
「おおおおおおおおおおっっっ!!!!」
大賀は雄叫びを上げ一直線に疾走った。恐れる物など何もないかのように。蛮勇少年と怪物、二体が交差したその瞬間、乾いた打撃音が響き渡った。
「ひでぶっ……っ!」
九澄はミノタウロスの裏拳を食らって――裏拳というよりハエを払うかのような無造作な動きだったのだが――トラックに跳ねられた小学生のように吹っ飛び、5、6回転してようやく静止した。膝をガクガク揺らしながら立ち上がった九澄は手の甲で鼻血を拭き取り「中々やるじゃねーか」とうそぶいた。
「あ……あいつやっぱり底なしのうつけ者だ……。て……天下一の大馬鹿野郎だ……」
音也が声を震わせる。今回ばかりはさしものルーシーも音也に反論しようがなかった。
「ヘヘへ……ぶっちゃけ逃げたくて逃げたくてしょーがねーんだけどよ……」
九澄が足を肩幅に広げだらりと腕を垂らす。その目は全く死んでいない。
「なーんか、見えてきたんだよな……」
「あとちょっと……」
「あとちょっとでよ……」
「掴めそーなんだよな……」
九澄が笑った。それはとうとう彼がイカれてしまったからなのか。それとも。
(ボクにはもう……わからん!)
だが音也は更にここから信じがたいものを目撃するのだった。
####
聖凪杯を間近に控えた平日、その時間は平常の国語の授業中だったのだが、生徒たちの視線は普通に座って授業を受ける九澄大賀に集中していた。理由は簡単、まるで数十人からリンチでも受けたかのようにズタボロの状態だったからである。
「ちょ……九澄のやつ、日に日にボロボロになっていってないか?」
誰も久美の言葉を否定できるわけがない。明らかにそうなのだから。しかし当の本人が何でもない気にするなの一点張りではそれ以上踏み込むことも出来ない。この状況に最も心を痛めているのが柊愛花その人だった。
「ねえ九澄くん……お願いだから本当のこと言ってよ」
休み時間になって愛花は人気のない廊下で九澄に問いただした。「魔法修行中の怪我」「こないだ階段から落ちた」そんな話で納得ができるものか。
「いやーははは、マジ大したことないんだって。こう見えてめっちゃ軽傷だからさ」
九澄は自分の手で腫れに濡れタオルを当てながら笑う。
「嘘! 嘘だよねそんなの! いくらあたしでもそんなのに騙されないよ!」
愛花が目をうるませる。想い人にこんな顔をされて無視できるほど九澄はクールな男ではない。まいったなあとボヤいて愛花の肩に手を置いた。
「なあ柊。俺は今までお前にたくさん嘘をついてきたんだ。多分これからも……つき続けると思う。だけどもし……もしこんな俺で良ければ……ちょっとだけ信じていてくれねーかな」
「え……? それってどういうこと……?」
九澄が何の話をしているのか愛花にはまるでわからなかった。ルーシーのことを隠していたことだろうか。いやもっと大事なことのような気がする。
「俺……いつか一段落したら、柊に話したいことがある。今は言えないんだけど、すごく大事な事なんだ。だからそれまで……ちょっとだけ待ってて欲しい」
九澄はそう言っていたずらっぽく笑った。
「今回はマジで大丈夫だからさ、きっと」
愛花は泣きそうになるのをこらえ、微笑んだ。
「ずるいなあ……。九澄くんにそう言われたら、あたしは信じるしかないじゃない」
愛花は九澄の顔の腫れにそっと手を伸ばす。
「そのかわり約束して。危ない無茶はしないって……。それと、たまにはあたしにも頼ってほしいな」
愛花の指先から暖かい光がこぼれる。小さなろうそくのようなその光に照らされると、九澄が引きずっていた痛みが少しだけ和らぐ。
「これって回復魔法か……?」
「最近覚えたの。まだほんの初歩の初歩、軽い痛み止めに傷薬が混ざったようなものだけど……」
いや、これは世界一の回復魔法だ。九澄は本気でそう思った。まるで全身から力が湧いてくるようだ。
「ありがとな、柊。マジで」
二人はお互いを見つめ合い、微笑みあった。
####
「ったく、また娘をたぶらかしやがって……」
不機嫌をあらわにしながらタバコを吹かしているのは愛花の父親である柊賢二郎。言うまでもなく親バカである。
「たぶらかしてねーっつーの。大体おめーの方こそちったー協力しろよな。こちとら絶体絶命のピンチだってのによ」
九澄は壁に背をもたれながらぼやく。頭の上にはルーシーが乗っている。
「そう言う割には危機感のない顔だな。何か掴んだのか?」
「まーな」
迷いのない答え。柊父は少し意表を突かれわずかに目を丸くする。
「そうか……。ま、俺もただボヤッとしていたわけじゃない。例の大会をなんとか中止に出来ないものかと手を探ってみたんだが……」
柊父にとっても現状は好ましいとは言えない。九澄と彼はある意味で一蓮托生、九澄が本当は魔法を使えないことがバレてしまうと巡り巡ってほぼ自動的に自分のクビが飛ぶ。運を天に任せるより聖凪杯自体を取り止めさせてしまったほうが都合がいいことは確かなのだ。
「いけそうなのか?」
九澄が身を乗り出す。
「それがどうにもうまくない。校長は知ってのとおり放任状態だし、俺の危機にも呑気なもんだ。そして普段なら止める立場になるはずの教頭も、どういうわけか今回は妙に乗り気なんだ。おかげで教頭派の教員にも賛成派が広まる始末でな……」
「おいおいそれでもあんたが反対に回れば影響力あんだろ。おめー魔法主任かなんかじゃなかったのか?」
「俺は反対できん……。今から22年前、ここ聖凪で全く同じ発想のバトル大会が開かれた。ある男は最初乗り気ではなかったが、持ち前の才能とセンスのお陰で結果的に優勝に輝いた……。それが俺だ」
「お前かよ!!」
九澄は思わず突っ込む。堅物に見えて実はこの男結構ヤンチャだったということなのか。
「あくまで周囲に請われて仕方なく出場したんだ。優勝したのは天賦の才のせいだったのだから仕方なかろう」
全く悪びれないどころかむしろ得意げな柊父。
「こんな時まで自慢を挟むか……」
「いいか九澄、大会本番は強力な結界の中で行われる。俺からの手助けは一切できん。ヤバイと思ったら即棄権しろ」
「わかってるよそんなことは……。でもやる前から無理だ無謀だって決めつけて欲しくはねーな」
九澄がなぜそんなに自信有り気なのか柊父にはわからなかった。尋ねても答えてはくれないのだ。
「無駄かもしれんがその自信に一応期待はしておく。くれぐれも下手は打つなよ」
九澄は歯を見せて頷いた。
####
九澄の母梢加は専業主婦である。手のかかる姉弟の子育てを一手に担ってきた彼女は、単身赴任中の夫の元から一週間ぶりに我が家に帰宅した。昔はやんちゃなわが子達を置いて家を空けるなど考えられなかったが、もう二人共いい年なんだから大丈夫よねえと気楽に考えていたのだ。なんといっても一番面倒な子だった大賀が進学校に進んでぐっと大人っぽくなったのだから、その安心は過信ではないはずだった。それが帰宅して最初に目にしたのが長女の顔の腫れだったのだから気が気ではない。明らかに誰かに殴られたかのような傷跡だった。
「こ……胡玖葉! どうしたのその顔! まさか昔みたいにオトナの人と喧嘩でも……?」
「もう、平気だよおかーさん! ちょっと一発いいのもらっただけだから! 空手やってればそ~いうこともあるよ」
「まったくもう、いい加減空手なんてやめなさいって言ってるのに……。それにしても胡玖葉、あなたどうしてそんなに機嫌がいいの?」
鼻歌交じりに食器を洗う胡玖葉は、母親を心配させないために演技しているというよりは本当に機嫌がいいようにしか見えなかった。
「んー? いや別に……あいつももう昔みたいな泣虫小僧じゃないんだなあって……」
ちょっと寂しいけどね、と胡玖葉は口の中で呟いた。母の頭にハテナが浮かぶ。
(あんたが何するつもりかはわかんないけど……あたしは応援してるからね、大賀。ま、まだまだあたしの方が強いけど)
####
「やれやれ……つくづく訳のわからん奴だ」
花咲音也は戦いの跡を眺めていた。あちこちの床に割れ目やヒビが残っている。九澄の血の跡すらある。
「ねーねー! やっぱり大賀って凄いでしょ?」
ゴキゲンなルーシーに話しかけられ音也は天を仰いだ。
「あんなのはとても戦略とは言えない。一歩間違えていれば大事になっていたかもしれないんだ、甘く見るな」
口をアヒルみたいに尖らせるルーシー。だが……と音也は視線を落とす。
「音芽が何かを感じるわけだ。確かに珍味だよ、奴は」
音也は目を閉じて微笑む。この穴蔵にこもって数十年、いい加減刺激のない生活にも飽きてきた頃だ。暇つぶしとしてはあんなに面白い男はそうはいない。
「聖凪杯ね……。つまらんことを考える奴もいたもんだ。あんな曲芸で勝とうとするのはもっと馬鹿だが……」
「奴なら何かやれるかもな」
外出する良い機会ができた。その事に関しては礼を言っても良い。音也はそう思った。
2012年8月8日水曜日
エムゼロEX 12
第十二話 コンビネーション
「さて……どうカタをつける?」
伊勢聡史がポケットに両手を突っ込みながら首を鳴らす。彼の横に並ぶ永井龍堂は浅く腰を落とし戦闘態勢に入った。
「遊ぶつもりはない……フルパワーで一気に終わらせる」
元より永井は戦いを楽しむような男ではない。魔法執行部の責務は圧倒的な力でもって校内の揉め事を迅速に制圧することであり、永井はそれに最も長けた男だ。だが二年生最強と謳われる二人と対峙する双子はなおも落ち着いたままだった。
「聞いたかい? フルパワーで一気に……だってさ」
「この期に及んで何も学習していない……。がっかりさせてくれるね」
双子は同じ仕草でクスクスと笑う。伊勢は赤色混じりの唾を吐き捨てた。
「気色悪い奴らだぜ……」
「あまりいきり立つな。冷静さを失いがちなのがお前の弱点だ」
永井の忠告は伊勢のプライドをやみくもに刺激するものだったが、今の伊勢は落ち着いていた。理由ははっきりしている。負ける気がしないのだ。永井との決着は目の前のウザい三人を叩き潰してからでいい。静かな、しかし強力な闘志が伊勢の腹の奥で沸々と煮えたぎっていた。
「頼むぞロッキー……!」
永井が呟く。
《待ちくたびれたぜえええええええ!!!!》
永井の声に応えたのは低く不気味な叫び声。永井の帽子に描かれたドクロが一気に膨れ上がる。飛び出した頭骨からめきめきと体が生えていき、死神のように禍々しい姿にへと変わっていく。永井の、ひいては二年生全生徒における最強魔法ロッキーカーニバル。消費MP、パワー、いずれも二年生の枠を超えた恐るべきレベルの大魔法だ。永井はこの強力魔法を使うために日常的に思考の一部をロッキーに「喰わせて」いる。ロッキーは術者の心を「喰う」ことで、魔法が発動していない平時においても独自の自我を保ち、知恵と知識を自ら身に付ける。リスクは決して小さくないが、口下手な永井にとってロッキーが時として勝手に喋って相手を威圧してくれるのは有用ではあった。もっとも最近はもっぱらロッキーには喋らせていなかったが。
「いざ間近で見ると」「すごい魔法だね」「怖い怖い」
ちっとも怖がっているようには見えない双子がそれぞれ斜め前方に飛び出す。伊勢と永井を挟み込むポジションを取るつもりだ。
「そううまく行かせるかよ……!」
伊勢は再び鎖を巨大化させ、自分から見てより近い巴♀に投げつけた。ほぼ同時にロッキーが巴♂を襲う。永井伊勢コンビの暗黙の作戦は双子を分断しそれぞれが各個撃破することだった。個々の魔法力では完全にこちらが上。タイマン×2に持ち込めば負ける道理はない。
その時永井は違和感に気付いた。巴♂が笑っている。完全にこちらの出方を読んだ上で勝ちを確信している顔。なぜ。
ロッキーの腕が巴♂に向かって振り下ろされる。ロッキーはその重そうな外見とは裏腹に動きの速さも半端ではない。絶対に躱せないタイミング。
瞬間、巴♂が加速した。ロッキーの手は空を切り地面にめり込む。永井がめまぐるしく動く巴♂を目で追おうとするが、その速さは常人の動体視力を超えていた。
「く……追え! ロッキー!」
《こいつチョコマカしやがってええええええ!!!!》
ロッキーが叫びと共に飛び出すが、牛が鳥を追い回すかのような機動力の違い故に全く捉えることができない。彼我のスピード差は歴然だった。
(なんだ……こいつの動きは……?)
重大な違和感。スピードに特化した魔法――例えば強化したスケボーに乗るなど――を使えば、このレベルの速さも実現可能だ。だが伊勢の魔法を真っ向から弾き返すパワーとこれだけのスピードを兼ね備えるとはどういうことなのか。一体どうやってこれほどの魔法力を得ているのか。
(まさかこれは……いや、今はそんな事を考えている場合ではない)
永井は迷いを押し込めながらロッキーに指示を出し、相手をコーナーに追い詰める作戦を選択する。相手が動く場所を先読みし、そこを塞ぐ。そして逃げようのない袋小路へ追い込んでいく。速さで劣るなら劣るなりの戦い方を。永井のキャリアに裏打ちされた戦術。
「いける……もうすぐ!」
永井の拳に力がこもる。だがその瞬間永井は後ろからの衝撃に吹き飛ばされてしまう。
「うおっ!!??」
かろうじて受身をとり転げまわる永井。この痛みには覚えがあった。これは敵の攻撃というよりも。
「てめー! 俺の鎖の行く道を塞いでんじゃねーよ!!」
ちっとも悪びれていない顔で伊勢が悪態をつく。そう、今のは伊勢の攻撃の巻き添えを食らったのだ。
「く……っ。いいところだったのにお前は……」
永井も言葉を返す。一瞬二人は睨み合うが、すぐにそれどころではないと思い直して背を向けあう。
「こいつら二人共ハエみてーにちょこまか動きまわりやがって……! 攻撃が当たりやしねー」
伊勢が歯ぎしりした。永井と伊勢を囲う形になったツインズは更に速度を速めて周囲を高速回転しだす。
「まったく最悪のコンビだね」「連携も何もなっちゃいない」「こちらはいよいよ」「本領発揮と行こうか」
ただ同じ場所を回っているだけではない。時には上を飛び、時には内側に切り込みながら攻撃を加える。高速にして立体的な縦横無尽のコンビネーション。今まで二人が戦ってきたどんな相手とも異なる戦術。
「やべーぞ、こいつはさっきと同じパターンだ……。奴らこのままチクチク刺し続けて俺らを根負けさせるつもりだぜ」
「歓迎しがたい展開だな……」
二人はそれぞれがジリジリと退がりほとんど背中をくっ付け合う体勢になる。ロッキーはもちろんまだ召喚されたままだが、もはやこれほどスピード差が広がると攻撃を仕掛けることも困難だ。こちらから動けば確実にその隙を突かれてしまう。だが永井は、不利を自覚しながらも冷静に戦局を分析し、ついにツインズの強さの秘密に思い当たった。ほのかに見慣れない光を帯びる双子の魔法プレート。それが決め手だった。
「やはりそうか……。聞け伊勢、奴らの強さの鍵は"シンクロナイズドプレートメカニクス"だ」
「シンクロ……? なんだそりゃ水泳か?」
伊勢は眉をしかめながら飛んでくる攻撃を鎖で弾き返し、"ついでに"永井に向かって来た攻撃も弾いてやる。高速移動のためか、いくぶん双子の攻撃精度は雑になっていた。
「シンクロナイズドプレートメカニクス。早い話、2つのプレートの魔法力の波長を合わせ、シンクロさせることで大幅に力を増す技術。知らなくとも無理は無い。授業で習うような話ではないからな」
それは支部長の嗜みとして図書室から借りたマニアックな魔導書を読むことの多い永井だからこそ知っている知識だった。
「そいつを使えば魔法力を何倍にも高められるってことか?」
「理論上はな……だが現実にそれを実行する難度は生半可ではない。まずシンクロを起こすほど魔法力の波長を合わせること自体が困難。まして絶えず状況が変化し続ける実戦で高倍率の共鳴を起こし続けることはほとんど不可能だと言ってもいい。簡単にできるなら教科書にも乗っているさ」
「だが奴らにはそれが出来る……双子だから」
「そうだ……それもただの双子ではない。恐らくあの二人は、幼い頃から行住坐臥あらゆる行動をシンクロさせることを日常としている。その目的まではわからないが、それが魔法において絶大な効力を発揮しているんだ。一対一なら平凡な力量でも、二対二ならあの双子に勝てる者は三年生にすら滅多にいまい」
深刻な話を他人ごとのように冷静に話す永井だが、その表情に余裕はない。
「じゃあ俺らに勝ち目はないってことなのかよ!?」
「なんとかしてあの二人の思考やテンションにズレを生じさせることが出来ればシンクロは崩せる。だがその方法まではわからん」
「相変わらず肝心なところで役に立たねーやつだ……!」
伊勢は再び鎖に最大出力の魔力を注ぎ、通常の倍以上の大きさへと変化させる。明らかに防御や駆け引きを度外視した攻撃偏重の体勢。永井の頬に冷や汗が流れる。
「馬鹿野郎、また同じ失敗を……!」
「俺に指図するんじゃねえ!!!」
永井が慌てて伊勢の肩を掴み、双子が勝利を確信してニヤついたその瞬間、伊勢の鎖は真下に向かって振り下ろされた。地面への攻撃。爆発的な轟音。瞬間、大きな亀裂が伊勢を中心として全方向に広がる。
「え……!?」
高速で移動する物体は急には止まれない。その上双子は空に浮いているわけではなく、あくまで地面を走っている。その地面に大きな亀裂が走ればどうなるか。巴♂は亀裂に足を取られ、勢い良く宙を舞った。伊勢の顔が妖しく歪む。
「今だ永井! やれ!!」
伊勢の鎖は地面に刺さったまま。ここから鎖を戻して攻撃するよりも、永井に攻撃させたほうが明らかに早い。それをあらかじめ計算に入れた上での指示。自分が指図されるのは嫌でも他人には指図する、それが伊勢聡史!
「す、すまん! 足を取られた」
永井は転んでいた。その左足は見事に亀裂にハマっている。
「~~~~~ッッ……!! これだからてめーはドンくせーんだ……!」
巴♂が着地する。一方巴♀はちょうど伊勢と永井を挟んで反対側の位置でプレートを構えていた。
「ははは、いい不意打ちだったけど所詮君達はそこまでだよ! さあ、次で終わらせてやる!」
「そうでもねえ……」
伊勢は未だ鎖を地面に打ちつけた時の体勢のまま下を向いていた。その伊勢の、ギリギリ髪で隠れていない口の端が釣り上がる。直後、巴♀の背中をゾクリとした悪寒が走ったのと、その足元の地面がひび割れ「何か」が飛び出してきたのはほとんど同時だった。
鎖。
先ほど地面に突き刺さった伊勢の鎖が、巴♀の真下から現れたのだ。当然防御魔法を発動する暇もなく、瞬く間に可憐な少女の全身が鎖に絡め取られる。少女の顔が苦悶に歪む。
「ぐ……!」
「しまった……最初からそっちが目的だったのか!」
巴♂は動揺を隠せない。片方の動きが封じられてしまえばこれまでのような連携攻撃は不可能だ。永井はようやく脚を亀裂から引っこ抜き、伊勢と並んで巴♂を正面に見据え立った。
「やれやれ……そういう事ならちゃんと言え、伊勢」
「てめーに話したら向こうにバレちまうじゃねえか。さあ、さっさと終わらせろ」
「言われるまでもない……!」
ロッキーが更に膨れ上がる。伊勢と同様、小細工抜きのフルパワー攻撃の構え。だが巴♂は冷や汗を流しながらも再び笑みを浮かべる。
「ははは……何か忘れているんじゃないか? この状態でも僕達のプレートのシンクロは崩れていない……。つまり正面切ってのパワー勝負でも君達には負けないってことさ!」
だがそれに対し伊勢が中指を突き立てた。
「じゃあ受けきってみろ……チョコマカ逃げ回らずに正面からな」
「ふん……望むところだ!」
肝心の、攻撃する自分を放っておいて盛り上がる二人に永井はちょっと微妙な気分になりながらもロッキーに全魔力を注ぎ終える。これで勝てなければ力ではどうやっても勝てない。
「頼んだぞ……相棒!」
《任せろってんだああああああああ!!!》
ロッキーが高く宙に浮き上がる。相手を見下ろす位置から最高のスピードで突進するつもりなのだ。だがいざ飛び出そうとする瞬間、ロッキーの右腕に何かが巻き付いた。
再び鎖である。
「伊勢……?」
伊勢は左手に握った鎖で巴♀を拘束し、残った右手からもう一本の鎖を伸ばしてロッキーの右腕に巻きつけていた。
「フン! これで負けたら俺のプライドもコケにされちまうからな。てめーのあの貧相な骸骨だけには任せておけねーよ」
「言ってくれる……」
永井が微かに笑う。鎖は今や西洋鎧の手甲のように、ロッキーの腕を力強く覆っていた。これは理に適っている、と永井は思った。巴ツインズのようにプレートをシンクロさせるのは高度すぎる技だが、単に個々の魔法を組み合わせて補強するだけなら授業でも習う応用技術の範疇だ。とはいえ普通なら連携のための訓練を一切していない永井・伊勢コンビにぶっつけ本番で出来ることではない。だが不思議と永井は失敗する気がしなかった。むしろさっきまで感じていたプレッシャーがぐんと軽くなったかのようだ。これもまたコンビネーションの一つの形だろう。
「行くぞ伊勢……」
「とっととしろ」
《おおおおおおおおおっっっっらああ!!!!》
ロッキーが弾けるように飛び出した。斜め下の少年に向かって、矢のような速度で。巴♂はプレートを両手でロッキーに向かって突き出し、最高出力のシールドを発生させる。
(くっ……落ち着け僕が負けるはずがない……僕達のパワーがあんな小手先の技で超えられるわけがない……あいつらは急造コンビ、犬猿の仲、僕達のシンクロの真似事なんてできるはずがないんだ僕達はあいつらと僕達は違うんだ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘……)
シールドが砕けた。
ロッキーの拳が華奢な少年を撃ち抜き、少年はきりもみしながら宙を舞った。
(………………)
(…………)
(……)
伊勢は鎖に束縛されたままの巴♀の方を振り返り、興味無さげに言った。
「続けるか?」
少女は首を横に振る。
「いいえ……あたしたちの負けよ」
直後、鎖がフッと消え伊勢の手の平の小さなアクセサリーに戻った。永井が大きく息をつく。
「あーらら……この展開は予想してなかったなー」
望月がのんきな声でそう呟いた。とてもショックを受けているようには見えない。望月は倒れた巴♂に近づき、引っ張り起こす。少年は少し顔を歪めたが自分の足で立つことができた。
「まあ体のダメージは大したことないみたいね。さすがいい防御魔法使っているだけあるじゃない。ちょっと治療すりゃすぐ治るでしょ」
「済まない、悠理さん」
「ハイハイ」
「さあ茶番は終いだ」
伊勢が望月の目の前にズイッと割りこんだ。男子の中でも体格が良いだけに、この二人の間に立つと頭一つ分近くサイズが違う。
「例の大会の出場は考え直すんだよな」
「はい? なんで?」
「なんでっててめー、俺が勝ったら……」
「それは伊勢くん一人で勝ったらの話でしょ。助っ人アリだなんて聞いてないよ」
「ぐ……!」
「それとも伊勢くん、約束反故にしておねだりしちゃうようなプライドのない人だったの?」
「て、てめー……!」
伊勢の血管がプチプチと切れる。だがいつの間にかロッキーを仕舞っていた永井が伊勢の肩に手を置く。
「諦めろ伊勢。こういう相手だ」
「ち……!」
「それはそうと望月さん、校則違反は校則違反だ。反省文は書いてもらう」
望月は耳の穴をほじりながらやる気無さそうに返事をする。
「ああ反省文ね。会議室に百枚ぐらいストック置いてあるから、適当に三枚見繕って持ってってよ」
「…………!!!」
今度は永井の顔が歪む。
「諦めろ永井。こういう女だ」
そして伊勢がなだめる。
「ま、伊勢くんが壊した校舎の修復はこっちで受け持つからさ。それでトントンでしょ?」
「ち……口の回るやつだ。行こうぜ永井。こんなヤツ相手にするだけ時間の無駄だ」
伊勢が踵を返し歩き出す。永井はまだ望月を睨んだままだった。
「一つだけ教えてくれ望月さん。あの聖凪杯という大会、君は一体何が目的なんだ?」
望月は薄い笑みを動かさない。
「あの大会は君が企画し、先生たちに掛けあって開催許可を得たと聞いている。その上自分でも出場するつもりとなると……何か裏の意図があるはずだ、必ず」
「さあね……もしそんな物があったとして、聞かれてそうよと教えるわけないじゃない」
「だろうな」
永井もまた踵を返した。
「だがこれだけは言っておく。もし君の企みが、聖凪高校や学園生に危害を及ぼすものだった時は……俺達執行部が力ずくでもそれを止める」
「勝手に俺を含めんじゃねーよ……」
伊勢のボヤキを無視して永井は歩き出す。夕日に照らされる二人の男の背中はなんとも力強いものだった。
二人が扉の向こうに去って行ったのを確認した望月は、赤い空を眺めながらケータイをいじって誰かに電話をかける。
「ああもしもし? あたしだけど、ごめんちょっと邪魔が入っていいところから聞けなかったんだ。簡単にまとめてくれない? …………ふーん、ふんふん……。あはは、二重人格? それ面白いなあ、いい発想してるよその子! よっぽど九澄くんの事が好きなんだろうねえ……。ごくろーさん、これからも何かいい情報あったらよろしくね。
……影沼くん」
「さて……どうカタをつける?」
伊勢聡史がポケットに両手を突っ込みながら首を鳴らす。彼の横に並ぶ永井龍堂は浅く腰を落とし戦闘態勢に入った。
「遊ぶつもりはない……フルパワーで一気に終わらせる」
元より永井は戦いを楽しむような男ではない。魔法執行部の責務は圧倒的な力でもって校内の揉め事を迅速に制圧することであり、永井はそれに最も長けた男だ。だが二年生最強と謳われる二人と対峙する双子はなおも落ち着いたままだった。
「聞いたかい? フルパワーで一気に……だってさ」
「この期に及んで何も学習していない……。がっかりさせてくれるね」
双子は同じ仕草でクスクスと笑う。伊勢は赤色混じりの唾を吐き捨てた。
「気色悪い奴らだぜ……」
「あまりいきり立つな。冷静さを失いがちなのがお前の弱点だ」
永井の忠告は伊勢のプライドをやみくもに刺激するものだったが、今の伊勢は落ち着いていた。理由ははっきりしている。負ける気がしないのだ。永井との決着は目の前のウザい三人を叩き潰してからでいい。静かな、しかし強力な闘志が伊勢の腹の奥で沸々と煮えたぎっていた。
「頼むぞロッキー……!」
永井が呟く。
《待ちくたびれたぜえええええええ!!!!》
永井の声に応えたのは低く不気味な叫び声。永井の帽子に描かれたドクロが一気に膨れ上がる。飛び出した頭骨からめきめきと体が生えていき、死神のように禍々しい姿にへと変わっていく。永井の、ひいては二年生全生徒における最強魔法ロッキーカーニバル。消費MP、パワー、いずれも二年生の枠を超えた恐るべきレベルの大魔法だ。永井はこの強力魔法を使うために日常的に思考の一部をロッキーに「喰わせて」いる。ロッキーは術者の心を「喰う」ことで、魔法が発動していない平時においても独自の自我を保ち、知恵と知識を自ら身に付ける。リスクは決して小さくないが、口下手な永井にとってロッキーが時として勝手に喋って相手を威圧してくれるのは有用ではあった。もっとも最近はもっぱらロッキーには喋らせていなかったが。
「いざ間近で見ると」「すごい魔法だね」「怖い怖い」
ちっとも怖がっているようには見えない双子がそれぞれ斜め前方に飛び出す。伊勢と永井を挟み込むポジションを取るつもりだ。
「そううまく行かせるかよ……!」
伊勢は再び鎖を巨大化させ、自分から見てより近い巴♀に投げつけた。ほぼ同時にロッキーが巴♂を襲う。永井伊勢コンビの暗黙の作戦は双子を分断しそれぞれが各個撃破することだった。個々の魔法力では完全にこちらが上。タイマン×2に持ち込めば負ける道理はない。
その時永井は違和感に気付いた。巴♂が笑っている。完全にこちらの出方を読んだ上で勝ちを確信している顔。なぜ。
ロッキーの腕が巴♂に向かって振り下ろされる。ロッキーはその重そうな外見とは裏腹に動きの速さも半端ではない。絶対に躱せないタイミング。
瞬間、巴♂が加速した。ロッキーの手は空を切り地面にめり込む。永井がめまぐるしく動く巴♂を目で追おうとするが、その速さは常人の動体視力を超えていた。
「く……追え! ロッキー!」
《こいつチョコマカしやがってええええええ!!!!》
ロッキーが叫びと共に飛び出すが、牛が鳥を追い回すかのような機動力の違い故に全く捉えることができない。彼我のスピード差は歴然だった。
(なんだ……こいつの動きは……?)
重大な違和感。スピードに特化した魔法――例えば強化したスケボーに乗るなど――を使えば、このレベルの速さも実現可能だ。だが伊勢の魔法を真っ向から弾き返すパワーとこれだけのスピードを兼ね備えるとはどういうことなのか。一体どうやってこれほどの魔法力を得ているのか。
(まさかこれは……いや、今はそんな事を考えている場合ではない)
永井は迷いを押し込めながらロッキーに指示を出し、相手をコーナーに追い詰める作戦を選択する。相手が動く場所を先読みし、そこを塞ぐ。そして逃げようのない袋小路へ追い込んでいく。速さで劣るなら劣るなりの戦い方を。永井のキャリアに裏打ちされた戦術。
「いける……もうすぐ!」
永井の拳に力がこもる。だがその瞬間永井は後ろからの衝撃に吹き飛ばされてしまう。
「うおっ!!??」
かろうじて受身をとり転げまわる永井。この痛みには覚えがあった。これは敵の攻撃というよりも。
「てめー! 俺の鎖の行く道を塞いでんじゃねーよ!!」
ちっとも悪びれていない顔で伊勢が悪態をつく。そう、今のは伊勢の攻撃の巻き添えを食らったのだ。
「く……っ。いいところだったのにお前は……」
永井も言葉を返す。一瞬二人は睨み合うが、すぐにそれどころではないと思い直して背を向けあう。
「こいつら二人共ハエみてーにちょこまか動きまわりやがって……! 攻撃が当たりやしねー」
伊勢が歯ぎしりした。永井と伊勢を囲う形になったツインズは更に速度を速めて周囲を高速回転しだす。
「まったく最悪のコンビだね」「連携も何もなっちゃいない」「こちらはいよいよ」「本領発揮と行こうか」
ただ同じ場所を回っているだけではない。時には上を飛び、時には内側に切り込みながら攻撃を加える。高速にして立体的な縦横無尽のコンビネーション。今まで二人が戦ってきたどんな相手とも異なる戦術。
「やべーぞ、こいつはさっきと同じパターンだ……。奴らこのままチクチク刺し続けて俺らを根負けさせるつもりだぜ」
「歓迎しがたい展開だな……」
二人はそれぞれがジリジリと退がりほとんど背中をくっ付け合う体勢になる。ロッキーはもちろんまだ召喚されたままだが、もはやこれほどスピード差が広がると攻撃を仕掛けることも困難だ。こちらから動けば確実にその隙を突かれてしまう。だが永井は、不利を自覚しながらも冷静に戦局を分析し、ついにツインズの強さの秘密に思い当たった。ほのかに見慣れない光を帯びる双子の魔法プレート。それが決め手だった。
「やはりそうか……。聞け伊勢、奴らの強さの鍵は"シンクロナイズドプレートメカニクス"だ」
「シンクロ……? なんだそりゃ水泳か?」
伊勢は眉をしかめながら飛んでくる攻撃を鎖で弾き返し、"ついでに"永井に向かって来た攻撃も弾いてやる。高速移動のためか、いくぶん双子の攻撃精度は雑になっていた。
「シンクロナイズドプレートメカニクス。早い話、2つのプレートの魔法力の波長を合わせ、シンクロさせることで大幅に力を増す技術。知らなくとも無理は無い。授業で習うような話ではないからな」
それは支部長の嗜みとして図書室から借りたマニアックな魔導書を読むことの多い永井だからこそ知っている知識だった。
「そいつを使えば魔法力を何倍にも高められるってことか?」
「理論上はな……だが現実にそれを実行する難度は生半可ではない。まずシンクロを起こすほど魔法力の波長を合わせること自体が困難。まして絶えず状況が変化し続ける実戦で高倍率の共鳴を起こし続けることはほとんど不可能だと言ってもいい。簡単にできるなら教科書にも乗っているさ」
「だが奴らにはそれが出来る……双子だから」
「そうだ……それもただの双子ではない。恐らくあの二人は、幼い頃から行住坐臥あらゆる行動をシンクロさせることを日常としている。その目的まではわからないが、それが魔法において絶大な効力を発揮しているんだ。一対一なら平凡な力量でも、二対二ならあの双子に勝てる者は三年生にすら滅多にいまい」
深刻な話を他人ごとのように冷静に話す永井だが、その表情に余裕はない。
「じゃあ俺らに勝ち目はないってことなのかよ!?」
「なんとかしてあの二人の思考やテンションにズレを生じさせることが出来ればシンクロは崩せる。だがその方法まではわからん」
「相変わらず肝心なところで役に立たねーやつだ……!」
伊勢は再び鎖に最大出力の魔力を注ぎ、通常の倍以上の大きさへと変化させる。明らかに防御や駆け引きを度外視した攻撃偏重の体勢。永井の頬に冷や汗が流れる。
「馬鹿野郎、また同じ失敗を……!」
「俺に指図するんじゃねえ!!!」
永井が慌てて伊勢の肩を掴み、双子が勝利を確信してニヤついたその瞬間、伊勢の鎖は真下に向かって振り下ろされた。地面への攻撃。爆発的な轟音。瞬間、大きな亀裂が伊勢を中心として全方向に広がる。
「え……!?」
高速で移動する物体は急には止まれない。その上双子は空に浮いているわけではなく、あくまで地面を走っている。その地面に大きな亀裂が走ればどうなるか。巴♂は亀裂に足を取られ、勢い良く宙を舞った。伊勢の顔が妖しく歪む。
「今だ永井! やれ!!」
伊勢の鎖は地面に刺さったまま。ここから鎖を戻して攻撃するよりも、永井に攻撃させたほうが明らかに早い。それをあらかじめ計算に入れた上での指示。自分が指図されるのは嫌でも他人には指図する、それが伊勢聡史!
「す、すまん! 足を取られた」
永井は転んでいた。その左足は見事に亀裂にハマっている。
「~~~~~ッッ……!! これだからてめーはドンくせーんだ……!」
巴♂が着地する。一方巴♀はちょうど伊勢と永井を挟んで反対側の位置でプレートを構えていた。
「ははは、いい不意打ちだったけど所詮君達はそこまでだよ! さあ、次で終わらせてやる!」
「そうでもねえ……」
伊勢は未だ鎖を地面に打ちつけた時の体勢のまま下を向いていた。その伊勢の、ギリギリ髪で隠れていない口の端が釣り上がる。直後、巴♀の背中をゾクリとした悪寒が走ったのと、その足元の地面がひび割れ「何か」が飛び出してきたのはほとんど同時だった。
鎖。
先ほど地面に突き刺さった伊勢の鎖が、巴♀の真下から現れたのだ。当然防御魔法を発動する暇もなく、瞬く間に可憐な少女の全身が鎖に絡め取られる。少女の顔が苦悶に歪む。
「ぐ……!」
「しまった……最初からそっちが目的だったのか!」
巴♂は動揺を隠せない。片方の動きが封じられてしまえばこれまでのような連携攻撃は不可能だ。永井はようやく脚を亀裂から引っこ抜き、伊勢と並んで巴♂を正面に見据え立った。
「やれやれ……そういう事ならちゃんと言え、伊勢」
「てめーに話したら向こうにバレちまうじゃねえか。さあ、さっさと終わらせろ」
「言われるまでもない……!」
ロッキーが更に膨れ上がる。伊勢と同様、小細工抜きのフルパワー攻撃の構え。だが巴♂は冷や汗を流しながらも再び笑みを浮かべる。
「ははは……何か忘れているんじゃないか? この状態でも僕達のプレートのシンクロは崩れていない……。つまり正面切ってのパワー勝負でも君達には負けないってことさ!」
だがそれに対し伊勢が中指を突き立てた。
「じゃあ受けきってみろ……チョコマカ逃げ回らずに正面からな」
「ふん……望むところだ!」
肝心の、攻撃する自分を放っておいて盛り上がる二人に永井はちょっと微妙な気分になりながらもロッキーに全魔力を注ぎ終える。これで勝てなければ力ではどうやっても勝てない。
「頼んだぞ……相棒!」
《任せろってんだああああああああ!!!》
ロッキーが高く宙に浮き上がる。相手を見下ろす位置から最高のスピードで突進するつもりなのだ。だがいざ飛び出そうとする瞬間、ロッキーの右腕に何かが巻き付いた。
再び鎖である。
「伊勢……?」
伊勢は左手に握った鎖で巴♀を拘束し、残った右手からもう一本の鎖を伸ばしてロッキーの右腕に巻きつけていた。
「フン! これで負けたら俺のプライドもコケにされちまうからな。てめーのあの貧相な骸骨だけには任せておけねーよ」
「言ってくれる……」
永井が微かに笑う。鎖は今や西洋鎧の手甲のように、ロッキーの腕を力強く覆っていた。これは理に適っている、と永井は思った。巴ツインズのようにプレートをシンクロさせるのは高度すぎる技だが、単に個々の魔法を組み合わせて補強するだけなら授業でも習う応用技術の範疇だ。とはいえ普通なら連携のための訓練を一切していない永井・伊勢コンビにぶっつけ本番で出来ることではない。だが不思議と永井は失敗する気がしなかった。むしろさっきまで感じていたプレッシャーがぐんと軽くなったかのようだ。これもまたコンビネーションの一つの形だろう。
「行くぞ伊勢……」
「とっととしろ」
《おおおおおおおおおっっっっらああ!!!!》
ロッキーが弾けるように飛び出した。斜め下の少年に向かって、矢のような速度で。巴♂はプレートを両手でロッキーに向かって突き出し、最高出力のシールドを発生させる。
(くっ……落ち着け僕が負けるはずがない……僕達のパワーがあんな小手先の技で超えられるわけがない……あいつらは急造コンビ、犬猿の仲、僕達のシンクロの真似事なんてできるはずがないんだ僕達はあいつらと僕達は違うんだ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘……)
シールドが砕けた。
ロッキーの拳が華奢な少年を撃ち抜き、少年はきりもみしながら宙を舞った。
(………………)
(…………)
(……)
伊勢は鎖に束縛されたままの巴♀の方を振り返り、興味無さげに言った。
「続けるか?」
少女は首を横に振る。
「いいえ……あたしたちの負けよ」
直後、鎖がフッと消え伊勢の手の平の小さなアクセサリーに戻った。永井が大きく息をつく。
「あーらら……この展開は予想してなかったなー」
望月がのんきな声でそう呟いた。とてもショックを受けているようには見えない。望月は倒れた巴♂に近づき、引っ張り起こす。少年は少し顔を歪めたが自分の足で立つことができた。
「まあ体のダメージは大したことないみたいね。さすがいい防御魔法使っているだけあるじゃない。ちょっと治療すりゃすぐ治るでしょ」
「済まない、悠理さん」
「ハイハイ」
「さあ茶番は終いだ」
伊勢が望月の目の前にズイッと割りこんだ。男子の中でも体格が良いだけに、この二人の間に立つと頭一つ分近くサイズが違う。
「例の大会の出場は考え直すんだよな」
「はい? なんで?」
「なんでっててめー、俺が勝ったら……」
「それは伊勢くん一人で勝ったらの話でしょ。助っ人アリだなんて聞いてないよ」
「ぐ……!」
「それとも伊勢くん、約束反故にしておねだりしちゃうようなプライドのない人だったの?」
「て、てめー……!」
伊勢の血管がプチプチと切れる。だがいつの間にかロッキーを仕舞っていた永井が伊勢の肩に手を置く。
「諦めろ伊勢。こういう相手だ」
「ち……!」
「それはそうと望月さん、校則違反は校則違反だ。反省文は書いてもらう」
望月は耳の穴をほじりながらやる気無さそうに返事をする。
「ああ反省文ね。会議室に百枚ぐらいストック置いてあるから、適当に三枚見繕って持ってってよ」
「…………!!!」
今度は永井の顔が歪む。
「諦めろ永井。こういう女だ」
そして伊勢がなだめる。
「ま、伊勢くんが壊した校舎の修復はこっちで受け持つからさ。それでトントンでしょ?」
「ち……口の回るやつだ。行こうぜ永井。こんなヤツ相手にするだけ時間の無駄だ」
伊勢が踵を返し歩き出す。永井はまだ望月を睨んだままだった。
「一つだけ教えてくれ望月さん。あの聖凪杯という大会、君は一体何が目的なんだ?」
望月は薄い笑みを動かさない。
「あの大会は君が企画し、先生たちに掛けあって開催許可を得たと聞いている。その上自分でも出場するつもりとなると……何か裏の意図があるはずだ、必ず」
「さあね……もしそんな物があったとして、聞かれてそうよと教えるわけないじゃない」
「だろうな」
永井もまた踵を返した。
「だがこれだけは言っておく。もし君の企みが、聖凪高校や学園生に危害を及ぼすものだった時は……俺達執行部が力ずくでもそれを止める」
「勝手に俺を含めんじゃねーよ……」
伊勢のボヤキを無視して永井は歩き出す。夕日に照らされる二人の男の背中はなんとも力強いものだった。
二人が扉の向こうに去って行ったのを確認した望月は、赤い空を眺めながらケータイをいじって誰かに電話をかける。
「ああもしもし? あたしだけど、ごめんちょっと邪魔が入っていいところから聞けなかったんだ。簡単にまとめてくれない? …………ふーん、ふんふん……。あはは、二重人格? それ面白いなあ、いい発想してるよその子! よっぽど九澄くんの事が好きなんだろうねえ……。ごくろーさん、これからも何かいい情報あったらよろしくね。
……影沼くん」
2012年7月17日火曜日
エムゼロEX 11
第十一話 伊勢聡史vs巴ツインズ
執行部に黒髪ロングの男子がいるということなど観月は知らなかった。しかも九澄と同じC組。顔を見たことぐらいはあるはずだが、よほど影が薄いのか、単に観月が九澄しか見ていなかっただけか。多分両方だろう。二人は氷川に仲介してもらい学校の図書室で落ち合った。その男子は暗い雰囲気ながら人畜無害な印象を受けたので観月はほっと胸をなでおろした。もし小石川のような粗暴な男だったら即座に立ち去っていたところだ。
「九澄のことで話があるんだって?」
「うん……その……すごくおかしな話なんだけど……単なる妄想と思われるかもしれないけど……聞いてほしいの。そして出来れば意見を聞かせてほしい。もちろん誰にもこのことを喋らないって約束で」
その男子、影沼次郎はしばらく考えてからこう切り出した。
「それって九澄が魔法を使いたがらないことと関係があるの?」
「どうしてわかったの!?」
観月は思わずガタンと立ち上がった。影沼は目を丸くしたが、口を手で覆って話を再開する。
「僕もそのことについては考えていたんだ。九澄の強さの秘密が知りたくて……彼を観察していたらふと気がついた。彼は滅多に魔法を使わない……。九澄が魔法の濫用を嫌っているのは誰でも知っている。だけど身近で観察すればするほど、少しずつだけど確実に、不自然に思えてきた……」
影沼は慎重に言葉を選んでいるようだった。少し目を泳がせてから核心に触れる。
「もしかしたら彼は魔法を使わないのではなく、使えない理由があるのかもしれない」
観月はゴクリとつばを飲み込んだ。自分と同じ考えに至った人間が存在したことが、驚きであると同時に安堵の気持ちもあった。少なくとも自分だけがイカれているというわけではないのだ。
――その時影沼は話を続けながら机の下で携帯を操作していた。観月がそれに気付くことはなかった。
「だけどこの仮説には致命的な欠陥があるんだ。彼は現に魔法を使ったことがある。僕や他のクラスメイトの目の前で。この事実はどうしたって動かせないものだ。『使える』のに『使えない』、そんなことが果たしてあり得るものだろうか。僕にはこの矛盾を解く鮮やかなアイディアなんてない。だけど一つ考えていることがある。それは彼のゴールドプレートは完全なものではなく何らかの制限があるのではないか? ということなんだ。例えば一日一度しか使えない。例えばMPが非常に少ない。例えば特定の条件を満たした時にしか発動しない……。一年生である彼にゴールドプレートを与えるなら、むしろそうした制約がある方が自然ではないかと僕は考えた」
観月は知らないが、影沼にとってこれは一日の平均会話量に匹敵するほどの長文である。しかし彼女はそんな事よりも話の内容に引き込まれた。自分では至らなかった考察を含んでいるのだから無理もない。そして同時に影沼が持たない情報を観月は持っていた。
「あの……その『特定の条件』について、ひとつ考えがあるの。それについてどう思うか聞かせて欲しい」
観月は一文一文頭を整理しながらゆっくりと話し始めた。
####
校舎の屋上は魔法バトルのメッカである。もちろん校則では禁止行為と定められているが、揉め事を力で解決するならこの場所というのが聖凪高校に古くから伝わる伝統なのだ。その場所で伊勢聡史は巴ツインズと対峙していたが、彼の視線は双子の後ろでイヤフォンに気を取られている望月悠理に向いていた。
「……おいこら、これから決闘だってのに、一体何聞いてんだてめーは」
「えーっ、あたしが戦うわけじゃないんだし、別にいいじゃない。これからいい所なんだけどな」
「下らねーこと言ってんじゃねえ。まともに観戦する気がないならとっとと失せろ」
望月はやれやれと肩をすくめてイヤフォンを外しポケットに仕舞った。それから前方の双子に目配せする。
「ルールは……まあなんでもいいか。あんまり大怪我させないようにしてね」
「うん」「わかった」
双子が同時にうなずく。伊勢はまたしてもイラッとしたが、腹の中は既に冷静だった。伊達に場数を踏んではいない。
「もう始まってるんだよな」
伊勢はポケットからアクセサリーのシルバーチェインを出し、それを巨大化した。伊勢の最も得意とする魔法、入学当初からの十八番、それが物体強化魔法を施した鎖による攻撃である。通常、物体強化魔法は対象物を限定しないが、それに対する愛着や馴染みが強い物ほど効果は大きくなる。津川のスケボーがわかりやすい例だ。伊勢にとって、中学時代から愛用しているシルバーチェインはまさにうってつけの武器だった。
(だがここまでは従来通り……ここからが対九澄用スペシャルだ!)
巨大化した鎖がみるみる形状を変えていく。それはあたかも樹木の成長を数秒に圧縮しているかのような急激な変化だった。瞬く間に鎖は四本に枝分かれしそれぞれが独自の意思を持つかのように動き出す。
(四つ首の龍〈フォーヘッズドラゴン〉、それがこの技に俺が与えた名!! 竜の首に見立てたそれぞれの鎖を自在に操り、あらゆる角度から同時に攻撃する!! 九澄は謎の防御魔法によって魔法を消去する! だがこの技は予測不能!! 反応不能!! 全方位から襲い来る四本の首を同時に消すことなどできやしねえ!!! そして一方でこの魔法は対複数戦においても最高の武器!!)
伊勢は左右の腕を交差する形に振り下ろす。四本の鎖が弾かれたように一斉に飛び出し巴ツインズに襲いかかる。双子はギリギリのタイミングでそれぞれ左右に跳びそれらを躱す。
「甘え!!!」
鎖は二本づつに分かれ双子に迫る。双子は二人同時に魔法プレートを構えた。何らかの防御魔法を使おうとしているのだ。
「そんな小細工は通用しねーぞ!!」
鎖の先端部は直径一メートルはある金属の塊だ。まともに食らえば悶絶と打撲は免れない。並外れた頑丈さを誇る九澄でさえ一撃で大ダメージを負ったのだ。だが巴♂はその鎖が目前に迫った瞬間、薄く微笑んだ。
ガキンという大きな衝突音。伊勢の耳が痛む。だがそれ以上に目の前の光景に伊勢は目を見開いた。
防がれている。
二首の龍は巴♂の魔法シールドによって完全に弾かれていた。伊勢は咄嗟に逆方向に目を向ける。全く同じ現象。巴♀の目の前でヒビの入った鎖が舞っていた。
「凄い凄い」「だけどこの程度じゃあ」「僕達の防御は」「破れない」
(馬鹿な……!!)
四本が二本になったところでそのパワーは並の二年生レベルの全力を凌駕する。それを単なる魔法シールドで完璧に弾くなど。相手の魔法力の方が上ならともかく、二人共プレートの格ははっきりと伊勢より下なのだ。だが伊勢は、その時双子のプレートが微かに見慣れない光を放っていたことに気付かなかった。
(くっ……そんなはずはねえ!!)
伊勢は手を掲げて鎖を呼び戻す。四本の鎖は伊勢の頭上でらせん状に高速回転し、融合、一本の巨大な鎖に変化する。
(四本同時に操るのはまだ訓練不足だったか? 気付かねーうちに一つ一つのパワーが計算より落ちていたのかもしれねーな……この際フルパワーの一撃で一人ずつ叩き潰してやる!!)
鎖の先端は二メートルを越す金属球に変化する。生身で食らえば即死しかねない程の強大なパワーがそこには宿っていた。それは伊勢が腕を振り下ろすと同時に大砲のような勢いで巴♂に迫る。
巴♂は避けようとはしなかった。両手を前に突き出し、その前方にプレートを浮かせる。明らかに防御魔法で真向から受け止める構えだ。失敗すればただの怪我ではすまない。
(正気か!? パワーの違いぐらいわかってんだろう!?)
伊勢は勢いを弱める気はなかった。それがバトル。たとえ負けて重体になったとしてもそれは弱い者の責任。
鎖の先端と巴♂のプレートが衝突する。耳を裂かんばかりの轟音。
その直後伊勢が見た物は、制御を失って無残に宙を舞う己の武器の成れの果て。
(馬鹿……な……)
(俺の全力の一撃が……)
(二年かけて磨き上げた……俺の最強の技が……)
伊勢が茫然自失となっていたのはほんの一瞬だった。
なぜなら伊勢の背中を、鋭い激痛が襲ったからだ。苦痛に顔を歪めながらなんとか後ろを向いた伊勢が見た物は、巴♀の小憎らしい微笑。隙だらけだった伊勢の背中には魔法で強化されたボールペンが刺さっていた。
「後ろが」「がら空きだよ」
「う……うおおおおおおっ!!!」
伊勢は鎖のコントロールを取り戻し、全力で振り回す。ヒビ割れたとはいえまだ大きなパワーを持つそれを、しかし巴♀もまた簡単に弾いてしまう。同時に再び背中への衝撃。伊勢はバランスを崩し膝をつく。
(俺が……こんな奴らにいい様にあしらわれているってのかよ!!)
まだ新しい魔法を使うだけのMPは残っている。だが伊勢の精神は既に冷静さを失っていた。通用しない。パワーで自分より劣るはずの相手に、戦術以前の力勝負で負けている。その事実はあまりに深刻だった。
ツインズが同時に遠距離攻撃魔法を放つ。複数の角度から襲い来る防御不能の攻撃。伊勢がやろうとしていたことを今相手にやられていた。伊勢は地面を転がりかろうじてそれらを躱す。更になんとか不利な立ち位置から逃れようとするが、ツインズは正確に伊勢を挟み撃ちにするポジションを保ちつつ攻撃を続ける。フェイントと、死角からの本命攻撃。あるいはフェイントと見せかけての正面攻撃。すべての行動が滑らかに繋がる合理的な組み立て。明らかに連携戦闘の訓練を積んだ動きだ。そのような相手に対して伊勢は対処のための知識も経験も持たない。聖凪の授業において魔法による連携を専門的に学習することはないのだ。
(こいつら……なんのサインもなしに完璧なチームプレイをやりやがる。今までに俺が倒してきた相手とはコンビネーションの練度が全く違う!)
鎖を体の周囲で回転させ、動的な盾のように使い致命傷を防ぐ伊勢だったが、体のあちこちに浅い生傷が刻み込まれていく。誰の目にもジリ貧は明らかだった。その様子を眺める望月は楽しそうに目を細める。
(ふふ……双子ならではの完璧なコンビプレイ、それだけでもあの二人は厄介極まりない……。だけど彼らの強さにはもうひとつ"からくり"がある……。プレートのレベル差を埋め合わせて余りあるその"からくり"がわからない限り……あなたに勝ち目はないわよ、伊勢くん)
追い詰められた伊勢の、それでも恐怖を押し込め闘争心を絞り出そうとする必死の表情を見て望月はゾクゾクとした嗜虐心を覚えた。
(ああ……こんな事ならあたしが傷めつけてあげれば良かった……ねえ伊勢くん、それで終わり? 違うでしょう、伊勢くん?)
(クソッタレ、このままじゃ……ここで、こんな所で負けるっていうのかよ!?)
「負けられねえ……!」
痛みで力が抜けそうになった脚に活を入れ、踏み込む。睨みつける相手は余裕綽々の巴♂。再び鎖に限界近い魔法力を注ぎ込み、振りかぶる。
「ブッ!! コロ!!! ス!!!!」
咆哮。鎖を、投げる。
刹那、伊勢の両足が重力を失う。伊勢が思い切り踏み込んだその瞬間を狙って、巴♀が背後から脚を払ったのだ。武器は魔法によって強化延長されたスカーフ。完璧な不意打ち、伊勢は受け身を取ることもできず豪快に転ぶ。
「これで」「決まりだね」
双子が同時に上空へと小石を投げる。2つの小石は伊勢の真上で巨大化し、真っ直ぐに落下していく。
「クソッ……タレ……」
(もう間に合わない)
(下敷き)
(敗北)
(惨めに)
(負け)
暗転。
ズズンという重い轟音が響き、静寂が戻ると共に双子が戦闘状態を解いた。完全なる勝利。このあと必要なのは伊勢の治療だけ。
だが望月は双子とは違う場所を向いていた。
その視線の先で、一人の男が肩に一人の男を抱えていた。
「ケッ……てめーに助けられるたァ人生最悪の一日だぜ……」
伊勢がぼやいた。伊勢を抱えるは長髪にバンダナ姿の優男。
「相変わらずだなお前は……礼ぐらいはちゃんと言え」
永井龍堂。
伊勢聡史のかつての仲間にして現ライバル。そして魔法執行部支部長を勤める男がそこにいた。永井は真っ直ぐに望月を見据える。
「"これ"は明白な校則違反だ……生徒会長であっても例外ではない。わかっているよな」
望月は少しもたじろがずにクスリと笑う。
「そうね……とっ捕まえてみる?」
「そうさせてもらう」
「そうは」「いかない」
双子が立ち塞がる。
「……っておい永井。とっとと降ろしやがれ」
そう言うと伊勢は永井を自分で振りほどいた。永井は伊勢を心配そうに見やる。一つ一つの怪我は深くないが、痛々しいほど多数の傷が体のあちこちに残っていたのだ。
「怪我は大丈夫なのか?」
「こんなもん全然大したことねーよ。だいたい何だてめー、俺がこんだけ苦戦した相手に一人で勝つつもりかオイ!」
「……それが支部長としての俺の勤めだ」
伊勢の血管がピクピクと浮き立つ。
「そういうスカした態度が気に入らねーつってんだよ俺は!!」
伊勢は永井の襟を掴みまくし立てた。永井は眉間にシワを寄せ苦々しい表情で伊勢から目を逸らす。
「……お前はそれでいいのか?」
「あァ?」
「前に言ったはずだ……お前はまだ執行部の一員だと。それがまたこんな所で喧嘩をして……いつまで一人で突っ張っているんだ」
「…………!!」
「俺は……俺の任務を果たす。それがどんなに困難であろうとも……それが俺の仕事であり、俺の誇りだ」
永井は伊勢に背を向け、双子と望月を見据え一歩前に踏み出した。その背中にかつての、実力に見合わずいつも自信無さげに振舞っていた頃の面影はない。
「だがお前がそれを理解できないというのなら……大人しく退がっていろ」
「……待てよオイ!!」
伊勢が永井の肩を掴んだ。
「いつもいつもそうやって格好つけて一人で背負い込みやがって……! 俺が一番気に入らねーのはあのクソ女なんかじゃねー! てめーなんだよ!」
伊勢の唇はわずかに震えていた。言いたいことは腐るほどある。だが言葉にならなかった。唯一つ、今言うべきことがあった。
「今回だけだ……! 今回だけはてめーに手を貸してやる!」
「ああ……そうしてくれると助かる」
永井は安心したようにつぶやく。
「ケッ……」
伊勢は肩を掴んでいた手を放り出し、ポケットに両手を突っ込んで永井の横に踏み出た。
永井龍堂と伊勢聡史、二年生最強と謳われる二人が並び立つ。かつて一年生の間で無敵コンビと呼ばれたデュオの一年ぶりの復活劇。事情を知る者なら何かを感じずにはいられない光景だ。
いつしか伊勢の体からは疲労とダメージが消え去っていた。ただ怒りと闘志だけがみなぎる。永井もまた、これまでになく血が滾るのを感じていた。
「秒殺で行くぞ!!」
伊勢が叫んだ。
「おう!!」
永井が応えた。
双子は微笑を崩さないが、その頬に冷や汗が流れる。
第二ラウンド、伊勢聡史・永井龍堂vs巴ツインズ、開幕。
執行部に黒髪ロングの男子がいるということなど観月は知らなかった。しかも九澄と同じC組。顔を見たことぐらいはあるはずだが、よほど影が薄いのか、単に観月が九澄しか見ていなかっただけか。多分両方だろう。二人は氷川に仲介してもらい学校の図書室で落ち合った。その男子は暗い雰囲気ながら人畜無害な印象を受けたので観月はほっと胸をなでおろした。もし小石川のような粗暴な男だったら即座に立ち去っていたところだ。
「九澄のことで話があるんだって?」
「うん……その……すごくおかしな話なんだけど……単なる妄想と思われるかもしれないけど……聞いてほしいの。そして出来れば意見を聞かせてほしい。もちろん誰にもこのことを喋らないって約束で」
その男子、影沼次郎はしばらく考えてからこう切り出した。
「それって九澄が魔法を使いたがらないことと関係があるの?」
「どうしてわかったの!?」
観月は思わずガタンと立ち上がった。影沼は目を丸くしたが、口を手で覆って話を再開する。
「僕もそのことについては考えていたんだ。九澄の強さの秘密が知りたくて……彼を観察していたらふと気がついた。彼は滅多に魔法を使わない……。九澄が魔法の濫用を嫌っているのは誰でも知っている。だけど身近で観察すればするほど、少しずつだけど確実に、不自然に思えてきた……」
影沼は慎重に言葉を選んでいるようだった。少し目を泳がせてから核心に触れる。
「もしかしたら彼は魔法を使わないのではなく、使えない理由があるのかもしれない」
観月はゴクリとつばを飲み込んだ。自分と同じ考えに至った人間が存在したことが、驚きであると同時に安堵の気持ちもあった。少なくとも自分だけがイカれているというわけではないのだ。
――その時影沼は話を続けながら机の下で携帯を操作していた。観月がそれに気付くことはなかった。
「だけどこの仮説には致命的な欠陥があるんだ。彼は現に魔法を使ったことがある。僕や他のクラスメイトの目の前で。この事実はどうしたって動かせないものだ。『使える』のに『使えない』、そんなことが果たしてあり得るものだろうか。僕にはこの矛盾を解く鮮やかなアイディアなんてない。だけど一つ考えていることがある。それは彼のゴールドプレートは完全なものではなく何らかの制限があるのではないか? ということなんだ。例えば一日一度しか使えない。例えばMPが非常に少ない。例えば特定の条件を満たした時にしか発動しない……。一年生である彼にゴールドプレートを与えるなら、むしろそうした制約がある方が自然ではないかと僕は考えた」
観月は知らないが、影沼にとってこれは一日の平均会話量に匹敵するほどの長文である。しかし彼女はそんな事よりも話の内容に引き込まれた。自分では至らなかった考察を含んでいるのだから無理もない。そして同時に影沼が持たない情報を観月は持っていた。
「あの……その『特定の条件』について、ひとつ考えがあるの。それについてどう思うか聞かせて欲しい」
観月は一文一文頭を整理しながらゆっくりと話し始めた。
####
校舎の屋上は魔法バトルのメッカである。もちろん校則では禁止行為と定められているが、揉め事を力で解決するならこの場所というのが聖凪高校に古くから伝わる伝統なのだ。その場所で伊勢聡史は巴ツインズと対峙していたが、彼の視線は双子の後ろでイヤフォンに気を取られている望月悠理に向いていた。
「……おいこら、これから決闘だってのに、一体何聞いてんだてめーは」
「えーっ、あたしが戦うわけじゃないんだし、別にいいじゃない。これからいい所なんだけどな」
「下らねーこと言ってんじゃねえ。まともに観戦する気がないならとっとと失せろ」
望月はやれやれと肩をすくめてイヤフォンを外しポケットに仕舞った。それから前方の双子に目配せする。
「ルールは……まあなんでもいいか。あんまり大怪我させないようにしてね」
「うん」「わかった」
双子が同時にうなずく。伊勢はまたしてもイラッとしたが、腹の中は既に冷静だった。伊達に場数を踏んではいない。
「もう始まってるんだよな」
伊勢はポケットからアクセサリーのシルバーチェインを出し、それを巨大化した。伊勢の最も得意とする魔法、入学当初からの十八番、それが物体強化魔法を施した鎖による攻撃である。通常、物体強化魔法は対象物を限定しないが、それに対する愛着や馴染みが強い物ほど効果は大きくなる。津川のスケボーがわかりやすい例だ。伊勢にとって、中学時代から愛用しているシルバーチェインはまさにうってつけの武器だった。
(だがここまでは従来通り……ここからが対九澄用スペシャルだ!)
巨大化した鎖がみるみる形状を変えていく。それはあたかも樹木の成長を数秒に圧縮しているかのような急激な変化だった。瞬く間に鎖は四本に枝分かれしそれぞれが独自の意思を持つかのように動き出す。
(四つ首の龍〈フォーヘッズドラゴン〉、それがこの技に俺が与えた名!! 竜の首に見立てたそれぞれの鎖を自在に操り、あらゆる角度から同時に攻撃する!! 九澄は謎の防御魔法によって魔法を消去する! だがこの技は予測不能!! 反応不能!! 全方位から襲い来る四本の首を同時に消すことなどできやしねえ!!! そして一方でこの魔法は対複数戦においても最高の武器!!)
伊勢は左右の腕を交差する形に振り下ろす。四本の鎖が弾かれたように一斉に飛び出し巴ツインズに襲いかかる。双子はギリギリのタイミングでそれぞれ左右に跳びそれらを躱す。
「甘え!!!」
鎖は二本づつに分かれ双子に迫る。双子は二人同時に魔法プレートを構えた。何らかの防御魔法を使おうとしているのだ。
「そんな小細工は通用しねーぞ!!」
鎖の先端部は直径一メートルはある金属の塊だ。まともに食らえば悶絶と打撲は免れない。並外れた頑丈さを誇る九澄でさえ一撃で大ダメージを負ったのだ。だが巴♂はその鎖が目前に迫った瞬間、薄く微笑んだ。
ガキンという大きな衝突音。伊勢の耳が痛む。だがそれ以上に目の前の光景に伊勢は目を見開いた。
防がれている。
二首の龍は巴♂の魔法シールドによって完全に弾かれていた。伊勢は咄嗟に逆方向に目を向ける。全く同じ現象。巴♀の目の前でヒビの入った鎖が舞っていた。
「凄い凄い」「だけどこの程度じゃあ」「僕達の防御は」「破れない」
(馬鹿な……!!)
四本が二本になったところでそのパワーは並の二年生レベルの全力を凌駕する。それを単なる魔法シールドで完璧に弾くなど。相手の魔法力の方が上ならともかく、二人共プレートの格ははっきりと伊勢より下なのだ。だが伊勢は、その時双子のプレートが微かに見慣れない光を放っていたことに気付かなかった。
(くっ……そんなはずはねえ!!)
伊勢は手を掲げて鎖を呼び戻す。四本の鎖は伊勢の頭上でらせん状に高速回転し、融合、一本の巨大な鎖に変化する。
(四本同時に操るのはまだ訓練不足だったか? 気付かねーうちに一つ一つのパワーが計算より落ちていたのかもしれねーな……この際フルパワーの一撃で一人ずつ叩き潰してやる!!)
鎖の先端は二メートルを越す金属球に変化する。生身で食らえば即死しかねない程の強大なパワーがそこには宿っていた。それは伊勢が腕を振り下ろすと同時に大砲のような勢いで巴♂に迫る。
巴♂は避けようとはしなかった。両手を前に突き出し、その前方にプレートを浮かせる。明らかに防御魔法で真向から受け止める構えだ。失敗すればただの怪我ではすまない。
(正気か!? パワーの違いぐらいわかってんだろう!?)
伊勢は勢いを弱める気はなかった。それがバトル。たとえ負けて重体になったとしてもそれは弱い者の責任。
鎖の先端と巴♂のプレートが衝突する。耳を裂かんばかりの轟音。
その直後伊勢が見た物は、制御を失って無残に宙を舞う己の武器の成れの果て。
(馬鹿……な……)
(俺の全力の一撃が……)
(二年かけて磨き上げた……俺の最強の技が……)
伊勢が茫然自失となっていたのはほんの一瞬だった。
なぜなら伊勢の背中を、鋭い激痛が襲ったからだ。苦痛に顔を歪めながらなんとか後ろを向いた伊勢が見た物は、巴♀の小憎らしい微笑。隙だらけだった伊勢の背中には魔法で強化されたボールペンが刺さっていた。
「後ろが」「がら空きだよ」
「う……うおおおおおおっ!!!」
伊勢は鎖のコントロールを取り戻し、全力で振り回す。ヒビ割れたとはいえまだ大きなパワーを持つそれを、しかし巴♀もまた簡単に弾いてしまう。同時に再び背中への衝撃。伊勢はバランスを崩し膝をつく。
(俺が……こんな奴らにいい様にあしらわれているってのかよ!!)
まだ新しい魔法を使うだけのMPは残っている。だが伊勢の精神は既に冷静さを失っていた。通用しない。パワーで自分より劣るはずの相手に、戦術以前の力勝負で負けている。その事実はあまりに深刻だった。
ツインズが同時に遠距離攻撃魔法を放つ。複数の角度から襲い来る防御不能の攻撃。伊勢がやろうとしていたことを今相手にやられていた。伊勢は地面を転がりかろうじてそれらを躱す。更になんとか不利な立ち位置から逃れようとするが、ツインズは正確に伊勢を挟み撃ちにするポジションを保ちつつ攻撃を続ける。フェイントと、死角からの本命攻撃。あるいはフェイントと見せかけての正面攻撃。すべての行動が滑らかに繋がる合理的な組み立て。明らかに連携戦闘の訓練を積んだ動きだ。そのような相手に対して伊勢は対処のための知識も経験も持たない。聖凪の授業において魔法による連携を専門的に学習することはないのだ。
(こいつら……なんのサインもなしに完璧なチームプレイをやりやがる。今までに俺が倒してきた相手とはコンビネーションの練度が全く違う!)
鎖を体の周囲で回転させ、動的な盾のように使い致命傷を防ぐ伊勢だったが、体のあちこちに浅い生傷が刻み込まれていく。誰の目にもジリ貧は明らかだった。その様子を眺める望月は楽しそうに目を細める。
(ふふ……双子ならではの完璧なコンビプレイ、それだけでもあの二人は厄介極まりない……。だけど彼らの強さにはもうひとつ"からくり"がある……。プレートのレベル差を埋め合わせて余りあるその"からくり"がわからない限り……あなたに勝ち目はないわよ、伊勢くん)
追い詰められた伊勢の、それでも恐怖を押し込め闘争心を絞り出そうとする必死の表情を見て望月はゾクゾクとした嗜虐心を覚えた。
(ああ……こんな事ならあたしが傷めつけてあげれば良かった……ねえ伊勢くん、それで終わり? 違うでしょう、伊勢くん?)
(クソッタレ、このままじゃ……ここで、こんな所で負けるっていうのかよ!?)
「負けられねえ……!」
痛みで力が抜けそうになった脚に活を入れ、踏み込む。睨みつける相手は余裕綽々の巴♂。再び鎖に限界近い魔法力を注ぎ込み、振りかぶる。
「ブッ!! コロ!!! ス!!!!」
咆哮。鎖を、投げる。
刹那、伊勢の両足が重力を失う。伊勢が思い切り踏み込んだその瞬間を狙って、巴♀が背後から脚を払ったのだ。武器は魔法によって強化延長されたスカーフ。完璧な不意打ち、伊勢は受け身を取ることもできず豪快に転ぶ。
「これで」「決まりだね」
双子が同時に上空へと小石を投げる。2つの小石は伊勢の真上で巨大化し、真っ直ぐに落下していく。
「クソッ……タレ……」
(もう間に合わない)
(下敷き)
(敗北)
(惨めに)
(負け)
暗転。
ズズンという重い轟音が響き、静寂が戻ると共に双子が戦闘状態を解いた。完全なる勝利。このあと必要なのは伊勢の治療だけ。
だが望月は双子とは違う場所を向いていた。
その視線の先で、一人の男が肩に一人の男を抱えていた。
「ケッ……てめーに助けられるたァ人生最悪の一日だぜ……」
伊勢がぼやいた。伊勢を抱えるは長髪にバンダナ姿の優男。
「相変わらずだなお前は……礼ぐらいはちゃんと言え」
永井龍堂。
伊勢聡史のかつての仲間にして現ライバル。そして魔法執行部支部長を勤める男がそこにいた。永井は真っ直ぐに望月を見据える。
「"これ"は明白な校則違反だ……生徒会長であっても例外ではない。わかっているよな」
望月は少しもたじろがずにクスリと笑う。
「そうね……とっ捕まえてみる?」
「そうさせてもらう」
「そうは」「いかない」
双子が立ち塞がる。
「……っておい永井。とっとと降ろしやがれ」
そう言うと伊勢は永井を自分で振りほどいた。永井は伊勢を心配そうに見やる。一つ一つの怪我は深くないが、痛々しいほど多数の傷が体のあちこちに残っていたのだ。
「怪我は大丈夫なのか?」
「こんなもん全然大したことねーよ。だいたい何だてめー、俺がこんだけ苦戦した相手に一人で勝つつもりかオイ!」
「……それが支部長としての俺の勤めだ」
伊勢の血管がピクピクと浮き立つ。
「そういうスカした態度が気に入らねーつってんだよ俺は!!」
伊勢は永井の襟を掴みまくし立てた。永井は眉間にシワを寄せ苦々しい表情で伊勢から目を逸らす。
「……お前はそれでいいのか?」
「あァ?」
「前に言ったはずだ……お前はまだ執行部の一員だと。それがまたこんな所で喧嘩をして……いつまで一人で突っ張っているんだ」
「…………!!」
「俺は……俺の任務を果たす。それがどんなに困難であろうとも……それが俺の仕事であり、俺の誇りだ」
永井は伊勢に背を向け、双子と望月を見据え一歩前に踏み出した。その背中にかつての、実力に見合わずいつも自信無さげに振舞っていた頃の面影はない。
「だがお前がそれを理解できないというのなら……大人しく退がっていろ」
「……待てよオイ!!」
伊勢が永井の肩を掴んだ。
「いつもいつもそうやって格好つけて一人で背負い込みやがって……! 俺が一番気に入らねーのはあのクソ女なんかじゃねー! てめーなんだよ!」
伊勢の唇はわずかに震えていた。言いたいことは腐るほどある。だが言葉にならなかった。唯一つ、今言うべきことがあった。
「今回だけだ……! 今回だけはてめーに手を貸してやる!」
「ああ……そうしてくれると助かる」
永井は安心したようにつぶやく。
「ケッ……」
伊勢は肩を掴んでいた手を放り出し、ポケットに両手を突っ込んで永井の横に踏み出た。
永井龍堂と伊勢聡史、二年生最強と謳われる二人が並び立つ。かつて一年生の間で無敵コンビと呼ばれたデュオの一年ぶりの復活劇。事情を知る者なら何かを感じずにはいられない光景だ。
いつしか伊勢の体からは疲労とダメージが消え去っていた。ただ怒りと闘志だけがみなぎる。永井もまた、これまでになく血が滾るのを感じていた。
「秒殺で行くぞ!!」
伊勢が叫んだ。
「おう!!」
永井が応えた。
双子は微笑を崩さないが、その頬に冷や汗が流れる。
第二ラウンド、伊勢聡史・永井龍堂vs巴ツインズ、開幕。
2012年7月10日火曜日
エムゼロEX 10
第十話 名探偵観月?
観月尚美はリビングのソファーに寝転がってTVのチャンネルを次々切り替えていた。地上波、BS、CS、どの番組にもまるで興味が沸かない。というより今の観月を惹きつけるのはどんな名作映画や爆笑バラエティにも不可能なミッションだ。
心ここにあらず。
観月にとって目の前の液晶画面が映し出すどんな映像も素人が描いた出来の悪いパラパラ漫画に過ぎなかった。
「あんた最近悩み事があるでしょ」
背後から突然聞こえた声に反応して観月はガバッと身を起こした。
「お姉ちゃん」
パンツ一丁にバスタオルを首からかけただけの、あんまりといえばあんまりな風呂あがりスタイル。父親が単身赴任中で女しかいない観月家だからこそ可能な姿で姉が立っていた。
「なになに、例のカレの事で悩んでんの?」
観月の顔がカッと熱くなる。
「べ、別に九澄のことなんか気にしてないわよ!」
「そうそう、その九澄君。そろそろキスぐらいは済ませたわけ?」
「キ、キキキキキ……」
観月の顔はいよいよ焼けた鉄のように真っ赤に染まる。姉はその様子を見て大げさに溜息をついた。
「その様子じゃ進展なしみたいね。まったく、男一人落とすのにいつまでかかってんのよ情けない。とてもあたしの妹とは思えないわ」
「お、お姉ちゃんみたいにはなりたくないわよ!」
姉は顔立ちこそ妹によく似ているが性格は随分違う。少なくとも尚美は、自分が大学生になったとしてもヘソにピアスをつけたり髪の毛をメッシュ染めしたり財布にコンドームを常備するようになるとは思っていない。とはいえ姉のことが嫌いなわけでもない。姉は昔からいつも尚美には優しかった。同時に少々お節介でもあった。
「いい、男なんてもんはちょっと色目を使ってやればホイホイってついてくんのよ。所詮は猿よ猿。あんた可愛いんだから女の武器を使えばいいって言ってんの」
「だ、だから、九澄のことじゃないって言ってるでしょ! もう! 関係ないからあっち行っててよ!」
やれやれとでも言いたげに姉は肩をすくめた。男嫌いだった妹がようやく色気づいたと思ったらこの調子だ。いっそ九澄とやらに連絡をとって妹を強引に押し倒せとでも言ってやろうかなどとロクでもないことを考えていると、その妹がうつむきながらボソボソとしゃべりはじめた。
「あ、あのさあ……お姉ちゃんは、もし好きな人が嘘ついてるかもって思ったらどうする?」
「なになに? 浮気してるって話?」
姉が目を輝かせる。
「い、いや、浮気とかそういうのじゃなくて……」
「よねえ。付き合ってもいないのに浮気はできないもんねえ」
「だからその……一度疑わしく思ったら何もかも疑わしく思えてきて……何を信じたらいいのかわからなくて……でも本人には聞きたくなくて……その……ええっと……」
「尚美……あんた……」
姉が真剣な顔で尚美ににじり寄る。次の瞬間姉は勢い良く妹を抱きしめた。
「可愛い~~~!!」
「???」
何が姉のツボにはまったのか尚美にはまるでわからなかった。
「あんたもとうとうそういうことに悩むようなったのね! お姉ちゃん嬉しい!」
「へ、変なことで喜ばないでよ!」
「だってー、あんたの年にはあたしは15人ぐらいはケーケン済みだったのに、あんたってばそういうの全然ウブなんだもん。お姉ちゃんとしては心配になっちゃうわよ」
「じじじじじ、15人……? 高一で……?」
想像を絶する数字に尚美の思考が固まる。
「いーい尚美、サイコーの解決方法を教えてあげる」
「サイコーの解決法……?」
姉は満点の笑顔とともに力強く言い切った。
「エッチすればいいのよ! エッチすれば男の本性なんてまるわかりなんだから!」
「できるかーーーーー!!!!」
尚美は絶叫した。
「あ、でも避妊だけはちゃんとしときなさいよ。いやーこないだ生理が遅れた時は怖くて怖くて……」
「もういいからあっち行って! お姉ちゃんのバカ!」
姉を振りほどきクッションを思い切り投げつける。姉はそれを受け止めて「初体験の感想は聞かせてねー」と笑いながら軽やかに去って行った。残された尚美はドサリとソファーに倒れこむ。酷く疲れた。
「はあーっ、お姉ちゃんは全然役に立たないし、どうすればいいんだろう」
自分一人ではいくら考えても答えが出そうにない。かといって魔法を知らない人間に相談しても時間の無駄だ。かといって聖凪の誰かに相談するとしても、「九澄大賀は魔法が使えないのでは?」なんて誰に言っても信じてもらえそうにない。いや待て、そもそも九澄は魔法が使えないという疑問は正しいのか?
観月は九澄が魔法を使ったことがあることを知っている。例えば彼と初めて出会った日、ホーレンゲ草を取りに行った洞窟でのこと。九澄は地図もない複雑な洞窟の中で最奥部までの道順を難なく見つけ出し、トラップもことごとく見破ってみせた。魔法もなしにそんな事は――
(違う……不可能じゃない!)
ルーシー。九澄はあの洞窟でマンドレイクの少女ルーシーと出会っていた。ルーシーはあの洞窟の住人だ。彼女の助力があれば洞窟の構造など全て筒抜けだったのではないか? だとすれば九澄がルーシーのことを徹底的に隠していたことも説明がつく。文化祭の時に愛花と自分に見つかっていなければ、九澄は今も彼女の存在をひた隠しにしていただろう。
クラスマッチはどうだ? 自分と小石川に囲まれた時、九澄は魔法を一切使うことなく機転と駆け引きでその場を制してみせた。その時自分は九澄との器の違いを思い知ったが、もし九澄が魔法を使えないのだとしたらあの行動こそ九澄が取れる唯一の手段だったことになる。気味が悪いほど辻褄が合ってしまうのだ。だが一つ問題がある。大門との一騎打ちになった時、九澄は大門の攻撃を何らかの防御魔法で防いだのだという。大門本人がそう言っていたのだからこれは間違いないはずだ。この一点を持って疑惑は否定されたと言えるのではないか――
(いいえ、騙されたらダメよ!)
その時大門が使ったのは遠距離からの弓による射撃だ。九澄が具体的に何をしたのか大門にもわかっていない。その上九澄は自分が攻撃する際にはやはり魔法を使わず素手で風船を割って勝利したのだそうだ。実に怪しい。疑惑解消と言うには早すぎるではないか。
(とはいえ……)
観月は溜息をついた。いくら理屈をこねまわしたところでこの仮説には大きな欠陥があるのだ。
(あたしはこの目で九澄の魔法を見ちゃってるのよね……)
割と最近、九澄が学校の廊下で大暴れしたことがある。小石川を一蹴し大門もまとめて説教臭いことを言ったあげく――
(あ、あたしを抱きかかえて……お、おおお、お姫様抱っこ……)
観月はその時の感触をいつでも鮮明に思い出すことができた。そのたびに全身がぽうっと熱くなり切ない気分になる。いつしか観月の手は自分の股間へと伸びていき――
(って、そんなことしないわよ!!)
観月は首を振って我に返った。
話はそこで終わらない。あの男は様子を見に来た柊先生に向かってあろうことかタメ口を聞き、お前呼ばわりで命令、そして当然即怒りのボルテージを上げた先生に対し、あの男は何やらスゴイ魔法を使って自分の力を誇示してみせた。その結果なんと先生は途端に大人しくなり、九澄をどこか、確か校長室だったか、言われるがままの場所に連れて行ったのである。柊先生ですら本気の九澄には逆らえない。その噂は一瞬で広まり、九澄に挑もうとする者はますますいなくなった。この事件がある以上九澄は魔法を使えないなどという説は単なる戯言にすぎない。だが観月はどうしても納得しきれなかった。
(そう……あの時の九澄はどこか……というか何もかもが変だった……あいつがあたしを意味なく抱き上げたりする? 挑発のために魔法を使ったりする? 自分のことを「ボク」って呼んだりする? あの時はああいう強気な九澄もいいかもって思ったけど……やっぱり絶対に変!)
今思えばあの時の九澄は別人だったのではないか。柊先生が逆らえなかったのもその正体に気付いたからではないか。つまり、柊先生より偉い誰かだと。
(でもそれも変……そんな人がどうして九澄に化ける必要があるんだろう。それ以前に、あれはやっぱり九澄……あたしがあいつの顔を見間違えるわけがない……あれが九澄なのは間違いない……だけどやっぱりおかしい……九澄なのに九澄じゃない……それってどういうこと……?)
頭が痛くなってきた。もとよりあれこれと考えるのは得意ではない。熱いコーヒーでも飲もう。そう考えて観月が立ち上がったその時、それは聞こえた。
『この二重人格野郎!!』
観月ははっと振り返る。テレビの中で厚化粧の女優がそう叫んで男をなじっていた。テレビドラマのワンシーンだ。
(二重……人格……?)
ドラマの中でその言葉は主役の男の裏表ある性格のことを指していた。だが観月の脳裏にその言葉の別の意味が浮かび上がる。ジキルとハイド。本当の意味での二重人格。全く異なる2つの自我が一人の人間の中に存在すること。
(もしかしてこれって……!)
####
翌日の放課後。
「あたしに相談?」
観月に話しかけられた氷川今日子は眉一つ動かさず答えた。観月は薬品部の仕事上頻繁に執行部に出入りしているので顔見知りではあったが、ほとんど話をしたことはない。そういう人から相談を持ちかけられれば面食らうのは当然だ。氷川は感情を顔に出さないタイプだったが、多少なりとも驚いていることはポカンと開いた口から見て取れる。
「う、うん……時間あるかな……?」
観月は遠慮がちに尋ねる。
「悪いけど執行部の仕事と、それが終わったら塾があるから……だけどどうしてあたしなの?」
氷川は当然の疑問を発した。相談事ならもっと仲の良い友人を選ぶのが普通だろう。まさか友達がいないというわけでもあるまい。
「えっと……つまり相談の内容ってのが問題で……ある人のことを良く知ってて、口が堅くて頭も良い人っていうのが氷川さんしか思いつかなくて……」
氷川は九澄と同じ執行部員でクラスも同じC組。当然何かと接点は多いだろう。もちろんもう一人該当する人物がいるが、こと九澄のことに関してその人物に相談するのは絶対に避けたかった。なんというか、とにかく嫌だった。
「もしかして九澄くんの話?」
「えっ!?」
観月の心臓が跳ね上がる。その様子を見て氷川はふんふんと一人納得した。
「ど……どうして九澄のことだって……」
「いや、とある情報筋からあなたが九澄くんのことを好きだって聞いてね。それでもしかしたらと思ったんだけど」
「と、とある情報筋って……」
「ああ気にしないで、そんなに噂が広まってるってわけじゃないから。そういうのに目ざといゴシップ男がうちのクラスにいるってだけの話。たまたま九澄の話になった時に聞いたんだけど、あんまりそういうのを言いふらすなとは言っておいたわ」
どこか遠くで伊勢カオルがくしゃみをした。
「で、恋愛相談だったらあたしは不適格だと思うけど」
「ち、違うの。そういうのじゃないのよ。なんて言ったらいいのか……とにかくもっと違う話。こう……複雑で信じがたい話、頭おかしいんじゃないのって言われるような話なんだけど……」
氷川はしばらく考えこんでからふむ、と前置きした。
「そういうことならあたしより適格な相手が一人」
「え?」
「男子でも良ければ」
氷川が上げた人物の名を観月は知らなかった。男子というのも観月にとってはハードルが高かったが、氷川が適格と言うのだからともあれ一度会ってみることにした。今はとにかく話を聞いてくれる人間が欲しかった。
####
「そろそろ来ると思ってたよ」
生徒会本会議室。生徒会長である望月悠理が机に肘をついたまま微笑んだ。目の前に立っているのは見るからに不機嫌な感情をにじませた男。
「てめーに話がある」
「そんな怖い顔しないでよ、男前が台無しじゃない」
望月がおどける。男の額に血管が浮かぶ。
「ふざけたマネもいい加減にしやがれっつってんだ」
静かな、しかしただならぬ怒りのこもった低い声。並の者ならそれだけで縮み上がってしまうかもしれない。しかし望月はますます嬉しそうに目を細めた。
「まあまあ落ち着こうよ。話ならお茶でも飲みながらゆっくりとさ。そう思わない? 伊勢くん」
伊勢聡史。一年C組伊勢カオルの兄にして、二年生屈指の実力者と言われる一匹狼。彼は一人『敵陣』の中にいた。会長席に座る望月と、机越しに彼女と向かい合う伊勢、そしてその伊勢を後ろから見張る会長補佐の二人。ちょうど伊勢一人を二等辺三角形の陣で囲む形になっている。もちろん伊勢はそれを承知で対決姿勢をあらわにしていた。
「茶はいらねー。てめーの出した茶なんざ、何が入ってるかわかったもんじゃねーからな」
「あーらら、信用されてないなあ、あたし」
「んな事ァどうでもいい。例の聖凪杯とかいうふざけたイベントのことだ。なぜてめーが二年生の代表になっている!?」
伊勢は大会告知のチラシを机の上に叩きつけた。その隅に小さく、二年生代表望月悠理と書いてある。
「二年生最強っつったら俺か永井だろうが!! てめーの出る幕じゃねーよ! ていうかてめー主催者側じゃねーか!!」
伊勢が一気にまくし立てた。まさに怒り心頭といった面持ちだ。
「そりゃあまあワールドカップの開催国枠みたいなもんで。それに永井くんは同意してくれたよ? 伊勢くんだってこんなイベントにどうしても出たいってわけじゃないんでしょ?」
「大会自体はどうでもいいがてめーの好き勝手にされるのは我慢できねーんだよ」
「なんと立派なご意見」
望月が肩をすくめる。一切緊張感を感じさせないその態度にいよいよ伊勢のフラストレーションがグツグツと煮え立つ。伊勢は相手のペースに乗せられないために大きく深呼吸し、それから天井を指さした。
「ゴチャゴチャ口論しても埒が明かねーな。屋上に来い、白黒つけよーじゃねーか」
「あたしが? 伊勢くんと? なーに、愛の告白?」
望月はわざとらしく両手で顔を覆ってキャ~照れる~などとはしゃいでみせた。
「なわけねーだろ!!! バトルでケリつけようっつってんだ!!!」
伊勢は机を思い切り叩く。かなりの轟音が響いたが望月はまるで動じずニヤニヤと伊勢を見上げた。
「確かに"力"では伊勢くんのほうが上でしょうね。でも、勝てないよ。"力"じゃあ勝てないよ。三年生や九澄くんにはもちろん、あたしにも、後ろの二人にもね」
「ああ?」
伊勢は首をひねって背後に立つ二人を睨みつける。瓜二つの美形顔を持つ双子の男女。二年生では名の知れた巴ツインズだ。どちらが兄だか姉だか伊勢は知らないが。
「俺や永井よりお前やこの二人の方が強えって言いたいのか?」
伊勢にとっては到底認めがたい発言だった。巴ツインズが有名なのはあくまでその特徴的な外見のため。魔法の実力が高いなどという話は聞いたことがない。望月悠理にしても、生徒会長という肩書き以上の何かがあるとは思われていない。あくまで彼女の得意分野は頭脳労働のはずだった。一方で伊勢や永井は平均レベルの二年生相手なら4、5人まとめて倒せるだけの力を持っている。この3人を同時に相手にしても決して不利ではないと伊勢は確信していた。
「強いってのとはちょっと違うかな……"強い"のは伊勢くん。でも"戦って勝つ"のはあたし達。猛獣がずっと非力な人間に狩られるようにね」
望月はさも当然の事実を述べているまでといった風にサラリと言ってのける。伊勢の頭の中で何かが切れた。
「……ここまでムカついたのは永井の帽子にコケにされた時以来だぜ……。おい、とにかく屋上に上がれ。まとめてスクラップにしてやる」
「三対一じゃちょっとこっちに有利すぎるなあ。こうしようよ、伊勢くんはその二人と戦う。巴ツインズは二人で一人。二対一で君が勝ったらあたしはおとなしく出場権を譲るよ」
「ハ……こんな時まで人任せたァてめーらしいこった。おい、てめーらはそれでいいのか?」
伊勢は双子の方を向いて尋ねる。
「一向に構わないよ」と巴♂。
「ええ、凄く楽しみ」と巴♀。
表情や手の動きまで不気味にシンクロしている。伊勢はそれを見て顔を引きつらせた。こんな気持ち悪い連中にこれ以上付き合っていられない。秒殺だ。中学時代から喧嘩慣れしている伊勢は即座にファイトプランを固めた。打倒九澄のために磨き上げた新魔法、それで即終わらせる。
望月は伊勢の背中を見送りながら携帯の受信メールをチェックした。先ほど受け取ったばかりの短文メールを読んだ望月はクスリと笑い、片方の耳にイヤホンをはめた。
観月尚美はリビングのソファーに寝転がってTVのチャンネルを次々切り替えていた。地上波、BS、CS、どの番組にもまるで興味が沸かない。というより今の観月を惹きつけるのはどんな名作映画や爆笑バラエティにも不可能なミッションだ。
心ここにあらず。
観月にとって目の前の液晶画面が映し出すどんな映像も素人が描いた出来の悪いパラパラ漫画に過ぎなかった。
「あんた最近悩み事があるでしょ」
背後から突然聞こえた声に反応して観月はガバッと身を起こした。
「お姉ちゃん」
パンツ一丁にバスタオルを首からかけただけの、あんまりといえばあんまりな風呂あがりスタイル。父親が単身赴任中で女しかいない観月家だからこそ可能な姿で姉が立っていた。
「なになに、例のカレの事で悩んでんの?」
観月の顔がカッと熱くなる。
「べ、別に九澄のことなんか気にしてないわよ!」
「そうそう、その九澄君。そろそろキスぐらいは済ませたわけ?」
「キ、キキキキキ……」
観月の顔はいよいよ焼けた鉄のように真っ赤に染まる。姉はその様子を見て大げさに溜息をついた。
「その様子じゃ進展なしみたいね。まったく、男一人落とすのにいつまでかかってんのよ情けない。とてもあたしの妹とは思えないわ」
「お、お姉ちゃんみたいにはなりたくないわよ!」
姉は顔立ちこそ妹によく似ているが性格は随分違う。少なくとも尚美は、自分が大学生になったとしてもヘソにピアスをつけたり髪の毛をメッシュ染めしたり財布にコンドームを常備するようになるとは思っていない。とはいえ姉のことが嫌いなわけでもない。姉は昔からいつも尚美には優しかった。同時に少々お節介でもあった。
「いい、男なんてもんはちょっと色目を使ってやればホイホイってついてくんのよ。所詮は猿よ猿。あんた可愛いんだから女の武器を使えばいいって言ってんの」
「だ、だから、九澄のことじゃないって言ってるでしょ! もう! 関係ないからあっち行っててよ!」
やれやれとでも言いたげに姉は肩をすくめた。男嫌いだった妹がようやく色気づいたと思ったらこの調子だ。いっそ九澄とやらに連絡をとって妹を強引に押し倒せとでも言ってやろうかなどとロクでもないことを考えていると、その妹がうつむきながらボソボソとしゃべりはじめた。
「あ、あのさあ……お姉ちゃんは、もし好きな人が嘘ついてるかもって思ったらどうする?」
「なになに? 浮気してるって話?」
姉が目を輝かせる。
「い、いや、浮気とかそういうのじゃなくて……」
「よねえ。付き合ってもいないのに浮気はできないもんねえ」
「だからその……一度疑わしく思ったら何もかも疑わしく思えてきて……何を信じたらいいのかわからなくて……でも本人には聞きたくなくて……その……ええっと……」
「尚美……あんた……」
姉が真剣な顔で尚美ににじり寄る。次の瞬間姉は勢い良く妹を抱きしめた。
「可愛い~~~!!」
「???」
何が姉のツボにはまったのか尚美にはまるでわからなかった。
「あんたもとうとうそういうことに悩むようなったのね! お姉ちゃん嬉しい!」
「へ、変なことで喜ばないでよ!」
「だってー、あんたの年にはあたしは15人ぐらいはケーケン済みだったのに、あんたってばそういうの全然ウブなんだもん。お姉ちゃんとしては心配になっちゃうわよ」
「じじじじじ、15人……? 高一で……?」
想像を絶する数字に尚美の思考が固まる。
「いーい尚美、サイコーの解決方法を教えてあげる」
「サイコーの解決法……?」
姉は満点の笑顔とともに力強く言い切った。
「エッチすればいいのよ! エッチすれば男の本性なんてまるわかりなんだから!」
「できるかーーーーー!!!!」
尚美は絶叫した。
「あ、でも避妊だけはちゃんとしときなさいよ。いやーこないだ生理が遅れた時は怖くて怖くて……」
「もういいからあっち行って! お姉ちゃんのバカ!」
姉を振りほどきクッションを思い切り投げつける。姉はそれを受け止めて「初体験の感想は聞かせてねー」と笑いながら軽やかに去って行った。残された尚美はドサリとソファーに倒れこむ。酷く疲れた。
「はあーっ、お姉ちゃんは全然役に立たないし、どうすればいいんだろう」
自分一人ではいくら考えても答えが出そうにない。かといって魔法を知らない人間に相談しても時間の無駄だ。かといって聖凪の誰かに相談するとしても、「九澄大賀は魔法が使えないのでは?」なんて誰に言っても信じてもらえそうにない。いや待て、そもそも九澄は魔法が使えないという疑問は正しいのか?
観月は九澄が魔法を使ったことがあることを知っている。例えば彼と初めて出会った日、ホーレンゲ草を取りに行った洞窟でのこと。九澄は地図もない複雑な洞窟の中で最奥部までの道順を難なく見つけ出し、トラップもことごとく見破ってみせた。魔法もなしにそんな事は――
(違う……不可能じゃない!)
ルーシー。九澄はあの洞窟でマンドレイクの少女ルーシーと出会っていた。ルーシーはあの洞窟の住人だ。彼女の助力があれば洞窟の構造など全て筒抜けだったのではないか? だとすれば九澄がルーシーのことを徹底的に隠していたことも説明がつく。文化祭の時に愛花と自分に見つかっていなければ、九澄は今も彼女の存在をひた隠しにしていただろう。
クラスマッチはどうだ? 自分と小石川に囲まれた時、九澄は魔法を一切使うことなく機転と駆け引きでその場を制してみせた。その時自分は九澄との器の違いを思い知ったが、もし九澄が魔法を使えないのだとしたらあの行動こそ九澄が取れる唯一の手段だったことになる。気味が悪いほど辻褄が合ってしまうのだ。だが一つ問題がある。大門との一騎打ちになった時、九澄は大門の攻撃を何らかの防御魔法で防いだのだという。大門本人がそう言っていたのだからこれは間違いないはずだ。この一点を持って疑惑は否定されたと言えるのではないか――
(いいえ、騙されたらダメよ!)
その時大門が使ったのは遠距離からの弓による射撃だ。九澄が具体的に何をしたのか大門にもわかっていない。その上九澄は自分が攻撃する際にはやはり魔法を使わず素手で風船を割って勝利したのだそうだ。実に怪しい。疑惑解消と言うには早すぎるではないか。
(とはいえ……)
観月は溜息をついた。いくら理屈をこねまわしたところでこの仮説には大きな欠陥があるのだ。
(あたしはこの目で九澄の魔法を見ちゃってるのよね……)
割と最近、九澄が学校の廊下で大暴れしたことがある。小石川を一蹴し大門もまとめて説教臭いことを言ったあげく――
(あ、あたしを抱きかかえて……お、おおお、お姫様抱っこ……)
観月はその時の感触をいつでも鮮明に思い出すことができた。そのたびに全身がぽうっと熱くなり切ない気分になる。いつしか観月の手は自分の股間へと伸びていき――
(って、そんなことしないわよ!!)
観月は首を振って我に返った。
話はそこで終わらない。あの男は様子を見に来た柊先生に向かってあろうことかタメ口を聞き、お前呼ばわりで命令、そして当然即怒りのボルテージを上げた先生に対し、あの男は何やらスゴイ魔法を使って自分の力を誇示してみせた。その結果なんと先生は途端に大人しくなり、九澄をどこか、確か校長室だったか、言われるがままの場所に連れて行ったのである。柊先生ですら本気の九澄には逆らえない。その噂は一瞬で広まり、九澄に挑もうとする者はますますいなくなった。この事件がある以上九澄は魔法を使えないなどという説は単なる戯言にすぎない。だが観月はどうしても納得しきれなかった。
(そう……あの時の九澄はどこか……というか何もかもが変だった……あいつがあたしを意味なく抱き上げたりする? 挑発のために魔法を使ったりする? 自分のことを「ボク」って呼んだりする? あの時はああいう強気な九澄もいいかもって思ったけど……やっぱり絶対に変!)
今思えばあの時の九澄は別人だったのではないか。柊先生が逆らえなかったのもその正体に気付いたからではないか。つまり、柊先生より偉い誰かだと。
(でもそれも変……そんな人がどうして九澄に化ける必要があるんだろう。それ以前に、あれはやっぱり九澄……あたしがあいつの顔を見間違えるわけがない……あれが九澄なのは間違いない……だけどやっぱりおかしい……九澄なのに九澄じゃない……それってどういうこと……?)
頭が痛くなってきた。もとよりあれこれと考えるのは得意ではない。熱いコーヒーでも飲もう。そう考えて観月が立ち上がったその時、それは聞こえた。
『この二重人格野郎!!』
観月ははっと振り返る。テレビの中で厚化粧の女優がそう叫んで男をなじっていた。テレビドラマのワンシーンだ。
(二重……人格……?)
ドラマの中でその言葉は主役の男の裏表ある性格のことを指していた。だが観月の脳裏にその言葉の別の意味が浮かび上がる。ジキルとハイド。本当の意味での二重人格。全く異なる2つの自我が一人の人間の中に存在すること。
(もしかしてこれって……!)
####
翌日の放課後。
「あたしに相談?」
観月に話しかけられた氷川今日子は眉一つ動かさず答えた。観月は薬品部の仕事上頻繁に執行部に出入りしているので顔見知りではあったが、ほとんど話をしたことはない。そういう人から相談を持ちかけられれば面食らうのは当然だ。氷川は感情を顔に出さないタイプだったが、多少なりとも驚いていることはポカンと開いた口から見て取れる。
「う、うん……時間あるかな……?」
観月は遠慮がちに尋ねる。
「悪いけど執行部の仕事と、それが終わったら塾があるから……だけどどうしてあたしなの?」
氷川は当然の疑問を発した。相談事ならもっと仲の良い友人を選ぶのが普通だろう。まさか友達がいないというわけでもあるまい。
「えっと……つまり相談の内容ってのが問題で……ある人のことを良く知ってて、口が堅くて頭も良い人っていうのが氷川さんしか思いつかなくて……」
氷川は九澄と同じ執行部員でクラスも同じC組。当然何かと接点は多いだろう。もちろんもう一人該当する人物がいるが、こと九澄のことに関してその人物に相談するのは絶対に避けたかった。なんというか、とにかく嫌だった。
「もしかして九澄くんの話?」
「えっ!?」
観月の心臓が跳ね上がる。その様子を見て氷川はふんふんと一人納得した。
「ど……どうして九澄のことだって……」
「いや、とある情報筋からあなたが九澄くんのことを好きだって聞いてね。それでもしかしたらと思ったんだけど」
「と、とある情報筋って……」
「ああ気にしないで、そんなに噂が広まってるってわけじゃないから。そういうのに目ざといゴシップ男がうちのクラスにいるってだけの話。たまたま九澄の話になった時に聞いたんだけど、あんまりそういうのを言いふらすなとは言っておいたわ」
どこか遠くで伊勢カオルがくしゃみをした。
「で、恋愛相談だったらあたしは不適格だと思うけど」
「ち、違うの。そういうのじゃないのよ。なんて言ったらいいのか……とにかくもっと違う話。こう……複雑で信じがたい話、頭おかしいんじゃないのって言われるような話なんだけど……」
氷川はしばらく考えこんでからふむ、と前置きした。
「そういうことならあたしより適格な相手が一人」
「え?」
「男子でも良ければ」
氷川が上げた人物の名を観月は知らなかった。男子というのも観月にとってはハードルが高かったが、氷川が適格と言うのだからともあれ一度会ってみることにした。今はとにかく話を聞いてくれる人間が欲しかった。
####
「そろそろ来ると思ってたよ」
生徒会本会議室。生徒会長である望月悠理が机に肘をついたまま微笑んだ。目の前に立っているのは見るからに不機嫌な感情をにじませた男。
「てめーに話がある」
「そんな怖い顔しないでよ、男前が台無しじゃない」
望月がおどける。男の額に血管が浮かぶ。
「ふざけたマネもいい加減にしやがれっつってんだ」
静かな、しかしただならぬ怒りのこもった低い声。並の者ならそれだけで縮み上がってしまうかもしれない。しかし望月はますます嬉しそうに目を細めた。
「まあまあ落ち着こうよ。話ならお茶でも飲みながらゆっくりとさ。そう思わない? 伊勢くん」
伊勢聡史。一年C組伊勢カオルの兄にして、二年生屈指の実力者と言われる一匹狼。彼は一人『敵陣』の中にいた。会長席に座る望月と、机越しに彼女と向かい合う伊勢、そしてその伊勢を後ろから見張る会長補佐の二人。ちょうど伊勢一人を二等辺三角形の陣で囲む形になっている。もちろん伊勢はそれを承知で対決姿勢をあらわにしていた。
「茶はいらねー。てめーの出した茶なんざ、何が入ってるかわかったもんじゃねーからな」
「あーらら、信用されてないなあ、あたし」
「んな事ァどうでもいい。例の聖凪杯とかいうふざけたイベントのことだ。なぜてめーが二年生の代表になっている!?」
伊勢は大会告知のチラシを机の上に叩きつけた。その隅に小さく、二年生代表望月悠理と書いてある。
「二年生最強っつったら俺か永井だろうが!! てめーの出る幕じゃねーよ! ていうかてめー主催者側じゃねーか!!」
伊勢が一気にまくし立てた。まさに怒り心頭といった面持ちだ。
「そりゃあまあワールドカップの開催国枠みたいなもんで。それに永井くんは同意してくれたよ? 伊勢くんだってこんなイベントにどうしても出たいってわけじゃないんでしょ?」
「大会自体はどうでもいいがてめーの好き勝手にされるのは我慢できねーんだよ」
「なんと立派なご意見」
望月が肩をすくめる。一切緊張感を感じさせないその態度にいよいよ伊勢のフラストレーションがグツグツと煮え立つ。伊勢は相手のペースに乗せられないために大きく深呼吸し、それから天井を指さした。
「ゴチャゴチャ口論しても埒が明かねーな。屋上に来い、白黒つけよーじゃねーか」
「あたしが? 伊勢くんと? なーに、愛の告白?」
望月はわざとらしく両手で顔を覆ってキャ~照れる~などとはしゃいでみせた。
「なわけねーだろ!!! バトルでケリつけようっつってんだ!!!」
伊勢は机を思い切り叩く。かなりの轟音が響いたが望月はまるで動じずニヤニヤと伊勢を見上げた。
「確かに"力"では伊勢くんのほうが上でしょうね。でも、勝てないよ。"力"じゃあ勝てないよ。三年生や九澄くんにはもちろん、あたしにも、後ろの二人にもね」
「ああ?」
伊勢は首をひねって背後に立つ二人を睨みつける。瓜二つの美形顔を持つ双子の男女。二年生では名の知れた巴ツインズだ。どちらが兄だか姉だか伊勢は知らないが。
「俺や永井よりお前やこの二人の方が強えって言いたいのか?」
伊勢にとっては到底認めがたい発言だった。巴ツインズが有名なのはあくまでその特徴的な外見のため。魔法の実力が高いなどという話は聞いたことがない。望月悠理にしても、生徒会長という肩書き以上の何かがあるとは思われていない。あくまで彼女の得意分野は頭脳労働のはずだった。一方で伊勢や永井は平均レベルの二年生相手なら4、5人まとめて倒せるだけの力を持っている。この3人を同時に相手にしても決して不利ではないと伊勢は確信していた。
「強いってのとはちょっと違うかな……"強い"のは伊勢くん。でも"戦って勝つ"のはあたし達。猛獣がずっと非力な人間に狩られるようにね」
望月はさも当然の事実を述べているまでといった風にサラリと言ってのける。伊勢の頭の中で何かが切れた。
「……ここまでムカついたのは永井の帽子にコケにされた時以来だぜ……。おい、とにかく屋上に上がれ。まとめてスクラップにしてやる」
「三対一じゃちょっとこっちに有利すぎるなあ。こうしようよ、伊勢くんはその二人と戦う。巴ツインズは二人で一人。二対一で君が勝ったらあたしはおとなしく出場権を譲るよ」
「ハ……こんな時まで人任せたァてめーらしいこった。おい、てめーらはそれでいいのか?」
伊勢は双子の方を向いて尋ねる。
「一向に構わないよ」と巴♂。
「ええ、凄く楽しみ」と巴♀。
表情や手の動きまで不気味にシンクロしている。伊勢はそれを見て顔を引きつらせた。こんな気持ち悪い連中にこれ以上付き合っていられない。秒殺だ。中学時代から喧嘩慣れしている伊勢は即座にファイトプランを固めた。打倒九澄のために磨き上げた新魔法、それで即終わらせる。
望月は伊勢の背中を見送りながら携帯の受信メールをチェックした。先ほど受け取ったばかりの短文メールを読んだ望月はクスリと笑い、片方の耳にイヤホンをはめた。
2012年7月1日日曜日
エムゼロEX 9
第九話 九澄大賀vs新宮一真
三年生最悪の問題児と名高い新宮一真と、その彼女と言われる紀川沙耶〈きのかわさや〉は一年生校舎の廊下を並んで歩いていた。
新宮が懐かしそうにあちこちを見渡す一方で紀川は鉄面皮のままである。
二人が廊下に出ているのはC組にいた何人かの男子から九澄大賀は執行部分室にいると聞いたからだ。
「それにしてもあの男はイカれていたな。
目の前にテレポートしてきた奴を自分が召喚したなんて思うかね?」
紀川は答えない。
そのうち二人は目的地に辿り着いた。
「さて、ここが分室とやらか……。
去年まではこんなもんなかったってのに、連中ますます増長してやがる」
新宮が不愉快そうに吐き捨て、ノックもなしに勢い良くドアを開けた。
中にいた数人の視線が二人に注がれる。
「九澄大賀っての、どいつだ」
書類に目を通していた氷川は突然の闖入者に呆気にとられた。
見覚えのない二人、ネクタイのストライプからして三年生。
以前会った執行部の三年生とは明らかに別人。
ならばこの二人は誰だ?
「九澄は今、外で仕事中ですが」
努めて冷静に振る舞う。
相手の意図が読めない以上それを引き出さなければ。氷川はそう判断していた。
「なんだタライ回しかよ。
ここで待ってりゃ帰ってくるのか?」
「ええ、恐らく」
「じゃあ待たせてもらうぜ」
「あの……九澄に何か?」
「答える義務はねえな」
「じゃあせめて名前ぐらいは教えて下さい」
「……新宮一真」
その名を呼んだのは本人ではなかった。
氷川の背後、か細い男の声。
「……え?」
振り返るとそこには影沼がいた。
普段温和なその男が怖い顔で新宮を睨みつけている。
「へえ、俺を知ってるのかい」
「……有名人ですから」
「そいつは光栄だ。……と、そう怖い顔すんなよ。
お前にゃ用はねえ」
氷川は影沼の不自然な態度をいぶかしんだ。
相手のほうは影沼を知らないようだが、何かあったのだろうか。
「おい、あの人なんなんだ?」
竹谷が影沼に尋ねる。
「狂犬、鉄腕などとも呼ばれている三年生の問題児。
打倒執行部長夏目琉を公言している男」
「打倒執行部長……? あんたあのバケモンをぶっ倒すつもりってことか!?」
竹谷の問いに新宮は不敵な笑みで返した。
「ははは……さすが三年生は半端じゃねえな。
九澄はこんな連中と張り合うってことか」
「俺がどうかしたか?」
「「!!!」」
部屋の入口、二人の三年生の後ろに九澄がひょっこりと現れた。
「九澄!」
「へえ……こいつか」
新宮が九澄に顔を向けニヤリと笑う。
九澄はキョトンとした顔で目の前の見知らぬ男を観察した。
背丈は自分よりはっきりと高い。180前半はあるだろう。
そして制服の上からでもわかる均整のとれた筋肉。決して必要以上に太いわけではないが、絞りこまれ鍛えあげられている。
何より獲物を狙う猛獣のような眼と纏う空気が、他の誰とも異質だった。
その時新宮の目つきが一瞬変わる。
殺気。
刹那、九澄はゾクリとするような危険を感じ反射的に後ろに飛び退く。
無意識のうちに冷や汗が流れ拳が握られていた。
「お前……なんだ……?」
「へえ、勘の良い奴だ。なるほど頭でっかちの雑魚ではないらしい」
新宮は九澄に対して半身に立ちゆらりと力を抜いて「構え」た。
「怪物一年生なんだろ? ちょいと喧嘩しようぜ」
「ちょ……! おれと魔法バトルするつもりかよ!?」
「ああ」
(冗談じゃねー!! 昨日の今日でまだ全然レベルアップしてねーんだぞ!
今ここで戦えるわけがねえ!)
落ち着け、今まで何度も似たようなことはあった。
九澄は自分に言い聞かせる。
ここは落ち着いて戦いを回避する。それしかない。
「やめとけよ、反省文じゃ済まねえぜ?」
「そいつは俺がとっ捕まったらの話だろう?」
「……そういう過信は良くねえぜ。それによ、俺は喧嘩のために魔法は使わねえんだ。
どうしてもバトルがしたいならいっそ素手で受けてやろうか? ……なーんてな」
その提案の言葉は本心から出たものではない。
なるべく会話を引き伸ばして煙に巻くための駆け引きだ。
だが新宮は何がツボにはまったのか、腹を抱えて大笑いしだした。
その不可思議な姿に九澄も他の執行部員も呆気にとられてしまう。
「はっはっは! こいつはいい! 喧嘩なら素手でやろうぜってか!」
「な、何がおかしいんだよ」
新宮は笑いを止め、嬉しそうな顔で上着の内側に手を突っ込んだ。
「何もおかしくねえさ……お前の言う通りだ」
上着の内ポケットから新宮が出したものは紛れもなく魔法プレートだった。
九澄は魔法発動に備え身構えるが、新宮はあろうことかそれを無造作に後ろに放り投げてしまう。
「男と男の喧嘩に、こんなもんは不要だ」
投げられたプレートを紀川が無言で受け止めるのと新宮が九澄に向かって飛び出すのはほとんど同時だった。
大げさに振りかぶっての右ストレート、とっさに九澄はそれを左手で弾こうとする。
だが直後左のボディブローが九澄の脇腹に刺さる。
(――フェイント!)
一瞬呼吸が止まりわずかに背を曲げた九澄の顔面目掛けて打ち下ろすような右。
九澄は腰をかがめ左に跳躍してそれをかわす。
空振りでも背筋が凍る様な強打。
(こいつ――強え!!)
単に体格があって運動神経もいいというだけのレベルではない。
明らかに格闘技や武術の修練を積んだ動き。
新宮は間髪入れずに九澄を追い、息つく間もないほどの連打を浴びせる。
左、左、右、左、右。
九澄は必死でそれらを捌きつつ横にかわそうとするが、新宮は九澄の動きを読んでいるかのような足運びで間合いを支配する。
壁を背にしている九澄には後ろへの逃げ場はない。
顔面への被弾だけは防ぐ九澄だが腹や腕に鈍い痛みが走る。
(すげえ連打だ、しかも速え、カウンター撃つ暇もねえ!
……いや待て、さっきからこいつの攻撃はパンチばかり……フォームから見てもこいつはボクサーか!)
九澄は一瞬左のパンチを打ち返す仕草をする。
だがそれはフェイントだった。
(ボクサーなら脚への攻撃は受けられねえだろう!)
姉から学んだ空手の動き、その基本技にして強力無比な技の一つ、左の下段回し蹴り(ローキック)。
帯は持たずとも有段者に劣らない力を持つ九澄のその鋭い蹴りは、しかし新宮が右脚を軽く上げたことで簡単にカットされてしまう。
「甘えよ」
九澄の顔面が跳ね上がる。
一瞬視線が下に寄っていた九澄には、それが何の攻撃なのかわからなかった。
上のガードを固め追撃に備えた九澄に対し、新宮は鋭く距離を詰め、膝蹴り。
みぞおちに衝撃が走り九澄がうめき声を上げる。
腰が落ち、胃液が逆流し肺が悲鳴を上げる。
みぞおちとは呼吸の要である横隔膜がある場所なのだ。
そのまま倒れてもおかしくないほどの苦しみの中で、九澄はしかし歯を食いしばって膝に力を入れる。
相手より背の低い自分が更に低い姿勢になっているこの状況。
膝蹴りが当たるほど距離が詰まっているこの状況。
それは反撃のチャンスだった。
頭。
もっともシンプルで強固な攻撃。
九澄の頭頂部が新宮の顔を跳ね上げた。
金属バットで大木を叩いたような乾いた打撃音とともに新宮が大きく後退する。
体勢を崩し鼻から血を流す新宮に九澄は追撃の打拳。
全力を込めた右拳は、それを受けようとした相手の手の平ごと顔面を撃ちぬいた。
新宮が腰を落とし後退する。
「すっ、すっげえ……!」
竹谷が唸った。
格闘技に縁がない彼にとって目の前の殴り合いは別次元だった。
魔法なしでもこれほど激しい戦いができるものなのか。
ひょっとすると自分は魔法なしの彼らにも負けるのではないか……?
そんな考えが頭をよぎる。
(いける、一気にケリを付けてやる!)
九澄が距離を詰める。
中腰になっている新宮の頭に狙いをすまし左の回し蹴り。
当たれば一気に戦いを終わらせる完璧な蹴り。
だが止まる。
新宮の両腕ブロック。
逆に九澄の体勢が崩れる。
そこから鞭をしならせるような左の裏拳が九澄の眼上を叩き、鈍い痛みを与える。
直後、両者が同時に斜め後方に跳び数メートルの距離が開いた。
九澄は肩で息をしながらも構えを崩さず相手を見据える。
戦いを見守る執行部員たちは皆息を呑んだ。
「……二人共なんて動きしやがる……」
「どうりで九澄が魔法を使わなくても充分やっていけるわけね……」
竹谷も氷川も驚きを隠せなかった。
影沼は口を固く結んだまま冷や汗を流していた。
「やるじゃねえかホントに……。
正直言ってこんな楽しい戦いになるとは思ってなかったぜ」
新宮が鼻血を手で拭いつつ口の端をつり上げる。
「何が楽しいだ……こんな無意味な喧嘩痛いだけだっつーの……」
九澄は喧嘩そのものを楽しむタイプでは全くない。
強くなった理由も環境(主に姉)による要因が非常に大きいといえる。
だが目の前の相手は明らかに殴り合いを楽しんでいた。
「まだ燃え足りねえだろう……?」
新宮が禍々しい笑みを浮かべる。
瞬間九澄の背にゾクリとした悪寒が走る。
直後新宮は九澄に向かって一気に踏み込んだ。
「それじゃあちょいとギア上げていくぜ!!」
左のジャブ、いやジャブと呼ぶにはあまりにも重く、強い。その連打。
一切の予備動作無しに打ち込まれるそれらが九澄の顔面と腹を次々に叩いた。
叩いた。
叩いた。
更に左のミドルキック。
ガードの上からでも腹まで突き抜ける衝撃に九澄の顔が歪む。
(こいつ……今まで本気じゃなかったのかよ!)
明らかに攻撃の重さが一段上がっていた。
九澄がサイドに距離を取ろうと踏み込みかけた瞬間、大外からの右フックが九澄の顎を打ち抜く。
脳が揺れる感覚。全身に痺れが走り、膝から力が失われる。
倒れる。
駄目だ。
倒れない。
倒れない!
九澄は無我夢中で新宮の胴体に抱きついていた。
タックルにも似た体勢だが、ただ倒れないためにすがりついただけだ。
新宮は肘を上げて落とし九澄の背中に突き刺す。
九澄はうめき声を上げながら両腕の力を緩めない。
今突き放されれば確実にやられる。
体が回復するまで、せめてあと10秒。
九澄は自由の効かない脚で精一杯踏み込み、自分の体ごと新宮を壁に打ちつけた。
鈍い音が響き新宮が口を歪める。
だが直後に新宮は腕を九澄の首に巻き付けヘッドロックのような体勢を作り一気に力を込め絞り上げた。
首への激痛で一瞬九澄の力が弱った瞬間を逃さず、九澄を振りほどき放り投げた。
「はあっ! はあっ!」
九澄は構え直しながらも大きく呼吸を乱す。
さっきとは疲労とダメージの量がまるで違う。
それほどあの右フックの一撃は強烈だった。
(くそうどうする……このままじゃあ……)
九澄に弱気が生じたその時だった。
「こらあ!! お前らそこで何してる!!」
声の主を見ればそれはこちらに駆け寄ってくる小男、大木先生だった。
その後ろには百草先生もいる。
「無許可で魔法バトルをするなとどれほど言ったら……!
これだから生徒だけには任せておけんのだ!」
怒り心頭の大木は、しかし新宮と目が合うやギョッと顔を引きつらせた。
「お、お前は新宮……!
なんでお前がここにいる、三年生はこっちの校舎に来るなと言われているはずだ……」
新宮は戦闘モードを解き余裕の表情で肩をすくめる。
「固いこと言わんでくださいよ、去年まで通っていた校舎じゃないすか。
ていうか大先生、ますます縮んだんじゃないすか?」
「う、うるさい。お前がでかくなっただけだ……」
腰が引けている大木を見て九澄は違和感を覚える。
(なんだ? 大先生、もしかしてビビッてんのか?)
怪訝に思ったのは百草も同様のようで、大木を見下ろしながら眉をひそめている。
「あの……大木先生……」
「と、とにかく! 一年の校舎で魔法バトルなど許さんと言ってるんだ!」
「魔法は一切使ってないすよ。素手でやりあってただけっすから」
「ええいどっちでも同じだ! とっとと帰れ!!」
「へいへい、それじゃあ大先生の顔を立てておきましょうかね」
新宮は分室の入り口でずっと直立不動のまま成り行きを見ていた紀川に歩み寄る。
「つーわけだ。帰ろうぜ」
紀川は注視しなければわからないほどほんのわずかに頷き、新宮の肩に手を置いた。
「ああそうだ九澄。お前の力は認めてやる。
次にやりあうときはお互いに魔法アリ、出し惜しみはナシだぜ」
新宮は嬉しそうに笑って拳を突き出した。
二人は赤いもやに包まれ、消えた。
場にはしばらく沈黙が漂ったが、百草がそれを破って九澄に駆け寄った。
「大丈夫なの、九澄くん?」
「あ、ああ。平気だよ、センセ」
「すっげえ喧嘩だったんだぜ。プロの格闘技みて~にハイレベルな互角の攻防でよ……」
竹谷が素人丸出しのフォームでパンチやキックを再現した。
「互角……ね……」
そう呟いた九澄の膝がガクンと曲がり、床に手がついた。
顔は苦痛に歪み口からは血がにじんでいる。
「ちょっと、九澄くん?」
「平気だって……自分で保健室行くからさ」
九澄はよろよろと立ち上がり歩き出した。
全身に痛みが残り、体重が倍になったかのような感覚だった。
人の視線から外れた階段の踊場まで辿り着いたところで歩みが止まる。
大木と話している時の新宮のひょうひょうとした様子が頭をよぎった。
(あの野郎まだ余裕で力を残してやがった……。
あのまま続けていたら間違いなく……ちくしょう、聖凪にあんな奴がいたなんてな。
無駄にバケモン揃いだぜここは……)
窓の外はどんよりと雨雲が広がり、今にも降り出しそうだった。
赤く腫れ上がった拳を強く握る。
ギリギリと歯を食いしばり、知らぬ間に下を向いていた顔を前に上げる。
(強く……ならねえと……。
大会に出ようと出まいと関係ねえ。
あんな奴らがいるこの学校に居続けたいのなら……)
そしていつか本物のゴールドプレートを手にして柊の夢を叶えるために。
九澄は力強く地面を踏みしめ歩き出した。
三年生最悪の問題児と名高い新宮一真と、その彼女と言われる紀川沙耶〈きのかわさや〉は一年生校舎の廊下を並んで歩いていた。
新宮が懐かしそうにあちこちを見渡す一方で紀川は鉄面皮のままである。
二人が廊下に出ているのはC組にいた何人かの男子から九澄大賀は執行部分室にいると聞いたからだ。
「それにしてもあの男はイカれていたな。
目の前にテレポートしてきた奴を自分が召喚したなんて思うかね?」
紀川は答えない。
そのうち二人は目的地に辿り着いた。
「さて、ここが分室とやらか……。
去年まではこんなもんなかったってのに、連中ますます増長してやがる」
新宮が不愉快そうに吐き捨て、ノックもなしに勢い良くドアを開けた。
中にいた数人の視線が二人に注がれる。
「九澄大賀っての、どいつだ」
書類に目を通していた氷川は突然の闖入者に呆気にとられた。
見覚えのない二人、ネクタイのストライプからして三年生。
以前会った執行部の三年生とは明らかに別人。
ならばこの二人は誰だ?
「九澄は今、外で仕事中ですが」
努めて冷静に振る舞う。
相手の意図が読めない以上それを引き出さなければ。氷川はそう判断していた。
「なんだタライ回しかよ。
ここで待ってりゃ帰ってくるのか?」
「ええ、恐らく」
「じゃあ待たせてもらうぜ」
「あの……九澄に何か?」
「答える義務はねえな」
「じゃあせめて名前ぐらいは教えて下さい」
「……新宮一真」
その名を呼んだのは本人ではなかった。
氷川の背後、か細い男の声。
「……え?」
振り返るとそこには影沼がいた。
普段温和なその男が怖い顔で新宮を睨みつけている。
「へえ、俺を知ってるのかい」
「……有名人ですから」
「そいつは光栄だ。……と、そう怖い顔すんなよ。
お前にゃ用はねえ」
氷川は影沼の不自然な態度をいぶかしんだ。
相手のほうは影沼を知らないようだが、何かあったのだろうか。
「おい、あの人なんなんだ?」
竹谷が影沼に尋ねる。
「狂犬、鉄腕などとも呼ばれている三年生の問題児。
打倒執行部長夏目琉を公言している男」
「打倒執行部長……? あんたあのバケモンをぶっ倒すつもりってことか!?」
竹谷の問いに新宮は不敵な笑みで返した。
「ははは……さすが三年生は半端じゃねえな。
九澄はこんな連中と張り合うってことか」
「俺がどうかしたか?」
「「!!!」」
部屋の入口、二人の三年生の後ろに九澄がひょっこりと現れた。
「九澄!」
「へえ……こいつか」
新宮が九澄に顔を向けニヤリと笑う。
九澄はキョトンとした顔で目の前の見知らぬ男を観察した。
背丈は自分よりはっきりと高い。180前半はあるだろう。
そして制服の上からでもわかる均整のとれた筋肉。決して必要以上に太いわけではないが、絞りこまれ鍛えあげられている。
何より獲物を狙う猛獣のような眼と纏う空気が、他の誰とも異質だった。
その時新宮の目つきが一瞬変わる。
殺気。
刹那、九澄はゾクリとするような危険を感じ反射的に後ろに飛び退く。
無意識のうちに冷や汗が流れ拳が握られていた。
「お前……なんだ……?」
「へえ、勘の良い奴だ。なるほど頭でっかちの雑魚ではないらしい」
新宮は九澄に対して半身に立ちゆらりと力を抜いて「構え」た。
「怪物一年生なんだろ? ちょいと喧嘩しようぜ」
「ちょ……! おれと魔法バトルするつもりかよ!?」
「ああ」
(冗談じゃねー!! 昨日の今日でまだ全然レベルアップしてねーんだぞ!
今ここで戦えるわけがねえ!)
落ち着け、今まで何度も似たようなことはあった。
九澄は自分に言い聞かせる。
ここは落ち着いて戦いを回避する。それしかない。
「やめとけよ、反省文じゃ済まねえぜ?」
「そいつは俺がとっ捕まったらの話だろう?」
「……そういう過信は良くねえぜ。それによ、俺は喧嘩のために魔法は使わねえんだ。
どうしてもバトルがしたいならいっそ素手で受けてやろうか? ……なーんてな」
その提案の言葉は本心から出たものではない。
なるべく会話を引き伸ばして煙に巻くための駆け引きだ。
だが新宮は何がツボにはまったのか、腹を抱えて大笑いしだした。
その不可思議な姿に九澄も他の執行部員も呆気にとられてしまう。
「はっはっは! こいつはいい! 喧嘩なら素手でやろうぜってか!」
「な、何がおかしいんだよ」
新宮は笑いを止め、嬉しそうな顔で上着の内側に手を突っ込んだ。
「何もおかしくねえさ……お前の言う通りだ」
上着の内ポケットから新宮が出したものは紛れもなく魔法プレートだった。
九澄は魔法発動に備え身構えるが、新宮はあろうことかそれを無造作に後ろに放り投げてしまう。
「男と男の喧嘩に、こんなもんは不要だ」
投げられたプレートを紀川が無言で受け止めるのと新宮が九澄に向かって飛び出すのはほとんど同時だった。
大げさに振りかぶっての右ストレート、とっさに九澄はそれを左手で弾こうとする。
だが直後左のボディブローが九澄の脇腹に刺さる。
(――フェイント!)
一瞬呼吸が止まりわずかに背を曲げた九澄の顔面目掛けて打ち下ろすような右。
九澄は腰をかがめ左に跳躍してそれをかわす。
空振りでも背筋が凍る様な強打。
(こいつ――強え!!)
単に体格があって運動神経もいいというだけのレベルではない。
明らかに格闘技や武術の修練を積んだ動き。
新宮は間髪入れずに九澄を追い、息つく間もないほどの連打を浴びせる。
左、左、右、左、右。
九澄は必死でそれらを捌きつつ横にかわそうとするが、新宮は九澄の動きを読んでいるかのような足運びで間合いを支配する。
壁を背にしている九澄には後ろへの逃げ場はない。
顔面への被弾だけは防ぐ九澄だが腹や腕に鈍い痛みが走る。
(すげえ連打だ、しかも速え、カウンター撃つ暇もねえ!
……いや待て、さっきからこいつの攻撃はパンチばかり……フォームから見てもこいつはボクサーか!)
九澄は一瞬左のパンチを打ち返す仕草をする。
だがそれはフェイントだった。
(ボクサーなら脚への攻撃は受けられねえだろう!)
姉から学んだ空手の動き、その基本技にして強力無比な技の一つ、左の下段回し蹴り(ローキック)。
帯は持たずとも有段者に劣らない力を持つ九澄のその鋭い蹴りは、しかし新宮が右脚を軽く上げたことで簡単にカットされてしまう。
「甘えよ」
九澄の顔面が跳ね上がる。
一瞬視線が下に寄っていた九澄には、それが何の攻撃なのかわからなかった。
上のガードを固め追撃に備えた九澄に対し、新宮は鋭く距離を詰め、膝蹴り。
みぞおちに衝撃が走り九澄がうめき声を上げる。
腰が落ち、胃液が逆流し肺が悲鳴を上げる。
みぞおちとは呼吸の要である横隔膜がある場所なのだ。
そのまま倒れてもおかしくないほどの苦しみの中で、九澄はしかし歯を食いしばって膝に力を入れる。
相手より背の低い自分が更に低い姿勢になっているこの状況。
膝蹴りが当たるほど距離が詰まっているこの状況。
それは反撃のチャンスだった。
頭。
もっともシンプルで強固な攻撃。
九澄の頭頂部が新宮の顔を跳ね上げた。
金属バットで大木を叩いたような乾いた打撃音とともに新宮が大きく後退する。
体勢を崩し鼻から血を流す新宮に九澄は追撃の打拳。
全力を込めた右拳は、それを受けようとした相手の手の平ごと顔面を撃ちぬいた。
新宮が腰を落とし後退する。
「すっ、すっげえ……!」
竹谷が唸った。
格闘技に縁がない彼にとって目の前の殴り合いは別次元だった。
魔法なしでもこれほど激しい戦いができるものなのか。
ひょっとすると自分は魔法なしの彼らにも負けるのではないか……?
そんな考えが頭をよぎる。
(いける、一気にケリを付けてやる!)
九澄が距離を詰める。
中腰になっている新宮の頭に狙いをすまし左の回し蹴り。
当たれば一気に戦いを終わらせる完璧な蹴り。
だが止まる。
新宮の両腕ブロック。
逆に九澄の体勢が崩れる。
そこから鞭をしならせるような左の裏拳が九澄の眼上を叩き、鈍い痛みを与える。
直後、両者が同時に斜め後方に跳び数メートルの距離が開いた。
九澄は肩で息をしながらも構えを崩さず相手を見据える。
戦いを見守る執行部員たちは皆息を呑んだ。
「……二人共なんて動きしやがる……」
「どうりで九澄が魔法を使わなくても充分やっていけるわけね……」
竹谷も氷川も驚きを隠せなかった。
影沼は口を固く結んだまま冷や汗を流していた。
「やるじゃねえかホントに……。
正直言ってこんな楽しい戦いになるとは思ってなかったぜ」
新宮が鼻血を手で拭いつつ口の端をつり上げる。
「何が楽しいだ……こんな無意味な喧嘩痛いだけだっつーの……」
九澄は喧嘩そのものを楽しむタイプでは全くない。
強くなった理由も環境(主に姉)による要因が非常に大きいといえる。
だが目の前の相手は明らかに殴り合いを楽しんでいた。
「まだ燃え足りねえだろう……?」
新宮が禍々しい笑みを浮かべる。
瞬間九澄の背にゾクリとした悪寒が走る。
直後新宮は九澄に向かって一気に踏み込んだ。
「それじゃあちょいとギア上げていくぜ!!」
左のジャブ、いやジャブと呼ぶにはあまりにも重く、強い。その連打。
一切の予備動作無しに打ち込まれるそれらが九澄の顔面と腹を次々に叩いた。
叩いた。
叩いた。
更に左のミドルキック。
ガードの上からでも腹まで突き抜ける衝撃に九澄の顔が歪む。
(こいつ……今まで本気じゃなかったのかよ!)
明らかに攻撃の重さが一段上がっていた。
九澄がサイドに距離を取ろうと踏み込みかけた瞬間、大外からの右フックが九澄の顎を打ち抜く。
脳が揺れる感覚。全身に痺れが走り、膝から力が失われる。
倒れる。
駄目だ。
倒れない。
倒れない!
九澄は無我夢中で新宮の胴体に抱きついていた。
タックルにも似た体勢だが、ただ倒れないためにすがりついただけだ。
新宮は肘を上げて落とし九澄の背中に突き刺す。
九澄はうめき声を上げながら両腕の力を緩めない。
今突き放されれば確実にやられる。
体が回復するまで、せめてあと10秒。
九澄は自由の効かない脚で精一杯踏み込み、自分の体ごと新宮を壁に打ちつけた。
鈍い音が響き新宮が口を歪める。
だが直後に新宮は腕を九澄の首に巻き付けヘッドロックのような体勢を作り一気に力を込め絞り上げた。
首への激痛で一瞬九澄の力が弱った瞬間を逃さず、九澄を振りほどき放り投げた。
「はあっ! はあっ!」
九澄は構え直しながらも大きく呼吸を乱す。
さっきとは疲労とダメージの量がまるで違う。
それほどあの右フックの一撃は強烈だった。
(くそうどうする……このままじゃあ……)
九澄に弱気が生じたその時だった。
「こらあ!! お前らそこで何してる!!」
声の主を見ればそれはこちらに駆け寄ってくる小男、大木先生だった。
その後ろには百草先生もいる。
「無許可で魔法バトルをするなとどれほど言ったら……!
これだから生徒だけには任せておけんのだ!」
怒り心頭の大木は、しかし新宮と目が合うやギョッと顔を引きつらせた。
「お、お前は新宮……!
なんでお前がここにいる、三年生はこっちの校舎に来るなと言われているはずだ……」
新宮は戦闘モードを解き余裕の表情で肩をすくめる。
「固いこと言わんでくださいよ、去年まで通っていた校舎じゃないすか。
ていうか大先生、ますます縮んだんじゃないすか?」
「う、うるさい。お前がでかくなっただけだ……」
腰が引けている大木を見て九澄は違和感を覚える。
(なんだ? 大先生、もしかしてビビッてんのか?)
怪訝に思ったのは百草も同様のようで、大木を見下ろしながら眉をひそめている。
「あの……大木先生……」
「と、とにかく! 一年の校舎で魔法バトルなど許さんと言ってるんだ!」
「魔法は一切使ってないすよ。素手でやりあってただけっすから」
「ええいどっちでも同じだ! とっとと帰れ!!」
「へいへい、それじゃあ大先生の顔を立てておきましょうかね」
新宮は分室の入り口でずっと直立不動のまま成り行きを見ていた紀川に歩み寄る。
「つーわけだ。帰ろうぜ」
紀川は注視しなければわからないほどほんのわずかに頷き、新宮の肩に手を置いた。
「ああそうだ九澄。お前の力は認めてやる。
次にやりあうときはお互いに魔法アリ、出し惜しみはナシだぜ」
新宮は嬉しそうに笑って拳を突き出した。
二人は赤いもやに包まれ、消えた。
場にはしばらく沈黙が漂ったが、百草がそれを破って九澄に駆け寄った。
「大丈夫なの、九澄くん?」
「あ、ああ。平気だよ、センセ」
「すっげえ喧嘩だったんだぜ。プロの格闘技みて~にハイレベルな互角の攻防でよ……」
竹谷が素人丸出しのフォームでパンチやキックを再現した。
「互角……ね……」
そう呟いた九澄の膝がガクンと曲がり、床に手がついた。
顔は苦痛に歪み口からは血がにじんでいる。
「ちょっと、九澄くん?」
「平気だって……自分で保健室行くからさ」
九澄はよろよろと立ち上がり歩き出した。
全身に痛みが残り、体重が倍になったかのような感覚だった。
人の視線から外れた階段の踊場まで辿り着いたところで歩みが止まる。
大木と話している時の新宮のひょうひょうとした様子が頭をよぎった。
(あの野郎まだ余裕で力を残してやがった……。
あのまま続けていたら間違いなく……ちくしょう、聖凪にあんな奴がいたなんてな。
無駄にバケモン揃いだぜここは……)
窓の外はどんよりと雨雲が広がり、今にも降り出しそうだった。
赤く腫れ上がった拳を強く握る。
ギリギリと歯を食いしばり、知らぬ間に下を向いていた顔を前に上げる。
(強く……ならねえと……。
大会に出ようと出まいと関係ねえ。
あんな奴らがいるこの学校に居続けたいのなら……)
そしていつか本物のゴールドプレートを手にして柊の夢を叶えるために。
九澄は力強く地面を踏みしめ歩き出した。
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