第十五話 霧中
九澄大賀には夢がある。いつの日か本物のゴールドプレートを手にし、想い人の願いを叶えてあげたいという夢が。その夢のためならどんな困難でも乗り越えてやるという決意を握り締めている。
九澄大賀には秘密がある。秘密ぐらい誰でも持っていて当たり前だが、九澄の場合その秘密の重要レベルが他の高校生の比ではない。バレれば確実に自分はこの学校における籍を失い、記憶も消されて路上に放り出されるだろう。幾人かの巻き添えとともに。
今、その秘密と夢がまとめて散ろうとしていた。
「対象者の記憶、経歴、黒歴史、その他あらゆる個人情報を本人が忘れていることまで含め一切合切ノートに書き記す!!! それがこの魔法 "完全なる人物百科〈ペルソナルペディア〉"!!!」
「な……なんだってーーー!!??」
一体誰が想像しただろう。「最強を決める」という名目で開かれたこの大会に、全く違う目的で参加している者がいたことを。唯一つ、九澄大賀の秘密を暴きたくて参加している者がいたというその事実を。
柊父が顔を歪め机を両手で叩く。その必死の形相に実況女子がたじろぐ。
(なんとかしろ……! なんでもいいからなんとかしろ、九澄!!)
解説担当としての中立性など気にしている場合ではない。九澄の秘密が白日の元に晒されれば、彼もまた失職するのだ。
九澄は全身に力を込めてツタを千切ろうとしながら叫ぶ。
「てめー……最初っからそれが目的だったのか!?」
今や望月のペンはそのオーラが導くままにノートの上を走り始めていた。手でペンを動かしているのではない。ペンのほうが手を引っ張っているのだ。
「うん、まあね。キミの情報はプロテクトが堅くてさ……どうしても知りたいことがわからなかったんだ。だったらこれが一番早くて確実でしょ?」
「そんなこと知ってどうしようってんだ!」
「さあね、後のことなんてそれから考えればいいじゃない。あたしの勘じゃキミの秘密はこの聖凪高校そのものの秘密と密接に関わっている……違う? もしその通りなら、あたしの夢が一歩実現に近づく」
「夢……だと……?」
望月は涼しげに微笑むだけでそれ以上答えようとはしなかった。そのやり取りのさなか、ノートのページが手に触れることなくひとりでにめくられる。一枚のページが埋まってしまったのだろう。もはや九澄には一刻の猶予もなかった。
(クソッタレ……なるべく温存しときたかったが、そうも言ってられねえ……!)
瞬間的に体を脱力し、精神を集中させる。そして大きく吸い込んだ息を吐くと同時に一気に力を込めた。
(エムゼロ、全開だ!!)
一
瞬、九澄の全身がかすかに発光した。その光はペルソナルペディアの対象者を覆うオーラに比べればはるかに微弱だったため、外部の目からは全く捉えることが
出来なかった。だがその直後九澄の体を覆っていた太いツタがみるみる細くなり、同時に望月のペンがピタリと静止する。ペルソナルペディアの自動筆記がス
トップしたのだ。望月の目が見開かれる。
「え……?」
九澄が自分を弱々しく縛るツタを引き千切り、望月に向かって突進してくるまではほとんど一瞬だった。スピードが違う、腕力が違う。既に魔法力を使いきった望月に抵抗する手段はなかった。
「おらあっ!!」
九澄は電光石火の早業でノートを奪い、即座に距離を取ってそれを力ずくで破いた。破いたものをまた破き、やがて原型がなくなるまで破いてから一部をポケットに突っ込んだ。九澄は冷や汗をダラダラと流し肩で息をしながら勝ち誇った。
「ハァ……ハァ……。これでお前のくだらねー計画もおじゃんだな……」
望月はぽかんと口を開けながら突っ立っていた。そして大きく溜息をついて顔に手を当てた。
「あらら……失敗かぁ」
「これに懲りたら他人の秘密を暴こうなんてくだらねー事考えるんじゃねーぜ。誰にだって人に言えないことぐらいあるんだからよ」
九澄はキメ顔を作り直し望月をビシっと指差す。動揺の跡など欠片も感じさせない堂々たる態度。こういうのは最後の締めが重要なのだ。ついでにルーシーも誰にも気付かれることなく同じポーズで勝ち誇っていた。九澄以上に誇らしげな顔である。
望月は肩をすくめると、観念したように両手を上げて大きく息をついた。
「ま、しょうがないか。じゃあ降参」
「へ?」
望月のサバサバした態度に九澄は呆気にとられてしまう。あれだけの手間暇をかけてこんなややこしいことした割に諦めが早すぎるように思えた。
「審判さーーん! 聞いてるーー? 今の魔法であたしの魔法力空っぽになっちゃんでーー! ギブアップしまーーーーす!!」
『え……? あ……えっと……決っ着ーーーーく!! 勝者、九澄大賀!!』
観
客全員がポカンとする中、九澄の勝利が公式に宣言された。もはや結果は揺るがない。何もかもが唐突だった。望月がペンとノートを出して何事か書き始め、九
澄がそのノートを奪って破き、そしたら望月が降参した。一体この勝負は何だったのか?
あるいは望月の喋った魔法の内容が観客に聞こえていたならもう少し反応が違ったかもしれない。だが実際には結界に阻まれ、魔法名すら観客には聞きとれな
かった。つまり一連の出来事の実態は全く伝わっていないのだ。
「……わ、わからん……。彼女は何を企んでいたんだ……?」
目の前の事態が理解できないのはもちろん"二年生最強"永井龍堂も同じだった。何やらとんでもない陰謀が張り巡らされているとまで考えたのは単なる自分の妄想だったのだろうか?
「……あいつは昔から全く意味不明だ……」
永井の隣、伊勢聡史が吐き捨てた。
その頃九澄を応援する女子達も首を傾げていた。
「うーん、なんかよくわからん結果だったな。ま、相手の切り札を一発で破った九澄がスゲーってことかね?」
久美がポリポリと頭を掻く。ミッチョンは顎に手をあててううむと唸っている。
「きっとそうだよ。あの人も二年生代表なんだからきっとすごい魔法だったんだと思うよ」
愛花だけは素直に九澄を称える。実に嬉しそうな笑顔だ。一方観月は無言のまま硬い表情でじっと九澄を見続けていた。
男子勢の反応は現金なものである。
「なんかよくわかんねーけどさっすが九澄! 余裕の勝利だぜ! そのまま優勝しちまえよ九澄ぃー!!」
「うおおおおC組バンザーーーイ!」
伊勢弟が元気よくエールを送り、そこに津川やら堤本やらも加わってC組男子はお祭り騒ぎだった。いつの間にやら「われらが一年C組九澄大賀」「九澄絶対優勝」などという垂れ幕まで広げられている。浮かれた行動には違いないが、C組の団結力と九澄の好感度をよく表していた。
九澄、望月はそれぞれ逆方向の出口に戻って行く。はしゃいで頭上を飛び回るルーシーとクラスメートのどんちゃん騒ぎに苦笑しながら九澄は思案した。
(ふう……なんとか無事妨害できたけどほんとにこれで一件落着だったのか……? 肝心なところがバレてなきゃいいんだけど……本人が失敗って言ってたし、あの様子じゃ大丈夫っぽいかな。一回戦で"切り札"使わずに済んだし、まあ悪くない結果かもな)
####
「どうやら失敗したようだな。大口を叩いていた割にはあっけないものだ」
「そう言わないでくださいよ。それなりに収穫はあったんですから」
控え室へと続く廊下、他の誰からも見えない場所で望月は、壁にもたれて立つある男と会話していた。男はメガネをかけた大柄な中年だ。
「収穫……? ほう、なんだそれは」
「それをここで喋ったら面白くないじゃないですか。それに調べなきゃいけないことも出来ましたから、結論を出せるのはしばらくしてからですね」
「……勝手なことを……」
「ま、今日はこの大会の結果を見届けましょうよ。九澄くんならもしかしたら……あなたの教え子を食っちゃうかもしれませんよ、教頭先生」
「ありえん話だ……誰も奴には勝てん。私の"最高傑作"にはな」
教頭先生と呼ばれた男。聖凪高校の重鎮・鏡昭司は無表情のまま眼光を光らせた。
####
『さあ気を取り直して行きましょう第二試合!! 東より執行部の"捕獲人〈スナッチャー〉"滑塚亘!!』
滑塚がゆっくりと歩みを進める。表情は読みづらいがそれはこの男にとっていつものこと。彼はこの一回戦を圧勝し、二回戦で九澄にリベンジすることを誓っていた。
「おおーっ、いつもより頭が光ってるぞ! 奴は本気だ!」「後光が差してるぜ滑塚ーー!」
「うっせえ!!」
級友からの遠慮のないヤジに思わず突っ込む滑塚。
(落ち着け俺……。一回戦は問題じゃねえ、問題なのは次の九澄だ。いまいちよくわからん試合だったが奴はあっさりと勝利した……。それでこそ俺が狙うに相応しい男だ)
滑
塚は大きく深呼吸し、眼の前に現れた対戦者を睨みつける。短身矮躯、悪く言うならチビモヤシ。どう見ても強そうには見えない地味な外見だ。かつては同じク
ラスだった滑塚はある程度この相手の力量を把握している。それなりに実力があるのは確かだが自分が負ける相手ではない――それが滑塚の見立てだった。
(秒殺で決めてやる!!)
身構える滑塚に対し、対戦相手は眉間にシワを寄せて睨み返す。闘志が溢れているというよりはむしろ苦虫を噛み潰したような苦い表情だった。
「気に入らねえよなぁ、一年のくせにゴールドプレートだなんてよ……。ズリィんだよなぁ……てめぇら執行部は……」
「はあ?」
「いつもそうだ……。いつもいつもてめぇら執行部ばっかり贔屓されやがってよ……ウゼェんだよてめぇら……マジウゼェんだ……」
男の表情がいよいよ醜く歪みだす。滑塚はそのただならぬ様子に眉をひそめるが、気圧されないためにも強い態度で応じる。
「……執行部に不満があるなら別の機会に言えよ。ここはお前の不満を書き連ねるネットの掲示板じゃねーぞ?」
「ヒヒヒ……ウゼェ……マジウゼェ……」
(こいつこんな変な奴だったか……?)
その悪態といいい表情の醜さといい滑塚の記憶にある元クラスメートとは似ても似つかない。まるで悪霊にでも取り憑かれているかのようだ。
(冗談じゃねえ、こんなのにまともに付き合ってられるか。ムカつくがとっとと終わらせてやる)
滑塚は拳を固く握り静かに息を吸った。
『滑塚亘vs兜天元、始めっ!!!』
合
図が響くのと滑塚が右腕を突き出したのとはほとんど同時だった。滑塚はその場を一歩も動かず空中を「掴む」。途端、5メートル以上離れた位置にいる兜が
「吊り上げ」られた。その顔面には人間の手の跡がくっきり見える。離れた対象物を自在に掴むことのできる滑塚の十八番"魔手〈マジックハンド〉"。ただそ
れだけのシンプルな効力ながら、掴まれた側にはどうすることもできない極めて強力な捕縛魔法である。
『おおっと滑塚選手、いきなりのマジックハンドです! しかも禁断の顔面掴み! これは痛い! 早くも勝負あったか―!?』
本来温厚で冷静な滑塚が相手を不必要に傷つけるような魔法を使うことはまずない。だが滑塚の細目からは彼らしくない程の殺気がみなぎっていた。対する兜は無抵抗のままダラリと吊り上がっている。
「おれが『ウゼェ』ならお前は『キメェ』だ……。せめて選ばせてやる。このまま何も出来ず吊られたままか一思いに地面にぶつけられるか、どっちがいい」
滑
塚がいつになく好戦的な姿勢を見せる。本来の彼の性格にはそぐわない乱暴さだが、それだけ目の前の相手の奇妙な態度が気味悪かったのだと言える。だがもし
滑塚が一切の遊びを見せず『秒殺』を決めていたなら――そしてそれは十分に可能なことであった――その後の展開は違っていたはずだった。
「ヒヒヒ……ククク……ハッハッハ!」
掴まれ吊り上げられたままの兜が笑う。腹の底から、おかしくてたまらないという風に。
「何がおかしい!」
「てめぇの単細胞ぶりが、さ」
その時だった。爆発のような轟音と突風が滑塚を襲ったのは。滑塚はとっさに顔面をカバーするが、体ごと吹き飛ばされ十数メートル後方に転がる。即座に起き上がった滑塚が見たものは、黒い炎のような不気味なオーラに包まれ空中で静止する兜の姿だった。
「な……なんだこいつは……!?」
滑塚の背中を冷たい汗が流れる。単に自分の得意魔法を振りほどかれたというだけではない。目の前で起きている現象は三年生執行部員である自分でさえ全く見たことがない異常なものなのだ。
「サイコーの気分だ……! 力が溢れてくる……! 俺はお前ら以上の力を手に入れたんだ……!!」
「なんだと……?」
黒い炎が徐々に収縮し、兜の本体を守るように固体に形成されていく。その姿はまるで腹の中に人間を住まわせるドクロの魔人。奇々怪々なる死の運び屋。観客が一斉にざわめき出す。
「お、おい……あいつあんな魔法使えたのか?」
「知らねーよ! 見たことねーし!」
「それよりなんて不気味な姿だ……絶対にあんなのとやり合いたくねーぜ」
そんな中、伊勢兄は隣の永井に疑問を投げかけた。
「おいありゃあ……お前のロッキーと同じ魔法じゃねえのか?」
「いや、似ているが違う……。あんな魔法は知らない……」
永井は青ざめた顔で首を横に振り、自分のバンダナを手で押さえる。
「震えている……」
「震えてる? 誰がだ?」
「ロッキーが震えているんだ!」
伊勢は永井が冗談を言っているのかと思った。
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