第十七話 一回戦終了、そして
『全校生徒の期待と共に開かれたこの大会! 一回戦第一試合では怪物一年生九澄大賀が無傷の楽勝! 第二試合では伏兵兜天元が魔法執行部の滑塚亘を剛力でもって粉砕してみせました!』
第二試合である意味「ドン引き」した観客を温め直すために実況が声を張る。
『そして続くは第三試合! この試合の勝者があの執行部長・夏目琉へと挑戦する大注目の一戦です!』
浅沼耀司は控え室で体を伸ばし準備運動に念を入れていた。しかし表情は落ち着き払っており、そのリラックスした様子からは一切の緊張は伺えない。
「勝算? やだなあ、勝算なしに参加はしないよ。」
浅沼は燦々とした爽やかな笑顔で新聞部のインタビューに答える。
「確かに夏目くんは本物の天才だよね。けど才能で勝ってる人がいつも勝つんじゃあ世の中面白くないでしょ。ま、僕だって努力と根性で売っていくタイプでもないけどさ……そうだね、あえて言うなら傾向と対策、それが鍵なんじゃないかなあ」
「つまりどんな奴にも弱点はあるし、それを突く方法は存在するってこと。そこを理解せずにただ闇雲に頑張ったって結果はついてこないよね」
「うん、そう。夏目くんを打ち破る算段はもうついている。100%勝てるとまでは言わないけどね。そこはね、信用してくれていいよ」
「え? 新宮くんについて? あはは、彼みたいな奴は嫌いじゃないよ。前時代的でさあ、なんか見てて面白いよね。けど彼ほど弱点がわかりやすい人もいないでしょ実際」
「うん、新宮くんがどう戦うかに関してはもうみんな知ってるからさ。彼への対策を立てるのは中一の計算問題を解くより易しいことだったよ」
「色々シミュレーションしてみたけど……どう考えても、僕の勝ち以外はありえないかな」
浅沼はそこまで話した所で係員の呼び出しに応え話を終えた。そしてちょっと買い物に行ってくるとでもいうような自然な足取りで闘技場へと出て行った。
『東より入場は浅沼耀司!!』
闘技場の中央近くまでやって来た浅沼は、腰に手を当てて観客席をゆったりと見回した。なるほど、確かに一年生まで含めたほぼ全校生徒と一部の教員までもがこの大会を観戦している。愛しの百草先生までいるではないか。
「やっぱやる気出ちゃうよな―これ」
自然と頬がゆるむのを抑えられない。自分はこんなにも魔法バトルが好きだったのかと少しばかりの驚きもある。悪い気分ではなかった。
(やっぱり聖凪はいい……評価されるのは自分の能力だけ。だれも僕の"家"のことなんか気にはしない)
浅
沼は古い町の名士と呼ばれる家に生まれた。跡継ぎとして大事に育てられた彼は町の誰からも特別扱いされた。小学校や中学校では教師ですら彼にへりくだり媚
を売った。彼らは浅沼耀司本人を尊敬していたのではなく、ただ彼の"家"を恐れていただけだ。彼にはそれが我慢ならなかった。
父の勧めを蹴り自
ら聖凪への進学を選んだのは、少しでも自分の町から離れた遠くの高校に通いたかったからだ。入学してからそこが魔法学校だと知り己の幸運に感謝した。ここ
では誰も彼の家柄など気にしない。大事なのは魔法の実力だけ。本当の実力主義の世界だ。それこそ浅沼の求めていたものだった。ここで自分がどれほど救われ
たか、他人に話してもわかるまい。浅沼は学校そのものを人生の恩人だと思っている。
(今日は聖凪に恩返しをする日だ。最高の試合を観てもらうことで)
浅沼の前に新宮一真が歩みを進めてきた。思った通りその顔からは並々ならぬ自信が溢れている。
『西より新宮一真!! パワーの"鉄腕"と変幻自在の"幻影"!! 全くタイプの異なる二人の凄腕がここで激突します!!』
浅沼は新宮を足先から頭までじっくりと観察する。身長、体重、コンディション全て事前の下調べ通り。何も問題はない。そう結論づけた。
『始めっ!!』
合図と当時に新宮が足を肩幅に広げ若干姿勢を低くする。そして両手を腰の高さに構え眼をカッと見開く。一気に爆風のような風が新宮の周囲に広がり、浅沼がわずかによろめいた。
風が収まったあとには先程と変わらぬ姿の新宮の姿。いや、そこには微妙な、しかし確かな変化があった。全身がかすかに赤っぽく変色し、各所の血管がわずかに浮き出ている。そしてただでさえ鋭い眼光は、今にも獲物を狩ろうとする獣のようにギラついていた。
「やれやれ……君はつくづくワンパターンだな。またパワーが上がっているようだけど、いつまでもそんな単純な手でやっていけるほど世の中甘かぺ
浅沼の言葉が終わるより早く、新宮の拳が顔面を撃ち抜いた。浅沼はそのまま十数メートル吹っ飛び轟音とともに壁に激突した。
『き、強~~~~~烈ぅぅぅぅぅ!! 新宮選手の鉄拳がいきなり炸裂したァァァァ!!! 早くも勝負あったかァァァァァ!!!???』
伊勢も永井もこれには唖然とするしかない。
「は、はええ……なんてスピード、そしてパワーだ……。ひょっとしてさっきの骸骨よりもパワーあるんじゃねえか?」
「さあな……そこまではわからんが、俺達が知っている頃のパワーよりも数段上なのは間違いない。どうやらあれ一本で頂点を獲るつもりらしいな」
「"身体強化魔法〈パワー・レインフォース〉"……か……。ある意味イカれてやがるぜ、あんなやり方で勝ち抜くつもりだなんてよ」
一方控え室の九澄もこれには目を丸くするしかなかった。
「なんだありゃ、魔法なのか? ただ殴っただけじゃねーか……」
小石川ボディーの音弥が口の端を吊り上げる。
「その殴っただけというのが大問題だ。何のヒネリもない原始的な身体強化魔法、まさに最も単純で最も扱いづらいバカ専用魔法だ。それ一本をあのレベルまで極めた男などそうはいまい」
「え? 単純にパワーアップできるならめっちゃ扱いやすいじゃねーか。なんでみんな使わねーんだ?」
「世
の中そう甘くないぞ。単純で習得しやすく、しかも強力……そんな魔法がノーリスクで存在すると思うか? あの魔法の最大の欠陥は、何より自分の体への負荷
が尋常ではないということだ。大きなパワーを発揮するほど反動で体はガタガタになる。最悪壊れてしまいかねないんだよ。まあ普通はそこまでの出力を出せる
ようになる前に、欠陥に気付いてとっとと捨ててしまうけどな」
「じゃああいつはそんな反動承知でやってるってことか」
「そ
れだけじゃないぜ。そもそも人間ってのはいきなり身体能力が何十倍になったとしてもそれをうまく扱えるはずがないんだ。走るために地面を蹴るのだって、無
意識にできるのは自分のパワーを自分で把握しているからさ。突然スーパーマンになったところで自分のパワーに振り回されてまともに動けやしないんだよ、普
通だったらな」
「ってことはあいつは……」
「ああ、反動による苦痛なんて百も承知で何度もあの魔法を使い、自分の体を酷使してあのパワーを活かす技術を身につけたってとこだろう。まったく、清々しいほどの馬鹿にしか出来んことだ」
九澄の脳裏に、以前新宮に素のケンカで圧倒された記憶が蘇る。あの時は驚いたが、それほどの過酷な訓練を積んでいる男ならあの強さも当然ではないか。
九澄はモニターに視線を戻す。浅沼は砂煙の中。しかしあのパンチを食らって平気だとはとても思えない。
「!!」
しかし浅沼は砂煙の中から悠々と現れた。その綺麗な顔には傷ひとつついていない。表情は余裕そのものだった。
「やれやれ、だからおめでたいと言ってるんだ。いくら強力なパワーがあっても、手口がバレている以上対処法なんていくらでもある」
浅沼は人差し指を立てて自分の優位を講釈する。
「言っておいてやろう。君の"鉄腕"じゃあどうやっても僕には勝てない。痛みすら与えられないよ」
微笑む浅沼。新宮はというとさほどショックを受けているという風でもなく、口を真一文字に結んだままゆっくりと浅沼に近づいていく。まったくもって無防備に、普通に歩いて接近する両者の姿に会場中が息を呑む。
顔と顔とが30センチほどの至近距離。
先に動いたのはやはり新宮だった。
ボディブロー。
浅沼の背中が拳の形に盛り上がる程の一撃。
さらに同じ腕で顔面へのアッパーカット。
浅沼の頭がまず吹っ飛んで首がぐいーんと伸び、あとから引っ張られるように体も飛んでいって地面に落下した。
(((……なんだ今の?)))
会場中の皆の頭に浮かんだ疑問。たしかに強烈なパンチだった。しかし今の浅沼の吹っ飛び方は明らかにおかしくないか。だってほら、「首が伸びた」。
数秒の間を置いて浅沼が平気な顔で起き上がる。新宮は呆れたように眉をひそめた。
「このパクリ野郎が」
「パクリ野郎とは心外だな。これは僕の『完全オリジナル魔法』だよ。第一キミの戦法こそオリジナリティのカケラもないじゃないか」
浅沼は両手で自分の頬を掴み、引っ張った。するとそれは引っ張られるままぐいーんと伸び、顔の面積が四倍ほどになる。
「"全身をゴムのように柔軟に"変化させることで"あらゆる打撃、衝撃を無効化する"身体変化魔法……その名も『ラバー・ラバー』!!!」
どん!!! という効果音を背負って浅沼が胸を張った。
『パ、パクリだーーーーーーーー!!!!』
実況が悲鳴のように叫んだ。
『これはちょっと色んな意味でマズイんではないでしょうか!!?? いえしかし、新宮選手にとっては極めて厄介な戦法であるということは間違いありません!!』
浅沼は雑音など無視して半身になり拳を構える。
「そしてここからが僕の素晴らしい『オリジナル戦術』の真骨頂……! ラバー・ラバー……」
「銃〈ピストル〉!!!」
「ぶ!!」
浅沼が拳を突き出した瞬間、その腕が一気に伸び新宮の顔を撃ち抜いた。
新宮はとっさにバランスを取ってダウンを回避する。しかしその頬には拳の跡がはっきり見て取れた。
「と」「ラバー・ラバー・スタンプ!!!」
蹴り上げると同時にその脚が伸び、足の裏が新宮の顔面にめり込む。
「バズーカ!!!」
両腕を同時に後ろに伸ばし、走って新宮に接近。至近距離で一気に腕を縮めその反動で胴を撃ち抜く。これまでで最大の打撃音が響き渡った。
「ラバー・ラバー……、銃乱打〈ガトリング〉!!!!」
腕がいくつにも見えるほどの高速のパンチ連打。新宮は全身に拳を浴びまっすぐ後方に吹っ飛んだ。そのまま仰向けで地面を数メートル滑り静止する。
「ふっ」
どや顔の浅沼。顔面蒼白の実況と観客。何やら見てはいけないものを見てしまったかのようなこの凍りついた雰囲気ときたら。
『き、決まったァァァァァ浅沼選手の連続攻撃!! さしもの新宮選手も深刻なダメージは免れないか!!??』
気を取り直して力強く仕事を再会する実況。正にプロ。(高校生だけど)
しかし新宮、さほど痛手を負ったふうでもなく泰然と立ち上がる。少々打たれた跡は残っていたが、ダメージがあるようにはとても見えない。
「しょせんパクリはパクリか。本家のパワーはまるでねえな」
小馬鹿にしたように笑う新宮。一方の浅沼も別にショックを受けているわけではないようだった。
「なるほど、さすがにこれだけで倒れてくれるはずもないか。ま、いずれにしても君が僕にダメージを与えるすべはない。逆に僕は他にもまだまだ君を負かすために使える魔法がある。勝敗の行方は火を見るより明らかだよ」
厳然たる事実。浅沼に新宮の攻撃は効かない。それはパワーの量が問題なのではなく根本的な相性の問題だ。である以上どう転んでも新宮に勝ち目はない。
「フン」
新宮が踏み込み、一気に距離を詰める。一瞬全身の力を抜く。全く回避行動を取らない浅沼に対し裏拳のようなモーションで右腕を鋭く振り、空を切る。
「……? 止まっている相手にも当てられないのかい?」
浅沼が鼻で笑う。だがその直後、その頬から一筋の鮮血が垂れ落ちる。
「!?」
一拍遅れてそれに気付いた浅沼は唇を震わせ自分の頬を撫でる。指に付着した赤い液体は間違いなく自分の血であり、自分の顔の傷から流れているものだった。浅沼の目はこれ以上ないというほど驚愕で見開かれている。
「そ、そんなバカな……」
「別に大したことはやってねえよ。ゴムってのは斬撃には弱いんだろ?」
新宮は手の平をヒラヒラさせおどける。そしてもう一度脱力してムチのように体をしならせ、腕を振る。腕先が見ないほどの瞬速。今度は浅沼の肩口が斬れた。
「…………ッ!!」
今や浅沼の全身から汗が吹き出していた。先程までの余裕はどこにもない。
「そうか、手刀だ! 手で"殴る"のではなく"斬る"……あの人らしいやり方だ」
永井が唸る。伊勢は脂汗を流し「その手があったか……!」と驚愕していた。
「さてと……まだやるか?」
獲物を前に舌なめずりする獣のように笑う新宮。
「い、いや……やめとく」
浅沼は引きつり笑いながら両手を中途半端に上げあっさりと降参した。
『決っちゃーーーーーーく!!!!』
####
『九澄大賀! 兜天元! 新宮一真! 夏目琉! 以上にて準決勝に進出する4名の顔ぶれとなりました!! 準決勝は午後一時にスタートしますのでそれまで休憩時間と致します!』
実
況のアナウンスとともに生徒たちが続々と席を立ちバラバラに動いていった。学食やパン購買は大混雑するだろう。柊愛花は友人たちに話しかけ、九澄のところ
へ激励に行こうと提案した。観月だけは少し渋ったような顔をしたが、結局はその場の4人全員で控え室へ向かうことになった。
愛花たちが九澄の控え室の前に着いた時、既にC組団体ご一行と一年生執行部の面々が部屋を占拠していた。
「九澄ィィィ! 絶対優勝しろよォォォ!」
「分かったからくっつくなっつ~の!!」
なぜか伊勢弟が九澄に抱きついて当の九澄に頭を押しのけられている。お馴染みのメンバーがその光景を見ながら笑っていた。愛花も釣られて笑顔になる。なぜ部屋の片隅に小石川がいるのかはよくわからなかったが。
「九澄が優勝したらC組が聖凪優勝ってことだよな?」
「ばっかオメーそりゃ九澄1人だけだろ最強なのは」
「でもよー準決勝の相手は手強そうだぜ」
「ヘーキへーキ!! あんなデカブツ九澄ならラクショーよ! な?」
(勝手なことばかり言ってんじゃねー!)
九澄はほとんど涙目になりながら周りの勝手な盛り上がりに頭を痛めていた。本当は次の相手への対策をじっくり練りたかったのだがこれではそれどころではない。
(まあ大体やることは決まってんだけどよ……)
ど
うせ自分の取りうる作戦などほとんど選択肢はない。今から不意打ちに行くのでもなければ、あとはせいぜい細かい手順を考えるぐらいだが、そんなものはいく
ら詰めても現場の状況でいくらでも動いてしまうものだ。結局のところベストコンディションで臨む以外にやるべきことなど今はないのかも知れなかった。
「そら、愛花、愛花」
愛花は後ろから声をかけられ振り返る。すると久美とミッチョンがニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていた。
「あれ持ってるんでしょ~? 渡してあげなよ~」
「ちょ、ちょっと、いきなりなんなの」
「あれれ~持ってないの~? それじゃあそのバッグはなんなのかなぁ~?」
久美とミッチョンはますます意地悪そうに笑いをこらえる。愛花をからかうのが楽しくてたまらないといった様子だ。
「うう……わかったってば……」
愛花は顔を赤くして遠慮がちに人混みをかき分けていく。持ち前の押しの弱さのおかげで少々時間がかかったがなんとか九澄の前まで辿り着いた。
「あ、あの~九澄くん」
九澄が振り返ると、愛花がちょこんと立っていた。何やら照れているような、遠慮しているような伏し目がちの直立姿勢で、小さなカバンを両手で下げている。すると愛花はそのカバンをサッと九澄の目の前に差し出した。
「お、お弁当作ってきたの。良かったら……どうぞ」
「お お お弁当!!??」
それはまさしく輝いていた。九澄にとってこの地球上に並び立つもののない究極の料理、それが愛花の手作り弁当である。これに比べたらどこぞの美食親父の至高のメニューなどカスにすぎない。なんちゅうもんを、なんちゅうもんを作ってくれたんや……。
「そ、その……試合前にあんまり食べないほうがいいんなら別にいいんだけど……ほら、クラスマッチの時喜んでくれたからつい」
「うおおおおおマジありがとな柊!!! 全部食うから!! 今食うから!!」
九澄は感涙にうちひしがれた。最近こういう嬉しいイベントが全然なかったから感動もひとしおである。周囲では大門が引きつった顔で歯ぎしりし、それ以外の連中はヒューヒューなどと二人をはやし立てていたが、九澄がそれを気にするはずもなかった。
「あれ、そういえば観月さんどこ行ったんだろ」
最初にそのことに気付いたのは久美だった。一緒にこの部屋に来たはずなのにいつの間にか見当たらない。
「さあ……トイレかなんかなんじゃ」
ミッチョンが冷静に答える。確かにそれぐらいしかふらりといなくなる理由がない。久美は「ならいっか」と納得した。
####
(駄目……やっぱりあんな化け物に九澄が勝てるわけない……! 絶対にボロボロにやられちゃう!)
観月は廊下を駆けていた。居ても立ってもいられなかった。あの控え室にいるのは辛すぎる。あんな作り笑顔の九澄を見るのは。
(あいつきっと無理をしてるんだ……みんなを不安がらせないために……いつもいつもそうやって一人で抱え込んでいたんだ……!)
観
月は九澄の秘密の核心に辿り着いたわけではない。しかし彼が実は魔法を自由に使えないということはほとんど確信していた。二重人格なのかそれとも何か他の
条件があるのか、はっきりしたことは分からないが、いずれにせよ普段のあれはある種のハッタリなのだ。一回戦、九澄は自分からは魔法を一切使わず相手の魔
法を破って降参させてみせた。あんな手を使ったのはきっと他に方法がなかったからだ。恐らくなんらかの魔法アイテムか何かを使ってその場を切り抜けたに違
いない。
(だけど次は駄目……! あんな化け物、工夫してどうこうなるなんて相手じゃない……! ヘタしたら……ヘタしたら最悪……。嫌! 考えたくない!)
今にも涙がこぼれてきそうだった。どうしてあいつは何も話してくれないのか。あたしなら力になってあげられるのに。九澄の秘密ならなんだって守ってあげるのに。
(本当は分かってる……。あいつはあたしのことなんて全然意識してないってこと……。まるっきりあたしの空回りだってこと……)
(だけど……それでもあたしはあいつを守りたい! あいつを守るためならあたしは……あたしはなんだって出来る!)
観月は廊下の隅の控え室に飛び込む。そこは九澄の部屋ではない。部屋の扉には『兜天元』と書かれている。
部屋の片隅に一人で座っていた兜が観月を睨み上げる。その青白い顔と濁りきった目つき、ひび割れた唇はおよそ健康な人間のものではなかった。
観月は一瞬怖気づくが、すぐにつばを飲み込み拳を握る。そしてかすれるような声で叫んだ。
「あたし、なんでもします……! だから次の試合、棄権してください!!!」
ここでは過去に管理人が執筆して外部サイトに投稿した小説、SSなどをまとめています。管理人は二次創作作品の原作に関する権利を有していません。オリジナル作品の著作権は管理人に帰属します。エムゼロEXはArcadia様にて連載中です。
2013年4月10日水曜日
オリキャラファイル
ここではエムゼロEXの非原作キャラクター(オリキャラ)の設定を公開します。
なお、ここの内容は本編第17話までのネタバレを含みます。必ず本編を読んでから閲覧してください。
なお、ここの内容は本編第17話までのネタバレを含みます。必ず本編を読んでから閲覧してください。
- 夏目琉:原作でも顔は登場している三年生執行部部長。長身長髪のクールな天才肌で、異名はウィザード。聖凪史上指折りの鬼才という声もあるが、その実力の全貌はまだ秘密。容姿端麗、成績優秀、運動神経もトップクラスで芸術センスもありとなんでもござれのハイスペッカー。有能すぎて学校生活に退屈しているらしい。当然女性にはモテるが特定の彼女はいないとか。学園の嫉妬と羨望を一身に受ける存在だ。
- 時田リサ:“Gの旋律”時田マコの姉という設定はもちろんオリジナル。容姿は原作に登場済み。公務はしっかりこなす割に面倒くさがりな性格で、無意味なバトル大会に出ようなどという気は一切ない。もちろん魔法の実力自体は非常に優秀ではある。ウブで天然な妹と違って女の武器の使い道を心得ており、色仕掛けでオトコを意のままに操ることも少なくないともっぱらの噂。夏目とは付き合っているように見られがちだが、お互いその気はないようだ。
- 望月悠理:新任の生徒会長。ボーイッシュ系の眼鏡っ娘。現在は二年生。いるんだかいないんだかわからなかった前任の会長と異なり、良くも悪くも何かと存在感を発揮する。会長補佐官として任命した巴ツインズとは古い付き合い。何やら企んでいることがあるようで、九澄の正体に並々ならぬ関心を寄せている。伊勢兄とは中学時代の同級生で、ちょっとした因縁持ちという噂。甘い物が大好物で、いくら食べても太らないのが自慢だそうだ。
- 巴智人:巴ツインズの♂で、戸籍上の弟。髪は短いが顔立ちは姉に瓜二つで非常に女性的。体格も小柄で細身なので女装すると本気で区別がつかない。年上の女性にモテるが本人は年下好きらしい……。
- 巴智代: 巴ツインズの♀で、戸籍上の姉。この姉弟はお互いの魔法力をシンクロさせることでその出力を飛躍的に高めることが出来る。その上日常の仕草や返事までシンクロしているので慣れない人だと本気でビビる。弟をイジるのが趣味。
- 新宮一真:三年生最悪の問題児とまで言われる粗野な男。鍛え上げた肉体を身体強化魔法〈パワー・レインフォース〉で更に強化して戦うゴリゴリの肉弾系だ。並の魔法使い相手なら魔法を使われる前に素で殴って戦いを終わらせてしまう。「彼女」である紀川沙耶を無理やり従えてこき使っているという噂があるが、実際には紀川に対する新宮の態度はむしろ過保護ですらある。二人の本当の関係を知るものはほとんどいない。
- 紀川沙耶: 新宮一真の「彼女」であり、新宮以外とは滅多なことでは口を利かない超無口無表情ガール。一応授業中に当てられた時など必要時には喋る。やせ型の長身にポニーテールという出で立ちで、魔法のセンスは結構上位レベル。実は聖凪入学当初は明るい感じの普通の女の子だったという証言がある。
- 兜天元:三年生の地味系男子。小柄でかなり存在感が希薄なタイプ。昔は執行部に憧れていたが、選考漏れして以来意識して距離を取ってきた。どういうわけか最近急に粗暴になり人格が変わったと噂されている。元々の彼はネトゲと動画サイトをこよなく愛する普通のインドア派だった。
- 浅沼耀司: 文武両道バランスよく揃った社交的な三年生。魔法の実力はかなり高く、執行部以外で彼らと真っ向からやりあえると言われる数少ない腕利きの一人だ。その強みは特定の魔法に頼らない戦術の幅広さで、場面に応じた魔法を使いこなす臨機応変力には定評がある。しかし意外に打たれ脆いとも。好きな女性のタイプは百草先生で、三年生校舎に移って会えなくなった時は一晩泣いた。
2013年4月4日木曜日
エムゼロEX 16
第十六話 掌の中の誇り
九澄大賀は控え室のモニターを食い入る様に見つめていた。今やっている試合の勝者が次の自分の対戦相 手になるのだから当然だ。選手の一人は自分とも多少縁のある滑塚亘。三年生の優秀な執行部員であり、この試合における下馬評では明らかに有利なはずだっ た。だがその相手、兜天元が奇妙な魔法を発動したことで空気が一変する。兜は宙に浮き、その体は不気味な黒い炎に包まれている。炎はやがて4,5メートル ほどの大きさの骸骨のような姿に成形されていき、兜を腹の中に抱えているような形になった。その中心で兜はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮べている。
「なんだあの魔法……? 骸骨っぽいところなんか支部長のロッキーにちょっと似てるけど、もっとタチが悪そうだよな」
九 澄は自分の肩にちょこんと乗るルーシーに声をかけた。ルーシーは「うえーんこわいよー」などと九澄の頭に抱きつく。本気で怯えているというよりも、女の子 がホラー映画を見ながら彼氏に抱きついているような光景だ。その時後ろから突然声をかけられ九澄はビクッと震えてしまう。
「やれやれ、危機感が足りないなお前らは」
九澄が振り向いた先にいたのは筋骨隆々の大男。角ばった濃い顔立ちが不敵にたたずんでいる。それは九澄がよく知っている顔だった。
「こ、小石川?」
九澄は「しまった」と冷や汗を流す。ひょっとしてルーシーとの会話を聞かれてしまったのではないか。愛花や観月ならともかく、自分を敵視しているこの男に彼女のことを知られたくはない。
「ななななななななんの用だよオメー」
小石川はクスリと微笑んだ。
「そう焦るな、ボクだよ。花咲音也だ」
「へ?」
九澄は目の前の「小石川のような男」の発言に呆気に取られる。花先音也とは今は幽霊のような姿で地下の施設に引きこもっている聖凪高校前校長の名だ。
「感謝しろ、お前の醜態が見たかったんでわざわざ足を運んできてやったんだ。この男は学校の外れで黄昏れていたんでちょっと体を借りさせてもらったのさ。本来の姿でこの辺りをうろつくといちいち面倒なんでな」
「体を借りたって……じゃあ小石川はどうなっちまったんだ?」
「この男の精神なら今は眠ってもらっている。事が済んだら何が起きたのか全くわからないまま目覚めるというわけだ。お前の秘密がバレる心配はないから安心していいぞ」
「このジジイが一番タチわりーな……」
九澄は胸を撫でおろしつつも目の前の音弥 in 小石川のゴーイングマイウェイっぷりに顔をひきつらせる。敵に回すとロクな事にはならないことだけは確かだ。
「そんなことよりあの魔法、お前はどう思う?」
音弥はモニターに視線を移し、深刻さのカケラもない気軽さで九澄に問いかける。九澄はしばらく沈黙してから無表情でつぶやいた。
「……リアルじゃない」
音弥は片眉を釣り上げて九澄を見下ろす。
「わかるのか?」
「いや……うーん……なんとなく。似たようなのは前に見たことあるからよ」
「ふーん……。まんざら恥を晒しにこの祭りに来た訳じゃなさそうだな」
音弥(小石川ver.)は頬をゆるめてモニターに視線を戻す。
「ま、どこのどいつの差し金かは知らないが……お手並み拝見といこうかね」
####
滑塚亘は全身から汗を流していた。目の前で対峙すればこのドス黒いドクロの巨人のヤバさはヒシヒシと伝わってくる。少しでも気を抜けばたちまちのうちに腰を抜かしてしまうだろう。
「だからって……ビビってられっかよ!」
先手必勝。十八番のマジックハンドで本体である兜本人を直接狙う。だが黒い炎が壁となりどうしても中の本体を掴むことができない。遠隔系の魔法に対する耐性があるということだ。とはいえここまでは予想通り。
(それだけで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!)
腰を落とし戦闘態勢に入る。黒い細目に闘志が宿る。滑塚は燃えたぎっていた。ここで自分が負ければ執行部そのものがコケにされる。そんなことを認めるわけにはいかない。
上。
滑塚が飛び退いたのは判断というよりほとんど反射だった。直後に骸骨の腕が地面に叩きつけられる。轟音が巻き起こり闘技場の床に亀裂が走る。巨体に見合わぬスピード。滑塚の背筋が凍る。
(まともに食らったらマジでヤベーな……)
執行部の捕獲人を見下ろしながら兜が不気味に笑う。
「ヒヒヒ、どうしたよ執行部? 逃げ回るしかできねえみたいだな……」
「ケッ……好き勝手言いやがって。言っとくが執行部ってのはおめーが思ってるほどお気楽な商売じゃねえんだ。体を張って学園の平和と安全を守るってことがどんなに大変かわからねーか?」
「知らねえよ……。俺が知ってるのはてめーらは気に入らねーってことだけだ!」
兜が駆け出す。骸骨の巨人が地面を蹴り猛然と滑塚に迫っていく。その時滑塚が選択した手段は、やはり自分が最も頼りにする最高の魔法、最高の相棒である"魔手〈マジックハンド〉"だった。
(できれば"この戦法"は切り札として取っておきたかったが……そうも言ってられねーようだな!)
息を一気に吸い込み、一気に吐く。実戦ではぶっつけ本番に近い。だが、やるしかない。
そうさ、俺はやれる。
俺にはできる。
さあ。
今!
兜が巨人の腕を力任せに振り下ろす。滑塚が自分の体を切るように水平に右腕を振る。
交差。
直後、巨人は反転しながら宙を舞っていた。一拍置いて巨人が地面に墜落し、鈍い音が響きわたった。
観客一同が目を丸くする。
『おおっとこれは何が起きたんだーーー!!?? 絶体絶命に思われた滑塚選手、兜選手をひっくり返してしまったーーーーー!!!』
「おおー! なんかすげーぞー!!」
滑 塚は大きく息を吐き、きびすを返して眼下の巨人を見据える。巨人はしばらくじっとしていたが、ややあってゆっくりと体を起こした。巨人の腹の中で兜はその 顔をますます醜悪に歪めていた。滑塚は半身になって全身の力を抜き、空を見上げた。魔法空間特有の真っ白な空。熱くもなく寒くもなく暗くもまぶしくもない この平坦な世界で、滑塚は自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。
(たかぶっているんだな、俺は……)
黒いドクロの巨人が迫る。今度はさっき以上のスピードだ。観客席からひきつったような悲鳴が上がる。
その強靭な手が滑塚を押しつぶそうとしたその瞬間、滑塚の体が居合い抜きのように動き、一閃。
またしても巨人の躰は放物線を描いた。ドスンという響きとともに巨人が地面とぶつかり合う。
滑塚は冷酷な目で巨人を見下ろした。
「お前は大きな勘違いをしている……。俺達執行部は贔屓やインチキで強くなったわけじゃない。大きな力を手に入れたらすぐに力に溺れてしまうお前ような奴にはわからんことだろうがな」
(俺には何の才能もなかった――)
巨人が再び起き上がる。今度は立ち上がるのではなく、四つん這いの姿勢から一気に跳びかかる。
ぐるん。
どすん。
同じ事が三度起きた。
観客は俄然沸きあがった。よくわからないが凄いことをやっている。これが執行部の実力かと。もはや会場中が滑塚の味方になりつつあった。
「こいつは一体……?」
伊 勢が身を乗り出す。元執行部だけに滑塚の能力はよく知っていたが、目の前の現象はその知識だけでは理解できない。"魔手〈マジックハンド〉"は確かに向 かってくる相手を手で触れることなく投げ飛ばすことも出来る魔法だ。だがあれほどの体格差、パワー差がある相手をただ掴んで投げるなどということがはたし て可能なのだろうか?
「そうか、滑塚さんはただ単に魔法で掴んで投げているわけじゃない……。柔術や合気道の技術を組み合わせているんだ」
「なんだって?」
永井の言葉に伊勢は眉をひそめる。
「ど んな巨体だって、動けばそこに必ず隙が生じる。相手の重心や力の方向を見抜き、瞬間的に力を加えて崩し、払う。あるいは相手の勢いを利用して投げる。直接 手を触れずに魔法の手でやっているとはいえ、これは正に武術だ。といってもあの人は元々そういう武道の心得があったわけじゃない。あれはむしろ、自分の魔 法を活かすために磨きぬいた技だということだ……」
「確かにマジックハンドとそういう技術を組み合わせればどんなデカブツだって投げ飛ばせるかも知れねえが……。信じられねえよ。武道の素人がそこまで辿り着けるか?」
「現実を見ろ、現にあの人はそれをやってのけているんだ!」
言ってるそばから、地響きとともに巨人がまた背中から落下した。
滑塚の頭は澄みわたっていた。もはやどこにも恐怖心はない。あの骸骨がどんな風に襲いかかってきても100%投げられる。その確信があった。自信とはコンビニで買えるような気軽なものではなく、己が地道に積んできた修練にこそ宿る。滑塚はそれを体現しつつあった。
(俺が聖凪に入った時、俺は誰よりも魔法が使えなかった。授業に付いて行くのも苦痛だった。退学だって考えたさ――)
(魔法のセンスがまるでなかった俺は、たったひとつの単純な魔法に活路を見出した。俺が初めてまともに習得した魔法――俺の相棒、"魔手〈マジックハンド〉”)
(俺にはこれしかなかった。ただ『掴むだけ』の曲芸みたいな魔法。俺はこれを磨くしかなかった。どんなにバカにされようと、笑われようと――)
――なあ滑塚、お前も執行部に入らないか?
――馬鹿言わないでくださいよ先輩、俺みたいな落ちこぼれがあんなエリート集団で何が出来るんですか
――馬鹿を言ってるのはお前のほうさ。お前のその魔法、執行部のためにあるようなものじゃないか
――だけど俺にはこれしか出来ません
――かもな。だがお前は"誰よりも上手く"それが出来る。それで充分さ
――それにお前は最高の努力家だ。お前は決して慢心で傲慢になったりはしないだろう? それが執行部員にとって一番大事なことなのさ
――自分を信じてみろ、滑塚。執行部はお前を歓迎する
(俺は見つけた。自分の居場所、自分の力を活かす場所。あれ以来俺は誓った。俺は俺にできることをやる。何があろうとも――)
(俺はこの居場所を守る。そして執行部員としてこの学校の平和を守る。それが先輩たちへの恩返し、後輩たちへと遺せるもの――)
(執行部には本物の天才がいた。俺はいつか、あの天才にだって勝ってみせると誓った。努力が天才を上回ることだってあると証明するために――)
(だから――)
(だから――!!)
「お前なんざに……負けちゃいられねえんだよォッッッッ!!!!」
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
何度でも。
投げる。
投げる。
どれほど続いただろう。延々と繰り返された攻防の果てに、滑塚の体力に僅かな乱れが生じ始めた。それは人間が決して避ける事の出来ない「疲れ」という名の制約。失速と呼ぶには余りにかすかなほころび。
この戦いにおいて、それは致命的だった。
――どん。
人身事故と同じ音。
巨人の腕が滑塚を叩き飛ばした。
宙を舞い、一回転、二回転。背中から落下。流血と全身打撲。脳震盪。
たった一度の失敗が、全てをぶち壊した。
『な、滑塚選手、凄まじい飛距離を吹っ飛んでしまいました! 見るからにダメージは甚大です! これはもう……勝負あったのではないでしょうか!!?』
実況が叫ぶ。誰にもその言葉を否定出来ないほど、滑塚は見るからに酷く傷ついていた。闘技場の隅で医療班が突入の準備を整える。彼らが結界内に入ればそれと同時に試合は終了する。
震えながら、満身創痍の男が立ち上がった。今にも崩れ落ちそうなおぼつかない動きで、うつろな目で。フラフラと、フラフラと、ただ終わることを拒否するかのように。
「負け……られねえ……。こんな……ところで……」
もはや兜は走らなかった。滑塚のダメージを値踏みしながらゆっくりと歩を進める。その姿は処刑台の囚人に向かって歩く執行人と何ら変わらなかった。
「シネ」
兜が楽しそうにつぶやいた。
巨人の腕が、ぜんまい仕掛けの速さで大きく振り上げられる。
「ちく……しょう……」
もはや滑塚の腕はぴくりとも動かなかった。どうにもならない。それでもなお、負けたくなかった。負けを認めたくなかった。
(ごめん――先輩――)
『勝負ありっっっ!!!!!』
巨人の腕が振り下ろされるより前に決着が宣言された。安全を最優先した当然の処置。
同時に滑塚が崩れ落ち、膝をつく。彼は失神していた。
兜はとどめを刺せなかった不満からか、勝ったとは思えない憮然とした顔で魔法を解き、一言も発さず歩いて退場していった。医療班に囲まれる滑塚を一瞥することは決してなかった。
観客席はずっと凍りついたままだった。
####
「……お、俺次あんなのとやるの……?」
九澄が震え声で顔をひきつらせる。それを見ていた小石川――じゃなくて音弥は鼻で笑って九澄を見下した。
「ああそうだ。チビったか?」
「チビらねーよ!」
「大賀ならあんなのラクショーだもん!」
ルーシーが眉を吊り上げて割り込む。
「それも根拠全くねーけどな……」
九澄は溜息をついたが、すぐに顔を引き締めてモニターに視線を戻した。
「まああんなのとゼッテーやりたくねーけどよ、本当なら」
九澄は汗を垂らしながら苦笑する。
「なんとかするっきゃねーよな、実際」
その顔は本気で怯えているという風に見えるものではなかった。
九澄大賀は控え室のモニターを食い入る様に見つめていた。今やっている試合の勝者が次の自分の対戦相 手になるのだから当然だ。選手の一人は自分とも多少縁のある滑塚亘。三年生の優秀な執行部員であり、この試合における下馬評では明らかに有利なはずだっ た。だがその相手、兜天元が奇妙な魔法を発動したことで空気が一変する。兜は宙に浮き、その体は不気味な黒い炎に包まれている。炎はやがて4,5メートル ほどの大きさの骸骨のような姿に成形されていき、兜を腹の中に抱えているような形になった。その中心で兜はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮べている。
「なんだあの魔法……? 骸骨っぽいところなんか支部長のロッキーにちょっと似てるけど、もっとタチが悪そうだよな」
九 澄は自分の肩にちょこんと乗るルーシーに声をかけた。ルーシーは「うえーんこわいよー」などと九澄の頭に抱きつく。本気で怯えているというよりも、女の子 がホラー映画を見ながら彼氏に抱きついているような光景だ。その時後ろから突然声をかけられ九澄はビクッと震えてしまう。
「やれやれ、危機感が足りないなお前らは」
九澄が振り向いた先にいたのは筋骨隆々の大男。角ばった濃い顔立ちが不敵にたたずんでいる。それは九澄がよく知っている顔だった。
「こ、小石川?」
九澄は「しまった」と冷や汗を流す。ひょっとしてルーシーとの会話を聞かれてしまったのではないか。愛花や観月ならともかく、自分を敵視しているこの男に彼女のことを知られたくはない。
「ななななななななんの用だよオメー」
小石川はクスリと微笑んだ。
「そう焦るな、ボクだよ。花咲音也だ」
「へ?」
九澄は目の前の「小石川のような男」の発言に呆気に取られる。花先音也とは今は幽霊のような姿で地下の施設に引きこもっている聖凪高校前校長の名だ。
「感謝しろ、お前の醜態が見たかったんでわざわざ足を運んできてやったんだ。この男は学校の外れで黄昏れていたんでちょっと体を借りさせてもらったのさ。本来の姿でこの辺りをうろつくといちいち面倒なんでな」
「体を借りたって……じゃあ小石川はどうなっちまったんだ?」
「この男の精神なら今は眠ってもらっている。事が済んだら何が起きたのか全くわからないまま目覚めるというわけだ。お前の秘密がバレる心配はないから安心していいぞ」
「このジジイが一番タチわりーな……」
九澄は胸を撫でおろしつつも目の前の音弥 in 小石川のゴーイングマイウェイっぷりに顔をひきつらせる。敵に回すとロクな事にはならないことだけは確かだ。
「そんなことよりあの魔法、お前はどう思う?」
音弥はモニターに視線を移し、深刻さのカケラもない気軽さで九澄に問いかける。九澄はしばらく沈黙してから無表情でつぶやいた。
「……リアルじゃない」
音弥は片眉を釣り上げて九澄を見下ろす。
「わかるのか?」
「いや……うーん……なんとなく。似たようなのは前に見たことあるからよ」
「ふーん……。まんざら恥を晒しにこの祭りに来た訳じゃなさそうだな」
音弥(小石川ver.)は頬をゆるめてモニターに視線を戻す。
「ま、どこのどいつの差し金かは知らないが……お手並み拝見といこうかね」
####
滑塚亘は全身から汗を流していた。目の前で対峙すればこのドス黒いドクロの巨人のヤバさはヒシヒシと伝わってくる。少しでも気を抜けばたちまちのうちに腰を抜かしてしまうだろう。
「だからって……ビビってられっかよ!」
先手必勝。十八番のマジックハンドで本体である兜本人を直接狙う。だが黒い炎が壁となりどうしても中の本体を掴むことができない。遠隔系の魔法に対する耐性があるということだ。とはいえここまでは予想通り。
(それだけで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!)
腰を落とし戦闘態勢に入る。黒い細目に闘志が宿る。滑塚は燃えたぎっていた。ここで自分が負ければ執行部そのものがコケにされる。そんなことを認めるわけにはいかない。
上。
滑塚が飛び退いたのは判断というよりほとんど反射だった。直後に骸骨の腕が地面に叩きつけられる。轟音が巻き起こり闘技場の床に亀裂が走る。巨体に見合わぬスピード。滑塚の背筋が凍る。
(まともに食らったらマジでヤベーな……)
執行部の捕獲人を見下ろしながら兜が不気味に笑う。
「ヒヒヒ、どうしたよ執行部? 逃げ回るしかできねえみたいだな……」
「ケッ……好き勝手言いやがって。言っとくが執行部ってのはおめーが思ってるほどお気楽な商売じゃねえんだ。体を張って学園の平和と安全を守るってことがどんなに大変かわからねーか?」
「知らねえよ……。俺が知ってるのはてめーらは気に入らねーってことだけだ!」
兜が駆け出す。骸骨の巨人が地面を蹴り猛然と滑塚に迫っていく。その時滑塚が選択した手段は、やはり自分が最も頼りにする最高の魔法、最高の相棒である"魔手〈マジックハンド〉"だった。
(できれば"この戦法"は切り札として取っておきたかったが……そうも言ってられねーようだな!)
息を一気に吸い込み、一気に吐く。実戦ではぶっつけ本番に近い。だが、やるしかない。
そうさ、俺はやれる。
俺にはできる。
さあ。
今!
兜が巨人の腕を力任せに振り下ろす。滑塚が自分の体を切るように水平に右腕を振る。
交差。
直後、巨人は反転しながら宙を舞っていた。一拍置いて巨人が地面に墜落し、鈍い音が響きわたった。
観客一同が目を丸くする。
『おおっとこれは何が起きたんだーーー!!?? 絶体絶命に思われた滑塚選手、兜選手をひっくり返してしまったーーーーー!!!』
「おおー! なんかすげーぞー!!」
滑 塚は大きく息を吐き、きびすを返して眼下の巨人を見据える。巨人はしばらくじっとしていたが、ややあってゆっくりと体を起こした。巨人の腹の中で兜はその 顔をますます醜悪に歪めていた。滑塚は半身になって全身の力を抜き、空を見上げた。魔法空間特有の真っ白な空。熱くもなく寒くもなく暗くもまぶしくもない この平坦な世界で、滑塚は自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。
(たかぶっているんだな、俺は……)
黒いドクロの巨人が迫る。今度はさっき以上のスピードだ。観客席からひきつったような悲鳴が上がる。
その強靭な手が滑塚を押しつぶそうとしたその瞬間、滑塚の体が居合い抜きのように動き、一閃。
またしても巨人の躰は放物線を描いた。ドスンという響きとともに巨人が地面とぶつかり合う。
滑塚は冷酷な目で巨人を見下ろした。
「お前は大きな勘違いをしている……。俺達執行部は贔屓やインチキで強くなったわけじゃない。大きな力を手に入れたらすぐに力に溺れてしまうお前ような奴にはわからんことだろうがな」
(俺には何の才能もなかった――)
巨人が再び起き上がる。今度は立ち上がるのではなく、四つん這いの姿勢から一気に跳びかかる。
ぐるん。
どすん。
同じ事が三度起きた。
観客は俄然沸きあがった。よくわからないが凄いことをやっている。これが執行部の実力かと。もはや会場中が滑塚の味方になりつつあった。
「こいつは一体……?」
伊 勢が身を乗り出す。元執行部だけに滑塚の能力はよく知っていたが、目の前の現象はその知識だけでは理解できない。"魔手〈マジックハンド〉"は確かに向 かってくる相手を手で触れることなく投げ飛ばすことも出来る魔法だ。だがあれほどの体格差、パワー差がある相手をただ掴んで投げるなどということがはたし て可能なのだろうか?
「そうか、滑塚さんはただ単に魔法で掴んで投げているわけじゃない……。柔術や合気道の技術を組み合わせているんだ」
「なんだって?」
永井の言葉に伊勢は眉をひそめる。
「ど んな巨体だって、動けばそこに必ず隙が生じる。相手の重心や力の方向を見抜き、瞬間的に力を加えて崩し、払う。あるいは相手の勢いを利用して投げる。直接 手を触れずに魔法の手でやっているとはいえ、これは正に武術だ。といってもあの人は元々そういう武道の心得があったわけじゃない。あれはむしろ、自分の魔 法を活かすために磨きぬいた技だということだ……」
「確かにマジックハンドとそういう技術を組み合わせればどんなデカブツだって投げ飛ばせるかも知れねえが……。信じられねえよ。武道の素人がそこまで辿り着けるか?」
「現実を見ろ、現にあの人はそれをやってのけているんだ!」
言ってるそばから、地響きとともに巨人がまた背中から落下した。
滑塚の頭は澄みわたっていた。もはやどこにも恐怖心はない。あの骸骨がどんな風に襲いかかってきても100%投げられる。その確信があった。自信とはコンビニで買えるような気軽なものではなく、己が地道に積んできた修練にこそ宿る。滑塚はそれを体現しつつあった。
(俺が聖凪に入った時、俺は誰よりも魔法が使えなかった。授業に付いて行くのも苦痛だった。退学だって考えたさ――)
(魔法のセンスがまるでなかった俺は、たったひとつの単純な魔法に活路を見出した。俺が初めてまともに習得した魔法――俺の相棒、"魔手〈マジックハンド〉”)
(俺にはこれしかなかった。ただ『掴むだけ』の曲芸みたいな魔法。俺はこれを磨くしかなかった。どんなにバカにされようと、笑われようと――)
――なあ滑塚、お前も執行部に入らないか?
――馬鹿言わないでくださいよ先輩、俺みたいな落ちこぼれがあんなエリート集団で何が出来るんですか
――馬鹿を言ってるのはお前のほうさ。お前のその魔法、執行部のためにあるようなものじゃないか
――だけど俺にはこれしか出来ません
――かもな。だがお前は"誰よりも上手く"それが出来る。それで充分さ
――それにお前は最高の努力家だ。お前は決して慢心で傲慢になったりはしないだろう? それが執行部員にとって一番大事なことなのさ
――自分を信じてみろ、滑塚。執行部はお前を歓迎する
(俺は見つけた。自分の居場所、自分の力を活かす場所。あれ以来俺は誓った。俺は俺にできることをやる。何があろうとも――)
(俺はこの居場所を守る。そして執行部員としてこの学校の平和を守る。それが先輩たちへの恩返し、後輩たちへと遺せるもの――)
(執行部には本物の天才がいた。俺はいつか、あの天才にだって勝ってみせると誓った。努力が天才を上回ることだってあると証明するために――)
(だから――)
(だから――!!)
「お前なんざに……負けちゃいられねえんだよォッッッッ!!!!」
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
何度でも。
投げる。
投げる。
どれほど続いただろう。延々と繰り返された攻防の果てに、滑塚の体力に僅かな乱れが生じ始めた。それは人間が決して避ける事の出来ない「疲れ」という名の制約。失速と呼ぶには余りにかすかなほころび。
この戦いにおいて、それは致命的だった。
――どん。
人身事故と同じ音。
巨人の腕が滑塚を叩き飛ばした。
宙を舞い、一回転、二回転。背中から落下。流血と全身打撲。脳震盪。
たった一度の失敗が、全てをぶち壊した。
『な、滑塚選手、凄まじい飛距離を吹っ飛んでしまいました! 見るからにダメージは甚大です! これはもう……勝負あったのではないでしょうか!!?』
実況が叫ぶ。誰にもその言葉を否定出来ないほど、滑塚は見るからに酷く傷ついていた。闘技場の隅で医療班が突入の準備を整える。彼らが結界内に入ればそれと同時に試合は終了する。
震えながら、満身創痍の男が立ち上がった。今にも崩れ落ちそうなおぼつかない動きで、うつろな目で。フラフラと、フラフラと、ただ終わることを拒否するかのように。
「負け……られねえ……。こんな……ところで……」
もはや兜は走らなかった。滑塚のダメージを値踏みしながらゆっくりと歩を進める。その姿は処刑台の囚人に向かって歩く執行人と何ら変わらなかった。
「シネ」
兜が楽しそうにつぶやいた。
巨人の腕が、ぜんまい仕掛けの速さで大きく振り上げられる。
「ちく……しょう……」
もはや滑塚の腕はぴくりとも動かなかった。どうにもならない。それでもなお、負けたくなかった。負けを認めたくなかった。
(ごめん――先輩――)
『勝負ありっっっ!!!!!』
巨人の腕が振り下ろされるより前に決着が宣言された。安全を最優先した当然の処置。
同時に滑塚が崩れ落ち、膝をつく。彼は失神していた。
兜はとどめを刺せなかった不満からか、勝ったとは思えない憮然とした顔で魔法を解き、一言も発さず歩いて退場していった。医療班に囲まれる滑塚を一瞥することは決してなかった。
観客席はずっと凍りついたままだった。
####
「……お、俺次あんなのとやるの……?」
九澄が震え声で顔をひきつらせる。それを見ていた小石川――じゃなくて音弥は鼻で笑って九澄を見下した。
「ああそうだ。チビったか?」
「チビらねーよ!」
「大賀ならあんなのラクショーだもん!」
ルーシーが眉を吊り上げて割り込む。
「それも根拠全くねーけどな……」
九澄は溜息をついたが、すぐに顔を引き締めてモニターに視線を戻した。
「まああんなのとゼッテーやりたくねーけどよ、本当なら」
九澄は汗を垂らしながら苦笑する。
「なんとかするっきゃねーよな、実際」
その顔は本気で怯えているという風に見えるものではなかった。
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