2012年6月29日金曜日

エムゼロEX 8

第八話 三年生最悪の問題児


柊愛花と三国久美、乾深千夜は小学校時代からの親友だ。
見た目の印象も趣味も性格も随分違う三人だが、今でも不思議と気が合って、何かと一緒に行動している。
高校で全員同じクラスになった偶然をこの上なく喜び合ったのは言うまでもない。
その三人は今、古びた安物のソファーに並んで座っていた。
そして三人とも、特に愛花は緊張した面持ちで体を固くしている。
愛花の目の前のソファー(これもずいぶん古い)には初めて会う二人の人物が座っていた。
片方は鋭い目つきの男子。こちらを値踏みするかのように余裕の笑みを浮かべている。
片方は無表情の女子。背筋をピンと伸ばして座ったまま微動だにしない。
愛花はどんなふうに話を切り出そうか迷っていた。

(そもそもなんでここに来たんだっけ……?)


####


「へーっ、聖凪最強を決める大会ね」

新任の生徒会長が大きなニュースを執行部分室にもたらした翌日の休み時間、愛花は久美とミッチョンにそのことを話した。
ミッチョンはさほど興味が無さそうだったが、やはりというか、久美の方は随分と関心が強いようだった。

「ちぇっ、あたしも三年生ならきっと出てたのにな。
 今のあたしじゃどう転んでも勝ち目ないけどさ」

久美が大げさに溜息をつく。

「悔しいけど一年生代表が九澄で決まりってのは仕方ないもんな……。
 あー、絶対いつかはあいつに勝ってやる」

「久美って九澄くんのことライバルだと思ってるの?」

愛花がキョトンとした顔をする。

「そりゃそうさ、身近にあんないい目標がいるんだから。
 マッチョになるのが嫌で空手やめたけど、ここじゃ魔法を磨けば強くなれるんだ。
 やる気出ちゃうよ」

久美が握り拳を作り笑みを浮かべる。その表情からは彼女の本気がにじみ出ていた。

「そっかー。頑張ってね久美。応援してるから」

「ほほ~う……」

途端に久美の表情がニヤニヤと意地の悪い笑みに変わる。
同じ笑顔でもさっきまでより断然品がない。

「愛花はさ~、あたしと九澄がバトルしたらどっちの味方をするのかなぁ~?」

久美が愛花にズイッと近寄って邪な顔で親友を観察する。
気がつけばミッチョンも久美と同じ顔でニヤついていた。
愛花の顔がカッと熱くなる。

「……そ、それはもちろん久美だよ。あたし達親友じゃない」

「ほんとにぃ~~~?」

「も、もう! どうしてそんな事聞くのよ~!」

愛花が目を回しているのを見て、久美とミッチョンは今日はこのぐらいにしといたろとばかりに一息ついた。

「ま、そん時はそん時考えればいいんじゃない?」

「う、うん……」

言われて愛花は、十年来の親友と一番親しい異性の友人とが本気で対決している画を思い浮かべる。
たとえそれがスポーツの試合のような恨みっこなしのバトルであったとしても、なんとなく心が裂かれるような嫌な気分がした。
できればそんな事にはなってほしくないと純粋な少女は思った。

「でもそういえば……」

愛花は話題を変えることにした。

「九澄くん、本当に大丈夫かな。
 三年生のすごい人達が出てくるんだよ。大怪我とかしなきゃいいけど……」

「へーえ、九澄でもやっぱり楽に勝てる試合じゃなさそうなの?」

「うん、こないだ三年生の執行部部長の人に会ったんだけど……凄かったよ。
 あたしなんかのレベルじゃ九澄くんとどっちが強いとか言えないぐらい……」

愛花の脳裏に"ウィザード"と呼ばれる執行部長夏目琉の見せた強さが蘇る。
自分では永遠に届かないだろうとさえ思えた圧倒的な力。
九澄大賀なら勝てるのだろうか?
断言できる材料はなかった。

「なるほどねえ。さすがは三年生、一年生にやすやすと優勝はやらないってわけだ」

久美が腕を組んでウンウンとうなずく。
そしてふと何かを思い出したように「あ」とつぶやいた。

「そういえば魔法格闘部の先輩が言ってたな……。
 三年生にもう一人、凄い強者がいるって」

「すごいツワモノ?」

「そうそう、先輩たちが口をそろえて言ってたのよ。
 『奴には絶対に手を出すな』『奴は三年生最悪の問題児だ』って……」

「へー、そんな人がいるんだ……」

愛花にしてみれば聖凪の生徒は基本的に良い人ばかりという印象だ。
ちょっと粗暴っぽくて苦手なタイプの人はいても、絵に描いたような『問題児』がいるという印象はない。
だから女子校育ちで男子に免疫がなかった愛花でも男子たちと仲良くなれているのだ。
まして三年生でそんな風に恐れられる人物がいるとは意外だった。

「きっとそいつも大会に出てくるんだろうなー。
 それでさ、執行部長だったら勝つ時もきっとスマートに終わらせてくれるだろうけど、
 そんな危ないやつに負けたら必要以上にボコボコにされちゃったりして……」

「ちょ、怖いこと言わないでよ久美……」

「あはは! でも実際ありえるかもよ。ねえ、一度偵察してみない?」

久美が目を輝かせる。

「え?」

「だから、九澄と戦うのがどういう連中なのか、いっちょ調べてやるってのはどうよ?」

愛花は目を丸くした。

「そ、そんなの危ないよ!」

久美はあっけらかんと愛花の反論を受け流す。

「ダイジョーブダイジョーブ。『校内新聞作るから取材させてくださーい』とでも言えばいいのよ。
 まさか取材に来た下級生に暴力振るうなんてことはないでしょ?」

「それは……そうかもしれないけど……」

「それに、いい情報掴んであげたら九澄のやつ愛花にめっちゃ感謝してくれるかもよー?」

「く、九澄くんが……? うーん……」

久美は戸惑う愛花が考えをまとめるのを待たず、一気にまくしたてる。

「よし決まりっ! じゃああたしは魔法格闘部の先輩に色々聞いてくるから、今日の放課後は空けといてよ!」

言うが早いか久美は愛花の肩をポンポン叩いて、有無を言わせず決着をつけてしまった。
同時にチャイムが鳴ったのでその場はそれで解散となった。


####


そして放課後、あれよあれよという間に愛花たち三人は三年生校舎の中の小さな一室で並んで座っていた。
眼前には一組の男女がこちらに向い合って座っている。
その中の一人が噂の問題児、新宮一真〈しんぐうかずま〉だった。
鋭い目つき、大きな口、逆立った短髪と隙のない雰囲気がどこか野生の猛獣――例えるなら虎か狼のような――を思わせる男。
私立進学校であるがゆえに育ちの良い生徒の多い聖凪の中では明らかに異質な存在だ。
相手がこちらに敵対心を向けているわけではない。
単にゆったり構えてこちらの言葉を待っているだけだ。
なのに愛花は言葉に出来ない威圧感を感じていた。
そのプレッシャーは執行部長のそれともまた違う、生々しいむき出しの感覚だった。
愛花はたまらず右隣の親友に助けを求める。

「久美……。代わりに何かしゃべって……」

愛花の泣き出しそうな顔を見ると久美とて拒否はできない。
やれやれと首を振って言葉を切り出すことにした。

「えー……っと、新宮先輩。例の大会については知ってますか?」

新宮が白い歯を見せて口の端をつり上げる。

「ああもちろんだ、最高の機会だよ。
 全校生徒の前で俺の最強を証明できるんだからな。
 ……この時を待っていた」

その笑みは普段勇ましい久美でも腰が引けてしまうほど禍々しいものだった。
この男はなにかヤバイ。久美はそう直感しゴクリとつばを飲む。

「つまり……優勝は自分だと」

「当然だろう。下馬評は間違いなく夏目の野郎に集中するだろうが、勝つのは俺だ。
 皆が見ることになる。"ウィザード"が惨めに敗れる瞬間をな」

ハッタリではないと久美は感じ取った。
聖凪高校の歴史の中でも指折りの天才、傑物と謳われる夏目琉に対して100%勝つつもりでいるのだ。
並の実力で持てる自信ではない。
あらためて目の前の男の力量を推し量った久美が次の質問に移ろうとした時、不意に新宮が立ち上がった。

「と、俺としたことが来客に茶も出さないのは失礼だったな。
 ちょっと待っててくれ」

新宮は返事も聞かず部屋の奥に置いてあるポットに向かって歩いていった。

(えーっ、客にお茶入れるタイプなの?)

リズムを狂わされた久美はふともう一人の部屋の住人である女子生徒に目を留める。
黒髪ロングのポニーテール、細面の長身女性。
彼女は相変わらず背筋をピンと伸ばし座ったままだった。
無言、無表情。眼球すら動かさない。
よく観察すればたまにまばたきをしていることと、呼吸に合わせてわずかに胸が上下していることがわかる。
それがなければ人形かと見まごうほどその人物は静止していた。

「あの人全然しゃべんないよね……」

とミッチョンが呟く。
あんたに言われたかないよと久美は心の中で突っ込んだ。
その時脳裏にふと疑問が浮かぶ。

(たしか先輩たちはこの人が新宮一真の彼女だって言っていた……。
 といっても、無口でおとなしいこの人を召使いみたいに従えていい気になってる酷い野郎だって……。
 でもそれならなぜ、男の方が客に茶を入れてこの人は座ったままなんだろう?
 どうもこの二人の関係はよくわからないな……)

久美があれやこれやと考えているうちに、当の新宮がお盆に五つの湯のみを載せて帰ってきた。
三人は差し出された緑茶を「あ、どうも」などと会釈しながら受け取る。
「彼女」は相変わらず無言のまま、「彼氏」を一べつすることもなく手だけを動かしてお盆の上から湯のみを取った。
「彼氏」の方も「彼女」の態度を気にする素振りも見せず腰を下ろして茶をすすった。

「さて、他に聞きたいことは?」

新宮が湯のみを置いて口を開いた。

「あのー、この部屋って先輩たちだけが使ってるんですか?」

今回質問したのは愛花の方だった。

「ああ、おれと沙耶……沙耶ってのはこいつのことな。
 ちょうどいい空き部屋があったから使ってんのさ。
 っつっても不法占拠じゃねえぞ。部活用ってことになっている。
 部の名前は確か……あー……なんだっけかな。まあどうでもいいだろそんな細かいことは。
 次」

なんだそれ、と久美は呆気にとられた。
その話は先輩から聞いてはいたが、いざ本人の口から聞いてみるとますますいい加減極まりない話だ。
なぜ教師たちや執行部はこんなことを見逃しているのだろう?
だがそれをここで聞いてもまともな答えは望み薄に思われた。
愛花も同じ考えだったのだろう。すぐに次の質問を尋ねた。

「えーっと、それじゃ……一年生の九澄大賀くんについて。
 新宮先輩はどう思いますか?」

「クズミ……?」

新宮が眉をひそめる。とぼけている風ではない。
まさか本当に知らないのかと久美は驚く。

「あの……ゴールドプレートを持っている一年生です」

愛花が遠慮がちに答える。

「ああそいつのことか」

新宮はソファーの背もたれにドカッともたれかかった。

「別に興味ねえよ。俺の標的は夏目琉だけだ。
 他の奴なんざ相手にしちゃいねえ」

久美はその適当な態度にイラッと来てしまう。

「そんな余裕かましてていいんですか?
 先輩はまだゴールドプレートじゃないって聞きましたけど?」

それは挑発とも取れる嫌味な言い方だった。
愛花が慌てて久美をなだめる。
新宮は再びあの禍々しい笑みを浮かべた。

「ククク……プレートの色なんざで強さは決まりゃしねえよ。
 プレートの"格上"なんざ俺は何人も倒してきたんだ。
 奴が本当にゴールドプレートの持ち主だとしても……いや、"だからこそ"俺が負けるはずがねえ」

久美には新宮が言っていることの意味が全くわからなかった。
九澄がゴールドプレート"だからこそ"負けるはずがない? 何を言ってるんだこいつは?

「プレートの力にかまけた雑魚は脆いもんさ。付け入る隙なんざいくらでもある。
 恥かくだけだから出るのはやめとけとお友達に伝えときな」

さすがにカチンと来た久美が何か言ってやろうと思った途端、勢い良く立ち上がったのは愛花だった。

「どうしてそんな事が分かるんですか!?
 九澄くんは雑魚なんかじゃありません! きっとあなたにも勝ってみせます!」

「ちょ、愛花……」

ミッチョンが愛花をなだめようとするが、愛花は本気で新宮を睨みつけていた。
実力ではどう転んでも勝てない相手に全く引いていない。
新宮はヒュウ、と口を鳴らす。

「ククク、こんな可愛い子にここまで想われてるたぁ、結構な幸せモンじゃねえかそいつは。
 まあ思ってた通り、取材とは名ばかりの偵察だったってわけだ」

「あ、いやあその……」

図星を突かれた久美は冷や汗をかく。
だが愛花は動じていない。

「あなたは九澄くんの凄さを知らないだけです。
 馬鹿にしたことは取り消してください」

「やれやれ、こんなのは格闘技じゃお馴染みのマイクパフォーマンスとでも受け取って欲しいもんだがな……。
 だがまあ、そこまで言うならちょいと試してみるか」

「試す?」

久美が眉をひそめる。

「おい、そいつは一年何組だ?」

「C組ですけど……それが?」と愛花。

「そいつが最強を決める大会に出るに相応しいレベルかどうか……俺がこの手で確かめてやろうって言ってるのさ。
 悪い話じゃねえだろう?」

新宮は膝に手を置いてすっと立ち上がる。
そして隣の彼女に視線を落とし右手を伸ばした。

「思い立ったが吉日、だ」

女子生徒は視線を動かさないまま立ち上がって新宮の手を取り、何事か小声で呟いた。
直後、赤みがかったもやが一瞬で二人を包み込む。
新宮は愛花と目を合わせ明るく左手を振った。

「じゃあな」

バフッと空気が弾けるような音がした。
もやが瞬間的に周囲に広がって消えるのと同時に目の前の二人も消えていた。

「あっ……!」

愛花が身を乗り出すが、もうそこには誰も居ない。
テレポート、それも二人分を一瞬で。かなりハイレベルな魔法力なしには不可能だ。

「あの人九澄くんとバトルしに行ったんだ!
 早く九澄くんに伝えないと……!」

「いやー間に合うわけないっしょ……」と久美。

「無駄無駄」とミッチョン。

「うう~そんな冷たいこと言わないでよ~」

先ほどまでの強気はどこへやら、愛花は泣きそうな顔になっていた。


####


「あーあ、最近心も体も寒いなー……」

「俺達にゃクリスマスもバレンタインも無縁のお寒い冬がもうすぐやってくるのさ……」

「言うなよそんな事は……」

一年C組の教室で伊勢、堤本、田島の三人はダラダラとだべっていた。
モテネーズ定例会議という名の単なる傷の舐め合いである。

「いっそモテる努力なんてやめてよ、他の手を使うってのはどうだ?」

伊勢が声を弾ませる。

「なんだ他の手って……」

「どうせろくでもないことだろ」

「魔法だよ魔法! 召喚魔法とかさ~、きっとなんかあるはずだぜ! 理想の女の子を呼び出す魔法がよ!」

伊勢の力説に二人は溜息をつく。

「アホくさ……」

「諦めんなよ! どうしてそこで諦めるんだそこで! もっと熱くなれよ! ネバーギブアップ!」

「まじうざい」

田島がバッサリと切り捨てる。

「俺は諦めねえぞ! 理想の女の子と付き合えるその日まで……!」

伊勢は何やら両手を前方に突き出し力を込めて念じ始めた。
プレートにインストールしていない魔法は使えないとか、そういう常識はこの男には通用しない。

「黒髪ロングの清楚な美少女よ! 俺の魂に応えて……いでよ!」

その時だった。
伊勢の目の前で、ボンッという音と共に突然赤いもやが広がったかと思うと、そこから人間が現れたのだ。
それも黒髪ロングの女性が。
伊勢はあまりに突然の出来事に言葉を失った。
だがこれは現実だ。
天に想いが届いたのだ!
伊勢の理性は消し飛び、自分が召喚した女に猛犬のように飛びついた。
女の腰に抱きつき感涙にむせび泣く。

「うお~~もう離さね~~!!! 
 俺が召喚したんだ! これは俺んだ~~~!!!」

女は無反応、無表情。ビー玉のような温度のない目で伊勢を見下ろす。
伊勢はそんなことは気にも留めず涙を滝のように流した。
その時伊勢の肩を誰かが掴んだ。
伊勢は無視しようとしたが、そいつは骨が折れそうなほど強烈な握力で握ってきたので激痛のあまり思わず振り向いてしまう。
そこには悪魔のような恐ろしいオーラを纏った男がいた。
本物の殺意。
一瞬で伊勢のタマが縮み上がる。

「失せろクソガキ」

男は眉一つ動かさず静かにそう言った。
それだけで伊勢は失神した。

2012年6月22日金曜日

エムゼロEX 7

第七話 回り出す歯車


生徒会本会議室と表札に書かれた部屋で、窓際に立って外の風景を眺める女子生徒がいた。
栗色のショートヘアが陽光に照らされ、紅色のセルフレーム眼鏡がキラリと光るその女子生徒は後ろ手を組んだまま目を細める。

「これから……忙しくなるなぁ……」

校庭からは生徒達の喧騒が届いてくる。

「書類は整ったよ、悠理さん」

後ろから声をかけてきたのは中性的な顔立ちの美少年。
その隣に立つのは彼と瓜二つと言っていいほどよく似ている美少女だ。
容姿といい儚げな雰囲気といい、性別と髪の長さ以外はクローン人間のような二人組だった。

「じゃあ行こうか」

悠理と呼ばれた女子生徒は二人に微笑みかけ、歩き出す。
二人は悠理の後ろに並んで付き従った。


####


大きな事件があった林間学校の翌週の月曜日。
執行部は今日も忙しかった。
場面は魔法執行部一学年分室。
やれE組で魔法を使ったケンカをしているだの、やれ体育館で誰かの魔法が暴走しているだの、放課後わずか1時間足らずで4件ものトラブルを処理したため皆疲れてぐったりとしている。
書類を淡々と処理する事務担当の氷川と、空き時間を利用して読書にふける大門以外はだらだらと休憩していた。

「今日子さん、あたしも手伝おうか?」

「構わないわ。私は外では働いていないから」

氷川は手を止めることも顔を上げることもなくきっぱりと断る。

「そんなの気にしなくていいのに……」

愛花から見ると氷川との間にはまだ一枚壁があるように思えてならなかった。
もちろん執行部員になる前と比べれば格段に打ち解けているのだが、久美やミッチョンほど親しくなるにはしばらく時間がかかりそうだ。

(よーし、今度久美達と遊びに行く時に今日子さんも誘っちゃお!
 それにそろそろ『今日子ちゃん』って呼びたいし……いや、『キョウちゃん』の方がいいかな?)

愛花はああでもないこうでもないと考えを巡らせた。
ちなみにその頃竹谷は熱心にケータイをいじっていて、影沼はどこにいるのかわからなかった。
いや実際には教室の片隅で体を休めていたのだが。

「みんなだらしがないぞ。執行部員がこうもだらけていたのでは部の信用が落ちる」

大門は特に九澄に目線を送る。
九澄はウチワを仰ぎながら反論する。

「そんな事言ったって俺は毎日体張って働いているだろ。
 まして俺は病み上がりだぞ。お前こそもっとガッツリ働け」

「君こそもっと魔法を多用すれば楽ができるだろう」

「う、うるせえ。俺は魔法に頼るのは嫌いなんだよ」

嫌いも何も九澄は魔法が使えないので体力仕事になるのは当然である。
それでも周囲を誤魔化せているのは生来の機転の良さとハッタリ力のたまものであろう。
二人が相も変わらず険悪なムードになった時、不意に分室の扉が開いた。

「君達が魔法執行部の一年生かい?」

凛とした口調でそう尋ねたのはメガネをかけた女子生徒だった。
華奢な痩身に端正で精悍な顔立ち。異性より同性からモテそうなボーイッシュタイプの美少女である。
ネクタイに2本のストライプが入っているところからして二年生に間違いない。
九澄は彼女の顔になんとなく見覚えがあった。それもごく最近どこかで見かけたような。
彼女の後ろにはこれまた美形の女子生徒がいた。
こちらのほうが清楚っぽくて男子からは人気がありそうだ。
しかしその隣にほとんど同じ顔の男子生徒がいるのはどういうことだろうか。

「そうですけど、何か御用ですか?」

愛花が前に出て応対する。
女子生徒はふうんと一瞥して部室の中を見渡す。

「いい部屋だね。さすが執行部、いいところを使っている」

「あの……ご御用件は……」

女子生徒は頭をポリポリとかいて苦笑する。

「うーん、その反応からして私が誰か知らない? 誰一人? 参ったなあ、みんな私の演説聞いてたんじゃないの?」

「あ……」

愛花は何かを思い出したかのように目を見開く。
九澄にはなんのことかさっぱりわからなかったが、大門は違うようだった。

「そうか、この前新しく生徒会長になった望月悠理〈もちづきゆうり〉さんですね?」

「当ったりー。なんだ、知ってる人いるじゃん」

悠理は笑顔で人差し指を立てる。
さっきまでより幾分雰囲気が軽くなった。
九澄はようやく合点する。

「新しい生徒会長? あー、そういえばこないだ女子の先輩が集会で就任演説してたような気がするな。全然聞いてなかったけど」

「これだもんな……」

九澄のとぼけた発言に大門が呆れて手で顔を覆う。
しかし九澄の認識の浅さも無理はなかった。
この聖凪高校では生徒会長の地位、というより存在感はかなり小さい。
なぜなら形式上は生徒会内部の一組織となっている魔法執行部の立場が非常に強いからだ。
ほぼ制限なく校内で魔法を使用でき、一般生徒の取り締まりを担う魔法執行部。
それに対して、地味なデスクワークがメインの生徒会本会はどうしても印象が薄く、あまり存在自体意識されていない。
おかげで毎年立候補者がなかなか出てこず、内申書アップを餌に教師が探しまわってどうにか一人見つけるという事例が多いのだ。
そういうわけだから今年も立候補者は望月一人しかおらず、無投票当選であっさりと就任が決まった。
新会長の名前が浸透しないのも当然と言える。
ただし例年と大きく違うのは、彼女は極めて積極的にこの職に就いたということだった。

「というわけで、二年E組望月悠理。以後ヨロシク」

ニカッと笑う望月に愛花はペコリとお辞儀を返す。

「あ、よろしくお願いします。
 えっと……それで御用件は……」

「そうそう、今日ここに来たのはひとつ重大なことを伝えるため。
 1年C組九澄大河君にね」

望月は九澄を向いて目を細める。

「お、俺?」

自分を指差す九澄に周囲の視線が集まる。

「そう、君」

望月は九澄の前にすっと近づき、もう少しで顔が触れそうな距離で微笑みかけた。

「九澄くん、君に一年生代表として大会に出て欲しいの」

「大会?」

望月の顔があまりに近いので微妙にのけぞる九澄。

「そ、大会。聖凪最強の生徒を決める魔法トーナメント。
 その名もズバリ"聖凪杯"」

「な……!!」

分室がざわめく。
九澄は思わず周りの反応をきょろきょろと見渡したが、皆一様に目を丸くしている。
ただし望月の後ろの二人は退屈そうだった。

「……そんなイベントがあるとは聞いたことがありませんが」

大門が尋ねる。

「そりゃそうよ。あたしがついこないだ発案したんだもん」

あっけらかんと答える生徒会長に大門は呆気にとられてしまった。
どうもこの人、全体的に軽い。
中学時代に同じく生徒会長を務めた大門としては役職のイメージに合わない人物に思えた。

「そんなわけだから九澄くんは一年生代表!
 異論のある人は九澄くんにタイマン挑んで勝っておいてちょうだい。
 参戦期限は今週中、大会本番は再来週の週末よ」

「ちょっと待ったーーーー!!!
 異議あり異議あり!!!」

異論を申し出たのは他ならぬ九澄大賀その人だった。
まあ当然である。

「なんで?」

望月が首をかしげる。

「だからつまり……俺は魔法をそーいう使い方はしねえんだよ!
 他人と力を競ったり見せびらかしたり、そーいうのは性に合わないんだって!」

ここで譲る訳にはいかないから九澄も必死だ。
今の九澄ならガンジーばりの非暴力主義者を名乗れそうである。
だがそんな九澄の言葉を遮ったのは身内の声だった。

「納得いかないな」

九澄が振り返るとそこには憮然とした面をした大門がいた。

「君はいつもそうだ。
 タク……小石川と戦った時も、僕と戦った時も、執行部の仕事でも。
 いつも理屈をつけては魔法を使いたがらない。
 そうかと思えば以前横暴に振る舞って力を誇示したことがあったな」

大門が言っているのは前校長が九澄の体を借りて自分の魔法を使った時のことである。
もちろんその真相を知っている者がこの場にいるはずもない。
九澄自身ですらそんな事があったとは知らないのだ。

「僕は正直君を信用出来ない。
 この上、上級生達との真剣勝負から逃げるというのならそんな奴とこの先組みたくはない」

「お、おい、何もそこまで言うこたねーだろーが!」

大門は真顔で九澄を見据えている。
下手なごまかしは通用しそうになかった。
言葉に詰まった九澄は話し相手を変えることにする。

「柊はどう思う?
 別にそんなお遊びのバトル大会なんて出なくてもいいと思うだろ?」

愛花は腕を組んでしばらく考え込み、それからパッと明るい表情を浮かべた。

「あたしはやっぱり見てみたいな!
 九澄くんが上級生の人達と本気で戦うところ!」

「んがっ!」

そんな太陽のような笑顔で言われると九澄には何も言い返せない。

「決まりだね」

大門が勝手に決定を宣言した。
九澄が大門を睨みつけると、今度は望月が口を挟む。

「それに考えてもご覧よ九澄君。
 君が執行部として上手くやっていけてるのはゴールドプレートの威光があればこそ。
 もし君が負けるリスクのあるバトルからは逃げるチキン野郎だなんて評判が広まっちゃったら、
 何かと面倒な事になっちゃうんじゃない?」

九澄は言葉に詰まる。
確かにその通りなのだ。
ハッタリを効かせるためには畏怖と敬意の念を持たれなければならない。
チキン野郎という称号は、ニワトリには悪いが最悪とさえ言える。
極端な話出場して即負けたほうが後で評判を取り戻すのは楽かもしれない。
どうせ相手は三年生のトップクラスばかりのはずなのだから。
だがそれでもあまりにも惨めな負け方は許されないはずだ。
自分に果たしていい試合が出来るのだろうか?
果たして出場を選ぶべきなのだろうか?

「少し……考えさせてくれ……」

それがここでの結論だった。

「そうね、いい返事を期待してるよ。今週中にね」

望月は踵を返し、手を振りながら後ろの二人とともに教室を後にした。
九澄はその背中を黙って見送った。
固く握られた拳はじわっと汗ばんでいる。

まただ。

九澄はこの違和感を知っていた。
明らかなピンチなのに、怖いのに、心のどこかにこの事態を楽しんでいる自分がいるのだ。

(俺……危険に慣れて麻痺しちまってるのかもな……)

九澄はそう考えて自嘲気味に笑う。

「ワリいみんな。ちょっとやることがあるから先に上がるわ」

手を振る九澄に愛花が声をかける。

「九澄くん、この話どうするの?」

「そいつは後のお楽しみだぜ」

白い歯を見せてニカッと笑う九澄の自信に溢れた態度を見れば答えは明らかだった。
とうとう本気で戦う九澄大賀が見れるのだ。
愛花は心臓の鼓動が早まるのを感じた。

「じゃあな! また明日!」

九澄はさっそうと部屋を後にする。
後ろ手で扉を閉め、カッと目を見開いた。
全身に力が入る。
そうだ、何を恐れている。こうなればやるべきことはただひとつではないか。
九澄は全速力で駆け出した。



「ドラえもーーーーーーーーーーーーーーーーーん!!!!!!」

――校長室に向かって。


####


「おやどうしました九澄君。というかドラえもんって……」

「大賀ーーー! なんか久しぶりな気分だね!」

迎えてくれた校長とルーシーを顔を見て九澄は深く息をついた。
やはりここはいい。気楽だ。

「ねえ大賀! この新しい服どう? 似合う?」

ルーシーは喫茶店のウェイトレス風のオレンジ色の衣装をひるがえしクルクルと回転する。
いわゆるメイド服ほど媚びておらず健康的でかつ可愛らしい服だ。
しかしスカートは短い。

「そんな事より校長! 大変なんだよ!」

「そ、そんな事って……」

ガーンという音がルーシーの脳裏に響き渡った。
そんな乙女心には全然気付かず九澄は御年83才の貴婦人に詰め寄る。
九澄の説明は慌てすぎて要領を得なかったが、校長はいくつか質問した上で話の全体像を掴んだ。

「なるほどそういうことですか……それは中々面倒なことになりましたね」

校長は席を立ち窓の外を見下ろす。

「いやそんなのんびり構えてる場合じゃないんだって!」

「どうしてそれが深刻な事態なのですか?」

「どうしてって……そりゃ出たら秒殺食らうに決まってるから……。
 何より、俺が本当のゴールドプレートの持ち主じゃないってわかったらまずいっしょ!」

校長が九澄に向き直り楽しそうに微笑む。

「私はそうは思いません。
 九澄くん、私はあなたを買っているんですよ」

冗談を言っている風ではなかった。

「確かに『今日の』あなたではとても対応できないでしょう。
 でも『三週間後の』あなたならわかりません。
 もし本気で策を練ったのであればね。
 それに九澄くん、あなたは少しもわくわくしないのですか?」

「……え?」

「あなたには既に見えてきているはずです。
 エムゼロの真価、実力、本当の強さが。
 それを試すのにこれ以上の場はないでしょう?」

「それは……確かに……」

一理はあった。
夏休みに初めてエムゼロ修行を行なって以来、何かが掴めそうな気がしていた。
まだはっきりとは見えていない。
だけどそれはすぐ近くにあるような気がするのだ。

「けど……時間が足りねえよ……」

歯ぎしりする九澄に校長は微笑みかける。

「やれるだけやってみたらいいじゃありませんか。
 もしどうしても間に合わないと思ったのなら、その時は私が欠場のための事情を作ってあげますよ。
 ……ま、そうならないことを期待していますがね」

「校長先生……」

九澄は拳を固く握った。
何かできそうな気がした。
いや、やらなければいけない。
この先エムゼロを持ち続けるのなら、どこかで壁を壊さなければいけないのだ。

(探してみるか……俺の……俺だけのエムゼロでの戦い方を)

2012年6月19日火曜日

エムゼロEX 6


第六話 林間学校〈2〉


百草紀理子。
聖凪高校の数学教師兼魔法教師であり、男子生徒からの人気はダントツナンバーワンのセクシー女教師である。
現在24才。大学3回生の時に浮気性の彼氏と別れて以来男日照りが続いているらしい。
曰く、「聖凪の男にはろくなのがいない」とのこと。
「柊先生なんてどうかしら。今独身でしょう?」と問いかけた先輩教師に「ああいうナルっぽいのは好みじゃないの」と返すあたり中々の強者だ。
彼女にとって鼻の下を伸ばしつつ慕ってくる男子生徒などまだまだガキでしかないが、時には生徒に魅力の片鱗を感じることもないわけではない。
特に怪物一年生と恐れられる九澄大賀は、噂とは違って素直で可愛らしいところもあるし男前な一面もある。
もう少し年が近かったらあるいはちょっと好きになってたかもしれないわねと酒の席で口を滑らせたこともあった。
そんな彼女の好みのタイプは本人曰く「誠実で頼り甲斐があってユーモアもある人」というなんとも普通すぎてコメントに困るもの。
それを聞いた大木先生が、それなら自分がと名乗り出てガン無視されたことはここだけの秘密である。

さてそんな彼女の本日の仕事は林間学校での監視員。
各地のチェックポイントに置かれた魔法玉から送られてくる生徒達の情報をモニターで逐一チェックし、何かあれば巡回中の他の教師に連絡するという地味だが大切な役回りだ。
先程もB1チェックポイント付近で生徒同士が揉め事を起こしているという報告を、その近くにいる柊先生に送ったばかり。
しかしそんな彼女にトラブルが起こる。
腹痛である。
高速ダッシュでトイレに駆け込んだ彼女がそこから脱出するのは当分後の事になる。
そのためにE2チェックポイントにおいて進行中の重大な事態について彼女が感知することはなかった。

(うーん、スタート前に生徒からもらったお菓子が悪かったのかしら……?)

百草は整った顔を歪ませながら、自分にチョコレート菓子を分けてくれた地味な感じの女子生徒の顔を思い出すのだった。


####


九澄大賀は震えていた。
怖い。
怖い。
怖い。
目の前には地球の様々な猛獣のパーツを混ぜ込んで生み出したような、いかにも恐ろしいモンスターがいる。
同じ魔法生物といってもルーシーとは子猫とライオンほどにも違う。
シーバンとかいうその怪物は危険度5だそうだがそれは一体どういう数字なのか。
空手や柔道の五段よりも強いのか。
はたまたインペルダウンのレベル5囚人よりも強いのか。
SMAPの5人が一斉にかかれば何とか倒せるかもしれない。
などと現実逃避していた瞬間、シーバンがその一本角を突きつけ突進してきた。
九澄が間一髪でそれを交わすと、シーバンは勢い余って背後の崖に衝突し轟音を立てる。

「よっしゃ! 自爆しやがった!」

九澄は思わぬ秒殺にガッツポーズを決める。この勢いなら少なくとも失神は間違いなしだ。

「ふ~っ、脅かしやがって。だがこの九澄様に挑んだことをせいぜい後悔……し……」

シーバンが起き上がって九澄を再び睨みつける。
まったくの無傷。逆に崖の方は大きくえぐれていた。
もしあんなのを食らったら。

(し……死んでしまう……比喩とかじゃなくてマジで死ぬ)

観月は固唾を飲んで九澄を見守っていた。
初貝は観月に尋ねる。

「九澄くんは、大丈夫なんですか?」

「大丈夫よ、あいつなら絶対大丈夫」

「信じてるんですね」

観月は一瞬ためらったが、薄く微笑んではっきりと頷いた。

「うん……信じてる」

(あんたは……あんたはこんな時でもきっと……)

観月の思いが届いたのか否か、いずれにせよ九澄は覚悟を決めた。
拳を握りしめ、目の前の獣を睨みつける。
動物相手にガン飛ばしが効くとは思えない。だがビビって目を逸らせば確実に殺られる。
九澄は喧嘩慣れした男の本能としてそれを知っていた。

(腹くくるしかねぇか……)

今使える魔法はたった一つ。ブラックプレートに保存した一発のみだ。
幸いにもそれは攻撃魔法、うまくすればあるいは。

(と、その前に……)

「観月! 初貝! ここは俺に任せててめえらはさっさとに逃げろ!」

シーバンから目を離さないまま九澄が叫ぶ。

「なっ……! あんた一人だけ置いて逃げるなんてできるわけないでしょ!」

「うるせー! 女はさっさと逃げろっつってんだ!」

「女々ってあんたはいつもそうやって……!」

観月の抗議に耳を貸さず、九澄は声のトーンを丸めた。

「それによ……俺は、お前には怪我してほしくねーんだ……お前にゃいつでもそーやってガヤガヤ元気でいてほしいしな……」

「なっ……」

観月は自分の体温が一気に上がったのを感じた。

「だから……頼む」

背を見せたまま真摯に話す九澄に、観月は何も言い返せなかった。

(なによ馬鹿……あんたにそう言われたら、あたしはそうするしかないじゃない……)

「絶対勝ちなさいよ馬鹿!」

九澄は振り返らず、親指を立てて「OK」のサインを作った。
観月は初貝の手を引っ張り走りだした。
振り返ることなく森の中をかき分けていく。

(九澄が負けるとは思えない。だけど先生たちを見つけて知らせないと……!)

(きっと観月なら先生たちを見つけて知らせてくれるはず……!)

九澄は観月の行動を正確に把握していた。
なんだかんだで数ヶ月の付き合いだ。それにあいつってよくわからんけどわかりやすいし。
などと本人が聞いたら殴られそうなことを考える。

(さてと……最低でも時間は稼がねーとな……)

九澄が目の前のモンスターを抑えられているのはひとえに眼力のおかげだった。
だがその睨み合いも永遠には続かない。
間違いなくもうすぐ奴は飛びかかってくる。
ならばどうする。

九澄大賀なら――
こうする。

「へっ、いいのかよ? 俺はこう見えてもゴールドプレートの持ち主なんだぜ?」

「グアアアアアアアアアアッ!!!!!!」

唸りを上げながら突進してきた巨体。
九澄はそれを再びギリギリで交わし、体をひねりながら距離を取る。
シーバンは再び崖に激突し、なに食わぬ顔でまた九澄に向きあう。

「そ、そうか……人間じゃねーからこんなハッタリは通じねーのか……って当たり前にも程があんな」

なぜだろう。
恐怖心がほとんどのはずなのに、かすかにそれだけでない感情の昂りをかすかに感じる。
こんな時にこんなボケをかませることを考えると、怖すぎてどうかしてしまったのかもしれないと考え、自嘲気味に笑う九澄。

(くそったれ、震えが止まらねえ……なのに……ちょっと楽しくなってきやがった……。
腹ァ……くくってみっか……)

九澄にはひとつのアイディアがあった。
今自分に実行しうるほとんど唯一の攻撃手段。

(失敗したら死ぬかもな……ちくしょう、なるようになりやがれ!)

九澄はカッと目を見開き、怪物を睨みつけ自ら駆け出した。
全身のパワーを総動員した本気の突進だ。
一瞬シーバンの動きが止まった隙を九澄は見逃さなかった。
両手で怪物の大きな口の内側を掴み、120%の力でその口を一気にこじ開ける。
それはまさしく火事場の馬鹿力と呼ぶにふさわしい本気以上の腕力だった。

(どんな頑丈な体でも……ここは弱点だろ!!!)

「オープン!!!!! 声震砲(ボイスワープ)!!!!!!」

九澄は怪物の口を覗きこむように顔を突っ込み、ありったけの大声を叩きつけた。
魔法力で増強されたその音は一本に収束し、大砲のようなビームとなって怪物の口内に炸裂した。
轟音とともに九澄は反動で吹っ飛ばされ、尻餅をついて転がった。
顔や尻に痛みが走るが今はそれどころではない。
九澄が顔を上げた時、怪物は口から煙を吐き出しながらピクリとも動かず倒れていた。

「いよっしゃーー!! 大成功!!」

思わずガッツポーズする九澄。

「へっへっへ、人間様をナメるとこうなるんだっての」

仰向けで倒れている怪物に軽やかな足取りで近づき、念のため見開かれたままの目をよく観察する。 

「よしよし、完全に飛んじまってるぜ。ブラックプレートと柊の魔法様々だな……」

九澄は知らなかった。
野生の猛獣の生命力と、その危険度を。
安心してシーバンから目を離したその刹那だった。

衝撃。
痛みを感知するより先に、弾けるように吹っ飛ぶ。
崖に激突し、側頭部を強打し、落下。
地に屈し、そこで初めて九澄は脇腹の強烈な痛みを知る。
痛み?
違う、そんな生易しいものではない。
全身がバラバラになったかのような激痛。

(生きてやがった……!)

完全な油断だった。
九澄はあそこですぐに逃げるべきだったのだ。
ダメージのある今のシーバンに追いつかれることはほぼなかっただろう。
だが全ては一瞬で暗転した。
怪物は口から煙と血を漏らしながら血走った目で九澄を睨みつける。
手負いの獣だけが持つ、真の憤怒と激情の目。

「ガアアァアァァアゥオアアア!!!!!」

咆哮。

「ち……ちくしょう……」

嘆き。

(死ぬ)
(死ぬ)   (死ぬ)
(死ぬ) (死ぬ)   (死ぬ)
(死ぬ)       (死ぬ)
(死ぬ)

(死ぬ)


(嫌だ!)

(こんなところで死ぬのは嫌だ! 俺はまだあいつに何も言ってねえ……)

(まだ何もしてやれてねえ!!)

九澄は立ち上がる。
恐らく肋骨は折れた。
呼吸が地獄のように苦しい。
それでも。

「来いよ」

もう逃げることは不可能だ。
走れたとしても数メートル。
だとするれば出来ることは一つしかない。
九澄は頭上を見上げた。
高さ10メートルを超える崖。
それが二度に渡るシーバンの激突で大きくえぐれ、グラグラと不安定な状態になっている。

(俺にもし運が残っているなら……)

「来いっ!!」

歪な叫びとともに血反吐をまき散らしながらシーバンが飛び出した。

まだ動くな、待て。待て。待て。
紙一重の、千載一遇のタイミングを。
ほんの一秒あまりの時間が九澄には十数秒にも感じられた。
槍のような角が眼前に迫る。

今!

九澄は身をかがめ斜め前方に飛び出した。
シーバンの爪が九澄の背を掠める。
九澄は、勢い良く地面に転がり、怪物は轟音とともに崖にめり込んだ。
だがまだこれだけでは致命傷にならない。
九澄はうつ伏せの状態から半身を起こし空を見上げる。
度重なる衝撃で、切り立った崖の上方はこの上なく不安定になっていた。
あと少し。
あと少しで。
来い。来い。来い。

「崩れろおおおおおおおおお!!!!」

それは山の神の気まぐれか、それとも岩をも通す信念の賜物か。
九澄の叫びに呼応するように崖の上方に一直線の亀裂が走った。
シーバンがようやく身を起こした時、そいつはまだ自分に迫った事態に気付いていなかった。
上方の轟音。
怪物は上を見上げる。
その時既に数メートル級の大岩がまっすぐ怪物のもとに迫っていた。


####


「なんだ今の音は!?」

大木が叫んだ。
小柄な男性教師の後ろを走る観月は言い知れぬ不安を感じる。
大丈夫。
九澄が負けるはずがない。
危険レベル5は確かに恐ろしいが、ゴールドプレートの持ち主にとって敵ではない。
先生はそう断言した。
ならばなぜ、自分はこんなにも恐れているのだろう?
観月に答えはなかった。

「九澄ぃぃぃぃ!!!」

現場にたどり着いた観月が見たものは、崩れた崖と土砂の山、そしてそこからほんの数十センチの距離で倒れている、頭と背中から血を流した九澄の姿だった。
観月の心臓が止まりそうになる。
少女はほとんどパニック状態で九澄に駆け寄った。

「九澄! 九澄! ねえ目覚めなさいよこの馬鹿! 九澄!!」

直後、聞き慣れた声がかすれるような大きさで耳に届いた。

「……うっせえな……耳元でキャンキャン叫ぶなよ……」

九澄が目を開く。
また観月の呼吸が止まった。

「……ま、そっちの方がお前らしいけどな……」

そうつぶやいて九澄は笑った。
観月はボロボロと涙を流し、目の前の馬鹿に覆いかぶさった。馬鹿、馬鹿と何度も繰り返した。
大木は照れるように頬をかいて青春やってる男に声をかけた。

「……で、どうなんだ九澄、怪我の具合は」

「あー、結構キツイっすねー。大先生、回復魔法使える?」

「俺にできるのは応急処置レベルだ。今保健の門脇先生が向かって来ている。
彼女ならこの程度の怪我はなんでもない」

「じゃあまあ応急処置だけでも先に頼むよ大先生」

大木は苦笑した。
こんな口が叩けるのなら安心だろう。
――ちょいとばかしムカつくが。

(……しかし九澄がレベル5程度を相手にこんな重症を負うか……?
魔法の実力が高くとも戦闘には不慣れということか……? 
あるいは歳相応に油断でもしたんだろう)

大木はわずかな疑問を感じたが深く考えることなく納得した。
まずは傷ついた生徒を治療することが教師の役目だと承知しているからだ。
だがその時、同様の疑問をより深く抱いた者がいた。


####


夜。
観月は九澄が一人安静にしている個室を訪れた。
九澄は布団で寝転びながらテレビを見ていた。

「よお観月! なんだお前一人で来たのか。
さっきまで柊とかC組とか執行部の連中が来てたのによ。
ああそんなことより今日はありがとうな。
お前のおかげで助かったぜ」

九澄はいつものように屈託なく笑う。
何も変わった様子はない。
ただ体のあちこちに包帯が巻かれていた。
観月は九澄の枕元に座り込む。

「体の具合はどうなの……?」

「大したことねーよ。保健の先生の回復魔法ってすげーんだぜ。
傷口なんてあっつー間に塞がっちまってよ。
この包帯はまあ念の為ってやつさ。2、3日でとれるらしいぜ」

自分の頭に巻かれた包帯を指さしてヘラヘラと笑う九澄を見て観月の胸にまた不安が広がった。
いつもと変わらない、だからこそ何かがおかしかった。

「……どうして……あんな奴相手に死にかけたの……」

「は? 死にかけてねーよ! ピンピンしてんだろーが!」

「嘘! 門脇先生が言ってたよ! もう少し到着が遅れていたら危険だったかもしれないって!
内蔵が損傷していなかったのは奇跡みたいなもんだって!
あんたならあんな奴……もっと簡単にやっつけられたんじゃないの……?」

「そ、そりゃあお前……ちょっと油断しちまっただけだよ……」

これも嘘だ。
観月は確信した。
確かに大木先生や柊先生も同じ油断という見解を述べていた。
だが観月達を逃した時点で九澄は完全なシリアス戦闘モード、100%の臨戦状態だったはずだ。
あそこからどうやって油断するというのか。
仮に一瞬の気の緩みでいいのを食らってしまったとして、それでも相手を倒したあとそれなりの魔法力は残っていたはずだ。
ならばなぜ自分で回復魔法を使わなかったのか。
仮にたまたま回復魔法をインストールしていなかったとして、他に何かあるはずじゃないのか。
なぜ自分たちが駆けつけるまでただ倒れていたのか。
観月には疑問だらけだった。
今回だけではない。
以前から九澄大賀は謎だらけだった。
何かがおかしい。
何かがその疑問を一本の線につなげる気がする。
でも何が?

まさか。

その時観月の背筋にゾクリと悪寒が走る。

「分かった……とにかくゆっくり休んでいなさいよ……」

「ああ、ありがとな」

観月はゆっくりと腰を上げ、部屋を後にした。
廊下に出てから観月はブンブンと首を横に振った。

(違う……そんなわけない……そんな事絶対にありえない……
なのにあたしは……あたしは……
恐ろしい想像をしてしまっている……)


####


同じ頃柊父は現場の調査を終えていた。
モンスターが埋まっているという土砂の下には、血らしき汚れが残っていただけで肝心の死体はなかった。
魔法生物といっても死んだら煙のように消え去るわけではない。
ルーシーが死んだらただの枯れたマンドレイクになるように、このモンスターも死体が残るはずなのだ。
それがないということは逃げたか、もしくは、より可能性の高いケースとして、何者かが「回収」したということだ。
もしもあのモンスターが、何者かが召喚魔法で呼び出したものならば、死ねば術者の召喚アイテムに自動的に回収される。
そもそもこの山にあんなモンスターは生息していないことを合わせて考えれば結論はただひとつ。
奴は誰かが意図的に放った。
その目的は、九澄の命?

それとも――

2012年6月9日土曜日

宿命の対決 がくぽ対メイコ

 拙者、神威がくぽと申すものでござる。
歌と剣の道を極めるべくこの世に生み出されて幾星霜、天はまだまだ遠かれど、
この日は町を歩き久方ぶりの休養を楽しんでいた。
穏やかな気候と住み慣れた町並みに心を癒していたそんな折にそれは起こった。
突如後方で轟音が鳴り響き黒煙が立ち上ったのだ。
人々が悲鳴を上げ我先にと逃げ惑うその中に、
よくよく見れば見知った男がいるではないか。
「カイト殿! これは一体どういうことでござるか!?」
その青い男は我が友人にして歌道の先輩格、人呼んでバカイト。
「おおっがくぽ! ラッキーちょうどいいところに来た!」
「ちょうどいい……?」
眉間にしわを寄せた拙者を意に介さず、カイトは轟音の鳴った場所を指さす。
煙の中に人影のようなものが見え、やがてはっきりとその姿が露わになった。
紅い服。紅い眼光。紅い髪。吐く息までもが紅かった。
それは炎のように紅い女だった。
「メイコ殿!!?」
否。
拙者のよく知る歌姫ではない。
邪悪にして強大なる闘気、そして骨の髄にまで伝わる憤怒の情。
あえて例えるならば――鬼。
これが恐怖というものか。
生まれて初めて頭がではなく肉体が恐怖した。
「かぁ~~~いぃ~~~とぉ~~~」
鬼がうめいた。
何らかの物体を持った右腕がゆっくりと掲げられる。
それは大型単車であった。
数百㎏はあろうかという鉄の塊を、傘のように軽々と持ち上げているのだ。
刹那、鉄塊が宙を舞った。こちらに向けて、恐るべき速度で。
「憤ッ!」
一瞬の判断にて左方に飛び退けかろうじてそれを躱す。
単車は地面に叩きつけられ爆音とともに四散した。
あと半秒遅ければ拙者もああなっていただろう。
「おっかね~」
カイトもまた拙者と同じ方向に逃げ延びていた。
弱いくせに逃げるのは得意な男だ……。
「説明してもらおうか、カイト殿」
「走りながらなっ!」
言うが早いかバカイトは青い首巻きをはためかせ後方に駆ける。
拙者はすぐにそれを追い、カイトの汚い尻に向けて怒鳴りつけた。
「早く話せいッ!」
「いや~それがさ~」
青い屑は最近の若者を象徴するような軽薄な顔で鼻の下の尻の穴から臭い音を出す。
「めーちゃんの着替え姿、こっそり隠し撮りしたのを
ニコ動に流してたのがバレちゃってさ。
いやーあんなに怒るとは思わなかったね」
「き、貴様うつけか! 天下一の大馬鹿者かッッ!!?」
「そんなに褒めるなって」
「褒めとらんわ!!!」
前方の痴れ者、後方の鬼神。
状況は最悪でござる。

「でもがくぽがいて助かったぜ。
おめーの剣術ならめーちゃんを峰打ちで気絶させることだってできるだろ?」
「拙者に責務を押しつけるつもりか!?」
青畜生は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「でないとおめーがめーちゃんのおっぱいハァハァって書き込んでたのバラすぜ?」
「知っていたのかぁッッッ!!!」
やはりこの男の家の無線LANを勝手に借用したのは失策であった。
通信費用を渋るべきではなかった……!
「貴様地獄に堕ちるぞ……」
「作られた命がか?」
自嘲気味に笑う青い悪魔。
そう、確かに我らは機械人形。所詮は人間達の玩具に過ぎぬ。
なれど。
「拙者は武士。武士には武士の誇りがある!」
こんな好機は二度とない、そう思った。
駆け足を止め、振り返る。
半身になって腰を落とし刀の柄に手を添える――居合の構え。
紅い鬼神は拙者を一瞥するや突進を止めた。
「がくぽ……あなたに用はないの。そこをどいて」
「どかぬ」
「さっさとどきなさい!」
「退くわけにはいかぬ!!」
互いの闘気がぶつかり合い、しのぎ合う。
足下の小石が震えるのを感じる。
それだけではない、この対峙に空間そのものが蠢いているのだ。
拙者は今までにない高揚感を感じていた。
拙者の知る限り現世で最も強い同胞メイコ。
今初めてそのメイコと本気で向き合っている――至福。
「貴殿とはいつか相見えたいと思っていたでござる。
それが今になっただけのこと」
「本気……なのね……」
鬼が構えた。
「我が剣に斬れぬ物無し」
腰をさらに落とし精神を一点に集約する。
しくじれば、死。
「  」
声なき声とともに踏み込む。
音の壁を越えた交錯。
楽刀・美振が唸りを上げ、美獣が咆吼した。



意識がなかったのはほんの一瞬であろう。
だが拙者は地を舐め、メイコは立っていた。
完全なる敗北だった。
「無念……」
もはや体は言うことを聞かなかった。
おそらく機体損耗率は50%を超えている。
「がく……ぽ」
ぎしぎしと歪な音を鳴らしこちらを向く紅い美女。
戦乙女もまた無傷ではなかった。
どうやら我が剣術もまるで通じなかったわけではないらしい。
……僥倖だ。
「貴殿の勝ちでござる」
生涯初の完敗は不思議と心地良かった。
あの永遠にも似た一瞬。あの喜びがあるからこそ剣術は滅びないのかもしれない。
拙者がそんな感慨に浸っていたその時だ。
青い人影が突如現れ拙者を飛び越えたかと思うと瞬く間にメイコに迫った。
損傷で上手く動けぬメイコの紅い唇をそやつは堂々と奪った!
「めーちゃん大丈夫?」
ぬけぬけと囁く青い糞。
恥知らずにも傷ついた美女の髪を撫で腰に手を回すと、
どういうわけかメイコの顔はみるみる朱に染まっていくではないか。
「バカ……」
「ごめんね、めーちゃんがあんまり綺麗だから、
世の中の人たちに見せたくなっちゃったんだ。
でもやっぱり間違っていたよ。
めーちゃんの美しさを知っていいのは僕だけなんだから」
「もうっ! あなたが私のこと裏切ったのかと思っちゃったじゃない!」
「そんなわけないよ。僕は絶対にめーちゃんを裏切ったりしない。
だってめーちゃんは僕の大事な恋人なんだから。
……好きだよ、めーちゃん」
「あたしもよ、カイト……」
「さあ、帰ろう」
「カイト? ふふっ、今日は一晩中頑張ってくれないと許してあげないんだから」
「わかった。今夜は寝かせないよ」
二人は肩を寄せ合い仲睦まじくその場を去っていった。
残されたのは地を這う拙者と、傍らで空しく横たわる愛刀のみ。
「あの阿呆共、いつか殺す……」
拙者は武士。武士には武士の誇りがある……。



2012年6月5日火曜日

エムゼロEX 5

第五話 林間学校〈1〉


雲ひとつない快晴、青々とした美しい自然。
涼やかな秋風が吹く爽やかな山中、リュックサックを背負い体操着で整列する生徒達の中で九澄大賀は一人冷や汗を流していた。

(まずい、例によってまたなんの対策も取らずに来てしまった……)

今日は聖凪校外行事の林間学校。
九澄たち一年生全員が、地元から遠く離れた霧崎山の麓に集められていた。
表向きは普通の林間学校ということになっており、生徒達にも前日までそう知らされていたが、通常校外に持ち出し禁止の魔法プレートを全員が持たされたことからもこれがただの平和な山登りなどではないことは明々白々。
なんで事前に教えてくれなかったんだよと柊父を問い詰めたいところだが、どうせ適当にあしらわれるのは目に見えている。
その柊父が生徒達の前で演説をぶっていた。

「もうみんなわかっていると思うが、ここは普通の山ではない。
 聖凪と同じく魔法特区の一つだ」

やっぱりな……という声があちこちから漏れる。

「とはいえ魔法磁場の強さは聖凪の半分以下。場所によってはもっと薄いところもあるだろう。
 つまり普段通りのつもりで魔法を使っても効果は低いということだ。
 逆に言えばそれだけ知恵と判断力、そして効率の良い魔法の使い方が試されるということになる。
 ……などと言ってはみたが、クラスマッチと同じく成績には関係のないただのイベントだ。
 あまり気負わなくていいぞ」

生徒達にほっとしたような空気が流れる中、柊父の隣に立っていた大木"大先生"がマイクを受け取った。
二人の身長差は40センチ近くはありそうだ。もちろん小さいのは"大先生"である。

「ただし! 上位の班には素晴らしいご褒美が、そして最下位の班にはちょっとした罰ゲームを用意しているぞ。
 ま、覚悟しておくんだな、ハッハッハ」

罰ゲーム、と聞いて九澄の脳裏に先日の忌まわしい悪夢が蘇る。
あの時は愛花の誤解が解けるのに数日はかかって死にそうな気分になったものだ。
とはいえ、班ごとの行動ならC組で最も優秀な九澄班(第6班)が学年最下位になどなるはずがない。
今回は楽勝だなと九澄は胸をなでおろした。
すると再び柊父がマイクを持つ。

「さて、バスの中で皆に配ったカードがあると思うが、それを見てくれ」

確かにここまでの道中どういうわけかすべての生徒に無地の白いカードが配られていた。
九澄がズボンのポケットに仕舞っておいたそれを取り出すと、そこには「17」という数字が浮かび上がっている。
なんだこれと訝しんでいるのは他の生徒も同じのようで、見れば人によってバラバラの数字がカードに浮かんでいるようだった。

「今日の目的の一つはクラスの垣根を超えた交流を持ってもらうことだ。
 そこで同じ数字の持ち主とその場で班を組んでもらう。いつもの班行動とは違うドラマが生まれるわけだな」

(いいっ!? それじゃあ誰と組むことになるのかわからないのかよ!)

ぶっちゃけ愛花と組めさえすればそれでよかった九澄にとっては手痛いルールだ。
この上もし小石川などと組むことになったらギスギスして班行動どころではない気がする。
グチグチ言っても仕方がないので運を天に任せる他ないが。

「その札を天にかざすと数字が宙に浮きだして遠くからでも見えるようになる。
 それを見て自分と同じ番号の持ち主を見つけて班を組んでくれ。各班の人数は三名だ」

試しにカードを頭上に掲げてみれば、なるほど「17」の数字が立体ホログラムのように飛び出して浮かび上がった。
周囲を見回して同じ17番を探す九澄。ちなみにやっぱりというか愛花は違う番号だった。

「お、17番見っけ! おーい、こっちこっち!」

手を振って人ごみをかき分けて数字の下に駆け寄る九澄。
そこにいたのは意外な人物だった。

「く、九澄!?」

「お、なんだ観月か」

どういうわけか観月は九澄の顔を見た途端耳まで真っ赤にして汗を流す。

「なななな、なんであんたが同じ班なのよ!」

「なんでっつわれても……単なるくじ運だろ。
 そんなに嫌なら誰かと代わろうか?」

すると観月は九澄の視界を覆うほど接近してつばを飛ばした。

「べべべべ別に変わらなくてもいーわよ!
 あんたが他の女の子に迷惑かけたら大変だから、しっかり『あたしが』見張っておきゃなきゃいけないでしょ!」

『あたしが』にアクセントをおいてまくし立てる観月の様子を見て、九澄は(俺嫌われてんのかな)と首をかしげた。

「それはそうとあと一人はどこだ?」

九澄があたりを見渡すと、背後にちょこんと小さな女子が立っていた。

「あのー、私だと思います」

黒髪ショートに丸メガネ、小柄で童顔な女子生徒が右手を遠慮がちに上げている。
その手の中の札からは17番の文字が浮かびあがっていた。

「おお、おめーがそうか! ……ごめん、名前なんだっけ?」

執行部員の習性として学年中の生徒の顔を大体覚えている九澄だが、こういう地味系の女子は穴だったりする。
見たことがある気はしても名前までは出てこない。

「……A組の初貝です」

ぎりぎり聞こえる程度のか細い声でその少女、初貝真由はそう答えた。

「ハツガイな。俺はC組の九澄」

「知ってます」

初貝は当たり前の事を言わせるなとばかりに九澄の言葉を遮って観月の前に歩み寄った。

「観月さん、よろしく」

「ど、どうも。よろしく……」

無視されたも同然の九澄はぽつんと突っ立ったままだった。

(……と……とっつきづらそうな奴だな……)


####


オリエンテーリング。
それが今回の林間学校におけるメインイベントである。
ルールは非常にシンプルで、山中に置かれたいくつかのチェックポイントを通過して帰還する、その速さを競う競技だ。
多くの学校で課外活動の一環として行われているので知名度は高いが、本来はグループでおしゃべりなどしつつゆっくり歩くものではなく、オリンピック採用をも目指しているハードなスポーツだったりする。
当然意地の悪い聖凪教師陣がお気楽ハイキングを推奨するはずもなく、地図を渡された生徒達は一様に目を丸くした。

「先生、これ、まともな道がほとんどないのでは?」

F組の大門が手を上げて質問する。彼の隣に立っているのは九澄にとってお馴染みの黒髪セミロングの女の子。

(ひ、柊が大門と同じ組にいるゥゥゥゥ!!!???)

眼球が飛び出んばかりに驚愕する九澄を気にかけるのはずっと彼を見つめている観月以外にはおらず、柊父が淡々と質問に答える。

「ほとんどというか、全くないな。なにせ私有地だ。誰も整備するものなどおらん。
 とはいえ別にそこまで険しい山でもない。地図とコンパスをしっかり見ながら焦らずじっくり進めば危険はないはずだ。 
 よしんば『何か』あってもお前達には魔法もあることだしな」

柊父がわずかに口の端をつり上げる。勘の良い者なら彼ら教師たちが何らかの「障害」を用意していることに気付いただろう。
無論九澄はそれどころではなかったが。

(大門の奴、くだらねーことしやがったらコロス……!)

ほとんど涙目になりながら遠方の優男を睨みつける九澄であった。


####


「い、いやー。山の空気は気持ちいいよなあ!」

「……」

「……」

「虫の声を聴くと心が洗われるようだぜ!」

「……」

「……」

(か、会話が成立しない……)

山に入ってから30分あまり。九澄は森の中でテンションダダ下がり中だった。
ほぼ初対面の初貝と会話が弾まないのは仕方がないが、親しいはずの観月までほとんどだんまりというのはどういうことか。
見れば彼女はなぜか口をへの字に曲げ頬を赤くしてうつむいている。
もしや。

「風邪引いてるのか観月?」

「べ、別に引いてないわよ! 全然平気よ!」

一応元気のようだ。
いつもながらよくわからん奴だと九澄は肩をすくめた。

(あーもう! せっかく九澄と距離を縮めるチャンスなのにあたしってば何してるのよ!)

観月は自分の不器用さを恨んでいた。
神がくれたこのチャンス、無駄にしてなるものかと思いつつも、いざ何か言おうとすると固まってしまうのだ。
どうする。どうすればいい。
観月の頭脳はいつになくフル回転していた。
――例えば九澄がこんな風に話かけてきたとする。

(今日の観月……いつもより綺麗だぜ)

(あ……ダメよ九澄……初貝さんが見てるのに……)

(気にするな、今俺の瞳にはお前しか映っちゃいないさ)

そして九澄の唇が観月に迫り……

「カヒーーーーーーーー!!!!」

そこまで考えたところで観月の頭が沸騰した。

「や、やっぱりよく分かんねーやつ……」

九澄がポカンとしていると、背後から突然声をかけられる。

「あのー九澄君」

「うおっ!?」

ビクリとした九澄だったが、振り返ればなんのことはない。初貝だ。

「な、なんだ……いきなり話しかけてくるからビビった……」

初貝は九澄の失礼な言葉には反応せずマイペースで話を続ける。

「今あたしたちどのあたりにいるんですか?」

「あー、もうちょっとで一つ目のチェックポイントのはずだぜ。
 そこまで行ったらちょっと休もうか?」

九澄は地図を広げながら答える。
ようやく会話が成立したのが少し嬉しい。

「あたしなら大丈夫です。あまり他の班に遅れたくありませんし」

「そ、そう……」

淡々と前に進む初貝の無表情を見て、やっぱりこの子話しづらいと九澄は思った。
とはいえあまり遅くなりたくはないというのは事実だ。
罰ゲームというのは内容がなんであれゴメンである。
しかも今回、班ごとに異なるチェックポイントが指定されているため他の班の動向はわからない。
なんとも意地の悪いレースなのだ。

(せめてルーシーを連れてくりゃ良かったな……
 でもまさかこういう趣向のイベントだとは思わなかったからな)

いないものはしょうがない。
かくなる上はとにかく地道に進むのみ。
しばらく無言のまま歩いていると、森を抜けた先にチェックポイントらしき魔法玉が見えてきた。
ちょうど崖の下の日陰になっている場所だ。

「ちょうどいいや。ちょっとだけ腰下ろしていこうぜ」

九澄が日陰にある石の上に座り込むと、観月はしばらくためらったあと九澄のすぐ隣に座った。
それこそ手を伸ばせば肩を抱くこともできる距離だ。
九澄が真横の美少女をちっとも意識せずリュックから取り出したペットボトルの水を飲んでいると、なにやら強力な視線を感じた。

「……なんでこっち見てんだ?」

「べ、別になんでもないわよ」

「ふーん」

「……」

「……あのさ、お前今日俺のこと無視してね?」

九澄が迷いがちにそう尋ねるのを見て観月の血管が浮き出る。
なんだこの男は。本当になんにも気付いていないのか。
なんであたしがこんな男に振り回されないといけないんだろう?
観月は自分のわかりにくい行動は棚に上げて怒りを湧き立たせる。
だがそれでも、この眼の前の男の邪気のない瞳に見つめられると観月はそれ以上何も言えないのだった。

「そ、そういえば初貝さんどこ行ったんだろー?(棒)」

それは話題を変えるために無理にひねり出した一言だったが、実際初貝はいつの間にかいなくなっていた。
自分の言葉でようやくそれに気付いた観月は辺りを見回すが、小柄なショートボブの女の子などどこにも見当たらない。

「あれ? そういえばいねえな。まさか一人で先に行っちまったのか……?」

九澄も何も把握していないようだった。
これはまずい状況だ。班が揃っていないとチェックポイントの認証ができない。
そもそもこんなまともな道もない、おまけにどこにトラップがあるかもわからない山を、女の子一人で単独行動するなど危険すぎる。

「ま、まずいよこれ! 探しに行ったほうがいいんじゃ……!」

観月が腰を浮かせると、九澄が勢い良く立ち上がる。

「俺が行く! 観月はここで待っていてくれ! 全員バラバラに動いちゃもっとマズイ!」

「う、うん!」

九澄の真剣な表情と力強い言葉に観月は首を縦に振るしかなかった。

(あーあ、結局あたし九澄のこういう責任感が強くてちょっと強引なところに惚れちゃってるのよね)

腰を再び降ろしながら観月は溜息をついた。
惚れた弱みというやつはまったくどうしようもないのだ。
だが九澄が捜索を開始することはなかった。
ちょうどその時森の中から女性の悲鳴が聞こえたからだ。

「た、助けてーーー!」

叫びながら森から飛び出してきたのは初貝真由その人だった。
九澄たちの手前で膝に手をつきゼエゼエと息を切らせる。

「お、おい、どこに行ってたんだ。何があった?」

初貝が答えるより早く、今度は森の中から不気味な轟音が響いた。
何かが壊れるような大きな音に続いて一本の木がめきめきと唸り、ゆっくりと倒れた。
森の中から現れたのは、大型のヒグマほどもあろうかという見慣れない生物。

それは地球で知られているどんな動物とも違っていた。
サイを思わせるツノに虎のような牙。
ゴリラのような毛皮に覆われた二本足の猛獣。
いや、猛獣というよりも。

「モンスター……!」

観月が声を震わせる。

「お、おい、モンスターってまさか……!」

九澄の言葉に初貝が答える。

「……聖凪においては、人間に危害を加える恐れありとされる魔法生物のことを指します。
 あのモンスターは前に図書室の図鑑で見ました。
 確か……危険レベル5の"シーバン"」

「レ、レベル5って……そんなの一年生に倒せるわけないじゃない!!」

一年生の魔法力ならレベル2を倒せれば上出来だ。
以前の魔法授業で教師の一人がそう言っていた。
そもそも一年生は本格的な戦闘を経験することはないとも。
なのにレベル5のモンスターなど想像もつかない。

「そう……私達ではとても歯が立ちません。だけど……」

九澄は背中に2つの視線を感じ寒気を覚えた。
とてつもなくまずい事態になっている。

(九澄なら……!!)

観月はスーパーヒーローを見るような目で九澄の背中を見つめる。
九澄は全身から冷や汗が流れるのを感じた。

(どーすんだよこれ……!)


####


一昔前のロックギタリストの様な容姿に似合ってるんだかいないんだかわからないドクロのバンダナ。
いろんな意味で特徴的な魔法執行部1・2年生支部・支部長永井龍堂は、椅子に座って一枚の紙を凝視していた。

「……本気でこんな企画を通すつもりなのか?」

彼の前に座っている女子生徒が頬を緩める。

「もちろん」

何をアタリマエのことを、と言わんばかりのきっぱりとした返答。
永井は上目で女子生徒の表情を確認する。
栗色ショートのややクセのある髪に紅いメガネをかけた少女が楽しそうに微笑んでいる。

「根回しと準備は全部こっちで受け持つから、永井くんはなんにもしないで結構よ。
 ただ邪魔をしないでいてくれればいいだけ。
 自分がこの件に関われないことに文句なんて無いでしょう?
 こういうの興味なさそうだもんね」

永井は苦々しく舌を打つ。

「俺は良くても不愉快に思う者はいるだろう。
 特に伊勢の奴は絶対に納得しないはずだ」

「お構いなく。それもこちらの問題だから。
 じゃ、そういうことでヨロシク」

席を立つ華奢な女子を永井は声で静止した。

「待て、本当にあいつがこんな話に乗ると思っているのか?
 あいつが魔法をケンカの道具にしないことぐらいは知っているはずだ。
 魔法をむやみやたらに使いたがらないということも。
 まして全校生徒の見る前で力を誇示したりはしないだろう」
 
女子生徒は振り返らずに答えた。

「ま、人には色々事情はあるんでしょうけど……永井君、君だって見たいでしょ?
 九澄くんの本当の実力をさ」

永井には否定できなかった。
むしろ確かにそれが自分の本音なのだろうと感じてしまった。
認めざるをえないのだ、この企画はあまりに魅力的に見えるということを。

「永井君は誰が勝つと思う……?
 三年生の巨星たち?、怪物一年生九澄大賀? それとも……」

永井はゴクリとつばを飲み込んだ。

エムゼロEX 4

第四話 生徒会魔法執行部部長・“ウィザード”夏目琉


生徒会魔法執行部部長。
それこそが聖凪学園で最も恐れられている役職の名である。

「三年生訪問?」

永井の呼び出しに応じ二年生部室に集まった執行部一年生一同は、支部長からの命令に目を丸くした。

「そうだ。お前達が入部して以来、何かと忙しくてそんな暇がなかったんだがな」

永井が九澄の背を叩いた。
聖凪高校では一・二年生校舎と三年生校舎がはっきり分かれている。
通常生徒が別の校舎を訪れることはないため、同じ執行部といえど一年生が三年生と顔を合わせることはない。
しかし慣例では一年生執行部は正式発足後すみやかに三年生のもとを訪問し、交流の機会を持つことになっている。
その折に先輩方からのありがたーい経験談や説教を聞くという趣向である。

「ついさっき連絡があって、すぐにお前らを寄越してくれとのことなんだ。
 まあ急な話だがどうせいつかはやることだ。仕事は俺達二年に任せて行ってきてくれ」

三年生校舎までの2キロほどの道のりを九澄たち七人が歩いていた。

「っにしても急だよな。相変わらず人使い荒いぜ執行部はよ」

九澄が苦い顔をしてぼやく。

「そう言うな。せっかく普段会えない先輩に会える機会なんだ。
 彼らはこの学校で最強クラスの実力者なんだよ」

大門の足取りは軽かった。魔法の腕を磨くことに誰よりも熱心な彼にとって、噂でしか知らない三年生の実力を見れる機会など願ってもないことだ。
ぜひいくつか得意魔法を披露してもらおうと小柄なエリート一年生は考えていた。

「あたしも楽しみだな。きっと凄い人達なんだろうな」

愛花が大門の言葉に頷くと、九澄は途端に歯ぎしりした。

三年生校舎の見た目はいたって普通だった。
何人かはなにか凄いものを想像していたのでがっかりしていたが、九澄は最初から乗り気でなかった。
前に三年生執行部の滑塚という男に腕試しを挑まれて以来、彼らと関わりたくなかったからだ。
もし勝負を挑まれたりしたらなんと言ってごまかそうかと九澄は悩んでいた。
約束の正面玄関前にたどり着くと、どこからともなく女性の声が聞こえてくる。

「はいはいみなさーん、こっちについてきてねー」

声の主は宙に浮いているクマのぬいぐるみだった。
手招きしてどこぞに飛んでいくイマイチ可愛くないぬいぐるみに驚く者はもちろんここにはいない。
三年生にとってはお菓子でも食べつつケータイをいじりながらでも使えるような魔法だろう。
ぬいぐるみに招かれた場所は校舎の中ではなく、そこから少し離れた場所にある建物だった。
そこは簡素な小さい体育館といった面持ちでさほど広くは見えなかったが、中に入ると校庭に匹敵する大きさだった。
野球の試合ぐらいなら難なくできそうな面積と天井の高さだ。

「魔法空間……」

影沼のつぶやきは誰も聞いていなかった。
広さだけではない、その空間特有の妙な空気に圧迫されていたのだ。
その空間の中央で二人の男が向かい合っている。
短髪の男は今にも掴みかかりそうな険悪な表情。
長髪の男はどこ吹く風とばかりに余裕の表情だ。

「やっと来たねボーヤたち。もっとチャッチャとして欲しかったんだけど」

ぬいぐるみが飛んでいった先には四人の生徒が集まっていた。
その中には九澄が知っている顔もある。
額の広い大柄な男、以前九澄に挑んできた滑塚亘だ。
彼の隣でぬいぐるみを肩に乗せているのは抜群のスタイルを誇る美少女。

「彼らが……三年生執行部」

大門は気圧されていた。
ただ立っているだけの彼らから、静かにして強烈なプレッシャーを感じる。
間違い無く今の自分では歯が立たない一流の魔法使いたち。
大門は固く握った拳が汗でにじむのを感じ、微笑んだ。
彼らが期待通りの強者だったことがたまらなく嬉しかった。

「はじめまして先輩方。大門高彦といいます」

「あっテメー自分だけ! おねーさま、俺竹谷和成!
 カズ君って呼んでくださーい♪」

竹谷は四人の中でもひときわ目立つ美少女に擦り寄る。
その鼻の下は見事に伸びきっていた。

「なんつーみっともねー奴……」

九澄が口をぽかんと開ける。
竹谷は真剣な顔で九澄に振り向いた。

「お前このお方を知らんのか! 俺は一目でわかったぞ、この方が執行部副部長、時田リサさんであるということが!」

「時田……?」

その名前には聞き覚えがあった。たしか伊勢あたりがよく口にしていたような。

「"Gの時田"か!」

九澄の頭にイナズマが走る。
一年生最強バスト、禁断のGカップ。何もせずとも名が売れるB組のリーサルウェポン時田マコ。
愛花以外の女性に興味がない九澄でも、何度か彼女に目を奪われたことがあることは否定出来ない事実である。
そして目の前の美女は、信じられないことに時田マコ以上のスタイルの持ち主だった。
爆弾級のバストにきゅっとくびれたウエスト、群を抜いて長い脚、小さな形良い頭と大きな灰色の眼。
こんな人類が実在するのかと思ってしまうほどずば抜けた肢体だ。

「立っているだけで罪、歩く姿は犯罪級!
 彼女こそは聖凪のビーナス、時田リサ様なのだ!」

力の限り彼女を称える竹谷は、オープンスケベ男の伊勢とは違う意味で危ない奴に見えた。
当の時田は余裕の笑みを浮かべつつ、人差し指を立ててウインクする。

「ありがとうカズ君。でも妹はウブだから乱暴しちゃ駄目よー?」

「んモチロンですっ!!」

だめだこいつ。九澄はおもいっきりそう思った。

「挨拶はもういいだろ一年ども」

喧騒をさえぎる堂々とした声の主は空間中央に立っている長髪の男だった。
全員の視線がその男に集まる。
男は九澄と目を合わせ、ニヤリと笑う。
得体のしれない寒気が九澄の背に走った。

(あ……あいつは……)

「九澄くん?」

愛花が声をかけるが、九澄は男から目を逸らすことができなかった。
冷たい汗が九澄の背中を流れる。

「ヘヘ……自己紹介されなくてもわかっちまった……。
 あいつだけ他の連中と明らかに違うじゃねえか」

九澄は冷や汗をかきながら苦笑していた。
ここにいる三年生全員怪物クラス、だが目の前のこの男はその中でも群を抜く怪物の中の怪物、怪物の王。
ケンカ慣れした九澄に備わった、強者を見ぬく勘が最大音量で警報を鳴らす。
これほどの威圧感を姉の胡玖葉以外から感じたことはない。

「つまりあいつが三年生最強の男、執行部長ってわけだ」

「いい目をしてるじゃないか九澄大賀。
 伊達にゴールドプレートは持っちゃいないな」

男が口の端を吊り上げる。

「へっ……プレートの色なんかで本当の強さはわかんねえよ」
(帰りて~~!)

九澄は心底そう思った。
そのやり取りを見て時田リサが微笑む。

「夏目くん、嬉しそーじゃない。待ち望んだ恋人に会えた気分ってやつぅ?」

「茶化すな時田」

「あはは、ごめんごめん。……さて一年生諸君、お察しの通り彼がウチの部長。
 魔法執行部部長・夏目琉〈なつめりゅう〉、通称"ウィザード"。
 聖凪高校全生徒八〇〇人の頂点に立つ男よ」

一年生全員がつばを飲み込んだ。
すると夏目と向き合っている短髪の男が口を挟む。

「くっだらねーお話はもう済んだかよ?」

「ああ、始めようか」

夏目が不敵に笑って右手を伸ばし、指先をクイクイと曲げ挑発した。

「いつでも来いよ、『挑戦者』」

男が顔を歪めてプレートを握る。
そして何事かを叫んだ。

「始まったか……」

滑塚がつぶやく。
一年生は皆戸惑っていた。竹谷が時田に訪ねる。

「リサさん、これは一体何なんですか?」

「挑戦者よ、久しぶりのね」

時田は楽しそうだった。

「三年生執行部って結構暇なのよ。夏目くんが強すぎて、だーれも逆らえないんだもん。揉め事なんか起こせないの。
 でも時々ああやって命知らずの挑戦者が現れるわけで、それに応えるのも執行部長の仕事みたいなもんね。
 夏目くんはね、こういうイベントを何よりも楽しみにしてるのよ」

挑戦者の背後の影から巨大な物体が浮き上がる。
それは身の丈四メートルはあろうかという漆黒の物体になった。

「影を実体化したんだ!」

影沼がここぞとばかりに解説する。
ここで目立たなければ次はいつになることか。

驚くべきことに影は召喚主である挑戦者自身を飲み込んだ。
すると影は人型に変わっていき、ついには明確な形に定まる。
中世ヨーロッパチックな鎧姿に巨大な剣。それはまさに漆黒の騎士と呼ぶべき存在だった。

「凄い……この距離でも凄まじい魔法力を感じる……。
 あの大きな影で自分を包み、最強の鎧に変えたんだ。いわば戦闘ロボットに乗り込んだようなもの……」

影沼次郎、渾身の解説。
しかし誰も聞いていなかった。声が小さいんだから仕方がない。
時田が言葉を続ける。

「君達を今日呼んだのはこのバトルを見せたかったらなのよ。
 夏目くんが君達に知って欲しがっているの。『頂点の高さ』ってやつをね。
 あたしはめんどいからさっさと終わらせてよーって頼んだんだけど、人使いが荒いんだよねー彼」

頂点は未だ一歩も動かないままだった。
漆黒の騎士が一気に距離を詰め、大剣を振り下ろす。
夏目はギリギリのタイミングで横に跳ね、かわした。
剣は床に激突して轟音とともに数メートルの亀裂を生み、振動が九澄たちをも揺らす。
夏目は口笛をヒュウと鳴らし着地した。











「大した威力だ。まともに食らっちゃ命が危ないな」

「ならどうする!」

騎士が叫んだ。
夏目は余裕の態度で頭をポリポリとかく。

「この魔法力、お前にしちゃでか過ぎる。
 それにこのいびつな魔力圧……魔法力加算〈アディション〉か」

騎士の動きが一瞬止まる。
表情のない仮面が一瞬うろたえたように見えた。

「なぜ分かった……!?」

「なんだ当たりだったのか? そういう時は適当にとぼけとけよ」

夏目が首を振る。やれやれと言っているかのような仕草だ。

「アディション……ってなんだ?」

九澄が滑塚に尋ねた。

「魔法プレートに他人の魔法力を上乗せすることさ。
 うまくすりゃ本来の限界の倍以上の力を持たせられる。
 だがそのかわり不安定でコントロールは困難、おまけにあっという間にMPを使い果たしちまう諸刃の剣だ。
 ……ま、本来一対一の魔法バトルじゃ禁じ手だよ」

禁じ手という言葉を使った滑塚の口調に怒りはこもっていなかった。

(確信してるんだ、あの部長はそれでも負けねえってことを)

騎士が縦に横に剣を振るう。
夏目はそれを羽が生えているかのような軽やかな動きでかわし続ける。

「何人に協力してもらった? 三人ってとこか?
 だがアディションを使った魔法プレートはあっという間にバランスを失うことぐらいは知っているはずだ。
 このまま攻撃を避け続けるだけでお前は勝手に崩れちまう。
 だろう?」

「そんな勝ち方をしてみやがれ、学校中にてめえが腰抜けチキン野郎だと言いふらしてやる!
 てめえが最強を名乗るなら勝ち方ってもんがあるだろう! ウィザードさんよ!!」

「なるほど、最初からそうやって挑発することで、俺に真っ向勝負を受けさせるつもりだったってわけか」

夏目は余裕の笑みを保ち続ける。

「卑怯だと言いたいか?」

「まさか」

夏目の動きが止まった。
直立したまままっすぐに騎士を見上げる。
釣られて騎士も一瞬静止する。

「一手やろう」

「あぁ?」

夏目の切れ長の目が獲物を狙う蛇のように大きく開かれ、不気味な威圧感が観戦者にまで届く。

「一手好きなように打たせてやる。それで俺を、殺〈と〉れ」

「なっ……!」

「俺を、殺れ」

直立不動のまま、なんの迷いもない声でそう言い切った。

「ふざけるなあぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」

それは一瞬のことだった。
足元のウィザードに向けて、騎士が真上から大剣を振り下ろす。
大剣が最高のタイミングで夏目を捉えたかのように見えた瞬間、轟音とともに砕け散ったのは剣のほうだった。
夏目が何かアクションを起こしたようには見えない。彼はただ立ったまま。

「!?」

何が起こったのか誰にもわからなかった。
夏目は悠然と騎士を見上げ、騎士は剣を振り切った体勢のまま動きを止めている。

(呆然としているんだ)

表情が読めなくともその動揺は確実に観戦者たちに伝わっていた。

「残酷なやつだ……」

滑塚がぼやく。
直後、夏目は左手の手のひらをまっすぐ突き出した。

「雷砲」

ウィザードが本の題名を読むような淡々とした声で魔法を唱える。
直後、騎士の全身を特大の電撃が包んだ。
おびただしい発光が観戦者たちの視界を奪う。
数秒後、九澄がようやく目を開いた頃、騎士の鎧は音を立てて崩れ始めた。
破片が地面に溶けて元の影に戻っていき、最後には生身の挑戦者だけが残される。
男は地面に両膝をつき拳を震わせた。

「ちくしょう……!」

「まあいい線は行っていたがな。
 健闘は讃えてやるさ」

夏目が男を見下ろす。
慰めでもリップサービスでもなく、王者の余裕から出る発言だった。

「ちくしょうちくしょうちくしょう!!
 あんなに努力したのに……アディションまで使ったのに……!
 なぜだ! どうしてこんなに違う!」

男は地面を叩き、うめく。
その顔はぐしゃぐしゃに歪み、肩も声も震えていた。

「俺とお前の、何が違うってんだ……!」

誰も何も言えなかった。
夏目も周りの面々も。
ややあって男は立ち上がり、闇雲に走り去るようにして部屋を後にした。
皆がそれを黙って見送り、男が見えなくなった後ようやく時田が口を開く。

「さて! 今日も我らが夏目くんの圧勝だったね!」

滑塚がうなずく。

「やる前からわかっていたことだけどな」

九澄たち一年生は皆呆然としていた。
今目前で繰り広げられた戦い、それは彼らの知る魔法バトルのレベルというものを遥かに凌駕していたのだから無理はない。
特にあの恐ろしい相手に本気を出したようにも見えない夏目の強さは底が知れなかった。
違いすぎる。遠すぎる。

「おやおや、一年生のみんなにはちょーっと刺激が強すぎたかな?」

時田が腕を組んで苦笑する。そして九澄の方を向きその大きな瞳を輝かせた。

「でも一人だけ違う感想を持った人がいるんじゃない?
 九澄大賀くん」

「いいっ!?」

九澄に視線が集まる。
誰もが認める一年生最強の男はこれを見て何を思ったのか。
九澄はぎこちない笑みを浮かべて頭をかいた。

「ま、まあさすが三年生の執行部長だとは思ったかな。
 他の連中とはちょっとばかし違うなーっと」

「ふっ、ちょっとばかし、か……」

スラリとした長身に程よく引き締まった筋肉、端正な顔立ちにサラサラの長髪。
ウィザードの名に恥じない風格と威厳を持つ男が嬉しそうに目を細める。

「さすがはゴールドプレート、俺を相手にしても負けるつもりはないというわけか」

「い、いや、勝ちとか負けとか、別に勝負なんて馬鹿らしいだろ」
(勝てるかーーーーー!!)

九澄の心の声を聴くものはもちろんいない。

「なるほど、力を誇示したがらないという話は本当だったか」

夏目は滑塚に目を向ける。

「滑塚はお前に関してこう言った。サシなら俺より上かもしれない……と。
 俺のまともな相手がいなくなってから随分経つ。
 お前なら俺を楽しませてくれると思っているんだがな」

「だ、だから俺は魔法をケンカの道具になんかする気はねえし!
 俺にとって魔法は、みんなが幸せになるための夢の道具なんだ!」

九澄が力強く拳を突き出す。
夏目はそれを見て声を上げて笑いだした。

「はっはっは! 初めてだよお前みたいな奴は!
 気に入ったぞ九澄大賀! お前に任せときゃあっちの執行部は安心だろうな!」

「な、なんかあんなに嬉しそうな夏目は初めて見るな……」

滑塚が戸惑ったように声を漏らす。

「九澄くんらしいな、ああいう自分の強さを絶対にひけらかさないところ」

愛花が嬉しそうにそうつぶやいたのを聞いて、大門の眉間にシワが寄った。

「くっくっく、だがな九澄。俺は予感がするんだ。
 近いうちにお前と一戦交えることになるような予感がな……」

縁起でもない。

「その時を楽しみにしているぜ、怪物一年生」

(か、関わりたくね~っ)

九澄は心底さっさと帰りたかった。
結局このあと一年生ズは三年生の部室に招かれお茶と自慢話を振舞われたあと帰路についた。
帰り道の途中で竹谷がつぶやいた、「凄かったなー」という感想が全てだった。


*****


夏目に敗れた男は校庭の影で校舎にもたれ座り込んでいた。
敗北したこと以上に、まるで通用しなかったという事実が男を打ちのめしていた。
打倒夏目を目指した1年以上の努力はまったくの無駄だったのだ。
生気の抜けた顔でぼんやりと地面を見つめる男の前に、別の男が歩み寄ってきた。
背の高い、無駄なく鍛えあげられた体と鋭い目を持つ狼のような男。

「死んだような顔してるじゃねえか。
 結果は俺の言ったとおりだったみてえだな」

「……俺を笑いに来たのか」

「それだけでもねえ。いまどき奴に挑むだけでも大した度胸だって褒めてやろうと思ったのさ」

「……お前はどうする気なんだ。
 口先だけで最後まで逃げ続けるのか?」

「そう焦るんじゃねえよ。物事には時期ってものがある。
 だがとうとうその時が近づいてきてるのさ……」

狼のような男が大きな口を歪めてニヤリと笑う。
一切の不安を感じさせない自信に満ちた笑み。

「近いうちお前に……いや全校生徒に見せてやるさ。
 "ウィザード"が敗北にまみれる瞬間ってやつをな」

エムゼロEX 3

第三話 いつかこの日の思い出を


その日はまったくもって平和な朝だった。
きっといつも通りの日常が始まるのだろうという九澄の期待は、聖凪の敷地に入った途端裏切られることになる。
何事なのか、黒山の人だかりが校舎の前にできていた。

「なんだなんだ?」

九澄は手近にいたスケボーバンダナこと津川に声をかける。

「あっ九澄! あそこにすっげー可愛い子が来てるんだよ! 転校生じゃねーかな?」

「転校生?」

九澄が人ごみをかき分ける。
その中心には髪の長い女子生徒の後ろ姿があった。
聖凪の制服に身を包み、腰の下まで届くきらめくような金髪を持ったその少女が不意にこちらを振り向く。
その瞬間九澄は目を見開き絶句した。

「大賀ーーーー!!」

突然突進するような勢いで少女が九澄に飛びついてきたので、そのまま九澄は尻餅をつき押し倒されたような格好になってしまう。
女の子特有の柔らかい感触と甘酸っぱい香りが九澄を包んだ。

「お、お前まさか……」

少女は大きな赤い瞳をキラキラと輝かせる。

「そうだよ! ルーシーだよ大賀!」

「なぬーーーーー!!!???」

マンドレイクにして手乗りサイズの美少女ルーシー。
彼女が人間のサイズになって九澄の前に現れたのだ。
突然すぎる事態に九澄は顔を真っ赤にしてうろたえることしかできない。
しかも目の前の彼女は単に大きくなっただけでなく、外見そのものも中学生相当だった以前から超高校生級に進化を遂げ大変な美少女となっていた。
いかに九澄が愛花一筋といっても、こんなS級美少女に抱きつかれて平静ではいられない。

「九澄ぃ~こりゃ一体全体どういうことだ!」

伊勢が号泣しながら九澄を問い詰める。
そう言われても九澄にも説明できるはずがない。

「いや……うーん参ったな……。
 おいルーシー! ちょっとこっち来い!」

「きゃっ♪」

大賀は身を起こして強引にルーシーの手を引っ張り走りだした。
人ごみを押しのけ脱兎のごとく駆けていく二人の背中に伊勢が叫ぶ。

「おい九澄どこ行くんだよ!」

「わりーな! 一時間目は遅れるって先生に言っといてくれ!」

後には茫然とする数十人の生徒が残された。


####


校長室。

「なるほど、それは珍しいことが起こりましたね」

「そんな呑気な話じゃねーよ校長先生! なんでこんなことになってるんだ!?」

「それはルーシー本人に聞いてみないと」

「ルーシー!」

マンドレイクの美少女は困ったように微笑んだ。

「それがあたしにもよくわからないんだ」

「なぬっ?」

ルーシーは目をつむり、自分の胸の上に手を置いて嬉しそうに微笑む。

「毎日願っていたの。人間になって大賀のそばにいれたらなあ……って。
 今日目が覚めたら校庭の芝生の上にいて……」

ゆっくりとまぶたを開くルーシー。

「こうなってたんだ」

ルーシーが頬を染めて九澄を見つめると、九澄も釣られて顔を赤くしてしまう。
顔立ちそのものは以前とさほど変わっていないが、ぐっと大人っぽくなった上に人間サイズになったことで受ける印象が全く違っていた。
好み抜きの客観的な美人度でいえば、最愛の愛花ですら敵わないだろう。

(って、なにルーシー相手に見とれてんだ俺は!)

九澄は体ごと顔を逸らして唇を噛む。
片想いとはいえ、九澄にとって愛花以外の女性に目を奪われるのは浮気しているも同然なのだ。

「もーっ! 大賀ってば照れないでよーっ♪」

「ば、ばかっ! くっつなルーシー!!」

あらあらうふふと校長が目の前の青春ドラマを楽しんでいると、九澄がルーシーに抱きつかれながら机を叩いてきた。

「校長先生!」

「あら、どうしたのかしら九澄くん」

汗をたらす九澄に対し校長はのほほんと悠長に構えている。

「どうすりゃいいのかわからねえよ……」

「あら簡単ですよ。成り行きに任せてしまえば良いのです」

「いいっ!?」

校長はいつも通りニコニコと微笑んでいる。

「何事も経験、特に若い時分は経験こそが金銀財宝にも勝る財産となるのです。
 その上で自ら道を選びなさい。
 ルーシー、あなたはどうしたいのですか?」

ルーシーは九澄の首に抱きついたまま天井を見上げ、んーとしばらく考えこむ。
そして顔を赤らめながら遠慮がちにつぶやいた。

「あたしは……大賀と同じクラスに入りたいな……」

「もちろん結構ですよ」

校長は全く迷わず首を縦に振った。驚いたのは九澄だ。

「こ、校長先生! そんなことしていいの!?」

「構いませんよ。柊先生には私から説明しておきましょう。
 今から二人で教室に向かいなさい」

「やったー! 校長先生大好き!」

今度は校長に飛びつくルーシーと裏腹に、九澄はこの先何が起こるのかと不安を感じた。

(だけどルーシーのやつ、くっついた感触はあったかくて柔らかくて……
 ……本人が喜んでるならまあいいかもな……)


####


「アメリカから来ました、ルーシー・ドレイクです! みんなよろしくね♪」

うおおおおおおおお!!! とクラスの男子が一斉に雄叫びを上げる。
女子も大半が「綺麗!」「カワイイ!」「お人形さんみたい!」と、感嘆の声を上げた。
そんな中、ひとり愛花だけは呆気にとられていた。

「ルーシーちゃん……ウソ……」

間違いない、彼女だ。
どうやって大きくなったのかわからないが、マンドレイクのルーシー本人に間違いない。
愛花は自分がなぜこんなにも不安定な気持ちになるのかわからなかった。
どうしてルーシーと目を合わせることができないのかもわからなかった。
ただうつむいて顔を背けることしかできなかった。

壇上の柊が大きく咳払いをして教室を静める。

「あー、じゃあ最後列に席を用意しといたから、あそこに座ってくれルーシー」

柊が空席を指差すと、ルーシーは目をキラキラさせて柊の方を向いた。

「柊センセー! あたし大賀の隣の席がいいなー」

「む、そうか……じゃあ津川、お前が後ろに行け」

「はいいっ!?」

津川がガタンと立ち上がる。

「ちょ、先生、そりゃ強引じゃないですか?」

「津川駿、今学期の魔法成績Dマイナス……と」

「だーーわかりました! 移動します!」

渋々荷物をまとめて後ろに移動した津川に代わってルーシーが席に着いた。
隣の大賀を向いてにっこりと微笑むルーシーを見て愛花はますます平静ではいられなくなる。
あと少しで泣いてしまいそうな気さえした。

一体この気持はなんなんだろう。
愛花にとってルーシーは大切な友達だ。
彼女が人間ではないことは知っていても、本当の友達だと思っていた。
なのになぜ自分は、彼女が人間として現れたことにうろたえているのだろう。
なぜ九澄くんに笑いかけるその姿を見るのが辛いのだろう。
なぜ。

教科書を持っていないという理由で、ルーシーは授業中ずっと九澄の脇にぴったりくっついていた。
男子一同の嫉妬の視線を一身に浴びながらも九澄はそれどころではなく、ルーシーの甘い香りや色っぽい唇や見えそうで見えない胸の谷間から意識を逸らすのに必死だった。

(ちくしょう、柊父の企んでいることが手に取るようにわかるぜ……)

九澄は歯ぎしりした。
親バカ極まりない柊父は、自分とルーシーをくっつけることで娘から引き離そうとしているのだろう。
あの野郎の笑いをこらえる姿が目に見えるようだ。
しかしそんなこすい策略に乗る訳にはいかない。
俺の本命はあくまでただ一人なのだ。
でもルーシーってやわらけーな……いやいや。

どうにかこうにか一限目を終えると、クラス中の生徒達がどっとルーシーのもとに集まってきた。
皆口々に疑問を口にする。
一番の関心事はもちろん九澄との関係だ。

「ねえねえ、二人ともやたら親しいけどどういう関係?」

ルーシーはポッと頬を染めて自分の体を抱くように腕を組む。
その姿はちょっとそこらではお目にかかれないほど可憐でセクシーだった。

「大賀はね……あたしにとってこの世で一番大事な人。
 大賀のためならあたし、どんなことだってできるんだ」

きゃああああああああ!! と女子から歓声が上がる。
「九澄くんってば隅に置けない!」「いやらしー! でも素敵!」とはしゃぎまくる女子たちを尻目に九澄は頭を抱えた。
モテネーズこと伊勢や提本は「憎しみで人が殺せたら……」と血涙を流していた。


「なあ愛花。これでいいのか?」

三国久美が親友の愛花に尋ねる。

「……え?」

久美の目には愛花の顔は生気を失っているように見えた。

「九澄のことだよ。このままだとあの転校生に持ってかれちまうよ?」

「そ、そんな……いいとか悪いとか、それは九澄くんの問題だよ」

無理に笑顔を作る愛花を見て久美は無性に腹が立ってしまう。
なんなんだあの男は。あれだけ柊柊言っときながらこの有様か。
一発ぶん殴ってやらないととても気が済まない。
久美が拳を固めると、それを察したもう一人の親友・ミッチョンこと乾深千夜が久美を睨みつけ、無言でたしなめた。

(だけどさミッチョン!)

(いいから)

友を想う気持ちはミッチョンとて同じだ。
だけどこれは愛花自身がどうにかしなければいけないこと、周りがでしゃばっていはいけないと彼女は思っている。
少し背中を押してあげるぐらいなら、いいかもしれないけれど。

「あ、あたしは平気だよ久美。……ごめん、ちょっと体調悪いみたいだから風に当たってくるね」

愛花は無理に笑って立ち上がり、不安定な足取りで教室の外に向かう。
声をかけられないまま愛花を見送った久美は、キッと表情を引き締めて教室中央の人ごみを押しのける。

「九澄!!」

言うが早いか久美は九澄の襟首を掴み強引に引っ張り上げる。
座っていた九澄が目を丸くして久美に向きあった。

「三国……?」

久美は怖いぐらいに真剣な表情で九澄を睨みつける。

「九澄! 今すぐ愛花を追いかけろ!」

「柊を? 柊がどうかしたのか?」

久美はその問いには答えず、九澄の尻を得意の空手で思い切り蹴りあげた。
バシッという気持ちのいい打撃音が教室に響き渡る。

「だおっ!!??」

「いいから行けっ!!」

「お、おうっ!」

尻を抑えながら九澄は教室外に駆け出していった。
ルーシーを含め残された皆はぽかんとしている。
ミッチョンは一人大きく溜息をついた。

「まったく……」

「このくらいでちょうどいいのよ、あいつらにはね」

久美は呆れる親友にニカッと笑いかけた。


####


「柊!」

廊下を歩いていると突然後ろから声をかけられて愛花はビクッと震えた。
振り向くとそこには今一番会いたくない人物がいた。

「九澄くん……」

「えっと……柊どうかしたのか? なんか具合悪そうだけど」

心配そうな九澄の顔を見て、愛花はなぜか無性に腹が立ってしまう。
考えるより先に言葉が口から飛び出す。

「九澄くんには関係ないよ」

違う。

「あたしなんかほっといて、ルーシーちゃんと仲良くしてあげたら?」

こんなことが言いたいんじゃない。

「カラオケの時、好きな人はルーシーちゃんだって言ったよね。
 おめでとう、これで想いが叶ったね」

あたしは何を言ってるんだろう。
あたしは。

「違う!!」

九澄が叫んだ。
九澄は愛花の両肩を掴み、真剣に愛花の目を見据えた。

「俺の……」

「俺が本当に好きなのは……」

「好きなのは……!」

愛花の鼓動が早まる。
全身の温度が上がる。
息ができない。
時間が止まってしまったように。

「おま」

「九澄ぃいいいいいいい!!!」

誰かの叫び声とともに突然九澄が何かに引っ張られ、後ろにすっ飛んでいった。
愛花はなんの反応もできず固まったままだった。

「なっ……てめえ柊父! なんのつもりだオイ!」

「それはこっちのセリフだ! 掃除用具室の備品になりたいかオラ!!」

遠くで誰かが口論していた。
愛花の耳にはその音が届いていたが、脳はそれを聞いていなかった。
ただ呆然と、何も考えられず、その場に立ち尽くしていた。


####


昼休み。
九澄はルーシーと二人で食堂にいた。

「はい、あ~ん♪」

「できるかっ!」

フォークにポテトを刺したルーシー(箸は使えないらしい)のアプローチを、九澄は顔を赤らめながら拒絶する。
二人は相変わらず周囲から注目を浴びまくっていた。
今やルーシーの転入は一年生全員に知れ渡り、休み時間ごとに見物人が押し寄せる状況だ。
当然九澄に嫉妬する人間も際限なく増え続けている。
もはやいつ誰かの呪い魔法で九澄の心臓が停止しても不思議ではないともっぱらの噂だった。
(もちろん生徒にそんな危険な魔法は扱えないが……。)
一方でF組のとある女子生徒が卒倒して保健室に運ばれたという情報は九澄の耳には届いていなかった。

「もうっ、大賀ってばもっと楽しそうにしてよ~」

「それどころじゃないっつーの……」

九澄の気分はドン底だった。
さっきは思わず告白しそうになって親バカ教師に妨害されてしまったが、冷静に考えればあれだけきっぱり脈を断たれたのに成功していたはずがない。

(ルーシーちゃんと仲良くね、か……。トホホ……失恋決定だな俺……)

思えばこの学校に入った目的も、本物のゴールドプレート目指して魔法ポイントを集めようと決めた理由も、全ては柊愛花のためだった。
彼女の笑顔が見たい、彼女の夢を叶えてあげたい、そして願わくば彼女と一緒に……。

(終わったな、全部)

この先どうしようかと九澄は考えていた。
さすがに二度目の高校中退はマズイが、かといって今までどおり執行部の激務を続ける気にはなれない。
いっそ執行部だけ辞めて、手持ちの魔法ポイントでとっととアイアンあたりのプレートを取得して普通の生徒になろうか、そんな考えが頭をよぎる。

「大賀ってば!」

気がつくとわずか5センチ先にルーシーの顔が迫っていた。

「うわっ!」

九澄は思わずのけぞってしまう。

「もう、ぼうっとしないでよ大賀」

「わ、わりい……」

謝る九澄に対しルーシーは悲しい顔を浮かべる。

「やっぱり、あたしなんかじゃダメ?」

「……え?」

「あたしなんかじゃ愛花の代わりになれない?」

さっきまでのハイテンションが嘘のようにルーシーの目から元気が消えていた。

「……ルーシー……」

「あたしは大賀のためならなんだってできるよ。大賀はこの世で一番大切なひとだもん。
 ……だけど、大賀は愛花のことが好きだもんね。
 あたしじゃ代わりになれないって、知ってるから……」

「……代わりじゃない」

九澄は静かに、だけどきっぱりとルーシーの言葉を遮った。

「え?」

何か喋ろうと考えていたわけではない。
ただ自然に言葉が溢れだす。

「お前は柊の代わりじゃない。誰だってそうだ。誰もあいつの代わりにはなれない……。
 けどよルーシー。お前の代わりだってどこにもいないんだぜ?」

ルーシーは口を中途半端に開いたまま九澄を見つめている。

「お前はいつだって俺の味方だった。いつだって俺を元気づけてくれた。
 お前は俺の大切な……そう、仲間だ」

これが本心。現時点での偽らざる九澄の心だ。

「仲間……」

「今はまだお前のこと異性としてとか、そんな風には見れねえけどさ。
 でも俺はお前に会えて本当に良かったと思ってんだ。だから……」

九澄が優しく微笑む。

「ありがとな、ルーシー」

「大賀……」

ルーシーの頬が真っ赤に染まる。
小さかった頃にはなかった、自分の心臓の鼓動が聞こえる。

あたし、ドキドキしてる。
ルーシーは気付いた。

ああそうか。そういうことなんだ。

好き。

そばにいれたらいいとか、幸せになってくれたらいいとかじゃないんだ。

大好き。

あたしがあなたを幸せにしてあげたい。他の誰かじゃなくて、あたしがあなたを。

ねえ大賀。

「目をつぶって」

あなたのイチバンになりたい。

「え?」

「いいから!」

「お、おい……」

ルーシーは愛しい人の愛しい顔を両手で挟んだ。
この想い、伝わりますように。
彼女はそっと顔を近づけ、二人のシルエットが重なった。


その瞬間、ルーシーの体がまばゆく輝いた。
光は食堂どころか校舎さえも溢れて広がり、やがて聖凪すべてを包んだ。
ルーシーの体は光のなかに溶けていった。


####


「……」

「…………」

「……目が覚めたか?」

「あ……」

そこは見覚えのある景色だった。
少し前、大賀と二人でここを訪れたことがある。
目の前で宙に浮かんでいる、上半身しかない少年のような男もその時に会った人物だ。
色白の中学生のような見た目に反して御年102歳、聖凪高校の設立者である花先音弥その人である。

「キスの瞬間に魔法は解ける。古典的だがロマンチックなルールだろう」

「そっか……あなたがあたしに夢を見せてくれたんだね」

ルーシーは自分の姿かたちを確認する。
正真正銘、いつも通りのマンドレイクの体だった。
すべては目の前の魔法使いが見せてくれた幻だったということか。

「夢じゃないぞ、すべては現実に起こったことだ。
 もっとも魔法が解けると同時に、ボクとお前以外の全員からこの日の記憶は消えてしまったけどな」

「そっか……」

ルーシーは自分の胸に手を当てる。
もう心臓はない。
なのにまだドキドキしている気がする。

「あたし、やっとわかったよ。自分の本当の気持ちが。
 ありがとね、おじいさん」

ルーシーが微笑むと音弥は照れくさそうに笑った。

「やれやれ、孫を持つってのはこんな気分だったのかもな」

ルーシーは空に浮き上がって精一杯の笑顔で音弥に手を振る。

「あたし、いつか絶対大賀のイチバンになってみせるよ!
 だから……またね!」

空の向こうに消えて行くルーシーを見届けながら音弥は感傷的な気分に浸っていた。
最初は単なる暇つぶしのつもりだった。
ヒトに恋するマンドレイクというレアクリーチャーに束の間の幸せを。
まさか自分がこうまで感情移入してしまうとは思わなかった。

あんなにも人間を愛する魔法生物を見たことはない。
あんなにも魔法生物に愛される人間もいない。
たとえ彼らが結ばれなかったとしても、願わくば彼女の命に幸福があらんことを。

「まったく、長生きはするもんだ」


####


昼休みが終わって5限目のチャイムが鳴ると同時に津川は教室に戻ってきた。
大急ぎで『教室の最後尾にある自分の席』に座ろうとする……あれ? 俺の机どこ行った?

「なにキョロキョロしてんだ津川。お前の席は九澄の隣だろ」

田島に言われて津川はハッと我に帰る。
そりゃそうだ、なんで俺こんなところを探してるんだろう。

席についてふと隣を見ると、九澄がぼうっとしていた。
えらく気の抜けた表情だ。

「どうしたんだよ九澄」

「ん? いや……別に何もねーんだけど……なんとなく何かあったような……なかったような……」

(相変わらずたまにわけわかんねーこと言い出すなこいつ……)

同じ時九澄の横顔を見ている人物がもう一人いた。
見ている、と言うよりは見とれていると言ったほうが正しいかもしれない。

「んー? どうしたのよ愛花ー、九澄のことじ~っと見つめちゃって~」

「えっ!?」

愛花がドキリとして振り向くと、そこにはニヤニヤと怪しい笑みを浮かべる久美がいた。
愛花はなぜか無性に焦ってしまう。

「九澄がそんなに気になるのぉ~?」

「ち、違うよ。もう久美ってば……。
 ただ……」

「ただ?」

愛花はもじもじと手を動かして小声でつぶやく。

「今日の九澄くん、いつもよりかっこいいかもって……」

「ほほお~~!」

久美がニヤニヤ笑いをさらに増幅させグイッと身を乗り出す。

「ち、違うってば! そういう意味じゃないよー!」


####


その日はまったくもって平和な放課後だった。
九澄は執行部の日課として校内をパトロール中だ。

「大賀ーーー!」

聞き慣れた声がやってくる方を向くと、手乗りサイズの少女が手を振って飛んで来た。

「よおルーシー。どこ行ってたんだ?」

「えへへ~、秘密♪」

ルーシーは人差し指を唇に当てて上目遣いでウィンクした。
その仕草の不意打ち的な可愛らしさに九澄はドキリとしてしまう。

(あ、あれ? 俺なんでルーシーにドキドキしてんだ……?)

気恥ずかしくなった九澄はルーシーから顔を逸らす。

「あっちょっと大賀、待ってよぉー」

ルーシーは顔を赤らめて足早に立ち去ろうとする九澄を追いかけ、耳元でそっとささやいた。

「ねえ大賀」








「大好きだよ♪」

エムゼロEX 2

第二話 愛と涙のカラオケルーム


「えー、約一名非常~ぉに危うい方がいましたが、一年生執行部員全員が無事に中間テストを切り抜けられたことをお祝いしたいと思います」

マイクを持って演説しているのは一年生魔法執行部員にして一年D組のリーダー的存在である竹谷和成。
一学期のクラスマッチで"キング"役を務めたことからもわかるように、仕切りがうまく人望のある男だ。
竹谷のジョークでカラオケルームが笑いに包まれる中、九澄だけが苦い顔をしていた。

「なんか腹の立つ言い方だな……」

「まあまあ」

自分をなだめる愛花が実は一番楽しんでいることに九澄はちょこっと傷つく。
彼女が隣に座っていることに関してはかなり嬉しいのではあるが。
竹谷のスピーチは続く。

「えー、思えば一年生執行部が正式発足して以来、仕事に慣れるためにドタバタしたり中間テストがあったりで
  なかなかこういう機会がありませんでした。
 今日はこの七人で、日頃の激務を忘れてパーッと盛り上がって親睦を深めていきましょう。
 まあ堅苦しい挨拶はこれぐらいにしてエントリーナンバー一番竹谷和成、歌います!」

 九澄と他六名の一年生執行部員はテストの数日後、カラオケボックスに集まっていた。
ちなみに九澄はこの日の朝久しぶりに目覚めたばかりである。

「うーん、俺は何を歌おう……」

竹谷がなかなか達者に歌う中、九澄は腕を組んで曲目リストとにらめっこしていた。
伊勢や津川あたりとのカラオケならそれこそなんでもありで、アニメソングやエロナンバーを合唱して盛り上がったりできるのだが、執行部員の面々とはまだそこまで打ち解けていない。
考えてみれば人生の中でも女子あり(姉除く)のカラオケは初めてではないか。
しかもその中の一人は想い人の愛花である。意識しないはずがない。

(ここは柊への気持ちを込めてラブソングを……いやいきなりそれは露骨すぎるか……?
 ていうか柊はどんな曲が好きなんだ……?)

 九澄がウンウン唸っている中マイクは「C組の氷の才女」(命名・伊勢カオル)こと氷川今日子の手に渡った。
学業成績では愛花を上回ってC組トップ、学年全体でも大門らと並んでトップクラスという秀才だ。
魔法の実力は上の下といったところだがその頭脳を買われて執行部入りし、事務担当として期待されている。

(へー、結構綺麗な声だし歌上手いな)

と九澄は感心した。とっつきづらい女子という印象だったがこうして見るとなかなか魅力的な女の子に思える。
実際クラスでも隠れ美人だと評判なのだが、毒舌家でクールな性格のため男子には敬遠されがちなのだ。
本人はうざい男どもに関わらなくて済むと素知らぬ顔なのだが。

「すごーい、今日子さんすっごく上手だね!」

歌が終わると愛花が氷川の手を両手で握って絶賛した。
一年執行部で二人きりの女子、おまけに同じクラスということで愛花は氷川を慕っている。
執行部入りの前はさほど仲がいいという程でもなかった二人だが、今では姉妹のようにも見えるなと九澄は思った。
いつもの様に無表情な氷川でも心なしか照れているように見えなくもない。
しかしそんなことより愛花が可愛いと九澄は性懲りもなく思った。

(考えてみりゃ柊の親友は三国にしろ乾にしろ子供の頃からの付き合いなんだよな。
 高校で出会った観月や氷川と仲良くなるのは柊にとっても良い事なんだろうな、うん)

 マイクは三人目の影沼の手に渡った。九澄はひたすら曲目リストをにらみ続け、影沼が歌い終える頃ようやく自分の曲を入力した。

「それじゃあ次はあたしの番だね。あんまり自信ないけど……みなさん聞いてください」

愛花がマイクを握った。
九澄は全身全霊を傾け愛花の歌声を胸に刻みつける。
最初の一声が流れた瞬間九澄の耳に電流が走った。

(こ、これが柊の歌声……可愛い! いやこれは可愛いなんてもんじゃない……天使! 天使の旋律!!)

実際愛花の歌唱力は平々凡々といったところで、惚れてる男でもなければ特に感激するようなものでもないが、九澄にとってそんなことはどうでも良い。
地球上のどんな歌姫も愛花という名の妖精には敵わないと九澄は確信した。
愛花が歌い終える頃九澄はほとんど逝きかけていた。
自分が歌う前に燃え尽きる勢いである。
なんとか精神を立て直しマイクを受け取った九澄。

「心を込めて歌います!」
(特に柊、聞いてくれ俺の愛の歌を!)

特に書くべきこともない凡庸さなので省略。
ちなみに愛花は笑顔で拍手していたが、他の男子が歌った時と全く変わらない反応であったことは付記しておく。

 ラストを飾るのは大門である。

「実はカラオケって初めてなんだ」

「そりゃ意外だな」

今時そんな高校生がいるのかと九澄は思った。
おおかた勉強と将棋ばかりやっていたんだろう、この優等生め。

「まあ君よりは上手く歌える自信があるけどね」

当然とばかりに胸を張る大門。

「ほ、ほおお……?」

九澄が青筋を立てて大門を睨みつける。大門は大門で一歩も引かずに睨み返す。

「はいはい、二人とも仲良くする!」

この二人が愛花に逆らえるはずもなくあっという間に場は収まった。

「まったくもう、どうして九澄くんと大門くんって仲良くできないんだろう」

多分柊さんが原因だと思うよ、という影沼のつぶやきは誰も聞いていなかった。

(お手並み拝見といこうじゃねーか、大門)

九澄が身構える。
だが大門の歌が始まった瞬間、その場の誰もが凍りついた。
下手だ。下手すぎる。音程がズレまくっていてもはや原曲がわからない。

(な、なんつー音痴だ……そのへんの小学生のほうがよっぽどうまいぞ。
 つーかなんだそのご満悦な表情は、お前それが上手いと思っているのか?)

どこか遠くを見つめながら自信たっぷりに一曲歌い上げた大門。
紅白歌合戦の大トリ歌手もかくやという堂々たる風格であった。
しばらく沈黙が場を支配する。
心優しい愛花が拍手し始めると、竹谷と影沼が遠慮気味にそれに続いた。

(勝った……歌では俺の圧勝だ! お前なんかに柊は渡さねーぜ)

他は大半負けているのだが。

 カラオケ大会はその後さらに二巡続いた。
大門の音痴は相変わらずだったが、本人のあまりの威風堂々とした態度を前に誰もそれを指摘できずにいた。
九澄のラブソングは相変わらず全然愛花に伝わっていなかった。
九澄は愛花が歌うたびに感激していた。

「ふう、そろそろ時間じゃないか?」

九澄が尋ねると竹谷が時計を確認する。

「いや、後一周ぐらいはできそうだぜ」

「ええ、もうあんまレパートリーないんだけどな……」

九澄としてはもう後は愛花のワンマンショーでもいいぐらいなのだが、そういうわけにもいくまい。
まだ何かいい曲あったっけと記憶を検索していると、大門が身を乗り出した。

「みんな、せっかくだから最後は点数を競わないか?」

一瞬場が固まる。
何を言ってるんだこいつは。

「こういうカラオケパーティーでは、採点を競って最下位だと罰ゲームがあったりするんだろう? 一度やってみたかったんだよ。」

他ならぬ大門からの提案に一同言葉を失う。
それ、負けるのお前じゃん。

「大門君、悪いこと言わないけどその発言、取り消すことをお勧めするわ」

氷川が極力優しく言葉を選ぶ。普段の彼女には見られない配慮だ。

「いや、やろうぜ」

九澄が賛成する。
大門に恥をかかせる願ってもないチャンスなのだ。黙って引き下がれるはずがない。

「へえ、君が乗り気とはありがたい。ここで一丁白黒つけようじゃないか」

大門もその気だ。
周囲はやや引き気味である。

「男に二言はないな?」

九澄が念を押す。

「もちろんさ」

大門はうなずく。

「罰ゲームは全員一枚ずつ紙に書いて中が見えないように折りたたむ。負けた奴はその中から一枚選んで実行する。これでいいだろ」

九澄が悪役っぽく笑う。

「面白い、何が出てくるか開けるまでわからないというわけだ」

大門が不敵に笑みを浮かべる。
決戦の火蓋が切って落とされた。
九澄は内心喝采を叫んでいた。

(勝てる! 負けるはずがねえ!
 こうなった以上罰ゲームは完全に大門に標的を絞らねえと……。
 何が最も大門にダメージを与えられる?
 唐辛子の一気食い? 公園の池で裸泳ぎ? 書店でエロ本のタイトルを読み上げて購入?
 いや駄目だ、そういうイジメじみた罰ゲームは書いた人間の品性が疑われちまう。柊に嫌われちゃ元も子もねえ。
 つまり一見非道じゃない行為なのに精神的に辛い行為、大門の急所を突く命令、それはなんだ?)

 九澄の脳裏に閃光が閃いた。

(これだ。これしかねえ!)

『好きな異性の名前を言う』

(古典的にして単純、そして破壊的。まさに罰ゲーム・オブ・罰ゲーム!
 俺は大門が誰を好きなのか知っている。
 なんてったって俺も同じ女に惚れているんだからよ。
 最初は単なる思い過ごしかとも思ったけど、あいつらが執行部入りしてから疑惑は確信に変わった……!
 明らかに柊のことを気にかける大門。柊にだけ特別優しい大門。
 やたらと将棋の話を柊に振って二人だけの話題を作ろうとする大門。
 もう間違いねえ。今や奴は俺の最大の敵だ!)

そして現時点で愛花が大門を特に異性として意識していないということも九澄は確信していた。
自分に対してもそうだというのが悲しい所ではあったが……。
いずれにせよ、その状態で他の人間が見ている前での公開告白などできるはずがない。
適当にアイドルの名前でも挙げて誤魔化すしかないだろう。
その誤魔化したという引け目が、今後大門を愛花に対していくらか消極的にさせてしまうだろう。
これぞ大門高彦の急所を突く命令!

(ヘヘ……完璧な計画だ。なんだか自分が夜神月になった気がするぜ)

九澄が新世界の神を思わせる邪悪な笑みを浮かべていると、なにやら愛花が自分を呼んでいるのに気付いた。

「九澄くん! 曲始まってるよ!」

「え……ええっ!?」

 全ては九澄自身の失態だった。考え事に熱中するあまり上の空で適当に曲を選び、その曲が始まったことにさえ気づかなかったのだ。

「やべっ……、今どこの部分だっ……? ええとええと……」

瞬間的にパニックになった九澄がきちんと歌い始めるには少々時間がかかった上、連鎖的にあちこちでボロが出る始末だった。
機械採点というのは残酷である。こちらの事情などいちいち勘案してくれはしない。

 46点……!
            絶望的数字……!
     敗北……!
  ざわ……!     ざわ……!

(いやまだだっ! まだ大門の結果は出ちゃいねえ!
 あいつならきっとこれ以下の点数を出してくれるはず!)

だが女神は微笑まなかった……!
大門高彦、50点……!
九澄大賀、敗北……! 圧倒的敗北……! 取り返しのつかない敗北……!

「失礼な機械だな、この僕が50点だなんて。
 まあ九澄に勝てたから良しとするか……」

大門はあくまで点数に納得いっていないようだった。
だが九澄にそこに突っ込む余裕などあろうはずもない。
死んだように打ちひしがれる男がそこにいた。
他のメンバーが46点以下の数字を出すはずもなくあっさりと九澄の最下位が決まる。
ちなみに優勝は氷川今日子の93点。

「ま、勝負は勝負。罰ゲームを選んでもらおうじゃないか」

大門が九澄を見下し不敵に笑う。
勝者の余裕に満ちた悠然たる佇まいだった。
50点だけど。

九澄は頭を切り替える他なかった。

(とにかく楽な罰ゲームを選ぶしかねえ……
 多分柊なら優しいことを……そう、コーラ一気飲みとか書いてくれてるはずだ……。
 そうでなくとも俺の書いたやつだけは引けねえ……ここで告白とかできっこねえ……。
 どれだ……俺の書いたやつはどれだ……?)

 紙の区別などつかなかった。どれも同じメモ用紙を使い同じ四つ折りにしてシャッフルしているのだ。
それこそ魔法でも使わないと判別できそうにない。
無論ここは魔法特区ではないし、第一魔法特区の中でもどうせ九澄は魔法が使えない。
頼るべきは己の運と勘しかないのだ。
ままよと右端の紙に狙いを定め、引く。開く。

(俺の運よ……応えろっ!!)




   『好きな異性の名前を言う』




 今日は九澄の厄日だった。

「ええっと……どうしても言わないと駄目かな……」

「今さら何を言ってるんだ君は。男に二言はないんだろう?」

「ですよねー」

九澄は苦し紛れに笑う。
その背中には冷や汗がだらだら流れ、頬はヒクついていた。

(どうするどうする……いっそここで告白……)

九澄が左側をちらりと見ると、黙ってこちらを見ている愛花と目線が合った。

(だーーーーっっ!!! できっこねーーーーっ!!!)

やっぱり誤魔化そうと決意した九澄。
本来ならばここで人気のアイドルの名前でも出しておくのだろう。
だがパニック状態の九澄はとにかく一番最初に浮かんだ名前を出してしまった。

「俺が好きなのは…………ルーシーだ!」

場内沈黙。ぽかん。
数秒間の無音地帯。

「ルーシーって……誰?」

最初に口を開いたのは竹谷だった。

「海外の女優か誰かかい?」

大門が続く。

(やべっ! つい勢いでルーシーって言っちまった……!
 でもこいつらにあいつのこと話す訳にはいかないし……仕方ねえ、適当に言っとこう)

「ははは、実はそうなんだよ。いやーすげえ美人でさー思わずファンになっちまったよ」

得意の作り話を並べる九澄。
いつの間にかルーシーはコメディドラマでデビューし今や演技派として人気急上昇中のニューヨーク出身若手女優ということになっていた。
どうにかこの場を切り抜けた九澄は安堵の溜息を付く。
だがその時愛花から白い目で見られていたことには気づかなかった。


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翌日、いつも通りに登校した九澄の前に、体から憤怒のオーラを醸し出している少女が立ち塞がった。
整った顔立ちが鬼の形相になっているその様子を見て九澄はたじろぐ。

「み……観月……?」

「変態! ロリコン!! ペドフェリア!!! いっぺん死んで生まれ変われ!」

それだけ叫んで観月は顔をぐしゃぐしゃにして走り去っていった。
唖然とする九澄の前に今度は愛花が現れる。

「あのね、九澄君……昨日一晩中考えたんだけど……やっぱりルーシーちゃんを恋愛対象にするのって良くないと思うの。
 その……思春期の男の子って色々複雑なんだと思うけど……出来れば人間の女の子に興味持ってほしいなって……」

「ま、待ってくれ柊! あれは……」

「あたしにできることがあったら協力するから! じゃあね!」

愛花は脱兎のごとく駆け出した。
九澄は小さくなっていく愛花の背中を涙目で見送るのみ。

「違うんだ柊! 
 誤解なんだ!!
 ちくしょう、カラオケなんて大っっ嫌いだーーーーーーーっっ!!!!」

インフィニット・裏ムエタイ

~クラスメイトは全員女? 難しいことはぶっ殺してから考えるよ!~ 


女性しか操ることのできない超ハイテクスーツ、インフィニット・ストラトス〈IS〉。
それを男性が初めて動かしたというニュースは全世界に響き渡り、瞬く間にその少年のIS学園入学が決定した。
その始業初日、彼が編入された一年一組の女子生徒達の視線は、最前列中央席に座るただ一人の男子に一斉に注がれた。

褐色の巨体。制服がはちきれそうな極太の筋肉。それらと不釣り合いな緊張感のない温和な顔立ち。
一度見たら忘れられないその男子は自己紹介の一番手だった。
「アパ! アパチャイ・ホパチャイだよ! みんなよろしくだよ!」
太陽のような燦々としたオーラを出しながらアパチャイは元気に挨拶し、着席した。
「え……えっと……それだけですか……?」
副担任の山田先生がオロオロしながらアパチャイに訪ねる。
「そうよ! これだけだよ!」
カラッと答える褐色の大男。
山田先生はいよいよ涙目になってしまう。

と、その瞬間教室中に乾いた打撃音が特大の音量で響き渡った。
黒スーツに身を包んだ精悍な女性が、ヒールを履いたままアパチャイの大腿部に強烈な蹴りを浴びせたのだ。
「挨拶もまともに出来んのか、お前は」
「アパ! 千冬姉!」
アパチャイは変わらぬ陽気な笑顔でその女性に応える。
蹴られたことなどまるで気付いていないかのようだ。
「学校では織斑先生と呼べ、馬鹿者」
「わかったよ千冬姉!」
「もういい……」
世界最強のISパイロットにしてIS学園の鬼教官、さしもの織斑千冬も呆れ顔で溜息をつく。

「もしかしてアパチャイ君って千冬様の弟?」
「だから男なのにISを動かせるの?」
クラスの女子たちが口々に話しだす。
「静かに!!!」
千冬はその喧騒を一括して黙らせた。
その後千冬は自らをこの学級の担任であると自己紹介し、女子生徒達の黄色い歓声に頭を抱えた後、基本説明を山田先生に任せ去って行った。

ホームルーム終了後、クラスの外の廊下はアパチャイを一目見ようとする他クラスの生徒でごった返していた。
皆アパチャイを見て口々に大きいだの可愛いだの感想を口にする。
当のアパチャイが机の木目を数えていると、腰まで届く長い黒髪が特徴的な女子生徒が話しかけてきた。
「アパチャイ、ちょっといいか?」
アパチャイの退屈そうな表情がパッと明るくなる。
「箒! もちろんよ!」



篠ノ之箒、一年一組。六年ぶりに再開したアパチャイの幼馴染だ。
箒は人目を避けるようにアパチャイを屋上にまで連れてきたが、何やら話のきっかけが掴めないようでいた。
そんな雰囲気を読んでか読まずか、アパチャイが口を開く。
「そういえば箒、剣道の全国大会で優勝したって聞いたよ!」
「知っているのか!?」
「小鳥さん達がそう言ってたよ」
「そうか……」
箒の頬がほのかに朱に染まる。

「箒ってすぐにわかったよ。全然変わってないよ」
「そ、そうかな……」
箒が目を逸らす。
「アパチャイは変わったな……すごく大きく、たくましくなった……」
箒は目の前の幼馴染を見上げる。
六年前はごく普通の小学生だったのに、今では二メートルを越す体躯に鋼の筋肉を備えている。
動物に好かれる優しい笑顔がなければとてもアパチャイとは気付かなかっただろう。
ちょっとセンチな雰囲気が流れたが、チャイムが鳴ったので教室に戻ることになった。



次の授業では対抗戦に出るためのクラス代表を決めるという話になった。
誰か出たい奴はいるかという千冬の問いに「私はアパチャイくんを推薦します!」と女子の声が上がる。
「さんせーい!」「私もアパチャイくんがいいと思いまーす!」
口々に上がる賛同の声。
当のアパチャイがポカンとしていると、それらの声をかき消す強い反論が出た。
「待ってください! 納得が行きませんわ!」
声の主は金髪ロール髪の白人女子生徒だった。
曰く、代表はクラスで一番強い者がなるのが当たり前、それは自分だ、第一男が代表だなんてありえない云々。
セシリア・オルコットと名乗るその女子が演説をぶっている間、アパチャイは窓の外の100メートルぐらい先を飛んでいるハエを観察していた。

「聞いていますの、アパチャイさん!?」
セシリアが怖い顔で睨んできたのでアパチャイは返事を返す。
「もちろんだよ! 昼ごはんは焼肉がいいよ!」
クラス全員がずっこける。
セシリアはいよいよ怒りをむき出しにしだした。
「こ、このイギリス代表候補生であるわたくしをここまでコケにするなんて……許せませんわ。
あなたなんかを断じてクラス代表として認めるわけには行きません! 決闘を申し込みます!!」
オオーッと歓声が上がる。

「アパ!! 決闘よ決闘よ!」
アパチャイも決闘と聞いて俄然やる気になったようだった。
大喜びで立ち上がり、タン・ガード・ムエイ(ムエタイの構え)を構えて臨戦態勢に入る。
セシリアはうろたえてしまう。
「お、お待ちなさい! 教室で決闘ができるはずがありませんわ。
第一ここではISも使えませんし、学園のIS用アリーナを借りるべきではなくって?」
「あいえすって何よ? 日本語むずかしいよ!」
「あ、ISを知らないいいいい!!??」

セシリアが驚愕のあまり腰を抜かしそうになる。
「う、嘘おっしゃい。ISのことも知らないでどうしてこの学園にやってきたの?」
「アパチャイもよくわかんないよ。黒服のおじさんたちがたくさんやってきて、ここに入ればいくらでも美味しい物食べられるって言うから来たのよ」
セシリア含め教室中の皆があんぐりと口を開ける。
なんと世界で唯一ISを操れる男性はISのことを知らなかったのだ。
「お……お話になりませんわ……織斑先生! これでもアパチャイさんをクラス代表に選ぶというのですか!?」
千冬はその端正な口元を吊り上げ薄く笑う。
「ふっ、ならば試してみればいいではないか。お前の言うとおりクラス代表には最も実力のある生徒が選ばれるべきだ。
お互いがその気なら決闘するしかあるまい」
「ぐぬぬ……先生がそうおっしゃるのなら……」
セシリアは歯ぎしりしながらも納得したようだった。

「だが決闘はしばし待てアパチャイ。お前の専用機は準備に時間がかかっている。
今週中には届かん」
そう言った時点で千冬は気付いた。アパチャイの気配が戦士のそれに変わっていることを。
「よくわからないけどアパチャイ何もいらないよ。
ムエタイ戦士に必要なのは己の五体だけよ!」
アパチャイが拳を固める。
歴戦の雄千冬にはその充実した闘気がありありと感じ取れた。
もはやアパチャイを止めることは誰にもできない。ならば。
「良かろう、やってみろ!」
「アパ!」
セシリア・オルコットin専用機ブルー・ティアーズvsアパチャイ・ホパチャイ生身。
究極の異種格闘技戦、決定。



1年1組の生徒達と千冬、山田は学園の第三アリーナに集まっていた。
ここがアパチャイとセシリアとの決闘の場である。
開始前からセシリアは自慢の青いISに身を包み、逆にアパチャイは制服を脱ぎトランクスとバンテージのみを身につけたムエタイスタイル。
「か……勝てっこない……」
箒は震えていた。
ISが開発されてからのこの10年、ISはあらゆる兵器を上回る地上最強の戦力としての名を欲しいままにしてきた。
一体どこの馬鹿がそれに素手で挑むというのだろう。
殺されるまでは行かないにせよ一生ものの傷を負いかねない。
箒はもう我慢の限界だった。

「待てアパチャイ! やめるんだ! 今からでも遅くない、降参しろ!」
「箒……」
今にも泣き出しそうな箒の頬をアパチャイはそっと撫でる。
「箒の気持ち、とっても嬉しいよ。でもアパチャイは大丈夫よ」
「だけど……またお前を失ってしまったら私は……」
アパチャイがニッコリと笑う。
「大丈夫よ! ぶっ殺すならムエタイだよ!」
アパチャイが踵を返す。
もはや振り返ることなく、空から見下ろすセシリアのもとへ一歩一歩突き進んでいく。
(アパチャイの背中がこんなに大きく見えるなんて……)

「試合開始っ!!」
アリーナに鐘の音が響く。
先手必勝とばかりにセシリアが主砲のビームライフルを放つ。
アパチャイはそれをサイドステップでかわす。
間髪入れずセシリアのいる上空まで一気に跳びかかるアパチャイ。
大砲の如き跳躍だ。
「甘いっ! 空中では生身の人間は自由に動けませんわ!」
独立して宙に浮かぶ4つの小さな自立機動兵器、その名もずばり『ブルー・ティアーズ』がアパチャイに標準を合わせる。
セシリアの号令と共にレーザー砲を一斉照射、まともに食らうアパチャイ。
「あついよっ!!!」
アパチャイが落下する。派手に地面に叩きつけられたが、バウンドしながら体勢を立て直し、着地。
即後退し距離を取る。

「全く呆れたタフネスですわ。このレーザーの一撃一撃が戦車の装甲にも穴を開けるというのに」
セシリアが目下の巨漢をあざ笑う。
所詮生身の人間がISに勝てるはずがないのだ。
「今からでも遅くありませんわ! 素直に謝って許しを乞うというのであればわたくしの召使にして差し上げましょう!」
アパチャイが首を振る。
「アパチャイが謝るのは千冬姉のおやつをこっそり食べちゃった時だけよ!」
アパチャイは突然片膝をつき、右拳を振り上げた。
セシリアが訝しんでいると、その褐色の大腕が一気に振り下ろされ地面に突き刺さる。
轟音が響くと共に地面に巨大なヒビが走り、膨大な土埃が巻き上がった。
「なっ!?」

土埃はセシリアの浮かぶ高度にまで舞い上がり、誇り高き少女から視界を奪った。
「目くらまし? こんなものでわたくしを誤魔化せるとでも!?
それとも時間稼ぎのつもりなのですか!?」
セシリアの声色に怒気が交じる。
直後ブルー・ティアーズのセンサーが背後に急上昇してきた物体を捉えた。
「わたくしを……見くびってもらっては困りますわ!!」
セシリアは即座に転回し、、右腕の主砲を放った。
最大出力のビームライフルが土煙の向こうの影に炸裂し、巨大な爆発を起こす。

「アパチャァァァァイ!!!!」
箒の叫び声は爆発の轟音にかき消された。
セシリアは勝利を確信し微笑する。
その瞬間、レーダーが背後にもう一つの反応を捉えた。
「!?」
爆発によって土埃が消し飛ばされた中から姿を表したのは、空を舞う大岩に乗ったアパチャイ。
先ほどの主砲を食らった痕跡はない。
(しまった……デコイ!!)

セシリアの反応は遅れた。
油断。そして主砲を最大出力で撃った直後に生じる一瞬の機体硬直時間。
全てがセシリアにとって致命的だった。
アパチャイが足元の岩を蹴り、跳躍する。
迎撃できる距離ではなかった。
それは弾丸より速く、宝石よりも美しい突進。
そこから繰り出される、パンチの要点を突きつめた究極のパンチ。

「アパンチ!!!!!!!!」

ブルー・ティアーズのバリアーが砕ける。
その拳はセシリアの生身に到達し、ISコアは自らの機体と引換に操縦者を守り、弾け飛んだ。
セシリアは数十メートル吹き飛びアリーナ観客席に叩きつけられたのだ。
この状態でもセシリアの体は無傷に近く、意識も保ったままだったことがISを最強兵器たらしめる点だろう。
だが勝敗は誰の目にも明らかだった。

「……止めを刺しなさい」
歩み寄ってきたアパチャイに、セシリアが吐き捨てるように言う。
負けた。
生身の人間に。
IS国家代表候補生の自分が。
セシリアにはもはやひとかけらのプライドも残っていなかった。
決して女には勝てないと思っていた男に見下されている、この屈辱。

「決着はついたよ。アパチャイ、これ以上セシリアを殴りたくないよ」
「くだらないことを……!」
動かぬ体を無理矢理起こしセシリアは吐き捨てる。
「一体どんな顔をして明日から生きていけばいいんですの?
わたくしは……すべてを失ったんです」
アパチャイはあの太陽な笑顔を浮かべた。
「アパ! そんな難しいことはぶっ殺してから考えるよ! 
脳みそは人を殴るためにあるよ!
アパチャイお師匠さんからそう教わったよ!」
アパチャイの言葉はどこまでもまっすぐだった。
その純粋さがセシリアの胸にどこまでも染みこんでいく。
気がつけばセシリアの瞳からは涙がこぼれ出していた。

「負けたのならまた強くなればいい……」
千冬がセシリアの肩に手を置く。
「お前達は卵だ。ひよっこですらない。
お前達がいつか巣立つ日のためにこの学園はある」
生徒達が駆け寄る。
「そうだよセシリアさん!」
「セシリアさんのIS、すっごくかっこよかったよ!」
セシリアは顔を背ける。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を見られたくなかったからだ。
ただ、嬉しかった。
本当に嬉しかった。



シャワールームの中でセシリアは何度も思い出していた。
あの試合のこと。
アパチャイ・ホパチャイという男子のこと。

『難しいことはぶっ殺してから考えるよ! 
脳みそは人を殴るためにあるよ!』

――あんなこと、今まで誰も言ってくれなかった……

情けない父親。
男に対する蔑視。
自分の心を覆っていた全てを溶かしてくれるような、太陽のような男子。

「アパチャイ・ホパチャイ……」
暖かいのに締め付けられるような、不思議な想い。
もっと、知りたい。彼のことを。



翌日朝のホームルーム。
アパチャイはめでたくクラス代表に指名された。
もっとも本人は未だに役割を良くわかっていないようだったが。
「アパチャイさ~ん! わたくしの分まで頑張って下さいね!」
昨日とは180度違う、まるで一ファンのようなセシリアの態度に周囲はあっけに取られた。
「あ、ところでアパチャイさん、お弁当作ってきたんですけど、いかがですか?
学生食堂だけだとお腹が減りますよね」
「アパパ! すごくありがたいよ!」
「なっ!?」
箒がガタンと席を立つ。

「なんでお前がアパチャイの弁当を作るんだ!」
「あら、一戦友としてこれぐらいは当然ですわ。
篠ノ之さんこそ、そんなことをお聞きになる筋合いがあるのでして?」
眉間にシワを寄せる箒と、余裕の笑みを浮かべるセシリア。
「アパパパ! ふたりとも仲良しさんになって嬉しいよ!」
アパチャイは手を叩いて喜ぶ。
「ちっ、違うぞアパチャイ! これは仲良くしているわけでは……」
「お前ら馬鹿騒ぎはそこまでだ。授業を始めるぞ」
千冬の声が響くと途端に教室が静まり返る。

アパチャイは結構彼なりに学校生活を楽しんでいるようだった。
箒はこの先面倒が増えそうだと苦い気分だった。
セシリアは単純に浮かれていた。
同じ頃遠い中国でアパチャイとの再開を心待ちにする少女がいた。



この先何が待っているのか誰にもわからない。
だがアパチャイ・ホパチャイがいる限り、きっとどんな困難にも立ち向かっていくことができるだろう。
彼らの学園生活はまだ始まったばかりなのだ。




おしまい