2013年4月4日木曜日

エムゼロEX 16

  第十六話 掌の中の誇り


九澄大賀は控え室のモニターを食い入る様に見つめていた。今やっている試合の勝者が次の自分の対戦相 手になるのだから当然だ。選手の一人は自分とも多少縁のある滑塚亘。三年生の優秀な執行部員であり、この試合における下馬評では明らかに有利なはずだっ た。だがその相手、兜天元が奇妙な魔法を発動したことで空気が一変する。兜は宙に浮き、その体は不気味な黒い炎に包まれている。炎はやがて4,5メートル ほどの大きさの骸骨のような姿に成形されていき、兜を腹の中に抱えているような形になった。その中心で兜はニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮べている。

「なんだあの魔法……? 骸骨っぽいところなんか支部長のロッキーにちょっと似てるけど、もっとタチが悪そうだよな」

九 澄は自分の肩にちょこんと乗るルーシーに声をかけた。ルーシーは「うえーんこわいよー」などと九澄の頭に抱きつく。本気で怯えているというよりも、女の子 がホラー映画を見ながら彼氏に抱きついているような光景だ。その時後ろから突然声をかけられ九澄はビクッと震えてしまう。

「やれやれ、危機感が足りないなお前らは」

九澄が振り向いた先にいたのは筋骨隆々の大男。角ばった濃い顔立ちが不敵にたたずんでいる。それは九澄がよく知っている顔だった。

「こ、小石川?」

九澄は「しまった」と冷や汗を流す。ひょっとしてルーシーとの会話を聞かれてしまったのではないか。愛花や観月ならともかく、自分を敵視しているこの男に彼女のことを知られたくはない。

「ななななななななんの用だよオメー」

小石川はクスリと微笑んだ。

「そう焦るな、ボクだよ。花咲音也だ」

「へ?」

九澄は目の前の「小石川のような男」の発言に呆気に取られる。花先音也とは今は幽霊のような姿で地下の施設に引きこもっている聖凪高校前校長の名だ。

「感謝しろ、お前の醜態が見たかったんでわざわざ足を運んできてやったんだ。この男は学校の外れで黄昏れていたんでちょっと体を借りさせてもらったのさ。本来の姿でこの辺りをうろつくといちいち面倒なんでな」

「体を借りたって……じゃあ小石川はどうなっちまったんだ?」

「この男の精神なら今は眠ってもらっている。事が済んだら何が起きたのか全くわからないまま目覚めるというわけだ。お前の秘密がバレる心配はないから安心していいぞ」

「このジジイが一番タチわりーな……」

九澄は胸を撫でおろしつつも目の前の音弥 in 小石川のゴーイングマイウェイっぷりに顔をひきつらせる。敵に回すとロクな事にはならないことだけは確かだ。

「そんなことよりあの魔法、お前はどう思う?」

音弥はモニターに視線を移し、深刻さのカケラもない気軽さで九澄に問いかける。九澄はしばらく沈黙してから無表情でつぶやいた。

「……リアルじゃない」

音弥は片眉を釣り上げて九澄を見下ろす。

「わかるのか?」

「いや……うーん……なんとなく。似たようなのは前に見たことあるからよ」

「ふーん……。まんざら恥を晒しにこの祭りに来た訳じゃなさそうだな」

音弥(小石川ver.)は頬をゆるめてモニターに視線を戻す。

「ま、どこのどいつの差し金かは知らないが……お手並み拝見といこうかね」


####


滑塚亘は全身から汗を流していた。目の前で対峙すればこのドス黒いドクロの巨人のヤバさはヒシヒシと伝わってくる。少しでも気を抜けばたちまちのうちに腰を抜かしてしまうだろう。

「だからって……ビビってられっかよ!」

先手必勝。十八番のマジックハンドで本体である兜本人を直接狙う。だが黒い炎が壁となりどうしても中の本体を掴むことができない。遠隔系の魔法に対する耐性があるということだ。とはいえここまでは予想通り。

(それだけで勝ったつもりになってんじゃねえぞ!)

腰を落とし戦闘態勢に入る。黒い細目に闘志が宿る。滑塚は燃えたぎっていた。ここで自分が負ければ執行部そのものがコケにされる。そんなことを認めるわけにはいかない。

上。

滑塚が飛び退いたのは判断というよりほとんど反射だった。直後に骸骨の腕が地面に叩きつけられる。轟音が巻き起こり闘技場の床に亀裂が走る。巨体に見合わぬスピード。滑塚の背筋が凍る。

(まともに食らったらマジでヤベーな……)

執行部の捕獲人を見下ろしながら兜が不気味に笑う。

「ヒヒヒ、どうしたよ執行部? 逃げ回るしかできねえみたいだな……」

「ケッ……好き勝手言いやがって。言っとくが執行部ってのはおめーが思ってるほどお気楽な商売じゃねえんだ。体を張って学園の平和と安全を守るってことがどんなに大変かわからねーか?」

「知らねえよ……。俺が知ってるのはてめーらは気に入らねーってことだけだ!」

兜が駆け出す。骸骨の巨人が地面を蹴り猛然と滑塚に迫っていく。その時滑塚が選択した手段は、やはり自分が最も頼りにする最高の魔法、最高の相棒である"魔手〈マジックハンド〉"だった。

(できれば"この戦法"は切り札として取っておきたかったが……そうも言ってられねーようだな!)

息を一気に吸い込み、一気に吐く。実戦ではぶっつけ本番に近い。だが、やるしかない。
そうさ、俺はやれる。
俺にはできる。
さあ。
今!

兜が巨人の腕を力任せに振り下ろす。滑塚が自分の体を切るように水平に右腕を振る。
交差。
直後、巨人は反転しながら宙を舞っていた。一拍置いて巨人が地面に墜落し、鈍い音が響きわたった。
観客一同が目を丸くする。

『おおっとこれは何が起きたんだーーー!!?? 絶体絶命に思われた滑塚選手、兜選手をひっくり返してしまったーーーーー!!!』

「おおー! なんかすげーぞー!!」

滑 塚は大きく息を吐き、きびすを返して眼下の巨人を見据える。巨人はしばらくじっとしていたが、ややあってゆっくりと体を起こした。巨人の腹の中で兜はその 顔をますます醜悪に歪めていた。滑塚は半身になって全身の力を抜き、空を見上げた。魔法空間特有の真っ白な空。熱くもなく寒くもなく暗くもまぶしくもない この平坦な世界で、滑塚は自分の心臓の鼓動に耳を澄ます。

(たかぶっているんだな、俺は……)

黒いドクロの巨人が迫る。今度はさっき以上のスピードだ。観客席からひきつったような悲鳴が上がる。
その強靭な手が滑塚を押しつぶそうとしたその瞬間、滑塚の体が居合い抜きのように動き、一閃。
またしても巨人の躰は放物線を描いた。ドスンという響きとともに巨人が地面とぶつかり合う。
滑塚は冷酷な目で巨人を見下ろした。

「お前は大きな勘違いをしている……。俺達執行部は贔屓やインチキで強くなったわけじゃない。大きな力を手に入れたらすぐに力に溺れてしまうお前ような奴にはわからんことだろうがな」

(俺には何の才能もなかった――)

巨人が再び起き上がる。今度は立ち上がるのではなく、四つん這いの姿勢から一気に跳びかかる。
ぐるん。
どすん。
同じ事が三度起きた。
観客は俄然沸きあがった。よくわからないが凄いことをやっている。これが執行部の実力かと。もはや会場中が滑塚の味方になりつつあった。

「こいつは一体……?」

伊 勢が身を乗り出す。元執行部だけに滑塚の能力はよく知っていたが、目の前の現象はその知識だけでは理解できない。"魔手〈マジックハンド〉"は確かに向 かってくる相手を手で触れることなく投げ飛ばすことも出来る魔法だ。だがあれほどの体格差、パワー差がある相手をただ掴んで投げるなどということがはたし て可能なのだろうか?

「そうか、滑塚さんはただ単に魔法で掴んで投げているわけじゃない……。柔術や合気道の技術を組み合わせているんだ」

「なんだって?」

永井の言葉に伊勢は眉をひそめる。

「ど んな巨体だって、動けばそこに必ず隙が生じる。相手の重心や力の方向を見抜き、瞬間的に力を加えて崩し、払う。あるいは相手の勢いを利用して投げる。直接 手を触れずに魔法の手でやっているとはいえ、これは正に武術だ。といってもあの人は元々そういう武道の心得があったわけじゃない。あれはむしろ、自分の魔 法を活かすために磨きぬいた技だということだ……」

「確かにマジックハンドとそういう技術を組み合わせればどんなデカブツだって投げ飛ばせるかも知れねえが……。信じられねえよ。武道の素人がそこまで辿り着けるか?」

「現実を見ろ、現にあの人はそれをやってのけているんだ!」

言ってるそばから、地響きとともに巨人がまた背中から落下した。
滑塚の頭は澄みわたっていた。もはやどこにも恐怖心はない。あの骸骨がどんな風に襲いかかってきても100%投げられる。その確信があった。自信とはコンビニで買えるような気軽なものではなく、己が地道に積んできた修練にこそ宿る。滑塚はそれを体現しつつあった。

(俺が聖凪に入った時、俺は誰よりも魔法が使えなかった。授業に付いて行くのも苦痛だった。退学だって考えたさ――)

(魔法のセンスがまるでなかった俺は、たったひとつの単純な魔法に活路を見出した。俺が初めてまともに習得した魔法――俺の相棒、"魔手〈マジックハンド〉”)

(俺にはこれしかなかった。ただ『掴むだけ』の曲芸みたいな魔法。俺はこれを磨くしかなかった。どんなにバカにされようと、笑われようと――)

――なあ滑塚、お前も執行部に入らないか?

――馬鹿言わないでくださいよ先輩、俺みたいな落ちこぼれがあんなエリート集団で何が出来るんですか

――馬鹿を言ってるのはお前のほうさ。お前のその魔法、執行部のためにあるようなものじゃないか

――だけど俺にはこれしか出来ません

――かもな。だがお前は"誰よりも上手く"それが出来る。それで充分さ

――それにお前は最高の努力家だ。お前は決して慢心で傲慢になったりはしないだろう? それが執行部員にとって一番大事なことなのさ

――自分を信じてみろ、滑塚。執行部はお前を歓迎する

(俺は見つけた。自分の居場所、自分の力を活かす場所。あれ以来俺は誓った。俺は俺にできることをやる。何があろうとも――)

(俺はこの居場所を守る。そして執行部員としてこの学校の平和を守る。それが先輩たちへの恩返し、後輩たちへと遺せるもの――)

(執行部には本物の天才がいた。俺はいつか、あの天才にだって勝ってみせると誓った。努力が天才を上回ることだってあると証明するために――)

(だから――)

(だから――!!)

「お前なんざに……負けちゃいられねえんだよォッッッッ!!!!」

投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
投げる。
何度でも。
投げる。
投げる。

どれほど続いただろう。延々と繰り返された攻防の果てに、滑塚の体力に僅かな乱れが生じ始めた。それは人間が決して避ける事の出来ない「疲れ」という名の制約。失速と呼ぶには余りにかすかなほころび。
この戦いにおいて、それは致命的だった。

――どん。

人身事故と同じ音。
巨人の腕が滑塚を叩き飛ばした。
宙を舞い、一回転、二回転。背中から落下。流血と全身打撲。脳震盪。
たった一度の失敗が、全てをぶち壊した。

『な、滑塚選手、凄まじい飛距離を吹っ飛んでしまいました! 見るからにダメージは甚大です! これはもう……勝負あったのではないでしょうか!!?』

実況が叫ぶ。誰にもその言葉を否定出来ないほど、滑塚は見るからに酷く傷ついていた。闘技場の隅で医療班が突入の準備を整える。彼らが結界内に入ればそれと同時に試合は終了する。
震えながら、満身創痍の男が立ち上がった。今にも崩れ落ちそうなおぼつかない動きで、うつろな目で。フラフラと、フラフラと、ただ終わることを拒否するかのように。

「負け……られねえ……。こんな……ところで……」

もはや兜は走らなかった。滑塚のダメージを値踏みしながらゆっくりと歩を進める。その姿は処刑台の囚人に向かって歩く執行人と何ら変わらなかった。

「シネ」

兜が楽しそうにつぶやいた。
巨人の腕が、ぜんまい仕掛けの速さで大きく振り上げられる。

「ちく……しょう……」

もはや滑塚の腕はぴくりとも動かなかった。どうにもならない。それでもなお、負けたくなかった。負けを認めたくなかった。

(ごめん――先輩――)

『勝負ありっっっ!!!!!』

巨人の腕が振り下ろされるより前に決着が宣言された。安全を最優先した当然の処置。
同時に滑塚が崩れ落ち、膝をつく。彼は失神していた。
兜はとどめを刺せなかった不満からか、勝ったとは思えない憮然とした顔で魔法を解き、一言も発さず歩いて退場していった。医療班に囲まれる滑塚を一瞥することは決してなかった。
観客席はずっと凍りついたままだった。


####


「……お、俺次あんなのとやるの……?」

九澄が震え声で顔をひきつらせる。それを見ていた小石川――じゃなくて音弥は鼻で笑って九澄を見下した。

「ああそうだ。チビったか?」

「チビらねーよ!」

「大賀ならあんなのラクショーだもん!」

ルーシーが眉を吊り上げて割り込む。

「それも根拠全くねーけどな……」

九澄は溜息をついたが、すぐに顔を引き締めてモニターに視線を戻した。

「まああんなのとゼッテーやりたくねーけどよ、本当なら」

九澄は汗を垂らしながら苦笑する。

「なんとかするっきゃねーよな、実際」

その顔は本気で怯えているという風に見えるものではなかった。

0 件のコメント:

コメントを投稿