2012年8月8日水曜日

エムゼロEX 12

第十二話 コンビネーション


「さて……どうカタをつける?」

伊勢聡史がポケットに両手を突っ込みながら首を鳴らす。彼の横に並ぶ永井龍堂は浅く腰を落とし戦闘態勢に入った。

「遊ぶつもりはない……フルパワーで一気に終わらせる」

元より永井は戦いを楽しむような男ではない。魔法執行部の責務は圧倒的な力でもって校内の揉め事を迅速に制圧することであり、永井はそれに最も長けた男だ。だが二年生最強と謳われる二人と対峙する双子はなおも落ち着いたままだった。

「聞いたかい? フルパワーで一気に……だってさ」

「この期に及んで何も学習していない……。がっかりさせてくれるね」

双子は同じ仕草でクスクスと笑う。伊勢は赤色混じりの唾を吐き捨てた。

「気色悪い奴らだぜ……」

「あまりいきり立つな。冷静さを失いがちなのがお前の弱点だ」

永井の忠告は伊勢のプライドをやみくもに刺激するものだったが、今の伊勢は落ち着いていた。理由ははっきりしている。負ける気がしないのだ。永井との決着は目の前のウザい三人を叩き潰してからでいい。静かな、しかし強力な闘志が伊勢の腹の奥で沸々と煮えたぎっていた。

「頼むぞロッキー……!」

永井が呟く。

《待ちくたびれたぜえええええええ!!!!》

永井の声に応えたのは低く不気味な叫び声。永井の帽子に描かれたドクロが一気に膨れ上がる。飛び出した頭骨からめきめきと体が生えていき、死神のように禍々しい姿にへと変わっていく。永井の、ひいては二年生全生徒における最強魔法ロッキーカーニバル。消費MP、パワー、いずれも二年生の枠を超えた恐るべきレベルの大魔法だ。永井はこの強力魔法を使うために日常的に思考の一部をロッキーに「喰わせて」いる。ロッキーは術者の心を「喰う」ことで、魔法が発動していない平時においても独自の自我を保ち、知恵と知識を自ら身に付ける。リスクは決して小さくないが、口下手な永井にとってロッキーが時として勝手に喋って相手を威圧してくれるのは有用ではあった。もっとも最近はもっぱらロッキーには喋らせていなかったが。

「いざ間近で見ると」「すごい魔法だね」「怖い怖い」

ちっとも怖がっているようには見えない双子がそれぞれ斜め前方に飛び出す。伊勢と永井を挟み込むポジションを取るつもりだ。

「そううまく行かせるかよ……!」

伊勢は再び鎖を巨大化させ、自分から見てより近い巴♀に投げつけた。ほぼ同時にロッキーが巴♂を襲う。永井伊勢コンビの暗黙の作戦は双子を分断しそれぞれが各個撃破することだった。個々の魔法力では完全にこちらが上。タイマン×2に持ち込めば負ける道理はない。
その時永井は違和感に気付いた。巴♂が笑っている。完全にこちらの出方を読んだ上で勝ちを確信している顔。なぜ。
ロッキーの腕が巴♂に向かって振り下ろされる。ロッキーはその重そうな外見とは裏腹に動きの速さも半端ではない。絶対に躱せないタイミング。
瞬間、巴♂が加速した。ロッキーの手は空を切り地面にめり込む。永井がめまぐるしく動く巴♂を目で追おうとするが、その速さは常人の動体視力を超えていた。

「く……追え! ロッキー!」

《こいつチョコマカしやがってええええええ!!!!》

ロッキーが叫びと共に飛び出すが、牛が鳥を追い回すかのような機動力の違い故に全く捉えることができない。彼我のスピード差は歴然だった。

(なんだ……こいつの動きは……?)

重大な違和感。スピードに特化した魔法――例えば強化したスケボーに乗るなど――を使えば、このレベルの速さも実現可能だ。だが伊勢の魔法を真っ向から弾き返すパワーとこれだけのスピードを兼ね備えるとはどういうことなのか。一体どうやってこれほどの魔法力を得ているのか。

(まさかこれは……いや、今はそんな事を考えている場合ではない)

永井は迷いを押し込めながらロッキーに指示を出し、相手をコーナーに追い詰める作戦を選択する。相手が動く場所を先読みし、そこを塞ぐ。そして逃げようのない袋小路へ追い込んでいく。速さで劣るなら劣るなりの戦い方を。永井のキャリアに裏打ちされた戦術。

「いける……もうすぐ!」

永井の拳に力がこもる。だがその瞬間永井は後ろからの衝撃に吹き飛ばされてしまう。

「うおっ!!??」

かろうじて受身をとり転げまわる永井。この痛みには覚えがあった。これは敵の攻撃というよりも。

「てめー! 俺の鎖の行く道を塞いでんじゃねーよ!!」

ちっとも悪びれていない顔で伊勢が悪態をつく。そう、今のは伊勢の攻撃の巻き添えを食らったのだ。

「く……っ。いいところだったのにお前は……」

永井も言葉を返す。一瞬二人は睨み合うが、すぐにそれどころではないと思い直して背を向けあう。

「こいつら二人共ハエみてーにちょこまか動きまわりやがって……! 攻撃が当たりやしねー」

伊勢が歯ぎしりした。永井と伊勢を囲う形になったツインズは更に速度を速めて周囲を高速回転しだす。

「まったく最悪のコンビだね」「連携も何もなっちゃいない」「こちらはいよいよ」「本領発揮と行こうか」

ただ同じ場所を回っているだけではない。時には上を飛び、時には内側に切り込みながら攻撃を加える。高速にして立体的な縦横無尽のコンビネーション。今まで二人が戦ってきたどんな相手とも異なる戦術。

「やべーぞ、こいつはさっきと同じパターンだ……。奴らこのままチクチク刺し続けて俺らを根負けさせるつもりだぜ」

「歓迎しがたい展開だな……」

二人はそれぞれがジリジリと退がりほとんど背中をくっ付け合う体勢になる。ロッキーはもちろんまだ召喚されたままだが、もはやこれほどスピード差が広がると攻撃を仕掛けることも困難だ。こちらから動けば確実にその隙を突かれてしまう。だが永井は、不利を自覚しながらも冷静に戦局を分析し、ついにツインズの強さの秘密に思い当たった。ほのかに見慣れない光を帯びる双子の魔法プレート。それが決め手だった。

「やはりそうか……。聞け伊勢、奴らの強さの鍵は"シンクロナイズドプレートメカニクス"だ」

「シンクロ……? なんだそりゃ水泳か?」

伊勢は眉をしかめながら飛んでくる攻撃を鎖で弾き返し、"ついでに"永井に向かって来た攻撃も弾いてやる。高速移動のためか、いくぶん双子の攻撃精度は雑になっていた。

「シンクロナイズドプレートメカニクス。早い話、2つのプレートの魔法力の波長を合わせ、シンクロさせることで大幅に力を増す技術。知らなくとも無理は無い。授業で習うような話ではないからな」

それは支部長の嗜みとして図書室から借りたマニアックな魔導書を読むことの多い永井だからこそ知っている知識だった。

「そいつを使えば魔法力を何倍にも高められるってことか?」

「理論上はな……だが現実にそれを実行する難度は生半可ではない。まずシンクロを起こすほど魔法力の波長を合わせること自体が困難。まして絶えず状況が変化し続ける実戦で高倍率の共鳴を起こし続けることはほとんど不可能だと言ってもいい。簡単にできるなら教科書にも乗っているさ」

「だが奴らにはそれが出来る……双子だから」

「そうだ……それもただの双子ではない。恐らくあの二人は、幼い頃から行住坐臥あらゆる行動をシンクロさせることを日常としている。その目的まではわからないが、それが魔法において絶大な効力を発揮しているんだ。一対一なら平凡な力量でも、二対二ならあの双子に勝てる者は三年生にすら滅多にいまい」

深刻な話を他人ごとのように冷静に話す永井だが、その表情に余裕はない。

「じゃあ俺らに勝ち目はないってことなのかよ!?」

「なんとかしてあの二人の思考やテンションにズレを生じさせることが出来ればシンクロは崩せる。だがその方法まではわからん」

「相変わらず肝心なところで役に立たねーやつだ……!」

伊勢は再び鎖に最大出力の魔力を注ぎ、通常の倍以上の大きさへと変化させる。明らかに防御や駆け引きを度外視した攻撃偏重の体勢。永井の頬に冷や汗が流れる。

「馬鹿野郎、また同じ失敗を……!」

「俺に指図するんじゃねえ!!!」

永井が慌てて伊勢の肩を掴み、双子が勝利を確信してニヤついたその瞬間、伊勢の鎖は真下に向かって振り下ろされた。地面への攻撃。爆発的な轟音。瞬間、大きな亀裂が伊勢を中心として全方向に広がる。

「え……!?」

高速で移動する物体は急には止まれない。その上双子は空に浮いているわけではなく、あくまで地面を走っている。その地面に大きな亀裂が走ればどうなるか。巴♂は亀裂に足を取られ、勢い良く宙を舞った。伊勢の顔が妖しく歪む。

「今だ永井! やれ!!」

伊勢の鎖は地面に刺さったまま。ここから鎖を戻して攻撃するよりも、永井に攻撃させたほうが明らかに早い。それをあらかじめ計算に入れた上での指示。自分が指図されるのは嫌でも他人には指図する、それが伊勢聡史!

「す、すまん! 足を取られた」

永井は転んでいた。その左足は見事に亀裂にハマっている。

「~~~~~ッッ……!! これだからてめーはドンくせーんだ……!」

巴♂が着地する。一方巴♀はちょうど伊勢と永井を挟んで反対側の位置でプレートを構えていた。

「ははは、いい不意打ちだったけど所詮君達はそこまでだよ! さあ、次で終わらせてやる!」

「そうでもねえ……」

伊勢は未だ鎖を地面に打ちつけた時の体勢のまま下を向いていた。その伊勢の、ギリギリ髪で隠れていない口の端が釣り上がる。直後、巴♀の背中をゾクリとした悪寒が走ったのと、その足元の地面がひび割れ「何か」が飛び出してきたのはほとんど同時だった。
鎖。
先ほど地面に突き刺さった伊勢の鎖が、巴♀の真下から現れたのだ。当然防御魔法を発動する暇もなく、瞬く間に可憐な少女の全身が鎖に絡め取られる。少女の顔が苦悶に歪む。

「ぐ……!」

「しまった……最初からそっちが目的だったのか!」

巴♂は動揺を隠せない。片方の動きが封じられてしまえばこれまでのような連携攻撃は不可能だ。永井はようやく脚を亀裂から引っこ抜き、伊勢と並んで巴♂を正面に見据え立った。

「やれやれ……そういう事ならちゃんと言え、伊勢」

「てめーに話したら向こうにバレちまうじゃねえか。さあ、さっさと終わらせろ」

「言われるまでもない……!」

ロッキーが更に膨れ上がる。伊勢と同様、小細工抜きのフルパワー攻撃の構え。だが巴♂は冷や汗を流しながらも再び笑みを浮かべる。

「ははは……何か忘れているんじゃないか? この状態でも僕達のプレートのシンクロは崩れていない……。つまり正面切ってのパワー勝負でも君達には負けないってことさ!」

だがそれに対し伊勢が中指を突き立てた。

「じゃあ受けきってみろ……チョコマカ逃げ回らずに正面からな」

「ふん……望むところだ!」

肝心の、攻撃する自分を放っておいて盛り上がる二人に永井はちょっと微妙な気分になりながらもロッキーに全魔力を注ぎ終える。これで勝てなければ力ではどうやっても勝てない。

「頼んだぞ……相棒!」

《任せろってんだああああああああ!!!》

ロッキーが高く宙に浮き上がる。相手を見下ろす位置から最高のスピードで突進するつもりなのだ。だがいざ飛び出そうとする瞬間、ロッキーの右腕に何かが巻き付いた。
再び鎖である。

「伊勢……?」

伊勢は左手に握った鎖で巴♀を拘束し、残った右手からもう一本の鎖を伸ばしてロッキーの右腕に巻きつけていた。

「フン! これで負けたら俺のプライドもコケにされちまうからな。てめーのあの貧相な骸骨だけには任せておけねーよ」

「言ってくれる……」

永井が微かに笑う。鎖は今や西洋鎧の手甲のように、ロッキーの腕を力強く覆っていた。これは理に適っている、と永井は思った。巴ツインズのようにプレートをシンクロさせるのは高度すぎる技だが、単に個々の魔法を組み合わせて補強するだけなら授業でも習う応用技術の範疇だ。とはいえ普通なら連携のための訓練を一切していない永井・伊勢コンビにぶっつけ本番で出来ることではない。だが不思議と永井は失敗する気がしなかった。むしろさっきまで感じていたプレッシャーがぐんと軽くなったかのようだ。これもまたコンビネーションの一つの形だろう。

「行くぞ伊勢……」

「とっととしろ」

《おおおおおおおおおっっっっらああ!!!!》

ロッキーが弾けるように飛び出した。斜め下の少年に向かって、矢のような速度で。巴♂はプレートを両手でロッキーに向かって突き出し、最高出力のシールドを発生させる。

(くっ……落ち着け僕が負けるはずがない……僕達のパワーがあんな小手先の技で超えられるわけがない……あいつらは急造コンビ、犬猿の仲、僕達のシンクロの真似事なんてできるはずがないんだ僕達はあいつらと僕達は違うんだ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ負けるなんて嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘……)

シールドが砕けた。
ロッキーの拳が華奢な少年を撃ち抜き、少年はきりもみしながら宙を舞った。

(………………)

(…………)

(……)





伊勢は鎖に束縛されたままの巴♀の方を振り返り、興味無さげに言った。

「続けるか?」

少女は首を横に振る。

「いいえ……あたしたちの負けよ」

直後、鎖がフッと消え伊勢の手の平の小さなアクセサリーに戻った。永井が大きく息をつく。

「あーらら……この展開は予想してなかったなー」

望月がのんきな声でそう呟いた。とてもショックを受けているようには見えない。望月は倒れた巴♂に近づき、引っ張り起こす。少年は少し顔を歪めたが自分の足で立つことができた。

「まあ体のダメージは大したことないみたいね。さすがいい防御魔法使っているだけあるじゃない。ちょっと治療すりゃすぐ治るでしょ」

「済まない、悠理さん」

「ハイハイ」

「さあ茶番は終いだ」

伊勢が望月の目の前にズイッと割りこんだ。男子の中でも体格が良いだけに、この二人の間に立つと頭一つ分近くサイズが違う。

「例の大会の出場は考え直すんだよな」

「はい? なんで?」

「なんでっててめー、俺が勝ったら……」

「それは伊勢くん一人で勝ったらの話でしょ。助っ人アリだなんて聞いてないよ」

「ぐ……!」

「それとも伊勢くん、約束反故にしておねだりしちゃうようなプライドのない人だったの?」

「て、てめー……!」

伊勢の血管がプチプチと切れる。だがいつの間にかロッキーを仕舞っていた永井が伊勢の肩に手を置く。

「諦めろ伊勢。こういう相手だ」

「ち……!」

「それはそうと望月さん、校則違反は校則違反だ。反省文は書いてもらう」

望月は耳の穴をほじりながらやる気無さそうに返事をする。

「ああ反省文ね。会議室に百枚ぐらいストック置いてあるから、適当に三枚見繕って持ってってよ」

「…………!!!」

今度は永井の顔が歪む。

「諦めろ永井。こういう女だ」

そして伊勢がなだめる。

「ま、伊勢くんが壊した校舎の修復はこっちで受け持つからさ。それでトントンでしょ?」

「ち……口の回るやつだ。行こうぜ永井。こんなヤツ相手にするだけ時間の無駄だ」

伊勢が踵を返し歩き出す。永井はまだ望月を睨んだままだった。

「一つだけ教えてくれ望月さん。あの聖凪杯という大会、君は一体何が目的なんだ?」

望月は薄い笑みを動かさない。

「あの大会は君が企画し、先生たちに掛けあって開催許可を得たと聞いている。その上自分でも出場するつもりとなると……何か裏の意図があるはずだ、必ず」

「さあね……もしそんな物があったとして、聞かれてそうよと教えるわけないじゃない」

「だろうな」

永井もまた踵を返した。

「だがこれだけは言っておく。もし君の企みが、聖凪高校や学園生に危害を及ぼすものだった時は……俺達執行部が力ずくでもそれを止める」

「勝手に俺を含めんじゃねーよ……」

伊勢のボヤキを無視して永井は歩き出す。夕日に照らされる二人の男の背中はなんとも力強いものだった。
二人が扉の向こうに去って行ったのを確認した望月は、赤い空を眺めながらケータイをいじって誰かに電話をかける。

「ああもしもし? あたしだけど、ごめんちょっと邪魔が入っていいところから聞けなかったんだ。簡単にまとめてくれない? …………ふーん、ふんふん……。あはは、二重人格? それ面白いなあ、いい発想してるよその子! よっぽど九澄くんの事が好きなんだろうねえ……。ごくろーさん、これからも何かいい情報あったらよろしくね。
 ……影沼くん」

2012年7月17日火曜日

エムゼロEX 11

第十一話  伊勢聡史vs巴ツインズ


執行部に黒髪ロングの男子がいるということなど観月は知らなかった。しかも九澄と同じC組。顔を見たことぐらいはあるはずだが、よほど影が薄いのか、単に観月が九澄しか見ていなかっただけか。多分両方だろう。二人は氷川に仲介してもらい学校の図書室で落ち合った。その男子は暗い雰囲気ながら人畜無害な印象を受けたので観月はほっと胸をなでおろした。もし小石川のような粗暴な男だったら即座に立ち去っていたところだ。

「九澄のことで話があるんだって?」

「うん……その……すごくおかしな話なんだけど……単なる妄想と思われるかもしれないけど……聞いてほしいの。そして出来れば意見を聞かせてほしい。もちろん誰にもこのことを喋らないって約束で」

その男子、影沼次郎はしばらく考えてからこう切り出した。

「それって九澄が魔法を使いたがらないことと関係があるの?」

「どうしてわかったの!?」

観月は思わずガタンと立ち上がった。影沼は目を丸くしたが、口を手で覆って話を再開する。

「僕もそのことについては考えていたんだ。九澄の強さの秘密が知りたくて……彼を観察していたらふと気がついた。彼は滅多に魔法を使わない……。九澄が魔法の濫用を嫌っているのは誰でも知っている。だけど身近で観察すればするほど、少しずつだけど確実に、不自然に思えてきた……」

影沼は慎重に言葉を選んでいるようだった。少し目を泳がせてから核心に触れる。

「もしかしたら彼は魔法を使わないのではなく、使えない理由があるのかもしれない」

観月はゴクリとつばを飲み込んだ。自分と同じ考えに至った人間が存在したことが、驚きであると同時に安堵の気持ちもあった。少なくとも自分だけがイカれているというわけではないのだ。

――その時影沼は話を続けながら机の下で携帯を操作していた。観月がそれに気付くことはなかった。

「だけどこの仮説には致命的な欠陥があるんだ。彼は現に魔法を使ったことがある。僕や他のクラスメイトの目の前で。この事実はどうしたって動かせないものだ。『使える』のに『使えない』、そんなことが果たしてあり得るものだろうか。僕にはこの矛盾を解く鮮やかなアイディアなんてない。だけど一つ考えていることがある。それは彼のゴールドプレートは完全なものではなく何らかの制限があるのではないか? ということなんだ。例えば一日一度しか使えない。例えばMPが非常に少ない。例えば特定の条件を満たした時にしか発動しない……。一年生である彼にゴールドプレートを与えるなら、むしろそうした制約がある方が自然ではないかと僕は考えた」

観月は知らないが、影沼にとってこれは一日の平均会話量に匹敵するほどの長文である。しかし彼女はそんな事よりも話の内容に引き込まれた。自分では至らなかった考察を含んでいるのだから無理もない。そして同時に影沼が持たない情報を観月は持っていた。

「あの……その『特定の条件』について、ひとつ考えがあるの。それについてどう思うか聞かせて欲しい」

観月は一文一文頭を整理しながらゆっくりと話し始めた。


####


校舎の屋上は魔法バトルのメッカである。もちろん校則では禁止行為と定められているが、揉め事を力で解決するならこの場所というのが聖凪高校に古くから伝わる伝統なのだ。その場所で伊勢聡史は巴ツインズと対峙していたが、彼の視線は双子の後ろでイヤフォンに気を取られている望月悠理に向いていた。

「……おいこら、これから決闘だってのに、一体何聞いてんだてめーは」

「えーっ、あたしが戦うわけじゃないんだし、別にいいじゃない。これからいい所なんだけどな」

「下らねーこと言ってんじゃねえ。まともに観戦する気がないならとっとと失せろ」

望月はやれやれと肩をすくめてイヤフォンを外しポケットに仕舞った。それから前方の双子に目配せする。

「ルールは……まあなんでもいいか。あんまり大怪我させないようにしてね」

「うん」「わかった」

双子が同時にうなずく。伊勢はまたしてもイラッとしたが、腹の中は既に冷静だった。伊達に場数を踏んではいない。

「もう始まってるんだよな」

伊勢はポケットからアクセサリーのシルバーチェインを出し、それを巨大化した。伊勢の最も得意とする魔法、入学当初からの十八番、それが物体強化魔法を施した鎖による攻撃である。通常、物体強化魔法は対象物を限定しないが、それに対する愛着や馴染みが強い物ほど効果は大きくなる。津川のスケボーがわかりやすい例だ。伊勢にとって、中学時代から愛用しているシルバーチェインはまさにうってつけの武器だった。

(だがここまでは従来通り……ここからが対九澄用スペシャルだ!)

巨大化した鎖がみるみる形状を変えていく。それはあたかも樹木の成長を数秒に圧縮しているかのような急激な変化だった。瞬く間に鎖は四本に枝分かれしそれぞれが独自の意思を持つかのように動き出す。

(四つ首の龍〈フォーヘッズドラゴン〉、それがこの技に俺が与えた名!! 竜の首に見立てたそれぞれの鎖を自在に操り、あらゆる角度から同時に攻撃する!! 九澄は謎の防御魔法によって魔法を消去する! だがこの技は予測不能!! 反応不能!! 全方位から襲い来る四本の首を同時に消すことなどできやしねえ!!! そして一方でこの魔法は対複数戦においても最高の武器!!)

伊勢は左右の腕を交差する形に振り下ろす。四本の鎖が弾かれたように一斉に飛び出し巴ツインズに襲いかかる。双子はギリギリのタイミングでそれぞれ左右に跳びそれらを躱す。

「甘え!!!」

鎖は二本づつに分かれ双子に迫る。双子は二人同時に魔法プレートを構えた。何らかの防御魔法を使おうとしているのだ。

「そんな小細工は通用しねーぞ!!」

鎖の先端部は直径一メートルはある金属の塊だ。まともに食らえば悶絶と打撲は免れない。並外れた頑丈さを誇る九澄でさえ一撃で大ダメージを負ったのだ。だが巴♂はその鎖が目前に迫った瞬間、薄く微笑んだ。

ガキンという大きな衝突音。伊勢の耳が痛む。だがそれ以上に目の前の光景に伊勢は目を見開いた。
防がれている。
二首の龍は巴♂の魔法シールドによって完全に弾かれていた。伊勢は咄嗟に逆方向に目を向ける。全く同じ現象。巴♀の目の前でヒビの入った鎖が舞っていた。

「凄い凄い」「だけどこの程度じゃあ」「僕達の防御は」「破れない」

(馬鹿な……!!)

四本が二本になったところでそのパワーは並の二年生レベルの全力を凌駕する。それを単なる魔法シールドで完璧に弾くなど。相手の魔法力の方が上ならともかく、二人共プレートの格ははっきりと伊勢より下なのだ。だが伊勢は、その時双子のプレートが微かに見慣れない光を放っていたことに気付かなかった。

(くっ……そんなはずはねえ!!)

伊勢は手を掲げて鎖を呼び戻す。四本の鎖は伊勢の頭上でらせん状に高速回転し、融合、一本の巨大な鎖に変化する。

(四本同時に操るのはまだ訓練不足だったか? 気付かねーうちに一つ一つのパワーが計算より落ちていたのかもしれねーな……この際フルパワーの一撃で一人ずつ叩き潰してやる!!)

鎖の先端は二メートルを越す金属球に変化する。生身で食らえば即死しかねない程の強大なパワーがそこには宿っていた。それは伊勢が腕を振り下ろすと同時に大砲のような勢いで巴♂に迫る。
巴♂は避けようとはしなかった。両手を前に突き出し、その前方にプレートを浮かせる。明らかに防御魔法で真向から受け止める構えだ。失敗すればただの怪我ではすまない。

(正気か!? パワーの違いぐらいわかってんだろう!?)

伊勢は勢いを弱める気はなかった。それがバトル。たとえ負けて重体になったとしてもそれは弱い者の責任。
鎖の先端と巴♂のプレートが衝突する。耳を裂かんばかりの轟音。
その直後伊勢が見た物は、制御を失って無残に宙を舞う己の武器の成れの果て。

(馬鹿……な……)

(俺の全力の一撃が……)

(二年かけて磨き上げた……俺の最強の技が……)

伊勢が茫然自失となっていたのはほんの一瞬だった。
なぜなら伊勢の背中を、鋭い激痛が襲ったからだ。苦痛に顔を歪めながらなんとか後ろを向いた伊勢が見た物は、巴♀の小憎らしい微笑。隙だらけだった伊勢の背中には魔法で強化されたボールペンが刺さっていた。

「後ろが」「がら空きだよ」

「う……うおおおおおおっ!!!」

伊勢は鎖のコントロールを取り戻し、全力で振り回す。ヒビ割れたとはいえまだ大きなパワーを持つそれを、しかし巴♀もまた簡単に弾いてしまう。同時に再び背中への衝撃。伊勢はバランスを崩し膝をつく。

(俺が……こんな奴らにいい様にあしらわれているってのかよ!!)

まだ新しい魔法を使うだけのMPは残っている。だが伊勢の精神は既に冷静さを失っていた。通用しない。パワーで自分より劣るはずの相手に、戦術以前の力勝負で負けている。その事実はあまりに深刻だった。
ツインズが同時に遠距離攻撃魔法を放つ。複数の角度から襲い来る防御不能の攻撃。伊勢がやろうとしていたことを今相手にやられていた。伊勢は地面を転がりかろうじてそれらを躱す。更になんとか不利な立ち位置から逃れようとするが、ツインズは正確に伊勢を挟み撃ちにするポジションを保ちつつ攻撃を続ける。フェイントと、死角からの本命攻撃。あるいはフェイントと見せかけての正面攻撃。すべての行動が滑らかに繋がる合理的な組み立て。明らかに連携戦闘の訓練を積んだ動きだ。そのような相手に対して伊勢は対処のための知識も経験も持たない。聖凪の授業において魔法による連携を専門的に学習することはないのだ。

(こいつら……なんのサインもなしに完璧なチームプレイをやりやがる。今までに俺が倒してきた相手とはコンビネーションの練度が全く違う!)

鎖を体の周囲で回転させ、動的な盾のように使い致命傷を防ぐ伊勢だったが、体のあちこちに浅い生傷が刻み込まれていく。誰の目にもジリ貧は明らかだった。その様子を眺める望月は楽しそうに目を細める。

(ふふ……双子ならではの完璧なコンビプレイ、それだけでもあの二人は厄介極まりない……。だけど彼らの強さにはもうひとつ"からくり"がある……。プレートのレベル差を埋め合わせて余りあるその"からくり"がわからない限り……あなたに勝ち目はないわよ、伊勢くん)

追い詰められた伊勢の、それでも恐怖を押し込め闘争心を絞り出そうとする必死の表情を見て望月はゾクゾクとした嗜虐心を覚えた。

(ああ……こんな事ならあたしが傷めつけてあげれば良かった……ねえ伊勢くん、それで終わり? 違うでしょう、伊勢くん?)

(クソッタレ、このままじゃ……ここで、こんな所で負けるっていうのかよ!?)

「負けられねえ……!」

痛みで力が抜けそうになった脚に活を入れ、踏み込む。睨みつける相手は余裕綽々の巴♂。再び鎖に限界近い魔法力を注ぎ込み、振りかぶる。

「ブッ!! コロ!!! ス!!!!」

咆哮。鎖を、投げる。
刹那、伊勢の両足が重力を失う。伊勢が思い切り踏み込んだその瞬間を狙って、巴♀が背後から脚を払ったのだ。武器は魔法によって強化延長されたスカーフ。完璧な不意打ち、伊勢は受け身を取ることもできず豪快に転ぶ。

「これで」「決まりだね」

双子が同時に上空へと小石を投げる。2つの小石は伊勢の真上で巨大化し、真っ直ぐに落下していく。

「クソッ……タレ……」

   (もう間に合わない)
               (下敷き)
       (敗北)
 (惨めに)
          (負け)

暗転。

ズズンという重い轟音が響き、静寂が戻ると共に双子が戦闘状態を解いた。完全なる勝利。このあと必要なのは伊勢の治療だけ。
だが望月は双子とは違う場所を向いていた。

その視線の先で、一人の男が肩に一人の男を抱えていた。

「ケッ……てめーに助けられるたァ人生最悪の一日だぜ……」

伊勢がぼやいた。伊勢を抱えるは長髪にバンダナ姿の優男。

「相変わらずだなお前は……礼ぐらいはちゃんと言え」

永井龍堂。
伊勢聡史のかつての仲間にして現ライバル。そして魔法執行部支部長を勤める男がそこにいた。永井は真っ直ぐに望月を見据える。

「"これ"は明白な校則違反だ……生徒会長であっても例外ではない。わかっているよな」

望月は少しもたじろがずにクスリと笑う。

「そうね……とっ捕まえてみる?」

「そうさせてもらう」

「そうは」「いかない」

双子が立ち塞がる。

「……っておい永井。とっとと降ろしやがれ」

そう言うと伊勢は永井を自分で振りほどいた。永井は伊勢を心配そうに見やる。一つ一つの怪我は深くないが、痛々しいほど多数の傷が体のあちこちに残っていたのだ。

「怪我は大丈夫なのか?」

「こんなもん全然大したことねーよ。だいたい何だてめー、俺がこんだけ苦戦した相手に一人で勝つつもりかオイ!」

「……それが支部長としての俺の勤めだ」

伊勢の血管がピクピクと浮き立つ。

「そういうスカした態度が気に入らねーつってんだよ俺は!!」

伊勢は永井の襟を掴みまくし立てた。永井は眉間にシワを寄せ苦々しい表情で伊勢から目を逸らす。

「……お前はそれでいいのか?」

「あァ?」

「前に言ったはずだ……お前はまだ執行部の一員だと。それがまたこんな所で喧嘩をして……いつまで一人で突っ張っているんだ」

「…………!!」

「俺は……俺の任務を果たす。それがどんなに困難であろうとも……それが俺の仕事であり、俺の誇りだ」

永井は伊勢に背を向け、双子と望月を見据え一歩前に踏み出した。その背中にかつての、実力に見合わずいつも自信無さげに振舞っていた頃の面影はない。

「だがお前がそれを理解できないというのなら……大人しく退がっていろ」

「……待てよオイ!!」

伊勢が永井の肩を掴んだ。

「いつもいつもそうやって格好つけて一人で背負い込みやがって……! 俺が一番気に入らねーのはあのクソ女なんかじゃねー! てめーなんだよ!」

伊勢の唇はわずかに震えていた。言いたいことは腐るほどある。だが言葉にならなかった。唯一つ、今言うべきことがあった。

「今回だけだ……! 今回だけはてめーに手を貸してやる!」

「ああ……そうしてくれると助かる」

永井は安心したようにつぶやく。

「ケッ……」

伊勢は肩を掴んでいた手を放り出し、ポケットに両手を突っ込んで永井の横に踏み出た。
永井龍堂と伊勢聡史、二年生最強と謳われる二人が並び立つ。かつて一年生の間で無敵コンビと呼ばれたデュオの一年ぶりの復活劇。事情を知る者なら何かを感じずにはいられない光景だ。
いつしか伊勢の体からは疲労とダメージが消え去っていた。ただ怒りと闘志だけがみなぎる。永井もまた、これまでになく血が滾るのを感じていた。

「秒殺で行くぞ!!」

伊勢が叫んだ。

「おう!!」

永井が応えた。
双子は微笑を崩さないが、その頬に冷や汗が流れる。

第二ラウンド、伊勢聡史・永井龍堂vs巴ツインズ、開幕。

2012年7月10日火曜日

エムゼロEX 10

第十話 名探偵観月?


観月尚美はリビングのソファーに寝転がってTVのチャンネルを次々切り替えていた。地上波、BS、CS、どの番組にもまるで興味が沸かない。というより今の観月を惹きつけるのはどんな名作映画や爆笑バラエティにも不可能なミッションだ。
心ここにあらず。
観月にとって目の前の液晶画面が映し出すどんな映像も素人が描いた出来の悪いパラパラ漫画に過ぎなかった。

「あんた最近悩み事があるでしょ」

背後から突然聞こえた声に反応して観月はガバッと身を起こした。

「お姉ちゃん」

パンツ一丁にバスタオルを首からかけただけの、あんまりといえばあんまりな風呂あがりスタイル。父親が単身赴任中で女しかいない観月家だからこそ可能な姿で姉が立っていた。

「なになに、例のカレの事で悩んでんの?」

観月の顔がカッと熱くなる。

「べ、別に九澄のことなんか気にしてないわよ!」

「そうそう、その九澄君。そろそろキスぐらいは済ませたわけ?」

「キ、キキキキキ……」

観月の顔はいよいよ焼けた鉄のように真っ赤に染まる。姉はその様子を見て大げさに溜息をついた。

「その様子じゃ進展なしみたいね。まったく、男一人落とすのにいつまでかかってんのよ情けない。とてもあたしの妹とは思えないわ」

「お、お姉ちゃんみたいにはなりたくないわよ!」

姉は顔立ちこそ妹によく似ているが性格は随分違う。少なくとも尚美は、自分が大学生になったとしてもヘソにピアスをつけたり髪の毛をメッシュ染めしたり財布にコンドームを常備するようになるとは思っていない。とはいえ姉のことが嫌いなわけでもない。姉は昔からいつも尚美には優しかった。同時に少々お節介でもあった。

「いい、男なんてもんはちょっと色目を使ってやればホイホイってついてくんのよ。所詮は猿よ猿。あんた可愛いんだから女の武器を使えばいいって言ってんの」

「だ、だから、九澄のことじゃないって言ってるでしょ! もう! 関係ないからあっち行っててよ!」

やれやれとでも言いたげに姉は肩をすくめた。男嫌いだった妹がようやく色気づいたと思ったらこの調子だ。いっそ九澄とやらに連絡をとって妹を強引に押し倒せとでも言ってやろうかなどとロクでもないことを考えていると、その妹がうつむきながらボソボソとしゃべりはじめた。

「あ、あのさあ……お姉ちゃんは、もし好きな人が嘘ついてるかもって思ったらどうする?」

「なになに? 浮気してるって話?」

姉が目を輝かせる。

「い、いや、浮気とかそういうのじゃなくて……」

「よねえ。付き合ってもいないのに浮気はできないもんねえ」

「だからその……一度疑わしく思ったら何もかも疑わしく思えてきて……何を信じたらいいのかわからなくて……でも本人には聞きたくなくて……その……ええっと……」

「尚美……あんた……」

姉が真剣な顔で尚美ににじり寄る。次の瞬間姉は勢い良く妹を抱きしめた。

「可愛い~~~!!」

「???」

何が姉のツボにはまったのか尚美にはまるでわからなかった。

「あんたもとうとうそういうことに悩むようなったのね! お姉ちゃん嬉しい!」

「へ、変なことで喜ばないでよ!」

「だってー、あんたの年にはあたしは15人ぐらいはケーケン済みだったのに、あんたってばそういうの全然ウブなんだもん。お姉ちゃんとしては心配になっちゃうわよ」

「じじじじじ、15人……? 高一で……?」

想像を絶する数字に尚美の思考が固まる。

「いーい尚美、サイコーの解決方法を教えてあげる」

「サイコーの解決法……?」

姉は満点の笑顔とともに力強く言い切った。

「エッチすればいいのよ! エッチすれば男の本性なんてまるわかりなんだから!」

「できるかーーーーー!!!!」

尚美は絶叫した。

「あ、でも避妊だけはちゃんとしときなさいよ。いやーこないだ生理が遅れた時は怖くて怖くて……」

「もういいからあっち行って! お姉ちゃんのバカ!」

姉を振りほどきクッションを思い切り投げつける。姉はそれを受け止めて「初体験の感想は聞かせてねー」と笑いながら軽やかに去って行った。残された尚美はドサリとソファーに倒れこむ。酷く疲れた。

「はあーっ、お姉ちゃんは全然役に立たないし、どうすればいいんだろう」

自分一人ではいくら考えても答えが出そうにない。かといって魔法を知らない人間に相談しても時間の無駄だ。かといって聖凪の誰かに相談するとしても、「九澄大賀は魔法が使えないのでは?」なんて誰に言っても信じてもらえそうにない。いや待て、そもそも九澄は魔法が使えないという疑問は正しいのか? 

観月は九澄が魔法を使ったことがあることを知っている。例えば彼と初めて出会った日、ホーレンゲ草を取りに行った洞窟でのこと。九澄は地図もない複雑な洞窟の中で最奥部までの道順を難なく見つけ出し、トラップもことごとく見破ってみせた。魔法もなしにそんな事は――

(違う……不可能じゃない!)

ルーシー。九澄はあの洞窟でマンドレイクの少女ルーシーと出会っていた。ルーシーはあの洞窟の住人だ。彼女の助力があれば洞窟の構造など全て筒抜けだったのではないか? だとすれば九澄がルーシーのことを徹底的に隠していたことも説明がつく。文化祭の時に愛花と自分に見つかっていなければ、九澄は今も彼女の存在をひた隠しにしていただろう。

クラスマッチはどうだ? 自分と小石川に囲まれた時、九澄は魔法を一切使うことなく機転と駆け引きでその場を制してみせた。その時自分は九澄との器の違いを思い知ったが、もし九澄が魔法を使えないのだとしたらあの行動こそ九澄が取れる唯一の手段だったことになる。気味が悪いほど辻褄が合ってしまうのだ。だが一つ問題がある。大門との一騎打ちになった時、九澄は大門の攻撃を何らかの防御魔法で防いだのだという。大門本人がそう言っていたのだからこれは間違いないはずだ。この一点を持って疑惑は否定されたと言えるのではないか――

(いいえ、騙されたらダメよ!)

その時大門が使ったのは遠距離からの弓による射撃だ。九澄が具体的に何をしたのか大門にもわかっていない。その上九澄は自分が攻撃する際にはやはり魔法を使わず素手で風船を割って勝利したのだそうだ。実に怪しい。疑惑解消と言うには早すぎるではないか。

(とはいえ……)

観月は溜息をついた。いくら理屈をこねまわしたところでこの仮説には大きな欠陥があるのだ。

(あたしはこの目で九澄の魔法を見ちゃってるのよね……)

割と最近、九澄が学校の廊下で大暴れしたことがある。小石川を一蹴し大門もまとめて説教臭いことを言ったあげく――

(あ、あたしを抱きかかえて……お、おおお、お姫様抱っこ……)

観月はその時の感触をいつでも鮮明に思い出すことができた。そのたびに全身がぽうっと熱くなり切ない気分になる。いつしか観月の手は自分の股間へと伸びていき――

(って、そんなことしないわよ!!)

観月は首を振って我に返った。

話はそこで終わらない。あの男は様子を見に来た柊先生に向かってあろうことかタメ口を聞き、お前呼ばわりで命令、そして当然即怒りのボルテージを上げた先生に対し、あの男は何やらスゴイ魔法を使って自分の力を誇示してみせた。その結果なんと先生は途端に大人しくなり、九澄をどこか、確か校長室だったか、言われるがままの場所に連れて行ったのである。柊先生ですら本気の九澄には逆らえない。その噂は一瞬で広まり、九澄に挑もうとする者はますますいなくなった。この事件がある以上九澄は魔法を使えないなどという説は単なる戯言にすぎない。だが観月はどうしても納得しきれなかった。

(そう……あの時の九澄はどこか……というか何もかもが変だった……あいつがあたしを意味なく抱き上げたりする? 挑発のために魔法を使ったりする? 自分のことを「ボク」って呼んだりする? あの時はああいう強気な九澄もいいかもって思ったけど……やっぱり絶対に変!)

今思えばあの時の九澄は別人だったのではないか。柊先生が逆らえなかったのもその正体に気付いたからではないか。つまり、柊先生より偉い誰かだと。

(でもそれも変……そんな人がどうして九澄に化ける必要があるんだろう。それ以前に、あれはやっぱり九澄……あたしがあいつの顔を見間違えるわけがない……あれが九澄なのは間違いない……だけどやっぱりおかしい……九澄なのに九澄じゃない……それってどういうこと……?)

頭が痛くなってきた。もとよりあれこれと考えるのは得意ではない。熱いコーヒーでも飲もう。そう考えて観月が立ち上がったその時、それは聞こえた。

『この二重人格野郎!!』

観月ははっと振り返る。テレビの中で厚化粧の女優がそう叫んで男をなじっていた。テレビドラマのワンシーンだ。

(二重……人格……?)

ドラマの中でその言葉は主役の男の裏表ある性格のことを指していた。だが観月の脳裏にその言葉の別の意味が浮かび上がる。ジキルとハイド。本当の意味での二重人格。全く異なる2つの自我が一人の人間の中に存在すること。

(もしかしてこれって……!)


####


翌日の放課後。

「あたしに相談?」

観月に話しかけられた氷川今日子は眉一つ動かさず答えた。観月は薬品部の仕事上頻繁に執行部に出入りしているので顔見知りではあったが、ほとんど話をしたことはない。そういう人から相談を持ちかけられれば面食らうのは当然だ。氷川は感情を顔に出さないタイプだったが、多少なりとも驚いていることはポカンと開いた口から見て取れる。

「う、うん……時間あるかな……?」

観月は遠慮がちに尋ねる。

「悪いけど執行部の仕事と、それが終わったら塾があるから……だけどどうしてあたしなの?」

氷川は当然の疑問を発した。相談事ならもっと仲の良い友人を選ぶのが普通だろう。まさか友達がいないというわけでもあるまい。

「えっと……つまり相談の内容ってのが問題で……ある人のことを良く知ってて、口が堅くて頭も良い人っていうのが氷川さんしか思いつかなくて……」

氷川は九澄と同じ執行部員でクラスも同じC組。当然何かと接点は多いだろう。もちろんもう一人該当する人物がいるが、こと九澄のことに関してその人物に相談するのは絶対に避けたかった。なんというか、とにかく嫌だった。

「もしかして九澄くんの話?」

「えっ!?」

観月の心臓が跳ね上がる。その様子を見て氷川はふんふんと一人納得した。

「ど……どうして九澄のことだって……」

「いや、とある情報筋からあなたが九澄くんのことを好きだって聞いてね。それでもしかしたらと思ったんだけど」

「と、とある情報筋って……」

「ああ気にしないで、そんなに噂が広まってるってわけじゃないから。そういうのに目ざといゴシップ男がうちのクラスにいるってだけの話。たまたま九澄の話になった時に聞いたんだけど、あんまりそういうのを言いふらすなとは言っておいたわ」

どこか遠くで伊勢カオルがくしゃみをした。

「で、恋愛相談だったらあたしは不適格だと思うけど」

「ち、違うの。そういうのじゃないのよ。なんて言ったらいいのか……とにかくもっと違う話。こう……複雑で信じがたい話、頭おかしいんじゃないのって言われるような話なんだけど……」

氷川はしばらく考えこんでからふむ、と前置きした。

「そういうことならあたしより適格な相手が一人」

「え?」

「男子でも良ければ」

氷川が上げた人物の名を観月は知らなかった。男子というのも観月にとってはハードルが高かったが、氷川が適格と言うのだからともあれ一度会ってみることにした。今はとにかく話を聞いてくれる人間が欲しかった。


####


「そろそろ来ると思ってたよ」

生徒会本会議室。生徒会長である望月悠理が机に肘をついたまま微笑んだ。目の前に立っているのは見るからに不機嫌な感情をにじませた男。

「てめーに話がある」

「そんな怖い顔しないでよ、男前が台無しじゃない」

望月がおどける。男の額に血管が浮かぶ。

「ふざけたマネもいい加減にしやがれっつってんだ」

静かな、しかしただならぬ怒りのこもった低い声。並の者ならそれだけで縮み上がってしまうかもしれない。しかし望月はますます嬉しそうに目を細めた。

「まあまあ落ち着こうよ。話ならお茶でも飲みながらゆっくりとさ。そう思わない? 伊勢くん」

伊勢聡史。一年C組伊勢カオルの兄にして、二年生屈指の実力者と言われる一匹狼。彼は一人『敵陣』の中にいた。会長席に座る望月と、机越しに彼女と向かい合う伊勢、そしてその伊勢を後ろから見張る会長補佐の二人。ちょうど伊勢一人を二等辺三角形の陣で囲む形になっている。もちろん伊勢はそれを承知で対決姿勢をあらわにしていた。

「茶はいらねー。てめーの出した茶なんざ、何が入ってるかわかったもんじゃねーからな」

「あーらら、信用されてないなあ、あたし」

「んな事ァどうでもいい。例の聖凪杯とかいうふざけたイベントのことだ。なぜてめーが二年生の代表になっている!?」

伊勢は大会告知のチラシを机の上に叩きつけた。その隅に小さく、二年生代表望月悠理と書いてある。

「二年生最強っつったら俺か永井だろうが!! てめーの出る幕じゃねーよ! ていうかてめー主催者側じゃねーか!!」

伊勢が一気にまくし立てた。まさに怒り心頭といった面持ちだ。

「そりゃあまあワールドカップの開催国枠みたいなもんで。それに永井くんは同意してくれたよ? 伊勢くんだってこんなイベントにどうしても出たいってわけじゃないんでしょ?」

「大会自体はどうでもいいがてめーの好き勝手にされるのは我慢できねーんだよ」

「なんと立派なご意見」

望月が肩をすくめる。一切緊張感を感じさせないその態度にいよいよ伊勢のフラストレーションがグツグツと煮え立つ。伊勢は相手のペースに乗せられないために大きく深呼吸し、それから天井を指さした。

「ゴチャゴチャ口論しても埒が明かねーな。屋上に来い、白黒つけよーじゃねーか」

「あたしが? 伊勢くんと? なーに、愛の告白?」

望月はわざとらしく両手で顔を覆ってキャ~照れる~などとはしゃいでみせた。

「なわけねーだろ!!! バトルでケリつけようっつってんだ!!!」

伊勢は机を思い切り叩く。かなりの轟音が響いたが望月はまるで動じずニヤニヤと伊勢を見上げた。

「確かに"力"では伊勢くんのほうが上でしょうね。でも、勝てないよ。"力"じゃあ勝てないよ。三年生や九澄くんにはもちろん、あたしにも、後ろの二人にもね」

「ああ?」

伊勢は首をひねって背後に立つ二人を睨みつける。瓜二つの美形顔を持つ双子の男女。二年生では名の知れた巴ツインズだ。どちらが兄だか姉だか伊勢は知らないが。

「俺や永井よりお前やこの二人の方が強えって言いたいのか?」

伊勢にとっては到底認めがたい発言だった。巴ツインズが有名なのはあくまでその特徴的な外見のため。魔法の実力が高いなどという話は聞いたことがない。望月悠理にしても、生徒会長という肩書き以上の何かがあるとは思われていない。あくまで彼女の得意分野は頭脳労働のはずだった。一方で伊勢や永井は平均レベルの二年生相手なら4、5人まとめて倒せるだけの力を持っている。この3人を同時に相手にしても決して不利ではないと伊勢は確信していた。

「強いってのとはちょっと違うかな……"強い"のは伊勢くん。でも"戦って勝つ"のはあたし達。猛獣がずっと非力な人間に狩られるようにね」

望月はさも当然の事実を述べているまでといった風にサラリと言ってのける。伊勢の頭の中で何かが切れた。

「……ここまでムカついたのは永井の帽子にコケにされた時以来だぜ……。おい、とにかく屋上に上がれ。まとめてスクラップにしてやる」

「三対一じゃちょっとこっちに有利すぎるなあ。こうしようよ、伊勢くんはその二人と戦う。巴ツインズは二人で一人。二対一で君が勝ったらあたしはおとなしく出場権を譲るよ」

「ハ……こんな時まで人任せたァてめーらしいこった。おい、てめーらはそれでいいのか?」

伊勢は双子の方を向いて尋ねる。

「一向に構わないよ」と巴♂。

「ええ、凄く楽しみ」と巴♀。

表情や手の動きまで不気味にシンクロしている。伊勢はそれを見て顔を引きつらせた。こんな気持ち悪い連中にこれ以上付き合っていられない。秒殺だ。中学時代から喧嘩慣れしている伊勢は即座にファイトプランを固めた。打倒九澄のために磨き上げた新魔法、それで即終わらせる。

望月は伊勢の背中を見送りながら携帯の受信メールをチェックした。先ほど受け取ったばかりの短文メールを読んだ望月はクスリと笑い、片方の耳にイヤホンをはめた。

2012年7月1日日曜日

エムゼロEX 9

第九話 九澄大賀vs新宮一真


三年生最悪の問題児と名高い新宮一真と、その彼女と言われる紀川沙耶〈きのかわさや〉は一年生校舎の廊下を並んで歩いていた。
新宮が懐かしそうにあちこちを見渡す一方で紀川は鉄面皮のままである。
二人が廊下に出ているのはC組にいた何人かの男子から九澄大賀は執行部分室にいると聞いたからだ。

「それにしてもあの男はイカれていたな。
 目の前にテレポートしてきた奴を自分が召喚したなんて思うかね?」

紀川は答えない。
そのうち二人は目的地に辿り着いた。

「さて、ここが分室とやらか……。
 去年まではこんなもんなかったってのに、連中ますます増長してやがる」

新宮が不愉快そうに吐き捨て、ノックもなしに勢い良くドアを開けた。
中にいた数人の視線が二人に注がれる。

「九澄大賀っての、どいつだ」

書類に目を通していた氷川は突然の闖入者に呆気にとられた。
見覚えのない二人、ネクタイのストライプからして三年生。
以前会った執行部の三年生とは明らかに別人。
ならばこの二人は誰だ?

「九澄は今、外で仕事中ですが」

努めて冷静に振る舞う。
相手の意図が読めない以上それを引き出さなければ。氷川はそう判断していた。

「なんだタライ回しかよ。
 ここで待ってりゃ帰ってくるのか?」

「ええ、恐らく」

「じゃあ待たせてもらうぜ」

「あの……九澄に何か?」

「答える義務はねえな」

「じゃあせめて名前ぐらいは教えて下さい」

「……新宮一真」

その名を呼んだのは本人ではなかった。
氷川の背後、か細い男の声。

「……え?」

振り返るとそこには影沼がいた。
普段温和なその男が怖い顔で新宮を睨みつけている。

「へえ、俺を知ってるのかい」

「……有名人ですから」

「そいつは光栄だ。……と、そう怖い顔すんなよ。
 お前にゃ用はねえ」

氷川は影沼の不自然な態度をいぶかしんだ。
相手のほうは影沼を知らないようだが、何かあったのだろうか。

「おい、あの人なんなんだ?」

竹谷が影沼に尋ねる。

「狂犬、鉄腕などとも呼ばれている三年生の問題児。
 打倒執行部長夏目琉を公言している男」

「打倒執行部長……? あんたあのバケモンをぶっ倒すつもりってことか!?」

竹谷の問いに新宮は不敵な笑みで返した。

「ははは……さすが三年生は半端じゃねえな。
 九澄はこんな連中と張り合うってことか」

「俺がどうかしたか?」

「「!!!」」

部屋の入口、二人の三年生の後ろに九澄がひょっこりと現れた。

「九澄!」

「へえ……こいつか」

新宮が九澄に顔を向けニヤリと笑う。
九澄はキョトンとした顔で目の前の見知らぬ男を観察した。
背丈は自分よりはっきりと高い。180前半はあるだろう。
そして制服の上からでもわかる均整のとれた筋肉。決して必要以上に太いわけではないが、絞りこまれ鍛えあげられている。
何より獲物を狙う猛獣のような眼と纏う空気が、他の誰とも異質だった。
その時新宮の目つきが一瞬変わる。
殺気。
刹那、九澄はゾクリとするような危険を感じ反射的に後ろに飛び退く。
無意識のうちに冷や汗が流れ拳が握られていた。

「お前……なんだ……?」

「へえ、勘の良い奴だ。なるほど頭でっかちの雑魚ではないらしい」

新宮は九澄に対して半身に立ちゆらりと力を抜いて「構え」た。

「怪物一年生なんだろ? ちょいと喧嘩しようぜ」

「ちょ……! おれと魔法バトルするつもりかよ!?」

「ああ」

(冗談じゃねー!! 昨日の今日でまだ全然レベルアップしてねーんだぞ!
 今ここで戦えるわけがねえ!)

落ち着け、今まで何度も似たようなことはあった。
九澄は自分に言い聞かせる。
ここは落ち着いて戦いを回避する。それしかない。

「やめとけよ、反省文じゃ済まねえぜ?」

「そいつは俺がとっ捕まったらの話だろう?」

「……そういう過信は良くねえぜ。それによ、俺は喧嘩のために魔法は使わねえんだ。
 どうしてもバトルがしたいならいっそ素手で受けてやろうか? ……なーんてな」

その提案の言葉は本心から出たものではない。
なるべく会話を引き伸ばして煙に巻くための駆け引きだ。
だが新宮は何がツボにはまったのか、腹を抱えて大笑いしだした。
その不可思議な姿に九澄も他の執行部員も呆気にとられてしまう。

「はっはっは! こいつはいい! 喧嘩なら素手でやろうぜってか!」

「な、何がおかしいんだよ」

新宮は笑いを止め、嬉しそうな顔で上着の内側に手を突っ込んだ。

「何もおかしくねえさ……お前の言う通りだ」

上着の内ポケットから新宮が出したものは紛れもなく魔法プレートだった。
九澄は魔法発動に備え身構えるが、新宮はあろうことかそれを無造作に後ろに放り投げてしまう。

「男と男の喧嘩に、こんなもんは不要だ」

投げられたプレートを紀川が無言で受け止めるのと新宮が九澄に向かって飛び出すのはほとんど同時だった。
大げさに振りかぶっての右ストレート、とっさに九澄はそれを左手で弾こうとする。
だが直後左のボディブローが九澄の脇腹に刺さる。

(――フェイント!)

一瞬呼吸が止まりわずかに背を曲げた九澄の顔面目掛けて打ち下ろすような右。
九澄は腰をかがめ左に跳躍してそれをかわす。
空振りでも背筋が凍る様な強打。

(こいつ――強え!!)

単に体格があって運動神経もいいというだけのレベルではない。
明らかに格闘技や武術の修練を積んだ動き。
新宮は間髪入れずに九澄を追い、息つく間もないほどの連打を浴びせる。
左、左、右、左、右。
九澄は必死でそれらを捌きつつ横にかわそうとするが、新宮は九澄の動きを読んでいるかのような足運びで間合いを支配する。
壁を背にしている九澄には後ろへの逃げ場はない。
顔面への被弾だけは防ぐ九澄だが腹や腕に鈍い痛みが走る。

(すげえ連打だ、しかも速え、カウンター撃つ暇もねえ!
 ……いや待て、さっきからこいつの攻撃はパンチばかり……フォームから見てもこいつはボクサーか!)

九澄は一瞬左のパンチを打ち返す仕草をする。
だがそれはフェイントだった。

(ボクサーなら脚への攻撃は受けられねえだろう!)

姉から学んだ空手の動き、その基本技にして強力無比な技の一つ、左の下段回し蹴り(ローキック)。
帯は持たずとも有段者に劣らない力を持つ九澄のその鋭い蹴りは、しかし新宮が右脚を軽く上げたことで簡単にカットされてしまう。

「甘えよ」

九澄の顔面が跳ね上がる。
一瞬視線が下に寄っていた九澄には、それが何の攻撃なのかわからなかった。
上のガードを固め追撃に備えた九澄に対し、新宮は鋭く距離を詰め、膝蹴り。
みぞおちに衝撃が走り九澄がうめき声を上げる。
腰が落ち、胃液が逆流し肺が悲鳴を上げる。
みぞおちとは呼吸の要である横隔膜がある場所なのだ。
そのまま倒れてもおかしくないほどの苦しみの中で、九澄はしかし歯を食いしばって膝に力を入れる。
相手より背の低い自分が更に低い姿勢になっているこの状況。
膝蹴りが当たるほど距離が詰まっているこの状況。
それは反撃のチャンスだった。

頭。

もっともシンプルで強固な攻撃。
九澄の頭頂部が新宮の顔を跳ね上げた。
金属バットで大木を叩いたような乾いた打撃音とともに新宮が大きく後退する。
体勢を崩し鼻から血を流す新宮に九澄は追撃の打拳。
全力を込めた右拳は、それを受けようとした相手の手の平ごと顔面を撃ちぬいた。
新宮が腰を落とし後退する。

「すっ、すっげえ……!」

竹谷が唸った。
格闘技に縁がない彼にとって目の前の殴り合いは別次元だった。
魔法なしでもこれほど激しい戦いができるものなのか。
ひょっとすると自分は魔法なしの彼らにも負けるのではないか……?
そんな考えが頭をよぎる。

(いける、一気にケリを付けてやる!)

九澄が距離を詰める。
中腰になっている新宮の頭に狙いをすまし左の回し蹴り。
当たれば一気に戦いを終わらせる完璧な蹴り。
だが止まる。
新宮の両腕ブロック。
逆に九澄の体勢が崩れる。
そこから鞭をしならせるような左の裏拳が九澄の眼上を叩き、鈍い痛みを与える。
直後、両者が同時に斜め後方に跳び数メートルの距離が開いた。
九澄は肩で息をしながらも構えを崩さず相手を見据える。
戦いを見守る執行部員たちは皆息を呑んだ。

「……二人共なんて動きしやがる……」

「どうりで九澄が魔法を使わなくても充分やっていけるわけね……」

竹谷も氷川も驚きを隠せなかった。
影沼は口を固く結んだまま冷や汗を流していた。

「やるじゃねえかホントに……。
 正直言ってこんな楽しい戦いになるとは思ってなかったぜ」

新宮が鼻血を手で拭いつつ口の端をつり上げる。

「何が楽しいだ……こんな無意味な喧嘩痛いだけだっつーの……」

九澄は喧嘩そのものを楽しむタイプでは全くない。
強くなった理由も環境(主に姉)による要因が非常に大きいといえる。
だが目の前の相手は明らかに殴り合いを楽しんでいた。

「まだ燃え足りねえだろう……?」

新宮が禍々しい笑みを浮かべる。
瞬間九澄の背にゾクリとした悪寒が走る。
直後新宮は九澄に向かって一気に踏み込んだ。

「それじゃあちょいとギア上げていくぜ!!」

左のジャブ、いやジャブと呼ぶにはあまりにも重く、強い。その連打。
一切の予備動作無しに打ち込まれるそれらが九澄の顔面と腹を次々に叩いた。
叩いた。
叩いた。
更に左のミドルキック。
ガードの上からでも腹まで突き抜ける衝撃に九澄の顔が歪む。

(こいつ……今まで本気じゃなかったのかよ!)

明らかに攻撃の重さが一段上がっていた。
九澄がサイドに距離を取ろうと踏み込みかけた瞬間、大外からの右フックが九澄の顎を打ち抜く。
脳が揺れる感覚。全身に痺れが走り、膝から力が失われる。
倒れる。
駄目だ。
倒れない。
倒れない!

九澄は無我夢中で新宮の胴体に抱きついていた。
タックルにも似た体勢だが、ただ倒れないためにすがりついただけだ。
新宮は肘を上げて落とし九澄の背中に突き刺す。
九澄はうめき声を上げながら両腕の力を緩めない。
今突き放されれば確実にやられる。
体が回復するまで、せめてあと10秒。
九澄は自由の効かない脚で精一杯踏み込み、自分の体ごと新宮を壁に打ちつけた。
鈍い音が響き新宮が口を歪める。
だが直後に新宮は腕を九澄の首に巻き付けヘッドロックのような体勢を作り一気に力を込め絞り上げた。
首への激痛で一瞬九澄の力が弱った瞬間を逃さず、九澄を振りほどき放り投げた。

「はあっ! はあっ!」

九澄は構え直しながらも大きく呼吸を乱す。
さっきとは疲労とダメージの量がまるで違う。
それほどあの右フックの一撃は強烈だった。

(くそうどうする……このままじゃあ……)

九澄に弱気が生じたその時だった。

「こらあ!! お前らそこで何してる!!」

声の主を見ればそれはこちらに駆け寄ってくる小男、大木先生だった。
その後ろには百草先生もいる。

「無許可で魔法バトルをするなとどれほど言ったら……!
 これだから生徒だけには任せておけんのだ!」

怒り心頭の大木は、しかし新宮と目が合うやギョッと顔を引きつらせた。

「お、お前は新宮……!
 なんでお前がここにいる、三年生はこっちの校舎に来るなと言われているはずだ……」

新宮は戦闘モードを解き余裕の表情で肩をすくめる。

「固いこと言わんでくださいよ、去年まで通っていた校舎じゃないすか。
 ていうか大先生、ますます縮んだんじゃないすか?」

「う、うるさい。お前がでかくなっただけだ……」

腰が引けている大木を見て九澄は違和感を覚える。

(なんだ? 大先生、もしかしてビビッてんのか?)

怪訝に思ったのは百草も同様のようで、大木を見下ろしながら眉をひそめている。

「あの……大木先生……」

「と、とにかく! 一年の校舎で魔法バトルなど許さんと言ってるんだ!」

「魔法は一切使ってないすよ。素手でやりあってただけっすから」

「ええいどっちでも同じだ! とっとと帰れ!!」

「へいへい、それじゃあ大先生の顔を立てておきましょうかね」

新宮は分室の入り口でずっと直立不動のまま成り行きを見ていた紀川に歩み寄る。

「つーわけだ。帰ろうぜ」

紀川は注視しなければわからないほどほんのわずかに頷き、新宮の肩に手を置いた。

「ああそうだ九澄。お前の力は認めてやる。
 次にやりあうときはお互いに魔法アリ、出し惜しみはナシだぜ」

新宮は嬉しそうに笑って拳を突き出した。
二人は赤いもやに包まれ、消えた。
場にはしばらく沈黙が漂ったが、百草がそれを破って九澄に駆け寄った。

「大丈夫なの、九澄くん?」

「あ、ああ。平気だよ、センセ」

「すっげえ喧嘩だったんだぜ。プロの格闘技みて~にハイレベルな互角の攻防でよ……」

竹谷が素人丸出しのフォームでパンチやキックを再現した。

「互角……ね……」

そう呟いた九澄の膝がガクンと曲がり、床に手がついた。
顔は苦痛に歪み口からは血がにじんでいる。

「ちょっと、九澄くん?」

「平気だって……自分で保健室行くからさ」

九澄はよろよろと立ち上がり歩き出した。
全身に痛みが残り、体重が倍になったかのような感覚だった。
人の視線から外れた階段の踊場まで辿り着いたところで歩みが止まる。
大木と話している時の新宮のひょうひょうとした様子が頭をよぎった。

(あの野郎まだ余裕で力を残してやがった……。
 あのまま続けていたら間違いなく……ちくしょう、聖凪にあんな奴がいたなんてな。
 無駄にバケモン揃いだぜここは……)

窓の外はどんよりと雨雲が広がり、今にも降り出しそうだった。
赤く腫れ上がった拳を強く握る。
ギリギリと歯を食いしばり、知らぬ間に下を向いていた顔を前に上げる。

(強く……ならねえと……。
 大会に出ようと出まいと関係ねえ。
 あんな奴らがいるこの学校に居続けたいのなら……)

そしていつか本物のゴールドプレートを手にして柊の夢を叶えるために。
九澄は力強く地面を踏みしめ歩き出した。

2012年6月29日金曜日

エムゼロEX 8

第八話 三年生最悪の問題児


柊愛花と三国久美、乾深千夜は小学校時代からの親友だ。
見た目の印象も趣味も性格も随分違う三人だが、今でも不思議と気が合って、何かと一緒に行動している。
高校で全員同じクラスになった偶然をこの上なく喜び合ったのは言うまでもない。
その三人は今、古びた安物のソファーに並んで座っていた。
そして三人とも、特に愛花は緊張した面持ちで体を固くしている。
愛花の目の前のソファー(これもずいぶん古い)には初めて会う二人の人物が座っていた。
片方は鋭い目つきの男子。こちらを値踏みするかのように余裕の笑みを浮かべている。
片方は無表情の女子。背筋をピンと伸ばして座ったまま微動だにしない。
愛花はどんなふうに話を切り出そうか迷っていた。

(そもそもなんでここに来たんだっけ……?)


####


「へーっ、聖凪最強を決める大会ね」

新任の生徒会長が大きなニュースを執行部分室にもたらした翌日の休み時間、愛花は久美とミッチョンにそのことを話した。
ミッチョンはさほど興味が無さそうだったが、やはりというか、久美の方は随分と関心が強いようだった。

「ちぇっ、あたしも三年生ならきっと出てたのにな。
 今のあたしじゃどう転んでも勝ち目ないけどさ」

久美が大げさに溜息をつく。

「悔しいけど一年生代表が九澄で決まりってのは仕方ないもんな……。
 あー、絶対いつかはあいつに勝ってやる」

「久美って九澄くんのことライバルだと思ってるの?」

愛花がキョトンとした顔をする。

「そりゃそうさ、身近にあんないい目標がいるんだから。
 マッチョになるのが嫌で空手やめたけど、ここじゃ魔法を磨けば強くなれるんだ。
 やる気出ちゃうよ」

久美が握り拳を作り笑みを浮かべる。その表情からは彼女の本気がにじみ出ていた。

「そっかー。頑張ってね久美。応援してるから」

「ほほ~う……」

途端に久美の表情がニヤニヤと意地の悪い笑みに変わる。
同じ笑顔でもさっきまでより断然品がない。

「愛花はさ~、あたしと九澄がバトルしたらどっちの味方をするのかなぁ~?」

久美が愛花にズイッと近寄って邪な顔で親友を観察する。
気がつけばミッチョンも久美と同じ顔でニヤついていた。
愛花の顔がカッと熱くなる。

「……そ、それはもちろん久美だよ。あたし達親友じゃない」

「ほんとにぃ~~~?」

「も、もう! どうしてそんな事聞くのよ~!」

愛花が目を回しているのを見て、久美とミッチョンは今日はこのぐらいにしといたろとばかりに一息ついた。

「ま、そん時はそん時考えればいいんじゃない?」

「う、うん……」

言われて愛花は、十年来の親友と一番親しい異性の友人とが本気で対決している画を思い浮かべる。
たとえそれがスポーツの試合のような恨みっこなしのバトルであったとしても、なんとなく心が裂かれるような嫌な気分がした。
できればそんな事にはなってほしくないと純粋な少女は思った。

「でもそういえば……」

愛花は話題を変えることにした。

「九澄くん、本当に大丈夫かな。
 三年生のすごい人達が出てくるんだよ。大怪我とかしなきゃいいけど……」

「へーえ、九澄でもやっぱり楽に勝てる試合じゃなさそうなの?」

「うん、こないだ三年生の執行部部長の人に会ったんだけど……凄かったよ。
 あたしなんかのレベルじゃ九澄くんとどっちが強いとか言えないぐらい……」

愛花の脳裏に"ウィザード"と呼ばれる執行部長夏目琉の見せた強さが蘇る。
自分では永遠に届かないだろうとさえ思えた圧倒的な力。
九澄大賀なら勝てるのだろうか?
断言できる材料はなかった。

「なるほどねえ。さすがは三年生、一年生にやすやすと優勝はやらないってわけだ」

久美が腕を組んでウンウンとうなずく。
そしてふと何かを思い出したように「あ」とつぶやいた。

「そういえば魔法格闘部の先輩が言ってたな……。
 三年生にもう一人、凄い強者がいるって」

「すごいツワモノ?」

「そうそう、先輩たちが口をそろえて言ってたのよ。
 『奴には絶対に手を出すな』『奴は三年生最悪の問題児だ』って……」

「へー、そんな人がいるんだ……」

愛花にしてみれば聖凪の生徒は基本的に良い人ばかりという印象だ。
ちょっと粗暴っぽくて苦手なタイプの人はいても、絵に描いたような『問題児』がいるという印象はない。
だから女子校育ちで男子に免疫がなかった愛花でも男子たちと仲良くなれているのだ。
まして三年生でそんな風に恐れられる人物がいるとは意外だった。

「きっとそいつも大会に出てくるんだろうなー。
 それでさ、執行部長だったら勝つ時もきっとスマートに終わらせてくれるだろうけど、
 そんな危ないやつに負けたら必要以上にボコボコにされちゃったりして……」

「ちょ、怖いこと言わないでよ久美……」

「あはは! でも実際ありえるかもよ。ねえ、一度偵察してみない?」

久美が目を輝かせる。

「え?」

「だから、九澄と戦うのがどういう連中なのか、いっちょ調べてやるってのはどうよ?」

愛花は目を丸くした。

「そ、そんなの危ないよ!」

久美はあっけらかんと愛花の反論を受け流す。

「ダイジョーブダイジョーブ。『校内新聞作るから取材させてくださーい』とでも言えばいいのよ。
 まさか取材に来た下級生に暴力振るうなんてことはないでしょ?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「それに、いい情報掴んであげたら九澄のやつ愛花にめっちゃ感謝してくれるかもよー?」

「く、九澄くんが……? うーん……」

久美は戸惑う愛花が考えをまとめるのを待たず、一気にまくしたてる。

「よし決まりっ! じゃああたしは魔法格闘部の先輩に色々聞いてくるから、今日の放課後は空けといてよ!」

言うが早いか久美は愛花の肩をポンポン叩いて、有無を言わせず決着をつけてしまった。
同時にチャイムが鳴ったのでその場はそれで解散となった。


####


そして放課後、あれよあれよという間に愛花たち三人は三年生校舎の中の小さな一室で並んで座っていた。
眼前には一組の男女がこちらに向い合って座っている。
その中の一人が噂の問題児、新宮一真〈しんぐうかずま〉だった。
鋭い目つき、大きな口、逆立った短髪と隙のない雰囲気がどこか野生の猛獣――例えるなら虎か狼のような――を思わせる男。
私立進学校であるがゆえに育ちの良い生徒の多い聖凪の中では明らかに異質な存在だ。
相手がこちらに敵対心を向けているわけではない。
単にゆったり構えてこちらの言葉を待っているだけだ。
なのに愛花は言葉に出来ない威圧感を感じていた。
そのプレッシャーは執行部長のそれともまた違う、生々しいむき出しの感覚だった。
愛花はたまらず右隣の親友に助けを求める。

「久美……。代わりに何かしゃべって……」

愛花の泣き出しそうな顔を見ると久美とて拒否はできない。
やれやれと首を振って言葉を切り出すことにした。

「えー……っと、新宮先輩。例の大会については知ってますか?」

新宮が白い歯を見せて口の端をつり上げる。

「ああもちろんだ、最高の機会だよ。
 全校生徒の前で俺の最強を証明できるんだからな。
 ……この時を待っていた」

その笑みは普段勇ましい久美でも腰が引けてしまうほど禍々しいものだった。
この男はなにかヤバイ。久美はそう直感しゴクリとつばを飲む。

「つまり……優勝は自分だと」

「当然だろう。下馬評は間違いなく夏目の野郎に集中するだろうが、勝つのは俺だ。
 皆が見ることになる。"ウィザード"が惨めに敗れる瞬間をな」

ハッタリではないと久美は感じ取った。
聖凪高校の歴史の中でも指折りの天才、傑物と謳われる夏目琉に対して100%勝つつもりでいるのだ。
並の実力で持てる自信ではない。
あらためて目の前の男の力量を推し量った久美が次の質問に移ろうとした時、不意に新宮が立ち上がった。

「と、俺としたことが来客に茶も出さないのは失礼だったな。
 ちょっと待っててくれ」

新宮は返事も聞かず部屋の奥に置いてあるポットに向かって歩いていった。

(えーっ、客にお茶入れるタイプなの?)

リズムを狂わされた久美はふともう一人の部屋の住人である女子生徒に目を留める。
黒髪ロングのポニーテール、細面の長身女性。
彼女は相変わらず背筋をピンと伸ばし座ったままだった。
無言、無表情。眼球すら動かさない。
よく観察すればたまにまばたきをしていることと、呼吸に合わせてわずかに胸が上下していることがわかる。
それがなければ人形かと見まごうほどその人物は静止していた。

「あの人全然しゃべんないよね……」

とミッチョンが呟く。
あんたに言われたかないよと久美は心の中で突っ込んだ。
その時脳裏にふと疑問が浮かぶ。

(たしか先輩たちはこの人が新宮一真の彼女だって言っていた……。
 といっても、無口でおとなしいこの人を召使いみたいに従えていい気になってる酷い野郎だって……。
 でもそれならなぜ、男の方が客に茶を入れてこの人は座ったままなんだろう?
 どうもこの二人の関係はよくわからないな……)

久美があれやこれやと考えているうちに、当の新宮がお盆に五つの湯のみを載せて帰ってきた。
三人は差し出された緑茶を「あ、どうも」などと会釈しながら受け取る。
「彼女」は相変わらず無言のまま、「彼氏」を一べつすることもなく手だけを動かしてお盆の上から湯のみを取った。
「彼氏」の方も「彼女」の態度を気にする素振りも見せず腰を下ろして茶をすすった。

「さて、他に聞きたいことは?」

新宮が湯のみを置いて口を開いた。

「あのー、この部屋って先輩たちだけが使ってるんですか?」

今回質問したのは愛花の方だった。

「ああ、おれと沙耶……沙耶ってのはこいつのことな。
 ちょうどいい空き部屋があったから使ってんのさ。
 っつっても不法占拠じゃねえぞ。部活用ってことになっている。
 部の名前は確か……あー……なんだっけかな。まあどうでもいいだろそんな細かいことは。
 次」

なんだそれ、と久美は呆気にとられた。
その話は先輩から聞いてはいたが、いざ本人の口から聞いてみるとますますいい加減極まりない話だ。
なぜ教師たちや執行部はこんなことを見逃しているのだろう?
だがそれをここで聞いてもまともな答えは望み薄に思われた。
愛花も同じ考えだったのだろう。すぐに次の質問を尋ねた。

「えーっと、それじゃ……一年生の九澄大賀くんについて。
 新宮先輩はどう思いますか?」

「クズミ……?」

新宮が眉をひそめる。とぼけている風ではない。
まさか本当に知らないのかと久美は驚く。

「あの……ゴールドプレートを持っている一年生です」

愛花が遠慮がちに答える。

「ああそいつのことか」

新宮はソファーの背もたれにドカッともたれかかった。

「別に興味ねえよ。俺の標的は夏目琉だけだ。
 他の奴なんざ相手にしちゃいねえ」

久美はその適当な態度にイラッと来てしまう。

「そんな余裕かましてていいんですか?
 先輩はまだゴールドプレートじゃないって聞きましたけど?」

それは挑発とも取れる嫌味な言い方だった。
愛花が慌てて久美をなだめる。
新宮は再びあの禍々しい笑みを浮かべた。

「ククク……プレートの色なんざで強さは決まりゃしねえよ。
 プレートの"格上"なんざ俺は何人も倒してきたんだ。
 奴が本当にゴールドプレートの持ち主だとしても……いや、"だからこそ"俺が負けるはずがねえ」

久美には新宮が言っていることの意味が全くわからなかった。
九澄がゴールドプレート"だからこそ"負けるはずがない? 何を言ってるんだこいつは?

「プレートの力にかまけた雑魚は脆いもんさ。付け入る隙なんざいくらでもある。
 恥かくだけだから出るのはやめとけとお友達に伝えときな」

さすがにカチンと来た久美が何か言ってやろうと思った途端、勢い良く立ち上がったのは愛花だった。

「どうしてそんな事が分かるんですか!?
 九澄くんは雑魚なんかじゃありません! きっとあなたにも勝ってみせます!」

「ちょ、愛花……」

ミッチョンが愛花をなだめようとするが、愛花は本気で新宮を睨みつけていた。
実力ではどう転んでも勝てない相手に全く引いていない。
新宮はヒュウ、と口を鳴らす。

「ククク、こんな可愛い子にここまで想われてるたぁ、結構な幸せモンじゃねえかそいつは。
 まあ思ってた通り、取材とは名ばかりの偵察だったってわけだ」

「あ、いやあその……」

図星を突かれた久美は冷や汗をかく。
だが愛花は動じていない。

「あなたは九澄くんの凄さを知らないだけです。
 馬鹿にしたことは取り消してください」

「やれやれ、こんなのは格闘技じゃお馴染みのマイクパフォーマンスとでも受け取って欲しいもんだがな……。
 だがまあ、そこまで言うならちょいと試してみるか」

「試す?」

久美が眉をひそめる。

「おい、そいつは一年何組だ?」

「C組ですけど……それが?」と愛花。

「そいつが最強を決める大会に出るに相応しいレベルかどうか……俺がこの手で確かめてやろうって言ってるのさ。
 悪い話じゃねえだろう?」

新宮は膝に手を置いてすっと立ち上がる。
そして隣の彼女に視線を落とし右手を伸ばした。

「思い立ったが吉日、だ」

女子生徒は視線を動かさないまま立ち上がって新宮の手を取り、何事か小声で呟いた。
直後、赤みがかったもやが一瞬で二人を包み込む。
新宮は愛花と目を合わせ明るく左手を振った。

「じゃあな」

バフッと空気が弾けるような音がした。
もやが瞬間的に周囲に広がって消えるのと同時に目の前の二人も消えていた。

「あっ……!」

愛花が身を乗り出すが、もうそこには誰も居ない。
テレポート、それも二人分を一瞬で。かなりハイレベルな魔法力なしには不可能だ。

「あの人九澄くんとバトルしに行ったんだ!
 早く九澄くんに伝えないと……!」

「いやー間に合うわけないっしょ……」と久美。

「無駄無駄」とミッチョン。

「うう~そんな冷たいこと言わないでよ~」

先ほどまでの強気はどこへやら、愛花は泣きそうな顔になっていた。


####


「あーあ、最近心も体も寒いなー……」

「俺達にゃクリスマスもバレンタインも無縁のお寒い冬がもうすぐやってくるのさ……」

「言うなよそんな事は……」

一年C組の教室で伊勢、堤本、田島の三人はダラダラとだべっていた。
モテネーズ定例会議という名の単なる傷の舐め合いである。

「いっそモテる努力なんてやめてよ、他の手を使うってのはどうだ?」

伊勢が声を弾ませる。

「なんだ他の手って……」

「どうせろくでもないことだろ」

「魔法だよ魔法! 召喚魔法とかさ~、きっとなんかあるはずだぜ! 理想の女の子を呼び出す魔法がよ!」

伊勢の力説に二人は溜息をつく。

「アホくさ……」

「諦めんなよ! どうしてそこで諦めるんだそこで! もっと熱くなれよ! ネバーギブアップ!」

「まじうざい」

田島がバッサリと切り捨てる。

「俺は諦めねえぞ! 理想の女の子と付き合えるその日まで……!」

伊勢は何やら両手を前方に突き出し力を込めて念じ始めた。
プレートにインストールしていない魔法は使えないとか、そういう常識はこの男には通用しない。

「黒髪ロングの清楚な美少女よ! 俺の魂に応えて……いでよ!」

その時だった。
伊勢の目の前で、ボンッという音と共に突然赤いもやが広がったかと思うと、そこから人間が現れたのだ。
それも黒髪ロングの女性が。
伊勢はあまりに突然の出来事に言葉を失った。
だがこれは現実だ。
天に想いが届いたのだ!
伊勢の理性は消し飛び、自分が召喚した女に猛犬のように飛びついた。
女の腰に抱きつき感涙にむせび泣く。

「うお~~もう離さね~~!!! 
 俺が召喚したんだ! これは俺んだ~~~!!!」

女は無反応、無表情。ビー玉のような温度のない目で伊勢を見下ろす。
伊勢はそんなことは気にも留めず涙を滝のように流した。
その時伊勢の肩を誰かが掴んだ。
伊勢は無視しようとしたが、そいつは骨が折れそうなほど強烈な握力で握ってきたので激痛のあまり思わず振り向いてしまう。
そこには悪魔のような恐ろしいオーラを纏った男がいた。
本物の殺意。
一瞬で伊勢のタマが縮み上がる。

「失せろクソガキ」

男は眉一つ動かさず静かにそう言った。
それだけで伊勢は失神した。

2012年6月22日金曜日

エムゼロEX 7

第七話 回り出す歯車


生徒会本会議室と表札に書かれた部屋で、窓際に立って外の風景を眺める女子生徒がいた。
栗色のショートヘアが陽光に照らされ、紅色のセルフレーム眼鏡がキラリと光るその女子生徒は後ろ手を組んだまま目を細める。

「これから……忙しくなるなぁ……」

校庭からは生徒達の喧騒が届いてくる。

「書類は整ったよ、悠理さん」

後ろから声をかけてきたのは中性的な顔立ちの美少年。
その隣に立つのは彼と瓜二つと言っていいほどよく似ている美少女だ。
容姿といい儚げな雰囲気といい、性別と髪の長さ以外はクローン人間のような二人組だった。

「じゃあ行こうか」

悠理と呼ばれた女子生徒は二人に微笑みかけ、歩き出す。
二人は悠理の後ろに並んで付き従った。


####


大きな事件があった林間学校の翌週の月曜日。
執行部は今日も忙しかった。
場面は魔法執行部一学年分室。
やれE組で魔法を使ったケンカをしているだの、やれ体育館で誰かの魔法が暴走しているだの、放課後わずか1時間足らずで4件ものトラブルを処理したため皆疲れてぐったりとしている。
書類を淡々と処理する事務担当の氷川と、空き時間を利用して読書にふける大門以外はだらだらと休憩していた。

「今日子さん、あたしも手伝おうか?」

「構わないわ。私は外では働いていないから」

氷川は手を止めることも顔を上げることもなくきっぱりと断る。

「そんなの気にしなくていいのに……」

愛花から見ると氷川との間にはまだ一枚壁があるように思えてならなかった。
もちろん執行部員になる前と比べれば格段に打ち解けているのだが、久美やミッチョンほど親しくなるにはしばらく時間がかかりそうだ。

(よーし、今度久美達と遊びに行く時に今日子さんも誘っちゃお!
 それにそろそろ『今日子ちゃん』って呼びたいし……いや、『キョウちゃん』の方がいいかな?)

愛花はああでもないこうでもないと考えを巡らせた。
ちなみにその頃竹谷は熱心にケータイをいじっていて、影沼はどこにいるのかわからなかった。
いや実際には教室の片隅で体を休めていたのだが。

「みんなだらしがないぞ。執行部員がこうもだらけていたのでは部の信用が落ちる」

大門は特に九澄に目線を送る。
九澄はウチワを仰ぎながら反論する。

「そんな事言ったって俺は毎日体張って働いているだろ。
 まして俺は病み上がりだぞ。お前こそもっとガッツリ働け」

「君こそもっと魔法を多用すれば楽ができるだろう」

「う、うるせえ。俺は魔法に頼るのは嫌いなんだよ」

嫌いも何も九澄は魔法が使えないので体力仕事になるのは当然である。
それでも周囲を誤魔化せているのは生来の機転の良さとハッタリ力のたまものであろう。
二人が相も変わらず険悪なムードになった時、不意に分室の扉が開いた。

「君達が魔法執行部の一年生かい?」

凛とした口調でそう尋ねたのはメガネをかけた女子生徒だった。
華奢な痩身に端正で精悍な顔立ち。異性より同性からモテそうなボーイッシュタイプの美少女である。
ネクタイに2本のストライプが入っているところからして二年生に間違いない。
九澄は彼女の顔になんとなく見覚えがあった。それもごく最近どこかで見かけたような。
彼女の後ろにはこれまた美形の女子生徒がいた。
こちらのほうが清楚っぽくて男子からは人気がありそうだ。
しかしその隣にほとんど同じ顔の男子生徒がいるのはどういうことだろうか。

「そうですけど、何か御用ですか?」

愛花が前に出て応対する。
女子生徒はふうんと一瞥して部室の中を見渡す。

「いい部屋だね。さすが執行部、いいところを使っている」

「あの……ご御用件は……」

女子生徒は頭をポリポリとかいて苦笑する。

「うーん、その反応からして私が誰か知らない? 誰一人? 参ったなあ、みんな私の演説聞いてたんじゃないの?」

「あ……」

愛花は何かを思い出したかのように目を見開く。
九澄にはなんのことかさっぱりわからなかったが、大門は違うようだった。

「そうか、この前新しく生徒会長になった望月悠理〈もちづきゆうり〉さんですね?」

「当ったりー。なんだ、知ってる人いるじゃん」

悠理は笑顔で人差し指を立てる。
さっきまでより幾分雰囲気が軽くなった。
九澄はようやく合点する。

「新しい生徒会長? あー、そういえばこないだ女子の先輩が集会で就任演説してたような気がするな。全然聞いてなかったけど」

「これだもんな……」

九澄のとぼけた発言に大門が呆れて手で顔を覆う。
しかし九澄の認識の浅さも無理はなかった。
この聖凪高校では生徒会長の地位、というより存在感はかなり小さい。
なぜなら形式上は生徒会内部の一組織となっている魔法執行部の立場が非常に強いからだ。
ほぼ制限なく校内で魔法を使用でき、一般生徒の取り締まりを担う魔法執行部。
それに対して、地味なデスクワークがメインの生徒会本会はどうしても印象が薄く、あまり存在自体意識されていない。
おかげで毎年立候補者がなかなか出てこず、内申書アップを餌に教師が探しまわってどうにか一人見つけるという事例が多いのだ。
そういうわけだから今年も立候補者は望月一人しかおらず、無投票当選であっさりと就任が決まった。
新会長の名前が浸透しないのも当然と言える。
ただし例年と大きく違うのは、彼女は極めて積極的にこの職に就いたということだった。

「というわけで、二年E組望月悠理。以後ヨロシク」

ニカッと笑う望月に愛花はペコリとお辞儀を返す。

「あ、よろしくお願いします。
 えっと……それで御用件は……」

「そうそう、今日ここに来たのはひとつ重大なことを伝えるため。
 1年C組九澄大河君にね」

望月は九澄を向いて目を細める。

「お、俺?」

自分を指差す九澄に周囲の視線が集まる。

「そう、君」

望月は九澄の前にすっと近づき、もう少しで顔が触れそうな距離で微笑みかけた。

「九澄くん、君に一年生代表として大会に出て欲しいの」

「大会?」

望月の顔があまりに近いので微妙にのけぞる九澄。

「そ、大会。聖凪最強の生徒を決める魔法トーナメント。
 その名もズバリ"聖凪杯"」

「な……!!」

分室がざわめく。
九澄は思わず周りの反応をきょろきょろと見渡したが、皆一様に目を丸くしている。
ただし望月の後ろの二人は退屈そうだった。

「……そんなイベントがあるとは聞いたことがありませんが」

大門が尋ねる。

「そりゃそうよ。あたしがついこないだ発案したんだもん」

あっけらかんと答える生徒会長に大門は呆気にとられてしまった。
どうもこの人、全体的に軽い。
中学時代に同じく生徒会長を務めた大門としては役職のイメージに合わない人物に思えた。

「そんなわけだから九澄くんは一年生代表!
 異論のある人は九澄くんにタイマン挑んで勝っておいてちょうだい。
 参戦期限は今週中、大会本番は再来週の週末よ」

「ちょっと待ったーーーー!!!
 異議あり異議あり!!!」

異論を申し出たのは他ならぬ九澄大賀その人だった。
まあ当然である。

「なんで?」

望月が首をかしげる。

「だからつまり……俺は魔法をそーいう使い方はしねえんだよ!
 他人と力を競ったり見せびらかしたり、そーいうのは性に合わないんだって!」

ここで譲る訳にはいかないから九澄も必死だ。
今の九澄ならガンジーばりの非暴力主義者を名乗れそうである。
だがそんな九澄の言葉を遮ったのは身内の声だった。

「納得いかないな」

九澄が振り返るとそこには憮然とした面をした大門がいた。

「君はいつもそうだ。
 タク……小石川と戦った時も、僕と戦った時も、執行部の仕事でも。
 いつも理屈をつけては魔法を使いたがらない。
 そうかと思えば以前横暴に振る舞って力を誇示したことがあったな」

大門が言っているのは前校長が九澄の体を借りて自分の魔法を使った時のことである。
もちろんその真相を知っている者がこの場にいるはずもない。
九澄自身ですらそんな事があったとは知らないのだ。

「僕は正直君を信用出来ない。
 この上、上級生達との真剣勝負から逃げるというのならそんな奴とこの先組みたくはない」

「お、おい、何もそこまで言うこたねーだろーが!」

大門は真顔で九澄を見据えている。
下手なごまかしは通用しそうになかった。
言葉に詰まった九澄は話し相手を変えることにする。

「柊はどう思う?
 別にそんなお遊びのバトル大会なんて出なくてもいいと思うだろ?」

愛花は腕を組んでしばらく考え込み、それからパッと明るい表情を浮かべた。

「あたしはやっぱり見てみたいな!
 九澄くんが上級生の人達と本気で戦うところ!」

「んがっ!」

そんな太陽のような笑顔で言われると九澄には何も言い返せない。

「決まりだね」

大門が勝手に決定を宣言した。
九澄が大門を睨みつけると、今度は望月が口を挟む。

「それに考えてもご覧よ九澄君。
 君が執行部として上手くやっていけてるのはゴールドプレートの威光があればこそ。
 もし君が負けるリスクのあるバトルからは逃げるチキン野郎だなんて評判が広まっちゃったら、
 何かと面倒な事になっちゃうんじゃない?」

九澄は言葉に詰まる。
確かにその通りなのだ。
ハッタリを効かせるためには畏怖と敬意の念を持たれなければならない。
チキン野郎という称号は、ニワトリには悪いが最悪とさえ言える。
極端な話出場して即負けたほうが後で評判を取り戻すのは楽かもしれない。
どうせ相手は三年生のトップクラスばかりのはずなのだから。
だがそれでもあまりにも惨めな負け方は許されないはずだ。
自分に果たしていい試合が出来るのだろうか?
果たして出場を選ぶべきなのだろうか?

「少し……考えさせてくれ……」

それがここでの結論だった。

「そうね、いい返事を期待してるよ。今週中にね」

望月は踵を返し、手を振りながら後ろの二人とともに教室を後にした。
九澄はその背中を黙って見送った。
固く握られた拳はじわっと汗ばんでいる。

まただ。

九澄はこの違和感を知っていた。
明らかなピンチなのに、怖いのに、心のどこかにこの事態を楽しんでいる自分がいるのだ。

(俺……危険に慣れて麻痺しちまってるのかもな……)

九澄はそう考えて自嘲気味に笑う。

「ワリいみんな。ちょっとやることがあるから先に上がるわ」

手を振る九澄に愛花が声をかける。

「九澄くん、この話どうするの?」

「そいつは後のお楽しみだぜ」

白い歯を見せてニカッと笑う九澄の自信に溢れた態度を見れば答えは明らかだった。
とうとう本気で戦う九澄大賀が見れるのだ。
愛花は心臓の鼓動が早まるのを感じた。

「じゃあな! また明日!」

九澄はさっそうと部屋を後にする。
後ろ手で扉を閉め、カッと目を見開いた。
全身に力が入る。
そうだ、何を恐れている。こうなればやるべきことはただひとつではないか。
九澄は全速力で駆け出した。



「ドラえもーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」

――校長室に向かって。


####


「おやどうしました九澄君。というかドラえもんって……」

「大賀ーーー! なんか久しぶりな気分だね!」

迎えてくれた校長とルーシーを顔を見て九澄は深く息をついた。
やはりここはいい。気楽だ。

「ねえ大賀! この新しい服どう? 似合う?」

ルーシーは喫茶店のウェイトレス風のオレンジ色の衣装をひるがえしクルクルと回転する。
いわゆるメイド服ほど媚びておらず健康的でかつ可愛らしい服だ。
しかしスカートは短い。

「そんな事より校長! 大変なんだよ!」

「そ、そんな事って……」

ガーンという音がルーシーの脳裏に響き渡った。
そんな乙女心には全然気付かず九澄は御年83才の貴婦人に詰め寄る。
九澄の説明は慌てすぎて要領を得なかったが、校長はいくつか質問した上で話の全体像を掴んだ。

「なるほどそういうことですか……それは中々面倒なことになりましたね」

校長は席を立ち窓の外を見下ろす。

「いやそんなのんびり構えてる場合じゃないんだって!」

「どうしてそれが深刻な事態なのですか?」

「どうしてって……そりゃ出たら秒殺食らうに決まってるから……。
 何より、俺が本当のゴールドプレートの持ち主じゃないってわかったらまずいっしょ!」

校長が九澄に向き直り楽しそうに微笑む。

「私はそうは思いません。
 九澄くん、私はあなたを買っているんですよ」

冗談を言っている風ではなかった。

「確かに『今日の』あなたではとても対応できないでしょう。
 でも『三週間後の』あなたならわかりません。
 もし本気で策を練ったのであればね。
 それに九澄くん、あなたは少しもわくわくしないのですか?」

「……え?」

「あなたには既に見えてきているはずです。
 エムゼロの真価、実力、本当の強さが。
 それを試すのにこれ以上の場はないでしょう?」

「それは……確かに……」

一理はあった。
夏休みに初めてエムゼロ修行を行なって以来、何かが掴めそうな気がしていた。
まだはっきりとは見えていない。
だけどそれはすぐ近くにあるような気がするのだ。

「けど……時間が足りねえよ……」

歯ぎしりする九澄に校長は微笑みかける。

「やれるだけやってみたらいいじゃありませんか。
 もしどうしても間に合わないと思ったのなら、その時は私が欠場のための事情を作ってあげますよ。
 ……ま、そうならないことを期待していますがね」

「校長先生……」

九澄は拳を固く握った。
何かできそうな気がした。
いや、やらなければいけない。
この先エムゼロを持ち続けるのなら、どこかで壁を壊さなければいけないのだ。

(探してみるか……俺の……俺だけのエムゼロでの戦い方を)

2012年6月19日火曜日

エムゼロEX 6


第六話 林間学校〈2〉


百草紀理子。
聖凪高校の数学教師兼魔法教師であり、男子生徒からの人気はダントツナンバーワンのセクシー女教師である。
現在24才。大学3回生の時に浮気性の彼氏と別れて以来男日照りが続いているらしい。
曰く、「聖凪の男にはろくなのがいない」とのこと。
「柊先生なんてどうかしら。今独身でしょう?」と問いかけた先輩教師に「ああいうナルっぽいのは好みじゃないの」と返すあたり中々の強者だ。
彼女にとって鼻の下を伸ばしつつ慕ってくる男子生徒などまだまだガキでしかないが、時には生徒に魅力の片鱗を感じることもないわけではない。
特に怪物一年生と恐れられる九澄大賀は、噂とは違って素直で可愛らしいところもあるし男前な一面もある。
もう少し年が近かったらあるいはちょっと好きになってたかもしれないわねと酒の席で口を滑らせたこともあった。
そんな彼女の好みのタイプは本人曰く「誠実で頼り甲斐があってユーモアもある人」というなんとも普通すぎてコメントに困るもの。
それを聞いた大木先生が、それなら自分がと名乗り出てガン無視されたことはここだけの秘密である。

さてそんな彼女の本日の仕事は林間学校での監視員。
各地のチェックポイントに置かれた魔法玉から送られてくる生徒達の情報をモニターで逐一チェックし、何かあれば巡回中の他の教師に連絡するという地味だが大切な役回りだ。
先程もB1チェックポイント付近で生徒同士が揉め事を起こしているという報告を、その近くにいる柊先生に送ったばかり。
しかしそんな彼女にトラブルが起こる。
腹痛である。
高速ダッシュでトイレに駆け込んだ彼女がそこから脱出するのは当分後の事になる。
そのためにE2チェックポイントにおいて進行中の重大な事態について彼女が感知することはなかった。

(うーん、スタート前に生徒からもらったお菓子が悪かったのかしら……?)

百草は整った顔を歪ませながら、自分にチョコレート菓子を分けてくれた地味な感じの女子生徒の顔を思い出すのだった。


####


九澄大賀は震えていた。
怖い。
怖い。
怖い。
目の前には地球の様々な猛獣のパーツを混ぜ込んで生み出したような、いかにも恐ろしいモンスターがいる。
同じ魔法生物といってもルーシーとは子猫とライオンほどにも違う。
シーバンとかいうその怪物は危険度5だそうだがそれは一体どういう数字なのか。
空手や柔道の五段よりも強いのか。
はたまたインペルダウンのレベル5囚人よりも強いのか。
SMAPの5人が一斉にかかれば何とか倒せるかもしれない。
などと現実逃避していた瞬間、シーバンがその一本角を突きつけ突進してきた。
九澄が間一髪でそれを交わすと、シーバンは勢い余って背後の崖に衝突し轟音を立てる。

「よっしゃ! 自爆しやがった!」

九澄は思わぬ秒殺にガッツポーズを決める。この勢いなら少なくとも失神は間違いなしだ。

「ふ~っ、脅かしやがって。だがこの九澄様に挑んだことをせいぜい後悔……し……」

シーバンが起き上がって九澄を再び睨みつける。
まったくの無傷。逆に崖の方は大きくえぐれていた。
もしあんなのを食らったら。

(し……死んでしまう……比喩とかじゃなくてマジで死ぬ)

観月は固唾を飲んで九澄を見守っていた。
初貝は観月に尋ねる。

「九澄くんは、大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ、あいつなら絶対大丈夫」

「信じてるんですね」

観月は一瞬ためらったが、薄く微笑んではっきりと頷いた。

「うん……信じてる」

(あんたは……あんたはこんな時でもきっと……)

観月の思いが届いたのか否か、いずれにせよ九澄は覚悟を決めた。
拳を握りしめ、目の前の獣を睨みつける。
動物相手にガン飛ばしが効くとは思えない。だがビビって目を逸らせば確実に殺られる。
九澄は喧嘩慣れした男の本能としてそれを知っていた。

(腹くくるしかねぇか……)

今使える魔法はたった一つ。ブラックプレートに保存した一発のみだ。
幸いにもそれは攻撃魔法、うまくすればあるいは。

(と、その前に……)

「観月! 初貝! ここは俺に任せててめえらはさっさとに逃げろ!」

シーバンから目を離さないまま九澄が叫ぶ。

「なっ……! あんた一人だけ置いて逃げるなんてできるわけないでしょ!」

「うるせー! 女はさっさと逃げろっつってんだ!」

「女々ってあんたはいつもそうやって……!」

観月の抗議に耳を貸さず、九澄は声のトーンを丸めた。

「それによ……俺は、お前には怪我してほしくねーんだ……お前にゃいつでもそーやってガヤガヤ元気でいてほしいしな……」

「なっ……」

観月は自分の体温が一気に上がったのを感じた。

「だから……頼む」

背を見せたまま真摯に話す九澄に、観月は何も言い返せなかった。

(なによ馬鹿……あんたにそう言われたら、あたしはそうするしかないじゃない……)

「絶対勝ちなさいよ馬鹿!」

九澄は振り返らず、親指を立てて「OK」のサインを作った。
観月は初貝の手を引っ張り走りだした。
振り返ることなく森の中をかき分けていく。

(九澄が負けるとは思えない。だけど先生たちを見つけて知らせないと……!)

(きっと観月なら先生たちを見つけて知らせてくれるはず……!)

九澄は観月の行動を正確に把握していた。
なんだかんだで数ヶ月の付き合いだ。それにあいつってよくわからんけどわかりやすいし。
などと本人が聞いたら殴られそうなことを考える。

(さてと……最低でも時間は稼がねーとな……)

九澄が目の前のモンスターを抑えられているのはひとえに眼力のおかげだった。
だがその睨み合いも永遠には続かない。
間違いなくもうすぐ奴は飛びかかってくる。
ならばどうする。

九澄大賀なら――
こうする。

「へっ、いいのかよ? 俺はこう見えてもゴールドプレートの持ち主なんだぜ?」

「グアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

唸りを上げながら突進してきた巨体。
九澄はそれを再びギリギリで交わし、体をひねりながら距離を取る。
シーバンは再び崖に激突し、なに食わぬ顔でまた九澄に向きあう。

「そ、そうか……人間じゃねーからこんなハッタリは通じねーのか……って当たり前にも程があんな」

なぜだろう。
恐怖心がほとんどのはずなのに、かすかにそれだけでない感情の昂りをかすかに感じる。
こんな時にこんなボケをかませることを考えると、怖すぎてどうかしてしまったのかもしれないと考え、自嘲気味に笑う九澄。

(くそったれ、震えが止まらねえ……なのに……ちょっと楽しくなってきやがった……。
腹ァ……くくってみっか……)

九澄にはひとつのアイディアがあった。
今自分に実行しうるほとんど唯一の攻撃手段。

(失敗したら死ぬかもな……ちくしょう、なるようになりやがれ!)

九澄はカッと目を見開き、怪物を睨みつけ自ら駆け出した。
全身のパワーを総動員した本気の突進だ。
一瞬シーバンの動きが止まった隙を九澄は見逃さなかった。
両手で怪物の大きな口の内側を掴み、120%の力でその口を一気にこじ開ける。
それはまさしく火事場の馬鹿力と呼ぶにふさわしい本気以上の腕力だった。

(どんな頑丈な体でも……ここは弱点だろ!!!)

「オープン!!!!! 声震砲(ボイスワープ)!!!!!!」

九澄は怪物の口を覗きこむように顔を突っ込み、ありったけの大声を叩きつけた。
魔法力で増強されたその音は一本に収束し、大砲のようなビームとなって怪物の口内に炸裂した。
轟音とともに九澄は反動で吹っ飛ばされ、尻餅をついて転がった。
顔や尻に痛みが走るが今はそれどころではない。
九澄が顔を上げた時、怪物は口から煙を吐き出しながらピクリとも動かず倒れていた。

「いよっしゃーー!! 大成功!!」

思わずガッツポーズする九澄。

「へっへっへ、人間様をナメるとこうなるんだっての」

仰向けで倒れている怪物に軽やかな足取りで近づき、念のため見開かれたままの目をよく観察する。 

「よしよし、完全に飛んじまってるぜ。ブラックプレートと柊の魔法様々だな……」

九澄は知らなかった。
野生の猛獣の生命力と、その危険度を。
安心してシーバンから目を離したその刹那だった。

衝撃。
痛みを感知するより先に、弾けるように吹っ飛ぶ。
崖に激突し、側頭部を強打し、落下。
地に屈し、そこで初めて九澄は脇腹の強烈な痛みを知る。
痛み?
違う、そんな生易しいものではない。
全身がバラバラになったかのような激痛。

(生きてやがった……!)

完全な油断だった。
九澄はあそこですぐに逃げるべきだったのだ。
ダメージのある今のシーバンに追いつかれることはほぼなかっただろう。
だが全ては一瞬で暗転した。
怪物は口から煙と血を漏らしながら血走った目で九澄を睨みつける。
手負いの獣だけが持つ、真の憤怒と激情の目。

「ガアアァアァァアゥオアアア!!!!!」

咆哮。

「ち……ちくしょう……」

嘆き。

(死ぬ)
(死ぬ)   (死ぬ)
(死ぬ) (死ぬ)   (死ぬ)
(死ぬ)       (死ぬ)
(死ぬ)

(死ぬ)


(嫌だ!)

(こんなところで死ぬのは嫌だ! 俺はまだあいつに何も言ってねえ……)

(まだ何もしてやれてねえ!!)

九澄は立ち上がる。
恐らく肋骨は折れた。
呼吸が地獄のように苦しい。
それでも。

「来いよ」

もう逃げることは不可能だ。
走れたとしても数メートル。
だとするれば出来ることは一つしかない。
九澄は頭上を見上げた。
高さ10メートルを超える崖。
それが二度に渡るシーバンの激突で大きくえぐれ、グラグラと不安定な状態になっている。

(俺にもし運が残っているなら……)

「来いっ!!」

歪な叫びとともに血反吐をまき散らしながらシーバンが飛び出した。

まだ動くな、待て。待て。待て。
紙一重の、千載一遇のタイミングを。
ほんの一秒あまりの時間が九澄には十数秒にも感じられた。
槍のような角が眼前に迫る。

今!

九澄は身をかがめ斜め前方に飛び出した。
シーバンの爪が九澄の背を掠める。
九澄は、勢い良く地面に転がり、怪物は轟音とともに崖にめり込んだ。
だがまだこれだけでは致命傷にならない。
九澄はうつ伏せの状態から半身を起こし空を見上げる。
度重なる衝撃で、切り立った崖の上方はこの上なく不安定になっていた。
あと少し。
あと少しで。
来い。来い。来い。

「崩れろおおおおおおおおお!!!!」

それは山の神の気まぐれか、それとも岩をも通す信念の賜物か。
九澄の叫びに呼応するように崖の上方に一直線の亀裂が走った。
シーバンがようやく身を起こした時、そいつはまだ自分に迫った事態に気付いていなかった。
上方の轟音。
怪物は上を見上げる。
その時既に数メートル級の大岩がまっすぐ怪物のもとに迫っていた。


####


「なんだ今の音は!?」

大木が叫んだ。
小柄な男性教師の後ろを走る観月は言い知れぬ不安を感じる。
大丈夫。
九澄が負けるはずがない。
危険レベル5は確かに恐ろしいが、ゴールドプレートの持ち主にとって敵ではない。
先生はそう断言した。
ならばなぜ、自分はこんなにも恐れているのだろう?
観月に答えはなかった。

「九澄ぃぃぃぃ!!!」

現場にたどり着いた観月が見たものは、崩れた崖と土砂の山、そしてそこからほんの数十センチの距離で倒れている、頭と背中から血を流した九澄の姿だった。
観月の心臓が止まりそうになる。
少女はほとんどパニック状態で九澄に駆け寄った。

「九澄! 九澄! ねえ目覚めなさいよこの馬鹿! 九澄!!」

直後、聞き慣れた声がかすれるような大きさで耳に届いた。

「……うっせえな……耳元でキャンキャン叫ぶなよ……」

九澄が目を開く。
また観月の呼吸が止まった。

「……ま、そっちの方がお前らしいけどな……」

そうつぶやいて九澄は笑った。
観月はボロボロと涙を流し、目の前の馬鹿に覆いかぶさった。馬鹿、馬鹿と何度も繰り返した。
大木は照れるように頬をかいて青春やってる男に声をかけた。

「……で、どうなんだ九澄、怪我の具合は」

「あー、結構キツイっすねー。大先生、回復魔法使える?」

「俺にできるのは応急処置レベルだ。今保健の門脇先生が向かって来ている。
彼女ならこの程度の怪我はなんでもない」

「じゃあまあ応急処置だけでも先に頼むよ大先生」

大木は苦笑した。
こんな口が叩けるのなら安心だろう。
――ちょいとばかしムカつくが。

(……しかし九澄がレベル5程度を相手にこんな重症を負うか……?
魔法の実力が高くとも戦闘には不慣れということか……? 
あるいは歳相応に油断でもしたんだろう)

大木はわずかな疑問を感じたが深く考えることなく納得した。
まずは傷ついた生徒を治療することが教師の役目だと承知しているからだ。
だがその時、同様の疑問をより深く抱いた者がいた。


####


夜。
観月は九澄が一人安静にしている個室を訪れた。
九澄は布団で寝転びながらテレビを見ていた。

「よお観月! なんだお前一人で来たのか。
さっきまで柊とかC組とか執行部の連中が来てたのによ。
ああそんなことより今日はありがとうな。
お前のおかげで助かったぜ」

九澄はいつものように屈託なく笑う。
何も変わった様子はない。
ただ体のあちこちに包帯が巻かれていた。
観月は九澄の枕元に座り込む。

「体の具合はどうなの……?」

「大したことねーよ。保健の先生の回復魔法ってすげーんだぜ。
傷口なんてあっつー間に塞がっちまってよ。
この包帯はまあ念の為ってやつさ。2、3日でとれるらしいぜ」

自分の頭に巻かれた包帯を指さしてヘラヘラと笑う九澄を見て観月の胸にまた不安が広がった。
いつもと変わらない、だからこそ何かがおかしかった。

「……どうして……あんな奴相手に死にかけたの……」

「は? 死にかけてねーよ! ピンピンしてんだろーが!」

「嘘! 門脇先生が言ってたよ! もう少し到着が遅れていたら危険だったかもしれないって!
内蔵が損傷していなかったのは奇跡みたいなもんだって!
あんたならあんな奴……もっと簡単にやっつけられたんじゃないの……?」

「そ、そりゃあお前……ちょっと油断しちまっただけだよ……」

これも嘘だ。
観月は確信した。
確かに大木先生や柊先生も同じ油断という見解を述べていた。
だが観月達を逃した時点で九澄は完全なシリアス戦闘モード、100%の臨戦状態だったはずだ。
あそこからどうやって油断するというのか。
仮に一瞬の気の緩みでいいのを食らってしまったとして、それでも相手を倒したあとそれなりの魔法力は残っていたはずだ。
ならばなぜ自分で回復魔法を使わなかったのか。
仮にたまたま回復魔法をインストールしていなかったとして、他に何かあるはずじゃないのか。
なぜ自分たちが駆けつけるまでただ倒れていたのか。
観月には疑問だらけだった。
今回だけではない。
以前から九澄大賀は謎だらけだった。
何かがおかしい。
何かがその疑問を一本の線につなげる気がする。
でも何が?

まさか。

その時観月の背筋にゾクリと悪寒が走る。

「分かった……とにかくゆっくり休んでいなさいよ……」

「ああ、ありがとな」

観月はゆっくりと腰を上げ、部屋を後にした。
廊下に出てから観月はブンブンと首を横に振った。

(違う……そんなわけない……そんな事絶対にありえない……
なのにあたしは……あたしは……
恐ろしい想像をしてしまっている……)


####


同じ頃柊父は現場の調査を終えていた。
モンスターが埋まっているという土砂の下には、血らしき汚れが残っていただけで肝心の死体はなかった。
魔法生物といっても死んだら煙のように消え去るわけではない。
ルーシーが死んだらただの枯れたマンドレイクになるように、このモンスターも死体が残るはずなのだ。
それがないということは逃げたか、もしくは、より可能性の高いケースとして、何者かが「回収」したということだ。
もしもあのモンスターが、何者かが召喚魔法で呼び出したものならば、死ねば術者の召喚アイテムに自動的に回収される。
そもそもこの山にあんなモンスターは生息していないことを合わせて考えれば結論はただひとつ。
奴は誰かが意図的に放った。
その目的は、九澄の命?

それとも――

2012年6月9日土曜日

宿命の対決 がくぽ対メイコ

 拙者、神威がくぽと申すものでござる。
歌と剣の道を極めるべくこの世に生み出されて幾星霜、天はまだまだ遠かれど、
この日は町を歩き久方ぶりの休養を楽しんでいた。
穏やかな気候と住み慣れた町並みに心を癒していたそんな折にそれは起こった。
突如後方で轟音が鳴り響き黒煙が立ち上ったのだ。
人々が悲鳴を上げ我先にと逃げ惑うその中に、
よくよく見れば見知った男がいるではないか。
「カイト殿! これは一体どういうことでござるか!?」
その青い男は我が友人にして歌道の先輩格、人呼んでバカイト。
「おおっがくぽ! ラッキーちょうどいいところに来た!」
「ちょうどいい……?」
眉間にしわを寄せた拙者を意に介さず、カイトは轟音の鳴った場所を指さす。
煙の中に人影のようなものが見え、やがてはっきりとその姿が露わになった。
紅い服。紅い眼光。紅い髪。吐く息までもが紅かった。
それは炎のように紅い女だった。
「メイコ殿!!?」
否。
拙者のよく知る歌姫ではない。
邪悪にして強大なる闘気、そして骨の髄にまで伝わる憤怒の情。
あえて例えるならば――鬼。
これが恐怖というものか。
生まれて初めて頭がではなく肉体が恐怖した。
「かぁ~~~いぃ~~~とぉ~~~」
鬼がうめいた。
何らかの物体を持った右腕がゆっくりと掲げられる。
それは大型単車であった。
数百㎏はあろうかという鉄の塊を、傘のように軽々と持ち上げているのだ。
刹那、鉄塊が宙を舞った。こちらに向けて、恐るべき速度で。
「憤ッ!」
一瞬の判断にて左方に飛び退けかろうじてそれを躱す。
単車は地面に叩きつけられ爆音とともに四散した。
あと半秒遅ければ拙者もああなっていただろう。
「おっかね~」
カイトもまた拙者と同じ方向に逃げ延びていた。
弱いくせに逃げるのは得意な男だ……。
「説明してもらおうか、カイト殿」
「走りながらなっ!」
言うが早いかバカイトは青い首巻きをはためかせ後方に駆ける。
拙者はすぐにそれを追い、カイトの汚い尻に向けて怒鳴りつけた。
「早く話せいッ!」
「いや~それがさ~」
青い屑は最近の若者を象徴するような軽薄な顔で鼻の下の尻の穴から臭い音を出す。
「めーちゃんの着替え姿、こっそり隠し撮りしたのを
ニコ動に流してたのがバレちゃってさ。
いやーあんなに怒るとは思わなかったね」
「き、貴様うつけか! 天下一の大馬鹿者かッッ!!?」
「そんなに褒めるなって」
「褒めとらんわ!!!」
前方の痴れ者、後方の鬼神。
状況は最悪でござる。

「でもがくぽがいて助かったぜ。
おめーの剣術ならめーちゃんを峰打ちで気絶させることだってできるだろ?」
「拙者に責務を押しつけるつもりか!?」
青畜生は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「でないとおめーがめーちゃんのおっぱいハァハァって書き込んでたのバラすぜ?」
「知っていたのかぁッッッ!!!」
やはりこの男の家の無線LANを勝手に借用したのは失策であった。
通信費用を渋るべきではなかった……!
「貴様地獄に堕ちるぞ……」
「作られた命がか?」
自嘲気味に笑う青い悪魔。
そう、確かに我らは機械人形。所詮は人間達の玩具に過ぎぬ。
なれど。
「拙者は武士。武士には武士の誇りがある!」
こんな好機は二度とない、そう思った。
駆け足を止め、振り返る。
半身になって腰を落とし刀の柄に手を添える――居合の構え。
紅い鬼神は拙者を一瞥するや突進を止めた。
「がくぽ……あなたに用はないの。そこをどいて」
「どかぬ」
「さっさとどきなさい!」
「退くわけにはいかぬ!!」
互いの闘気がぶつかり合い、しのぎ合う。
足下の小石が震えるのを感じる。
それだけではない、この対峙に空間そのものが蠢いているのだ。
拙者は今までにない高揚感を感じていた。
拙者の知る限り現世で最も強い同胞メイコ。
今初めてそのメイコと本気で向き合っている――至福。
「貴殿とはいつか相見えたいと思っていたでござる。
それが今になっただけのこと」
「本気……なのね……」
鬼が構えた。
「我が剣に斬れぬ物無し」
腰をさらに落とし精神を一点に集約する。
しくじれば、死。
「  」
声なき声とともに踏み込む。
音の壁を越えた交錯。
楽刀・美振が唸りを上げ、美獣が咆吼した。



意識がなかったのはほんの一瞬であろう。
だが拙者は地を舐め、メイコは立っていた。
完全なる敗北だった。
「無念……」
もはや体は言うことを聞かなかった。
おそらく機体損耗率は50%を超えている。
「がく……ぽ」
ぎしぎしと歪な音を鳴らしこちらを向く紅い美女。
戦乙女もまた無傷ではなかった。
どうやら我が剣術もまるで通じなかったわけではないらしい。
……僥倖だ。
「貴殿の勝ちでござる」
生涯初の完敗は不思議と心地良かった。
あの永遠にも似た一瞬。あの喜びがあるからこそ剣術は滅びないのかもしれない。
拙者がそんな感慨に浸っていたその時だ。
青い人影が突如現れ拙者を飛び越えたかと思うと瞬く間にメイコに迫った。
損傷で上手く動けぬメイコの紅い唇をそやつは堂々と奪った!
「めーちゃん大丈夫?」
ぬけぬけと囁く青い糞。
恥知らずにも傷ついた美女の髪を撫で腰に手を回すと、
どういうわけかメイコの顔はみるみる朱に染まっていくではないか。
「バカ……」
「ごめんね、めーちゃんがあんまり綺麗だから、
世の中の人たちに見せたくなっちゃったんだ。
でもやっぱり間違っていたよ。
めーちゃんの美しさを知っていいのは僕だけなんだから」
「もうっ! あなたが私のこと裏切ったのかと思っちゃったじゃない!」
「そんなわけないよ。僕は絶対にめーちゃんを裏切ったりしない。
だってめーちゃんは僕の大事な恋人なんだから。
……好きだよ、めーちゃん」
「あたしもよ、カイト……」
「さあ、帰ろう」
「カイト? ふふっ、今日は一晩中頑張ってくれないと許してあげないんだから」
「わかった。今夜は寝かせないよ」
二人は肩を寄せ合い仲睦まじくその場を去っていった。
残されたのは地を這う拙者と、傍らで空しく横たわる愛刀のみ。
「あの阿呆共、いつか殺す……」
拙者は武士。武士には武士の誇りがある……。



2012年6月5日火曜日

エムゼロEX 5

第五話 林間学校〈1〉


雲ひとつない快晴、青々とした美しい自然。
涼やかな秋風が吹く爽やかな山中、リュックサックを背負い体操着で整列する生徒達の中で九澄大賀は一人冷や汗を流していた。

(まずい、例によってまたなんの対策も取らずに来てしまった……)

今日は聖凪校外行事の林間学校。
九澄たち一年生全員が、地元から遠く離れた霧崎山の麓に集められていた。
表向きは普通の林間学校ということになっており、生徒達にも前日までそう知らされていたが、通常校外に持ち出し禁止の魔法プレートを全員が持たされたことからもこれがただの平和な山登りなどではないことは明々白々。
なんで事前に教えてくれなかったんだよと柊父を問い詰めたいところだが、どうせ適当にあしらわれるのは目に見えている。
その柊父が生徒達の前で演説をぶっていた。

「もうみんなわかっていると思うが、ここは普通の山ではない。
 聖凪と同じく魔法特区の一つだ」

やっぱりな……という声があちこちから漏れる。

「とはいえ魔法磁場の強さは聖凪の半分以下。場所によってはもっと薄いところもあるだろう。
 つまり普段通りのつもりで魔法を使っても効果は低いということだ。
 逆に言えばそれだけ知恵と判断力、そして効率の良い魔法の使い方が試されるということになる。
 ……などと言ってはみたが、クラスマッチと同じく成績には関係のないただのイベントだ。
 あまり気負わなくていいぞ」

生徒達にほっとしたような空気が流れる中、柊父の隣に立っていた大木"大先生"がマイクを受け取った。
二人の身長差は40センチ近くはありそうだ。もちろん小さいのは"大先生"である。

「ただし! 上位の班には素晴らしいご褒美が、そして最下位の班にはちょっとした罰ゲームを用意しているぞ。
 ま、覚悟しておくんだな、ハッハッハ」

罰ゲーム、と聞いて九澄の脳裏に先日の忌まわしい悪夢が蘇る。
あの時は愛花の誤解が解けるのに数日はかかって死にそうな気分になったものだ。
とはいえ、班ごとの行動ならC組で最も優秀な九澄班(第6班)が学年最下位になどなるはずがない。
今回は楽勝だなと九澄は胸をなでおろした。
すると再び柊父がマイクを持つ。

「さて、バスの中で皆に配ったカードがあると思うが、それを見てくれ」

確かにここまでの道中どういうわけかすべての生徒に無地の白いカードが配られていた。
九澄がズボンのポケットに仕舞っておいたそれを取り出すと、そこには「17」という数字が浮かび上がっている。
なんだこれと訝しんでいるのは他の生徒も同じのようで、見れば人によってバラバラの数字がカードに浮かんでいるようだった。

「今日の目的の一つはクラスの垣根を超えた交流を持ってもらうことだ。
 そこで同じ数字の持ち主とその場で班を組んでもらう。いつもの班行動とは違うドラマが生まれるわけだな」

(いいっ!? それじゃあ誰と組むことになるのかわからないのかよ!)

ぶっちゃけ愛花と組めさえすればそれでよかった九澄にとっては手痛いルールだ。
この上もし小石川などと組むことになったらギスギスして班行動どころではない気がする。
グチグチ言っても仕方がないので運を天に任せる他ないが。

「その札を天にかざすと数字が宙に浮きだして遠くからでも見えるようになる。
 それを見て自分と同じ番号の持ち主を見つけて班を組んでくれ。各班の人数は三名だ」

試しにカードを頭上に掲げてみれば、なるほど「17」の数字が立体ホログラムのように飛び出して浮かび上がった。
周囲を見回して同じ17番を探す九澄。ちなみにやっぱりというか愛花は違う番号だった。

「お、17番見っけ! おーい、こっちこっち!」

手を振って人ごみをかき分けて数字の下に駆け寄る九澄。
そこにいたのは意外な人物だった。

「く、九澄!?」

「お、なんだ観月か」

どういうわけか観月は九澄の顔を見た途端耳まで真っ赤にして汗を流す。

「なななな、なんであんたが同じ班なのよ!」

「なんでっつわれても……単なるくじ運だろ。
 そんなに嫌なら誰かと代わろうか?」

すると観月は九澄の視界を覆うほど接近してつばを飛ばした。

「べべべべ別に変わらなくてもいーわよ!
 あんたが他の女の子に迷惑かけたら大変だから、しっかり『あたしが』見張っておきゃなきゃいけないでしょ!」

『あたしが』にアクセントをおいてまくし立てる観月の様子を見て、九澄は(俺嫌われてんのかな)と首をかしげた。

「それはそうとあと一人はどこだ?」

九澄があたりを見渡すと、背後にちょこんと小さな女子が立っていた。

「あのー、私だと思います」

黒髪ショートに丸メガネ、小柄で童顔な女子生徒が右手を遠慮がちに上げている。
その手の中の札からは17番の文字が浮かびあがっていた。

「おお、おめーがそうか! ……ごめん、名前なんだっけ?」

執行部員の習性として学年中の生徒の顔を大体覚えている九澄だが、こういう地味系の女子は穴だったりする。
見たことがある気はしても名前までは出てこない。

「……A組の初貝です」

ぎりぎり聞こえる程度のか細い声でその少女、初貝真由はそう答えた。

「ハツガイな。俺はC組の九澄」

「知ってます」

初貝は当たり前の事を言わせるなとばかりに九澄の言葉を遮って観月の前に歩み寄った。

「観月さん、よろしく」

「ど、どうも。よろしく……」

無視されたも同然の九澄はぽつんと突っ立ったままだった。

(……と……とっつきづらそうな奴だな……)


####


オリエンテーリング。
それが今回の林間学校におけるメインイベントである。
ルールは非常にシンプルで、山中に置かれたいくつかのチェックポイントを通過して帰還する、その速さを競う競技だ。
多くの学校で課外活動の一環として行われているので知名度は高いが、本来はグループでおしゃべりなどしつつゆっくり歩くものではなく、オリンピック採用をも目指しているハードなスポーツだったりする。
当然意地の悪い聖凪教師陣がお気楽ハイキングを推奨するはずもなく、地図を渡された生徒達は一様に目を丸くした。

「先生、これ、まともな道がほとんどないのでは?」

F組の大門が手を上げて質問する。彼の隣に立っているのは九澄にとってお馴染みの黒髪セミロングの女の子。

(ひ、柊が大門と同じ組にいるゥゥゥゥ!!!???)

眼球が飛び出んばかりに驚愕する九澄を気にかけるのはずっと彼を見つめている観月以外にはおらず、柊父が淡々と質問に答える。

「ほとんどというか、全くないな。なにせ私有地だ。誰も整備するものなどおらん。
 とはいえ別にそこまで険しい山でもない。地図とコンパスをしっかり見ながら焦らずじっくり進めば危険はないはずだ。 
 よしんば『何か』あってもお前達には魔法もあることだしな」

柊父がわずかに口の端をつり上げる。勘の良い者なら彼ら教師たちが何らかの「障害」を用意していることに気付いただろう。
無論九澄はそれどころではなかったが。

(大門の奴、くだらねーことしやがったらコロス……!)

ほとんど涙目になりながら遠方の優男を睨みつける九澄であった。


####


「い、いやー。山の空気は気持ちいいよなあ!」

「……」

「……」

「虫の声を聴くと心が洗われるようだぜ!」

「……」

「……」

(か、会話が成立しない……)

山に入ってから30分あまり。九澄は森の中でテンションダダ下がり中だった。
ほぼ初対面の初貝と会話が弾まないのは仕方がないが、親しいはずの観月までほとんどだんまりというのはどういうことか。
見れば彼女はなぜか口をへの字に曲げ頬を赤くしてうつむいている。
もしや。

「風邪引いてるのか観月?」

「べ、別に引いてないわよ! 全然平気よ!」

一応元気のようだ。
いつもながらよくわからん奴だと九澄は肩をすくめた。

(あーもう! せっかく九澄と距離を縮めるチャンスなのにあたしってば何してるのよ!)

観月は自分の不器用さを恨んでいた。
神がくれたこのチャンス、無駄にしてなるものかと思いつつも、いざ何か言おうとすると固まってしまうのだ。
どうする。どうすればいい。
観月の頭脳はいつになくフル回転していた。
――例えば九澄がこんな風に話かけてきたとする。

(今日の観月……いつもより綺麗だぜ)

(あ……ダメよ九澄……初貝さんが見てるのに……)

(気にするな、今俺の瞳にはお前しか映っちゃいないさ)

そして九澄の唇が観月に迫り……

「カヒーーーーーーーー!!!!」

そこまで考えたところで観月の頭が沸騰した。

「や、やっぱりよく分かんねーやつ……」

九澄がポカンとしていると、背後から突然声をかけられる。

「あのー九澄君」

「うおっ!?」

ビクリとした九澄だったが、振り返ればなんのことはない。初貝だ。

「な、なんだ……いきなり話しかけてくるからビビった……」

初貝は九澄の失礼な言葉には反応せずマイペースで話を続ける。

「今あたしたちどのあたりにいるんですか?」

「あー、もうちょっとで一つ目のチェックポイントのはずだぜ。
 そこまで行ったらちょっと休もうか?」

九澄は地図を広げながら答える。
ようやく会話が成立したのが少し嬉しい。

「あたしなら大丈夫です。あまり他の班に遅れたくありませんし」

「そ、そう……」

淡々と前に進む初貝の無表情を見て、やっぱりこの子話しづらいと九澄は思った。
とはいえあまり遅くなりたくはないというのは事実だ。
罰ゲームというのは内容がなんであれゴメンである。
しかも今回、班ごとに異なるチェックポイントが指定されているため他の班の動向はわからない。
なんとも意地の悪いレースなのだ。

(せめてルーシーを連れてくりゃ良かったな……
 でもまさかこういう趣向のイベントだとは思わなかったからな)

いないものはしょうがない。
かくなる上はとにかく地道に進むのみ。
しばらく無言のまま歩いていると、森を抜けた先にチェックポイントらしき魔法玉が見えてきた。
ちょうど崖の下の日陰になっている場所だ。

「ちょうどいいや。ちょっとだけ腰下ろしていこうぜ」

九澄が日陰にある石の上に座り込むと、観月はしばらくためらったあと九澄のすぐ隣に座った。
それこそ手を伸ばせば肩を抱くこともできる距離だ。
九澄が真横の美少女をちっとも意識せずリュックから取り出したペットボトルの水を飲んでいると、なにやら強力な視線を感じた。

「……なんでこっち見てんだ?」

「べ、別になんでもないわよ」

「ふーん」

「……」

「……あのさ、お前今日俺のこと無視してね?」

九澄が迷いがちにそう尋ねるのを見て観月の血管が浮き出る。
なんだこの男は。本当になんにも気付いていないのか。
なんであたしがこんな男に振り回されないといけないんだろう?
観月は自分のわかりにくい行動は棚に上げて怒りを湧き立たせる。
だがそれでも、この眼の前の男の邪気のない瞳に見つめられると観月はそれ以上何も言えないのだった。

「そ、そういえば初貝さんどこ行ったんだろー?(棒)」

それは話題を変えるために無理にひねり出した一言だったが、実際初貝はいつの間にかいなくなっていた。
自分の言葉でようやくそれに気付いた観月は辺りを見回すが、小柄なショートボブの女の子などどこにも見当たらない。

「あれ? そういえばいねえな。まさか一人で先に行っちまったのか……?」

九澄も何も把握していないようだった。
これはまずい状況だ。班が揃っていないとチェックポイントの認証ができない。
そもそもこんなまともな道もない、おまけにどこにトラップがあるかもわからない山を、女の子一人で単独行動するなど危険すぎる。

「ま、まずいよこれ! 探しに行ったほうがいいんじゃ……!」

観月が腰を浮かせると、九澄が勢い良く立ち上がる。

「俺が行く! 観月はここで待っていてくれ! 全員バラバラに動いちゃもっとマズイ!」

「う、うん!」

九澄の真剣な表情と力強い言葉に観月は首を縦に振るしかなかった。

(あーあ、結局あたし九澄のこういう責任感が強くてちょっと強引なところに惚れちゃってるのよね)

腰を再び降ろしながら観月は溜息をついた。
惚れた弱みというやつはまったくどうしようもないのだ。
だが九澄が捜索を開始することはなかった。
ちょうどその時森の中から女性の悲鳴が聞こえたからだ。

「た、助けてーーー!」

叫びながら森から飛び出してきたのは初貝真由その人だった。
九澄たちの手前で膝に手をつきゼエゼエと息を切らせる。

「お、おい、どこに行ってたんだ。何があった?」

初貝が答えるより早く、今度は森の中から不気味な轟音が響いた。
何かが壊れるような大きな音に続いて一本の木がめきめきと唸り、ゆっくりと倒れた。
森の中から現れたのは、大型のヒグマほどもあろうかという見慣れない生物。

それは地球で知られているどんな動物とも違っていた。
サイを思わせるツノに虎のような牙。
ゴリラのような毛皮に覆われた二本足の猛獣。
いや、猛獣というよりも。

「モンスター……!」

観月が声を震わせる。

「お、おい、モンスターってまさか……!」

九澄の言葉に初貝が答える。

「……聖凪においては、人間に危害を加える恐れありとされる魔法生物のことを指します。
 あのモンスターは前に図書室の図鑑で見ました。
 確か……危険レベル5の"シーバン"」

「レ、レベル5って……そんなの一年生に倒せるわけないじゃない!!」

一年生の魔法力ならレベル2を倒せれば上出来だ。
以前の魔法授業で教師の一人がそう言っていた。
そもそも一年生は本格的な戦闘を経験することはないとも。
なのにレベル5のモンスターなど想像もつかない。

「そう……私達ではとても歯が立ちません。だけど……」

九澄は背中に2つの視線を感じ寒気を覚えた。
とてつもなくまずい事態になっている。

(九澄なら……!!)

観月はスーパーヒーローを見るような目で九澄の背中を見つめる。
九澄は全身から冷や汗が流れるのを感じた。

(どーすんだよこれ……!)


####


一昔前のロックギタリストの様な容姿に似合ってるんだかいないんだかわからないドクロのバンダナ。
いろんな意味で特徴的な魔法執行部1・2年生支部・支部長永井龍堂は、椅子に座って一枚の紙を凝視していた。

「……本気でこんな企画を通すつもりなのか?」

彼の前に座っている女子生徒が頬を緩める。

「もちろん」

何をアタリマエのことを、と言わんばかりのきっぱりとした返答。
永井は上目で女子生徒の表情を確認する。
栗色ショートのややクセのある髪に紅いメガネをかけた少女が楽しそうに微笑んでいる。

「根回しと準備は全部こっちで受け持つから、永井くんはなんにもしないで結構よ。
 ただ邪魔をしないでいてくれればいいだけ。
 自分がこの件に関われないことに文句なんて無いでしょう?
 こういうの興味なさそうだもんね」

永井は苦々しく舌を打つ。

「俺は良くても不愉快に思う者はいるだろう。
 特に伊勢の奴は絶対に納得しないはずだ」

「お構いなく。それもこちらの問題だから。
 じゃ、そういうことでヨロシク」

席を立つ華奢な女子を永井は声で静止した。

「待て、本当にあいつがこんな話に乗ると思っているのか?
 あいつが魔法をケンカの道具にしないことぐらいは知っているはずだ。
 魔法をむやみやたらに使いたがらないということも。
 まして全校生徒の見る前で力を誇示したりはしないだろう」
 
女子生徒は振り返らずに答えた。

「ま、人には色々事情はあるんでしょうけど……永井君、君だって見たいでしょ?
 九澄くんの本当の実力をさ」

永井には否定できなかった。
むしろ確かにそれが自分の本音なのだろうと感じてしまった。
認めざるをえないのだ、この企画はあまりに魅力的に見えるということを。

「永井君は誰が勝つと思う……?
 三年生の巨星たち?、怪物一年生九澄大賀? それとも……」

永井はゴクリとつばを飲み込んだ。

エムゼロEX 4

第四話 生徒会魔法執行部部長・“ウィザード”夏目琉


生徒会魔法執行部部長。
それこそが聖凪学園で最も恐れられている役職の名である。

「三年生訪問?」

永井の呼び出しに応じ二年生部室に集まった執行部一年生一同は、支部長からの命令に目を丸くした。

「そうだ。お前達が入部して以来、何かと忙しくてそんな暇がなかったんだがな」

永井が九澄の背を叩いた。
聖凪高校では一・二年生校舎と三年生校舎がはっきり分かれている。
通常生徒が別の校舎を訪れることはないため、同じ執行部といえど一年生が三年生と顔を合わせることはない。
しかし慣例では一年生執行部は正式発足後すみやかに三年生のもとを訪問し、交流の機会を持つことになっている。
その折に先輩方からのありがたーい経験談や説教を聞くという趣向である。

「ついさっき連絡があって、すぐにお前らを寄越してくれとのことなんだ。
 まあ急な話だがどうせいつかはやることだ。仕事は俺達二年に任せて行ってきてくれ」

三年生校舎までの2キロほどの道のりを九澄たち七人が歩いていた。

「っにしても急だよな。相変わらず人使い荒いぜ執行部はよ」

九澄が苦い顔をしてぼやく。

「そう言うな。せっかく普段会えない先輩に会える機会なんだ。
 彼らはこの学校で最強クラスの実力者なんだよ」

大門の足取りは軽かった。魔法の腕を磨くことに誰よりも熱心な彼にとって、噂でしか知らない三年生の実力を見れる機会など願ってもないことだ。
ぜひいくつか得意魔法を披露してもらおうと小柄なエリート一年生は考えていた。

「あたしも楽しみだな。きっと凄い人達なんだろうな」

愛花が大門の言葉に頷くと、九澄は途端に歯ぎしりした。

三年生校舎の見た目はいたって普通だった。
何人かはなにか凄いものを想像していたのでがっかりしていたが、九澄は最初から乗り気でなかった。
前に三年生執行部の滑塚という男に腕試しを挑まれて以来、彼らと関わりたくなかったからだ。
もし勝負を挑まれたりしたらなんと言ってごまかそうかと九澄は悩んでいた。
約束の正面玄関前にたどり着くと、どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

「はいはいみなさーん、こっちについてきてねー」

声の主は宙に浮いているクマのぬいぐるみだった。
手招きしてどこぞに飛んでいくイマイチ可愛くないぬいぐるみに驚く者はもちろんここにはいない。
三年生にとってはお菓子でも食べつつケータイをいじりながらでも使えるような魔法だろう。
ぬいぐるみに招かれた場所は校舎の中ではなく、そこから少し離れた場所にある建物だった。
そこは簡素な小さい体育館といった面持ちでさほど広くは見えなかったが、中に入ると校庭に匹敵する大きさだった。
野球の試合ぐらいなら難なくできそうな面積と天井の高さだ。

「魔法空間……」

影沼のつぶやきは誰も聞いていなかった。
広さだけではない、その空間特有の妙な空気に圧迫されていたのだ。
その空間の中央で二人の男が向かい合っている。
短髪の男は今にも掴みかかりそうな険悪な表情。
長髪の男はどこ吹く風とばかりに余裕の表情だ。

「やっと来たねボーヤたち。もっとチャッチャとして欲しかったんだけど」

ぬいぐるみが飛んでいった先には四人の生徒が集まっていた。
その中には九澄が知っている顔もある。
額の広い大柄な男、以前九澄に挑んできた滑塚亘だ。
彼の隣でぬいぐるみを肩に乗せているのは抜群のスタイルを誇る美少女。

「彼らが……三年生執行部」

大門は気圧されていた。
ただ立っているだけの彼らから、静かにして強烈なプレッシャーを感じる。
間違い無く今の自分では歯が立たない一流の魔法使いたち。
大門は固く握った拳が汗でにじむのを感じ、微笑んだ。
彼らが期待通りの強者だったことがたまらなく嬉しかった。

「はじめまして先輩方。大門高彦といいます」

「あっテメー自分だけ! おねーさま、俺竹谷和成!
 カズ君って呼んでくださーい♪」

竹谷は四人の中でもひときわ目立つ美少女に擦り寄る。
その鼻の下は見事に伸びきっていた。

「なんつーみっともねー奴……」

九澄が口をぽかんと開ける。
竹谷は真剣な顔で九澄に振り向いた。

「お前このお方を知らんのか! 俺は一目でわかったぞ、この方が執行部副部長、時田リサさんであるということが!」

「時田……?」

その名前には聞き覚えがあった。たしか伊勢あたりがよく口にしていたような。

「"Gの時田"か!」

九澄の頭にイナズマが走る。
一年生最強バスト、禁断のGカップ。何もせずとも名が売れるB組のリーサルウェポン時田マコ。
愛花以外の女性に興味がない九澄でも、何度か彼女に目を奪われたことがあることは否定出来ない事実である。
そして目の前の美女は、信じられないことに時田マコ以上のスタイルの持ち主だった。
爆弾級のバストにきゅっとくびれたウエスト、群を抜いて長い脚、小さな形良い頭と大きな灰色の眼。
こんな人類が実在するのかと思ってしまうほどずば抜けた肢体だ。

「立っているだけで罪、歩く姿は犯罪級!
 彼女こそは聖凪のビーナス、時田リサ様なのだ!」

力の限り彼女を称える竹谷は、オープンスケベ男の伊勢とは違う意味で危ない奴に見えた。
当の時田は余裕の笑みを浮かべつつ、人差し指を立ててウインクする。

「ありがとうカズ君。でも妹はウブだから乱暴しちゃ駄目よー?」

「んモチロンですっ!!」

だめだこいつ。九澄はおもいっきりそう思った。

「挨拶はもういいだろ一年ども」

喧騒をさえぎる堂々とした声の主は空間中央に立っている長髪の男だった。
全員の視線がその男に集まる。
男は九澄と目を合わせ、ニヤリと笑う。
得体のしれない寒気が九澄の背に走った。

(あ……あいつは……)

「九澄くん?」

愛花が声をかけるが、九澄は男から目を逸らすことができなかった。
冷たい汗が九澄の背中を流れる。

「ヘヘ……自己紹介されなくてもわかっちまった……。
 あいつだけ他の連中と明らかに違うじゃねえか」

九澄は冷や汗をかきながら苦笑していた。
ここにいる三年生全員怪物クラス、だが目の前のこの男はその中でも群を抜く怪物の中の怪物、怪物の王。
ケンカ慣れした九澄に備わった、強者を見ぬく勘が最大音量で警報を鳴らす。
これほどの威圧感を姉の胡玖葉以外から感じたことはない。

「つまりあいつが三年生最強の男、執行部長ってわけだ」

「いい目をしてるじゃないか九澄大賀。
 伊達にゴールドプレートは持っちゃいないな」

男が口の端を吊り上げる。

「へっ……プレートの色なんかで本当の強さはわかんねえよ」
(帰りて~~!)

九澄は心底そう思った。
そのやり取りを見て時田リサが微笑む。

「夏目くん、嬉しそーじゃない。待ち望んだ恋人に会えた気分ってやつぅ?」

「茶化すな時田」

「あはは、ごめんごめん。……さて一年生諸君、お察しの通り彼がウチの部長。
 魔法執行部部長・夏目琉〈なつめりゅう〉、通称"ウィザード"。
 聖凪高校全生徒八〇〇人の頂点に立つ男よ」

一年生全員がつばを飲み込んだ。
すると夏目と向き合っている短髪の男が口を挟む。

「くっだらねーお話はもう済んだかよ?」

「ああ、始めようか」

夏目が不敵に笑って右手を伸ばし、指先をクイクイと曲げ挑発した。

「いつでも来いよ、『挑戦者』」

男が顔を歪めてプレートを握る。
そして何事かを叫んだ。

「始まったか……」

滑塚がつぶやく。
一年生は皆戸惑っていた。竹谷が時田に訪ねる。

「リサさん、これは一体何なんですか?」

「挑戦者よ、久しぶりのね」

時田は楽しそうだった。

「三年生執行部って結構暇なのよ。夏目くんが強すぎて、だーれも逆らえないんだもん。揉め事なんか起こせないの。
 でも時々ああやって命知らずの挑戦者が現れるわけで、それに応えるのも執行部長の仕事みたいなもんね。
 夏目くんはね、こういうイベントを何よりも楽しみにしてるのよ」

挑戦者の背後の影から巨大な物体が浮き上がる。
それは身の丈四メートルはあろうかという漆黒の物体になった。

「影を実体化したんだ!」

影沼がここぞとばかりに解説する。
ここで目立たなければ次はいつになることか。

驚くべきことに影は召喚主である挑戦者自身を飲み込んだ。
すると影は人型に変わっていき、ついには明確な形に定まる。
中世ヨーロッパチックな鎧姿に巨大な剣。それはまさに漆黒の騎士と呼ぶべき存在だった。

「凄い……この距離でも凄まじい魔法力を感じる……。
 あの大きな影で自分を包み、最強の鎧に変えたんだ。いわば戦闘ロボットに乗り込んだようなもの……」

影沼次郎、渾身の解説。
しかし誰も聞いていなかった。声が小さいんだから仕方がない。
時田が言葉を続ける。

「君達を今日呼んだのはこのバトルを見せたかったらなのよ。
 夏目くんが君達に知って欲しがっているの。『頂点の高さ』ってやつをね。
 あたしはめんどいからさっさと終わらせてよーって頼んだんだけど、人使いが荒いんだよねー彼」

頂点は未だ一歩も動かないままだった。
漆黒の騎士が一気に距離を詰め、大剣を振り下ろす。
夏目はギリギリのタイミングで横に跳ね、かわした。
剣は床に激突して轟音とともに数メートルの亀裂を生み、振動が九澄たちをも揺らす。
夏目は口笛をヒュウと鳴らし着地した。











「大した威力だ。まともに食らっちゃ命が危ないな」

「ならどうする!」

騎士が叫んだ。
夏目は余裕の態度で頭をポリポリとかく。

「この魔法力、お前にしちゃでか過ぎる。
 それにこのいびつな魔力圧……魔法力加算〈アディション〉か」

騎士の動きが一瞬止まる。
表情のない仮面が一瞬うろたえたように見えた。

「なぜ分かった……!?」

「なんだ当たりだったのか? そういう時は適当にとぼけとけよ」

夏目が首を振る。やれやれと言っているかのような仕草だ。

「アディション……ってなんだ?」

九澄が滑塚に尋ねた。

「魔法プレートに他人の魔法力を上乗せすることさ。
 うまくすりゃ本来の限界の倍以上の力を持たせられる。
 だがそのかわり不安定でコントロールは困難、おまけにあっという間にMPを使い果たしちまう諸刃の剣だ。
 ……ま、本来一対一の魔法バトルじゃ禁じ手だよ」

禁じ手という言葉を使った滑塚の口調に怒りはこもっていなかった。

(確信してるんだ、あの部長はそれでも負けねえってことを)

騎士が縦に横に剣を振るう。
夏目はそれを羽が生えているかのような軽やかな動きでかわし続ける。

「何人に協力してもらった? 三人ってとこか?
 だがアディションを使った魔法プレートはあっという間にバランスを失うことぐらいは知っているはずだ。
 このまま攻撃を避け続けるだけでお前は勝手に崩れちまう。
 だろう?」

「そんな勝ち方をしてみやがれ、学校中にてめえが腰抜けチキン野郎だと言いふらしてやる!
 てめえが最強を名乗るなら勝ち方ってもんがあるだろう! ウィザードさんよ!!」

「なるほど、最初からそうやって挑発することで、俺に真っ向勝負を受けさせるつもりだったってわけか」

夏目は余裕の笑みを保ち続ける。

「卑怯だと言いたいか?」

「まさか」

夏目の動きが止まった。
直立したまままっすぐに騎士を見上げる。
釣られて騎士も一瞬静止する。

「一手やろう」

「あぁ?」

夏目の切れ長の目が獲物を狙う蛇のように大きく開かれ、不気味な威圧感が観戦者にまで届く。

「一手好きなように打たせてやる。それで俺を、殺〈と〉れ」

「なっ……!」

「俺を、殺れ」

直立不動のまま、なんの迷いもない声でそう言い切った。

「ふざけるなあぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

それは一瞬のことだった。
足元のウィザードに向けて、騎士が真上から大剣を振り下ろす。
大剣が最高のタイミングで夏目を捉えたかのように見えた瞬間、轟音とともに砕け散ったのは剣のほうだった。
夏目が何かアクションを起こしたようには見えない。彼はただ立ったまま。

「!?」

何が起こったのか誰にもわからなかった。
夏目は悠然と騎士を見上げ、騎士は剣を振り切った体勢のまま動きを止めている。

(呆然としているんだ)

表情が読めなくともその動揺は確実に観戦者たちに伝わっていた。

「残酷なやつだ……」

滑塚がぼやく。
直後、夏目は左手の手のひらをまっすぐ突き出した。

「雷砲」

ウィザードが本の題名を読むような淡々とした声で魔法を唱える。
直後、騎士の全身を特大の電撃が包んだ。
おびただしい発光が観戦者たちの視界を奪う。
数秒後、九澄がようやく目を開いた頃、騎士の鎧は音を立てて崩れ始めた。
破片が地面に溶けて元の影に戻っていき、最後には生身の挑戦者だけが残される。
男は地面に両膝をつき拳を震わせた。

「ちくしょう……!」

「まあいい線は行っていたがな。
 健闘は讃えてやるさ」

夏目が男を見下ろす。
慰めでもリップサービスでもなく、王者の余裕から出る発言だった。

「ちくしょうちくしょうちくしょう!!
 あんなに努力したのに……アディションまで使ったのに……!
 なぜだ! どうしてこんなに違う!」

男は地面を叩き、うめく。
その顔はぐしゃぐしゃに歪み、肩も声も震えていた。

「俺とお前の、何が違うってんだ……!」

誰も何も言えなかった。
夏目も周りの面々も。
ややあって男は立ち上がり、闇雲に走り去るようにして部屋を後にした。
皆がそれを黙って見送り、男が見えなくなった後ようやく時田が口を開く。

「さて! 今日も我らが夏目くんの圧勝だったね!」

滑塚がうなずく。

「やる前からわかっていたことだけどな」

九澄たち一年生は皆呆然としていた。
今目前で繰り広げられた戦い、それは彼らの知る魔法バトルのレベルというものを遥かに凌駕していたのだから無理はない。
特にあの恐ろしい相手に本気を出したようにも見えない夏目の強さは底が知れなかった。
違いすぎる。遠すぎる。

「おやおや、一年生のみんなにはちょーっと刺激が強すぎたかな?」

時田が腕を組んで苦笑する。そして九澄の方を向きその大きな瞳を輝かせた。

「でも一人だけ違う感想を持った人がいるんじゃない?
 九澄大賀くん」

「いいっ!?」

九澄に視線が集まる。
誰もが認める一年生最強の男はこれを見て何を思ったのか。
九澄はぎこちない笑みを浮かべて頭をかいた。

「ま、まあさすが三年生の執行部長だとは思ったかな。
 他の連中とはちょっとばかし違うなーっと」

「ふっ、ちょっとばかし、か……」

スラリとした長身に程よく引き締まった筋肉、端正な顔立ちにサラサラの長髪。
ウィザードの名に恥じない風格と威厳を持つ男が嬉しそうに目を細める。

「さすがはゴールドプレート、俺を相手にしても負けるつもりはないというわけか」

「い、いや、勝ちとか負けとか、別に勝負なんて馬鹿らしいだろ」
(勝てるかーーーーー!!)

九澄の心の声を聴くものはもちろんいない。

「なるほど、力を誇示したがらないという話は本当だったか」

夏目は滑塚に目を向ける。

「滑塚はお前に関してこう言った。サシなら俺より上かもしれない……と。
 俺のまともな相手がいなくなってから随分経つ。
 お前なら俺を楽しませてくれると思っているんだがな」

「だ、だから俺は魔法をケンカの道具になんかする気はねえし!
 俺にとって魔法は、みんなが幸せになるための夢の道具なんだ!」

九澄が力強く拳を突き出す。
夏目はそれを見て声を上げて笑いだした。

「はっはっは! 初めてだよお前みたいな奴は!
 気に入ったぞ九澄大賀! お前に任せときゃあっちの執行部は安心だろうな!」

「な、なんかあんなに嬉しそうな夏目は初めて見るな……」

滑塚が戸惑ったように声を漏らす。

「九澄くんらしいな、ああいう自分の強さを絶対にひけらかさないところ」

愛花が嬉しそうにそうつぶやいたのを聞いて、大門の眉間にシワが寄った。

「くっくっく、だがな九澄。俺は予感がするんだ。
 近いうちにお前と一戦交えることになるような予感がな……」

縁起でもない。

「その時を楽しみにしているぜ、怪物一年生」

(か、関わりたくね~っ)

九澄は心底さっさと帰りたかった。
結局このあと一年生ズは三年生の部室に招かれお茶と自慢話を振舞われたあと帰路についた。
帰り道の途中で竹谷がつぶやいた、「凄かったなー」という感想が全てだった。


*****


夏目に敗れた男は校庭の影で校舎にもたれ座り込んでいた。
敗北したこと以上に、まるで通用しなかったという事実が男を打ちのめしていた。
打倒夏目を目指した1年以上の努力はまったくの無駄だったのだ。
生気の抜けた顔でぼんやりと地面を見つめる男の前に、別の男が歩み寄ってきた。
背の高い、無駄なく鍛えあげられた体と鋭い目を持つ狼のような男。

「死んだような顔してるじゃねえか。
 結果は俺の言ったとおりだったみてえだな」

「……俺を笑いに来たのか」

「それだけでもねえ。いまどき奴に挑むだけでも大した度胸だって褒めてやろうと思ったのさ」

「……お前はどうする気なんだ。
 口先だけで最後まで逃げ続けるのか?」

「そう焦るんじゃねえよ。物事には時期ってものがある。
 だがとうとうその時が近づいてきてるのさ……」

狼のような男が大きな口を歪めてニヤリと笑う。
一切の不安を感じさせない自信に満ちた笑み。

「近いうちお前に……いや全校生徒に見せてやるさ。
 "ウィザード"が敗北にまみれる瞬間ってやつをな」